« 新生日本の実現に邁進する祈り | トップページ | 被災地の海岸を行く (2) »

2011年4月13日

被災地の海岸を行く

 思い立って東北の東海岸へ行った。史上稀なる大震災と大津波の被害はメディアを通して見ていたが、人やカメラを通してではなく、自分の目で見る必要を感じていたからだ。先遣隊として東北救援の旅から帰ってきた戸島幹雄・総務部長から前日、現場の様子を聞き、どういうルートで行けばよいか助言してもらっていた。朝6時半ごろ妻とともに東京・渋谷の公邸を車で出て、まずガソリンを補充。そして、首都高に乗ったのは7時ごろだった。長時間の運転は2~3時間なら平気だが、片道6時間かかるという話なので、覚悟を決め、いざという時は妻に運転を頼むつもりだった。目的地は仙台市だが、その途中、相馬市、岩沼市、名取市も通る可能性を考えていた。「可能性」と書いたのは、現地の様子が皆目わからず、車で行ける状態なのかどうか自信がなかったからだ。実際に行った戸島氏は「行けます」と太鼓判を押してくれるのだが、テレビなどで見た相馬市の破壊のすさまじさが脳裏にあって、無理はしまいと考えていた。

 東北自動車道は、建設資材や重機、自動車、貨物コンテナ、石油製品などを積んだ大型車両が、北に向かってずいぶん多く走っていた。また、関東以西のナンバーの乗用車も、結構多く走っていて、中には「救援派遣」とか「災害派遣」などと書いた紙や布を窓に貼っている車もいる。そういう車と共にひたすら北上し、8時45分ごろには上河内のサービスエリアに着き、そこで一度休憩をとった。そこからは「運転しましょうか」という妻の好意に甘えた。11時ごろには白石市に到達し、そこから一般道へ出た。ここから先は被災地なので、再び私がハンドルを握り、JR東北本線と北東方向に併行する国道4号線を走り、海岸へと近づいていった。岩沼市に入るまでは、付近の民家やビルに目立った損害は認められなかった。郊外型の大型店もちゃんと営業しているようだった。ただ、瓦屋根の家の中に、一部を青や白のビニールシートで補修した跡の見えるものが、ポツンポツンとあった。復旧作業は、だいぶ進んでいるのだと思った。

Miyagidistr_07  ところが、岩沼市も仙台空港に近づいていくと、風景が一変した。特に、海岸に併行して北上する仙台東部道路を境にして、それより海岸寄りの地域は「色」が変わって見えた。内陸部の地域は普通に色数があるのだが、海岸に近い地域は全体が土色をして見えるのだ。つまり、津波に襲われて土砂をかぶったままの状態にある。そして、仙台空港の周辺地域に行ったが、そこはまるで“地獄”か“戦場”のような破壊の跡が、延々と広がっているのだった。私と妻は、そこで写真を何枚も撮った。が、外に出ていると異様な臭気もするので、長居を避けて内陸部へ引き返した。

Miyagisni_members  生長の家の宮城県教化部は、内陸部の仙台市太白区にある。私たちはその方向へ進み、近くで昼食をとってから教化部を訪問した。前もって何の連絡もしていなかったので、教化部の方々を大変驚かせてしまった。しかし、高坂幸雄・教化部長を初めとした職員の人たちは、休む日もなく復旧活動にフル回転していると聞いていたので、その妨げになりたくなかったからだ。同教化部長など教区五者の人々や事務局長は、県北東部の石巻や気仙沼方面へ救援活動に出ておられた。私たちは教化部の建物の被害状況について説明を受け、大道場での聖経読誦を所望した。私は当初、海岸付近に立って聖経読誦をしようと思っていたが、現場がそんな状況でないし、信徒の方々とともに実相軸の前でそうすることの意義の方が大きいと考えた。今回の地震と津波の犠牲者の御霊に対し、また災害からの復興に尽力するすべての人々の無事と成功を祈り、聖経を読誦させていただいた。

 破壊された街並み、家々、自動車、道路などが脳裏に焼きつく中、常住完全なる実在を説く真理の言葉の朗誦には、自然と力が入るのだった--
 
 万物はこれ神の心、
 すべてはこれ霊、
 すべてはこれ心、
 物質にて成るもの一つもなし。
 物質はただ心の影、
 影を見て実在と見るものはこれ迷。
 汝ら心して迷いに捉わるること勿れ。
 ……
 
 谷口 雅宣
 

|

« 新生日本の実現に邁進する祈り | トップページ | 被災地の海岸を行く (2) »

コメント

谷口雅宣先生

 この度はどうもご足労様でした。ところで何の前触れもなく先生ご夫妻が来られたので宮城の教化部の人はさぞかし驚かれたでしょうね。でも百倍の勇気を得たのではないでしょうか。
 先生は普段眼鏡を掛けてらっしゃるのですね。講習会の時とは随分イメージが異なります。

 それにしても聖経「甘露の法雨」の言葉は力強いというか勇気を得られると言うか。こういう悲惨な状況も本当はナイ。あるのは神の生命のみであると言う事ですね。

 

投稿: 堀 浩二 | 2011年4月14日 16:02

総裁先生、白鳩会総裁先生、お揃いで被災地にお出かけくださったご様子を朝からのみちゆきをお書きくださいましたこと、ありがとうございました。実際にご一緒にうかがっているような臨場感を感じさせていただきました。その胸のつぶれるような、光景と異様なにおい、苦しい事態の中での甘露の法雨のお言葉、私なりに、早く被災地の方々にこのような喜びの福音をつたえることが我々の使命だと感じてはいましたが、総裁先生が力強く上げてくださったこと、なんとも勇気凛凛と感じました。誠にありがとうございました。心より感動し、地元での光明化は、どこにいても日々邁進です。

投稿: 金子糸子 | 2011年4月14日 23:24

谷口雅宣先生

 合掌ありがとうございます。
「人やカメラを通してではなく、自分の目で見る必要を感じていたからだ」ということに大変共感をしております。
 私も、24日~28日まで岩手県に災害ボランティアで現地派遣されることになりました。
 夫と子どもには、地震発生後からすぐに、現地入りをしてなんとか少しでも皆さんのお役にたちたいと強く希望しておりました。
 夫と子どもからは、「是非、現地に行って皆さんのお役になってきてください」という応援が毎日のようにありました。
 突然、昨日仕事から帰宅すると、夫から来週から災害支援として宮城に派遣されたと報告がありました。
 夫は、この1ヶ月ずっと、現地に行きたくて仕方なかったようでしたが、仕事で現地のお手伝いをさせて頂くことになり心から感謝しております。
 早速、床屋さんに行って髪の毛を短く坊主にしてくると昨夜話をしておりました。
  
私もこれで、気兼ねなく災害ボランティアに参加できることになりました。
 今後も、災害支援は長期的になると思っております。

自分の目で見て人間としての生きる意味をもう一度考えてみたいと思っております。

 

投稿: 天地朋子 | 2011年4月16日 17:56

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 新生日本の実現に邁進する祈り | トップページ | 被災地の海岸を行く (2) »