イギリスの科学誌『New Scientist』の3月19日号は論説ページで、今回の東日本大震災に関連して、科学技術と自然界の関係についてよい考察をしていた。論説の細部については疑問を感じる点がないわけではないが、大まかな論旨には賛成である。それを簡単にまとめれば、「自然は人間の予測を超えている」ということだ。この「予測」というのは、我々のような普通の常識人が、日常生活の中で「明日は天気になるか?」とか「来年は円安になるか?」とか「孫は試験に受かるか?」などと憶測することではない。この予測とは、先進各国の科学者が協力して、現有の最高の科学的知識を用い、スーパーコンピューターによって最良の予測モデルを走らせて行う種類の“最良の予測”である。大地震は、過去においても人類に甚大な被害を及ぼしているから、それを事前に予測できれば被害の程度を少しでも減らすことができる。だから、地震学者を初めとした世界中の科学者は、地震予知の精度を上げることに努力を傾けている。にもかかわらず、今回の大地震は、その位置や大きさはもちろん、被災地に及ぼす影響(原発事故を含む)なども、まったくと言っていいほど予測できなかった。
しかし、同誌の論説は「予測できないから仕方がない」とか「諦めろ」と言っているのではない。そうではなく、我々は「だからこそ、自然界への影響を最小限にするよう努力すべきだ」と言うのである。また、日本では今、福島第一原発からの放射線流出のことが大きな問題になっているが、この論説は「原発事故より地球環境改変の方が、はるかに重大だ」と結論している。この論理は一見意外に思えるが、論理的にはそれほど間違っていない(ただし、私の意見は違う)。論説は、現在の原子力科学の正確さを信頼していて、「放射線物質は最小の原子のレベルまで比較的簡単に特定でき、その拡散や崩壊(decay)の状況はモデル化することができる」という。「モデル」とは、コンピューターによる予測プログラムのことだから、モデル化できるということは「予測できる」という意味だ。論説はその一方で、「二酸化炭素の排出が今世紀、地球にどのような気候変動をもたらすかを正確に予測することはできない」といっている。
つまり、予測できるものは抑制や制御もしやすいから、原発の危険性の問題は、地球温暖化にともなう気候変動の問題よりも深刻でない、というのである。この結論に、私はにわかには承服できない。というのは、これに至るまでに、論説者は科学技術上の問題しか考慮していないと考えるからだ。原子力発電所の建設によって生じる問題は、科学技術以外にもきわめて多岐にわたる。まずコストが膨大であるから、それを負担できる企業や団体は“大資本”でなければならない。また、電力のような公共性の高いものをめぐっては企業間の競争関係を作りにくいので、経済的には「独占」か「寡占」状態になる。そこで今回の東京電力のような行政との癒着や、政党との馴れ合いの問題が生じる。また、いったん建設した原発は、その建設コストを回収するまでに長期間の運用が必要だから、勢い抜本的改良に躊躇し、老朽後も使い続けるという危険性が生まれる。福島第一発電所の場合は、それがまさに事故原因の1つだと言える。さらに、原発は1箇所で莫大な電力量を生み出すため、大都市の電力がそれに依存し、非常時のためのリスク回避が困難になる。これは今、関東地方に住む我々が痛いほど経験していることだ。
加えて原発は、核拡散問題やテロなどによるリスクを生み出す。簡単に言えば、原発内で生まれる核物質を元にして、兵器の開発が行われる可能性のことだ。これは、言わば治安上、国際政治上のリスクだが、今回の事故を契機として、この分野で私の脳裏に新たに浮上してきたのは、別の政治・軍事上のリスクである。今回は、観測史上まれな規模の大地震と大津波によって原発の機能が破壊された。直接的な原因は、「冷却機能の停止」である。これがM9.0の揺れとその後の大津波によって起こるのであれば、直接的にもっと大きな揺れと破壊をもたらす「ミサイル攻撃」によって起こらないと、はたして誰が言えるだろうか? 私は十分起こりえると考える。その場合、そんな悪意をもった国やテロ集団が存在するかどうかが問題になるが、読者はどう思うだろう?
原発の機能や構造に関しては、時間の経過とともに今後も安全対策は進んでいくだろう。しかし、上に挙げた経済上・社会上・政治上のリスクは、原発の増設にともなってより増大すると私は考える。これを言い直せば、どんなに安全で効率的な原発が開発されても、大資本の独占や政治との癒着の問題、大都市の原発依存、政治・軍事上の危険性は拡大していくということだ。そういう点を、科学誌の論説者は見逃しているのではないだろうか。だから、私はできるだけ速やかに旧式原発は廃止し、自然エネルギーの分散利用に向けてエネルギー産業の構造改革をすべきだと考える。
ところで最後になってしまったが、「自然は人間の予測を超えている」という同誌の論説の認識は、「だから原発事故より地球環境改変の方が、はるかに重大だ」という結論に結びつくのではなく、「だから原発増設も地球環境改変も、やめるべきだ」という結論に行き着くべきだと思う。なぜなら、原発増設は人類のエネルギー消費の増大につながり、それはすなわち地球環境改変につながるからだ。原発の供給するエネルギーのおかげで、首都圏の人間がこれまで何を実現してきたかを振り返れば、このことは明白である。
谷口 雅宣