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2011年4月27日

太陽光でパソコンを使う (4)

Nimh_battery   前回の本欄の段階から、今日は一歩進んだ。というのは、太陽光発電による電気を蓄電するための充電池が届いたからだ。これは、読者の久都間氏から紹介された太陽工房の製品で、「バイオレッタソーラーギア VS12-B07NH」の電池格納部と、そこへ充電するためのAC充電器である。これに蓄電すれば、家庭用コンセントの100VとシガーライターソケットのDC12V、USBのDC5Vの3種類の電源が使える。問題は、フル充電でPCなどがどのくらいの時間使えるかである。

 太陽工房のサイトの説明では、ノートパソコンが最長4時間、携帯電話による通話が最長60時間使えるという。充電時間の目安は約5時間で、最大出力は120W(DC12V出力時)。繰返し使用回数は500サイクルという。まあ、これで私の当初の目的--PCの使用をすべて太陽光で賄う--は達成されそうである。ただ気になるのは、充電時間が「5時間」と長い点だ。太陽光発電は安定していないから、曇りの日などもっと時間がかかるだろうし、雨天の日は使えない可能性がある。これらの点は、今後実際に試してから報告しよう。
 
 今日は夕方、自宅で30分充電してから、60Wの白熱球のついた電気スタンドを使ってみた。この「30分」の充電時間は短いようだが、付属しているバッテリー・チェッカーで測ったところ「フル充電」を示したので、前もって充電してあったのだろう。電気スタンドは1時間10分光っていたが、その後は、切れたあとしばらくしてまた点き、数秒で消え、しばらくたってまた点き、また消え……を繰り返し、消える間隔が長くなっていく。この程度なら、停電時の非常灯用の電源としても、用を果たすだろう。
 
 充電池は容量が84Wh(12V/7Ah)。オレンジ色のポリプロピレン樹脂製の頑丈な箱に入っていて、そのサイズは235×111×192mm(幅×奥行き×高さ)で、弁当箱より一回り大きいという感じだ。重量は約2.5kg。意外とコンパクトだ。値段は、AC充電器込みで3万600円だった。
 
 谷口 雅宣

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2011年4月26日

太陽光でパソコンを使う (3)

 このテーマで私のささやかな“節電策”を書いたら、読者からの反応が案外多かった。ということで、少し細かい点を補足しよう。私の当面の目標は、1日約9時間を使うパソコンでの仕事をすべて“炭素ゼロ”にすることだ。が、長期的には、すべての使用エネルギーを“炭素ゼロ”化したい。前回のこのテーマのブログで、私はパソコンでの文章作成に“補助機”を使うと書いたのが、わかりにくかったようだ。そこで今回は、これらの“補助機”の実物を写真で示すことにする。

Myassistants  写真にはキーボードが2つ写っているが、上の小さい方は文具メーカーのキングジム製の「ポメラ」という機械だ。これはキーボードが折りたたみ式なので、背広の内ポケットに入る(ただし、やや重い)。このポメラの左側にあるのが、アップル社の「アイポッドタッチ」である。アイフォンと同じ手の中に入るサイズだから、携帯には非常に便利だ。このアイフォンの下に置かれた大きめのキーボードは、アップル社製のパソコン用無線キーボードだ。私はこれで、アイポッドタッチに文章を入力する。標準サイズのキーボードで、しかもコードがないから使いやすいが、その代わりに持ち運びに不満が残る。だから、私はこれを自分の執務室に置いておき、文章の下書きに使っている。これらの“補助機”を動かすための電池も、写真に入れた。大きい方(単3)がアップルのキーボード用で、小さい方(単4)はポメラ用で、いずれも充電式である。

Solarcharger  問題は、これらの電池を“炭素ゼロ”でどうやって充電するかだが、これには2つの方法を使っている。1つは、自宅の太陽光発電装置から入れる方法で、もう1つは携帯用のソーラー充電器を使う方法だ。この後者の充電器の写真も掲げた。私の執務室にはベランダがあって、日照条件はきわめて良好だから重宝している。この充電器は中国製で、11種類の電池に対応している。箱には「CE」というロゴと「MODEL ES879」という型番が入っているだけで、製品名がない。妻が数年前、通信販売で入手したものだが、これまであまり使っていなかった。日本語の取扱説明書には「エコテック」という川崎市の会社名が入っている。

 このほか、写真にないもので、アイポッドタッチ用に折りたたみ式キーボードを自宅で使っている。これは、旅行先でも使える優れもので、先日の長崎への旅の往復でも、航空機や自動車の中で使った。大きさは、折りたたんだ時のポメラのサイズだから、服のポケットに入る。

 このほか、すでに太陽光発電装置を導入ずみの人のためには、自立発電をするための具体的な方法が、上記のエコテックのサイトにはメーカー別に掲げてある。読者の参考になれば幸いである。

谷口 雅宣

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2011年4月25日

太陽光でパソコンを使う (2)

 4月23~24日には長崎県西海市の生長の家総本山へ行ったので、パソコン使用時の“炭素ゼロ化”はかなわなかった。羽田空港から長崎へ飛び、長崎空港から本山の公邸まで車に揺られ、さらに夕食後にも机に向かう。この間にパソコンに向かう時間は案外長い。だから就寝時には、私のパソコンの電気残量はほとんどゼロになっていた。宿泊した公邸の屋根には、太陽光発電装置がない。ということは、公邸の電灯線から充電する以外に方法はない。
 
しかし考えてみれば、同本山の温故資料館脇の斜面には160kwh、また練成道場の屋根には50kwhという大規模の太陽光発電装置があり、日照があるかぎり発電を続けているのだから、“炭素ゼロ”の方法はあるはずなのだ。問題は、それらの装置で生み出した電気が直接、電力会社に流れている点だ。これが何かの形で貯めてあれば、そこからの給電で次の日の使用量は悠々まかなえる。これは、今後の課題として、当面は旅行のある日の”炭素ゼロ”は望めそうもない。

そこで、せめて旅行のない日における“炭素ゼロ化”を考えた。これは、1日を通じてのパソコンの使用時間を短縮できれば可能である。そのためには、パソコンを使う仕事の一部を別の方法に置き換えるというのが、現実的な選択だろう。私の場合、パソコンを使う仕事で時間を最も費やすのは、文章の作成である。だから、パソコンを使わずに文章を書く時間を設けることで、“炭素ゼロ化”に近づくことができる。

このためには、昔やっていたように、原稿用紙に文章を書くことが考えられる。しかし、今の社会では編集・出版はほとんどコンピューター化しているから、一度紙に書いた原稿は、誰かがどこかでコンピューター用のファイルに変換しなければならない。この作業に電力が使われるから結局、原稿用紙の使用は“炭素ゼロ”にはならない。

こうして私がたどりついた苦肉の策は、文章作成にパソコン以外の“補助機”を使う方法だった。本欄の永年の読者なら記憶にあると思うが、私は事務所や自宅以外で文章を書くときのために、パソコンとデーター互換性のある“入力補助機”を買ったことがある。また、いわゆる「携帯用多機能端末」のアイポッドタッチ(iPod touch)を使っている。この2つを文章作成に使えば、その分、パソコンの使用時間は削減される。ただし、こういう“ガジェット”もそれぞれ電気で動くから、それらのバッテリーも太陽光で充電する必要がある。

そんなこんなで今、私は「太陽光だけでパソコンを動かす」ことを目指して、次のような方策を採っている:

①朝の2~3時間で、パソコンと補助機のバッテリーを満タンにする
②文章作成の下書き用としては、補助機の方を主に使い、仕上げにパソコンを使う

  この2つの方法では、“炭素ゼロ化”は不完全だ。私は、生長の家の講習会などでもパソコンを多用するから、その仕事のために別のパソコンを動かすことがある。そうなると、太陽光だけでパソコンの仕事ができる日とできない日ができてしまう。そこで今、検討しているのは、太陽光発電で得た電気をいったん蓄電池に保管することだ。こうしておけば、太陽が沈んでから電気が不足した場合でも、蓄電池の電気を使うことができる。実は、本欄の読者の1人が、この方法が可能だと教えてくださった。実現した暁には、またご報告しよう。

谷口 雅宣

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2011年4月24日

物を大切にする心

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山で「谷口輝子聖姉二十三年祭」が行われた。私は前日から妻とともに長崎入りして、御祭にそなえていた。前日は好天だったが、今日は朝から雨模様で奥津城前での年祭の執行が危ぶまれたが、幸いにも9時ごろから雨は上がり、やがて薄日が差すようになった。参列者は、同時期に行われていた長寿ホーム練成会の参加者と、地元・長崎県の信徒の人々など200人強だった。御祭の後、私は概略次のような挨拶をさせていただいた。

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 皆さん、本日は谷口輝子先生の二十三年祭に大勢お集まりくださいまして、ありがとうございます。本年は3月11日に東日本大震災が起こり、その影響で原子力発電所が事故を起こし、余震もまだ続いている中で、放射線被害が一向に収まらないなど、大変な状況が続いているのですが、ここ生長の家総本山には例年のように穏やかな春が訪れていることは、誠にありがたいことであります。昨夕も、本山で採れたタケノコや山菜をおいしくいただきました。

 このように、自然というものは、通常は人間にとって喜びや楽しみを与えてくれるものですが、人間の側が自然を無視し、あるいは自然を犠牲にして人間だけが繁栄しようとして無理なことを試みると--厳しい姿を示して我々を戒める--そのように感じられる現象が出てくるのであります。私は今回の震災後に、「自然と人間の大調和を観ずる祈り」というのを発表しましたが、そこにもあるように、自然と人間とは本来一体であり、人間は自然の一部であることを忘れてはいけない。その自覚を失った生活をしていると、その心の表れとして「人間と自然がぶつかり合う」ような悲惨な災害が生じることがあるのです。これは「天罰が下る」のではありません。生長の家では天罰を下すような神を信仰しません。そうではなく、人間は自然の一部であるから、自然に対してもっと謙虚であれということです。人間は素晴らしい力をもっているが、自然は人間よりはるかに大きな力をもっていて、人間の想像を超えた現象をあらわすということです。

 しかし、今回の震災は、本当は人間の想像を超えてはいないのです。このことは、ブログにも書きましたが、東北の三陸地方には、沖合を震源地とする大地震で何回も大津波に襲われてきた歴史があるのです。比較的最近では、明治29年6月にM8.5の大地震。これは、その後に襲った大津波で1万戸近くの家屋が失われ、2万人以上の死者が出ている。また、昭和3年3月にも三陸沖で地震があり、平均で20mの波高の津波が押し寄せ、死者不明者3千人が出ている。それから、これは『ニューヨークタイムズ』も紹介していましたが、東北の太平洋岸の高台には、今でもいくつもの石塔や石碑が立っていて、昔の人が津波の危険を記した文字などが刻まれているそうです。ところが現代人は、そういうご先祖の警告を無視して、低い土地にどんどん家を建て、工場を建て、港を建設してきた。
 
 だから、地震の専門家の人たちは、今回のような大地震と大津波が起こる可能性を知っていたが、社会全体が「そんなものはもう来ない」と考えて相手にせず結局、自然の力を侮ってきたのです。

 しかし、今回の震災では、暗いことばかりが現れているのではなく、明るいこと、素晴らしい出来事も生まれています。皆さんは、大震災の惨状とその後の大勢の人々の復興支援の努力や情熱をテレビなどでご覧になったと思います。こういう非常時には、社会や国の性格というのがよく出てくるものですが、日本という国は、世界の人々も驚くほど、略奪や暴動がない。社会秩序の維持や他者への心配りや団結を大切にする。それが今回如実に現れ、世界の人々から讃嘆されたことは、不幸中の幸いであると言えます。

 また、テレビなどで被災者の方々の心境などを聞きますと、今回の災害に遭って、「何もない、当たり前の日常がどんなに有難いかがよく分かった」という感想を漏らす人が多かったですね。これは生長の家で昔から説いていることで、谷口清超先生などは「当たり前は奇跡以上に素晴らしい」ということをよく講習会などで話されました。例えば、冬の後には春が来るのは、当たり前です。春になれば、花が咲き、虫が飛ぶのも当たり前です。品物ならば、毎日使っている文房具だとか、車だとか、道路だとか、仕事の道具なども「当たり前」の部類に入ります。そういう一見、些細なもの、“つまらない”と感じられるものに対して感謝の気持をもち、大切に心をこめて付き合うということを、生長の家では教えています。が、それはなかなか難しいことでもある。

 なぜなら現代は、効率化優先で、何でも手取早いもの、新規のもの、さらには奇異なものが求められている。おかげで、昔からある当たり前のものの価値が低く見られがちなのですが、そういう時に、当たり前の日常生活が実はいちばん素晴らしいのだということを思い知らせてくれる出来事が起こったのです。これを私たちは、やはり「観世音菩薩の教え」として学ばなければいけないと思うのです。また、私たちは今、物が溢れた豊かな生活をしていますが、その反動として、個々の物を大切にせず、簡単に使い捨ててしまう。「もったいない」の精神が忘れ去られるという、好ましくない傾向が生まれています。そうすると、1杯の水でも、1個の電池でも、1本のロウソクでも、そこに物があることが本当は大変ありがたいことなのだということを教えてくれるような事態が起こっている。

 私は決して、東北地方の人々が物を粗末に扱ってきたと言っているのではありません。そうではなく、私たちの社会全体が、消費を美徳として、いわゆる“使い捨て文化”を生み出し、それを享受してきたことを反省すべきだと思うのです。だから今、そういう社会全体のあり方を見直さねばならないような事態に立ち至っているのです。

 そこで、今日の二十三年祭に当たって、谷口輝子先生のご文章から「物を大切にする」心を学びたいと思います。先生が昭和44年に出された『めざめゆく魂』というご本には「針供養」という随筆があります。ここには、日本には古くからこの習慣がなぜあるかということについて、ご自分の体験に基づいて先生の考えが書かれています。

 針供養とは昔、針仕事が女性の主な仕事の1つだった頃、1年に1回それを休んで、古針や折れた針を供養し、裁縫の上達を祈る行事でした。用がすんだ針を豆腐やコンニャク、餅などに刺し、川へ流したり、近くの社寺へ持ち寄って供養してもらうのが一般的でした。全国各地で2月もしくは12月の8日に行われていました。
 
 (『めざめゆく魂』、pp. 17-18 を朗読)

 このように、物を単なる物質として見るのではなく、神仏の働き、あるいは人間の愛の表現として見るという考え方が今、もっと広まり、人々に受け入れられる必要がある。これは、生長の家が説く心の法則の1つである「心が物に表れる」という真理にもとづいており、資源のムダを防ぎ、地球環境を守る根源の心でもあります。「天地一切のものに感謝せよ」という大調和の神示に説かれた真理が、今ほど必要な時はありません。輝子先生の二十三年祭に当たり、私たちの運動をさらに拡大し、「自然と人間の大調和」を実現していこうと、改めて決意するしだいであります。ありがとうございます。

 谷口 雅宣

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2011年4月22日

太陽光でパソコンを使う

 依然として続く福島第一原発の事故と、「今夏に首都圏は電力不足!」というマスメディアの大合唱を聞き、また昨日見た映画の内容に刺激されたことも手伝って、自分の生活の中で、もっと積極的に“炭素ゼロ”を実現できないかを考え始めた。

 私はすでに10年ぐらい前から太陽光発電装置を自宅屋根につけてCO2の削減をしている。また、仕事ではグリーン電力や排出権制度を使い、さらに公用車は最近、ハイブリッド車から電気自動車に乗り換えて、少しでも“炭素ゼロ”に近づこうと心がけている。しかし、グリーン電力や排出権の購入というのは、主としてお金の受け取り先を変更するだけだから、「CO2を削減している」という実感があまり湧いて来ないのである。これに加え、東京電力という会社の仕事がどれほどヒドかったかが明らかになってくるにつれて、そこから毎日電力を買い、また太陽光による電力を売っている自分が、何か情けなく感じられるのである。

 そんな時、今回の震災で停電になっても、太陽光発電装置のおかげで昼間は電気が使えた人の話を聞いた。そうなると、私も自宅の屋根の上の装置をもっと有効に利用したい、と考えるようになったのである。
 
 そこでまず、その発電装置を設置したときにもらった取扱説明書を探し出して調べてみた。すると、わが家の装置にも「自立発電」のモードがあるだけでなく、すでに壁に100Vの端子が設置されていて、そこから発電した電気を直接利用できることを確認した。自立モードへの切り替え方法もごく簡単で、スイッチを2箇所操作するだけだった。そうなると、次にはどの程度の電気製品が使えるかを調べたくなった。

Owllamp  今日はあいにく薄曇りの天気で、発電状況はよくなかった。午前8時ごろにメーターを見たら「0.3」と出ていたから、恐らく「0.3Kw/h」の発電量だ。普通の電気スタンドを端子に差し込んでみたが、電球は反応しない。が、夜間の足元照明などに使うフクロウの形の小さなランプ(1/4W)を試してみると、幸いにもボーッと点灯した。これに励まされた私は次に、毎日使っているノートパソコンをACアダプター経由で繋いでみた。ダメかなと思っていたが、充電中を示す橙色のランプがちゃんと点いたではないか。これで「一気に可能性が開けた」と思った。
 
Mypc_2011  何の可能性かというと、「自分で使うパソコンの電力の100%を、太陽光から得る」という可能性だ。それができたら、私は仕事の中で、自分と最も密接に関わる部分を“炭素ゼロ化”--つまり、電力会社の世話にならずに行えるかもしれないのである。「エネルギー自給」からはほど遠いが、少なくとも「情けない」という気持からは解放されそうだと考えたのである。
 
 ということで、実際にどこまでこれができるかの実験をした。まず今日は、朝の数時間を使ってパソコンへの“太陽光充電”をした。私のパソコンはパナソニック製のレッツノートの「CF-J9」という機種で、バッテリーのもちが長い。カタログデータでは、通常の使用で「7.5時間」ということになっている。私は仕事場では1日7時間ぐらいパソコンを使っていて、帰宅してからも2時間使うことは珍しくない。この時間を工夫して短縮すれば、朝1回の“太陽光充電”だけでパソコンの使用電力のすべてがまかなえるかもしれない。今、そのための方法を考えている。
 
 谷口 雅宣

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2011年4月21日

原発問題への視点

 休日を利用して、妻と渋谷で映画を見た。『ミツバチの羽音と地球の回転』(鎌仲ひとみ監督)という題で、美しい自然の風景が映し出されそうに聞こえるが、実は原発問題をテーマにしたドキュメンタリー映画だ。妻が19日の新聞記事を見て提案したので、私はタイムリーな主題に惹かれて二つ返事で賛成した。135分のその映画を見て、私はぜひ本欄で内容を紹介しようと思った。原子力をめぐる日本のエネルギー問題を真面目に考える人は、この映画が訴える視点を無視してはいけないと思った。

 瀬戸内海の西側の入り口近くに「祝島」(いわいじま)という小さな島がある。現在の人口は500人足らずだが、昔はその10倍あったという。山口県上関(かみのせき)町に属し、日本の田舎の例に漏れず、人口減少と高齢化が進んでいる。ということで、“地方の振興”を旗印にして、祝島の対岸3.5kmの上関町内に中国電力が原子力発電所を建設する
計画が、2008年9月に町議会で承認された。祝島の人口が同じ町の他の地域より少ないので、反対票が多数にならなかったのだ。しかし、島民にとっては死活に関わる問題なので、計画承認後も、島民は団結して反対運動を展開する。

 その反対運動が描かれていく途中で、映画の舞台はスウェーデンに飛んで、同国のエネルギー政策に焦点が合わされる。特に、そこのオーバートオーネオ市は、同国最北にあり、26年前には失業率も高く、平均収入も同国最下位だった。が、市民は同国で最初に持続可能都市になると宣言し、風車を建て、豊富な森林資源を利用して木質ペレットによる地域暖房のインフラを造った。これによって化石燃料の使用は劇的に減少し、持続可能な自然エネルギーだけに頼る生き方の実現が見えてきている。同国には原発も存在するが、1980年の国民投票で「脱原発」を決めたから、残存の原発は政府の援助もなく、事故の際の補償は無制限とされたため、廃炉になっていくらしい。

 この2つの国の差は、どこにあるのか?--というのが、この作品の訴えようとするものだ。最大の違いは、スウェーデンが電力会社の独占を廃して、配電送電の電力線を公共物として開放したことだ。これに対して日本は、ご存知のように、戦後一貫して10の電力会社が発電・配電・送電を地域的に実質独占している。そして、原発や火力発電所のような大規模・集中型の施設を造ってきたので、小規模・分散型の自然エネルギーの活用は、構造的に排除されているのである。今回の原発事故により、この産業構造の問題に加えて、政治や行政との“癒着”の問題も大きいことが実感されている。

 日本ではまだ原発への支持率が高いが、これは恐らく「それ以外に選択肢がない」と思っている国民が多いからだろう。しかし、この作品ではずいぶん違う側面が描かれている。風力や太陽光はもちろん有望だが、「波力」というのに注目している。自然エネルギーによって高効率で電力を得ることができる方法は、現在は風力が一番だが、その風が海水を動かした波力は、物理学的にいうと発電効率もエネルギー効率も風力より高いという。そして、日本が“島国”であることを考えれば、“資源”がいかに豊富であるかがわかる。しかも、この分野の技術面でも日本はトップクラスにあるらしい。

 本作品の上映は、オーディトリウム渋谷(03-5459-1850)で4月26日まで。

 谷口 雅宣

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2011年4月19日

大震災の意味を問う (3)

 17日の本欄で紹介した講習会参加者からの質問の中で、答えが難しいのが「観世音菩薩」に関するものだ。それらを以下に再掲しよう--

③今回の震災の奥にある観世音菩薩の心とは?
④震災の犠牲者は観世音菩薩だというが、その意味は?

 この質問が出てきたのは、私が「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の中で「大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である」と書いたからだろう。質問者は、その祈りの言葉をすでに読んで下さっていて、質問をしたと思われる。私はこの祈りの中で、上の言葉にすぐ続けて「我々の本性である観世音菩薩は、“人間よもっと謙虚であれ”“自然の一部であることを自覚せよ”“自然と一体の自己を回復せよ”と教えているのである」と書いた。
 
 この中で注目してほしいのは「本性」(ほんしょう)という言葉である。生長の家では、我々人間の「本性」ないし「本質」は神の子であると説く。同じように仏教では、人間の本性を仏と見ている。本性とは国語的には「生まれつきの性質」とか「本心」などと説明されるが、これでは生物学的な性質(いわゆる五欲)も人間の本性に入れられてしまう。だから、宗教的には、そんな人間以外の動物にも備わった特徴を除いていき、最後に残った「人間の人間たるべき本質」のようなものを意味する。これは、もっと一般的には「良心」と呼ばれるものに近い。そういう優れた“本性”がどんな人間にもあって、それが言わば“内側から”個々の人間に何かを教える。そのことを仏教では「観世音菩薩」と呼ぶのである。

 こういう理解に立ってみると、「大震災は観世音菩薩の教え」とは--我々が大震災の惨状や、被害の甚大さや、多くの人々の土地や家や仕事が無に帰する現象を体験し、あるいは見聞したとき、我々の“本性”が内側から語りかける教えーーという意味になる。その内容を、私は上にあるように3つ並べた。もちろん観世音菩薩は各人の心の中にいるのだから、その教えの内容も各人必ずしも同じでないだろう。だから、この3つは私の解釈だといっていい。同意する人も、しない人もいるだろう。

 さて、ここまでの説明には、抜けているところがある。それは、「観」という字が示す人間の心境についてである。「観世音菩薩」という語は、古代インドの文語であるサンスクリットの「Avalokitesvara bohdisattva」の漢訳である。この原語を、インド人を父にもつ中国人翻訳家のクマラジーヴァ(鳩摩羅什、344~413年)は「観世音菩薩」と訳したが、『西遊記』で有名な玄奘(602~664年)は「観自在菩薩」と訳した。この原語の「avalokita」までが「観」に該当し、ある対象を心の中に思い浮かべ、それと自分とが同化することを念じ、実践することを指す。日本語に「観察」という言葉があり、これはよく英語の「observe」と同一視されるが、同じ「観」を使っていても、観世音と観察では「観」の意味がまったく違うから注意した方がいい。
 
 観察の場合、観察する者と観察される対象は明確に分離される。科学の態度がこれに該当する。科学者は、研究対象から得たデータを客観的に、冷静に判断しなければならないから、自分を対象と同一化してはいけない。例えば、自分が立てた仮説に合致するデータだけを集めて、そうでないデータを無視した研究などは、科学者としては失格である。これに対し、生長の家に「神想観」があるように、仏教の多くの瞑想法には「観」という語がつく。そして、仏教者が「観」をする場合は、瞑想中のイメージに自己を没入させることで自分の意識(自我意識)を消すことが求められる。仏教者の松原泰道氏は、観の意味を「心中に深く対象を思い浮かべて、その対象に自分が同化して一体となる実践」と定義している。

 このような意味で「観」をとらえるならば、我々が今回の大震災から「観世音菩薩の教え」を正しく聴くためには、被災者の無念や苦しみ、嘆き、悲嘆に心を寄せることはもちろんだが、さらにその“内側”から上がる本性の声を聞かなくてはならないのである。
 
 谷口 雅宣

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2011年4月18日

大震災の意味を問う (2)

 前日に引き続いて本テーマで書く。
「震災の被災者は高級霊なのか」という問いに対しては、そうである場合もあるし、そうでない場合もある、というのが私の答えだった。多くの読者は、こんな答えでは満足しないかもしれない。しかし、そもそも人間の霊が“高級”であるか“低級”であるかという問いは、「人間は神の子である」と説く生長の家の教えから考えると、何となく奇妙である。つまり、「人間・神の子」の教義からすると、すべての霊は高級でなければおかしい。にもかかわらず、ここで“高級”とか“低級”が問題にされるのは、本来完全なる人間の実相が霊界においてどれだけ表現され、開発されつつあるかという、現象身としての「神性開発の程度」の問題だと理解すべきである。
 
 さて次に、2番目の問いについて考えよう。すなわち、現象界の出来事は皆、我々の心の表現であるという「唯心所現」の教えにもとづくと、今回の震災はいったいどんな心の表現であるか、という問題である。このような言葉に置き換えると、2番目の問いは、実は5番目の問いとほとんど同じ内容であることが分かる。5番目の問いは「人心の乱れが震災につながったのか?」だった。この問いは、より一般的な2番目の問いの特殊な形である。だから、2番目の問いにきちんと答えることができれば、5番目に対しても自ずから答えが出るはずだ。
 
 2番目の問いは、また次のような形に言い換えることができる--「我々は今回の大震災を目撃して、それを“舞台”や“映画”に喩えるならば、どのようなストーリーを読み取るべきか?」。ここで念のため断っておくが、この“ストーリー”という言葉は、今回の震災の犠牲者が遭遇した悲劇を面白おかしく形容するために使うのでは決してない。ストーリー(story)という英語は、日本語では「物語」とか「歴史」とか「小説」とか「筋書き」など何種類もの意味を含む語で、中には「おとぎ話」とか「伝説」とか「うそ」という意味まである。が、私はここでは「筋」や「構想」という日本語に該当するものの意味で使いたい。つまり、この大震災をめぐり多くの人々に起こった出来事の細部の違いに注目するのではなく、この大事件の犠牲者や被災者、さらには私を含めた被災しなかった日本国民の大多数に共通する大きな“流れ”や“傾向”は何であるか、ということだ。
 
 こう考えてみると、まず思いつくのは「想定外」という言葉である。この言葉は最近、あまりにも多く使われるので価値が下がってしまったようだが、今回の震災は、日本が国家として、また社会として、さらにそれを構成する大多数の国民にとって、まったく予期せず、準備をしていなかった出来事であると言われることだ。もちろん、国民全体の中には、必ず大地震が来ると信じて準備していたというような例外的な人もいるだろう。が、大多数の日本人は、日本が地震国であり、実際に大きな地震や津波が頻繁に起こってきたにもかかわらず、「それほどのものは来ないだろう」と高を括っていたのである。
 
 このことは、妻がブログで紹介した寒川旭氏の著書『地震の日本史』(中公新書)に書いてあることだ。つまり、東北の三陸地方には、沖合を震源地とする大地震で何回も大津波に襲われてきた歴史があるのだ。比較的最近では、明治29年6月15日にM8・5の大地震があり、その後に襲った大津波で1万戸近くの家屋が失われ、2万人以上の死者が出ている。また、昭和3年3月3日にも三陸沖で地震があり、平均で20mの波高の津波が押し寄せ、死者不明者3千人が出ている。だから、地震の専門家の人たちは、今回のような大地震と大津波が三陸地方で起こる可能性を「知らなかった」はずがない。知っていて警告も発したかもしれないが、社会全体が「そんなものはもう来ない」と考えて相手にせず、「来ても防潮堤で防げる」とか、「原発もこの程度の備えで大丈夫」などと考え、自然の力を侮ってきたのである。
 
 これは、言い換えれば、科学・技術の力を過信してきたと同時に、自然に対して「何があっても大したことはない」という傲慢な考えを持ち続けてきたということだ。それは結局、人間至上主義が背後にあるからである。この考えから「科学や技術の力で自然を押さえ込む」という方法が採用され、それが、ダム建設や護岸工事、防潮堤の建設、そして原発の原子炉の「圧力容器」の構造などにも反映している。
 
 秋田県での講習会でこの問題に触れたとき、私は「何の理由もなく大勢の人命が失われた」という訴えに対して、「本当にそうだろうか?」と疑問を呈した。我々は「与えれば、与えられる」「奪えば、奪われる」という心の法則を学んでいる。個人のレベルでなく、国家や社会、さらには人類のレベルで自然との関係を振り返れば、我々はこれまで自然から奪い続けてきたのである。例えば昨年の今ごろ、南九州で口蹄疫が発生したとき、我々はブタや牛などの家畜に対して、どのような仕打ちをしただろうか? このことは昨年5月の本欄にも書いたが、我々は公衆衛生上の理由ではなく、経済的な理由によって十万頭以上の家畜を殺処分した。また、それ以外にも、経済発展という目的のために、数多くの生物種を絶滅に追いやってきた。そういう我々が、自然界から「奪われないですむ」ということはない、と私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2011年4月17日

大震災の意味を問う

 今日は秋田市の秋田県民会館において生長の家講習会が開催され、902人の受講者が集まってくださった。秋田県は3月11日の東日本大震災や冬季の豪雪の影響もあって、受講者数は前回より185人(17%)と大幅に減ったが、それでも多くの方が熱心に講話を聴いてくださり、真剣な質問が出たことはありがたかった。午前中の私の講話に対する質問は、通常はいろいろな種類のものが出るが、今回は提出された質問用紙6枚のうち5枚までが震災関係のものであったのには驚ろかされた。震災後、最初に行われた講習会は滋賀県(3月13日)であったが、そこは被災地から離れていたし、被害の実情もまだ判明していない段階だったので、震災関連の質問は少なかった。しかし、大震災から1カ月を経過したあとの今回の講習会では、秋田の人々にとっては隣県での出来事であり、しかも被害が甚大であること、また親戚や知人が隣県で被災していたり、本人や知人が被災地救援のボランティア活動へ行ったりするケースも多いため、関心の大きさは比較にならなかった。
 
 5つの質問の骨子だけを掲げてみる--

①震災の犠牲者は高級霊なのか?
②この(現象)世界を“舞台”とか“映画”に喩えるが、今回の震災との関連は?
③今回の震災の奥にある観世音菩薩の心とは?
④震災の犠牲者は観世音菩薩だというが、その意味は?
⑤人心の乱れが震災につながったのか?

 このうち③と④はほとんど同じ内容だから、質問の種類は4つになる。このうち①と②は主として「個人」の問題と関係し、③~⑤は国家や社会という「人間の集団」の心の問題に関係しているといえる。今回のような歴史的にも稀な大事件や大きな事象については、このように個人と集団の問題を分けて考えた方がいい。なぜなら、人間の心には、個人が自覚している現在意識に属する部分と、個人は無自覚でも集団や社会の潜在意識のレベルで進行しているものがあるからである。この2つを混同すると、問題の理解が困難になる場合がある。
 
 例えば、今回のように大勢の死者が出た大事件を振り返ってみると、比較的最近では大東亜戦争が挙げられる。この戦争に行って死んだ兵士や、沖縄戦や空襲によって死んだ国民(非戦闘員)が、それぞれどんな心を持って生きてきたかということと、日本という国家(国の政策決定者)が大東亜戦争に至るまでの外交政策をどのような考えのもとに、どのような手段を使って進めてきたということとは、同じレベルで議論することはできない。当時の日本国民は、個人としては海外で何が起こっているかよく知らず、また国際関係についても無知に近かったし、日本国の置かれた客観的状況もよく知らない中で、国家の命令に従って戦争に参加し、もっぱら「家族や日本社会を守る」という善意と滅私の精神を鼓舞して戦った人々が圧倒的に多かったと言える。
 
 そういう人の中には、私的利益を考えず、「公のために自ら進んで(肉体の)命を捨てる」という行為を通して、急速に魂の進化をとげる人もいる。これは、戦場へ行った兵士についても言えることで、彼らの中にも他国の国民のために心血を注いだ人もいるし、特別攻撃隊の隊員の多くも、そのような“無私の行為”を通して魂の進化をとげたのである。したがって、そういう人生を自ら選んだ人々は“高級霊”と言える。しかし、同じ状況の中にいても、人によっては戦場において残虐な行為をしたり、他国民の虐待や虐殺を命令したり、自ら実行した人もいる。このような生き方を自ら選んだ人々は、明らかに悪業を積んだのであるから“高級霊”の名に値しない。この区別をせずに、「戦争で死んだ人々はみな高級霊である」というのは、乱暴な議論と言わねばならない。
 
 それと同じように、今回、大震災と大津波によって命を落とした人々の中には、家族や友人を助けるために自ら危険地帯にもどった人もいるし、その逆に、他人を犠牲にして自分だけが助かりたいと考え、そういう行動をとった人もいるかもしれない。その区別をせずに、「震災の犠牲者は皆、高級霊である」と言うのは乱暴であり、真実とは言えないのである。私たちは「大震災における不慮の死」というように、何万人もの犠牲者の死を十把一絡げに考えがちだが、個人の魂の成長や進化という側面に注目すれば、すべての犠牲者はそれぞれユニークな人生を送っていたのであり、その過程で今回の大震災に遭遇し、それぞれ独自の死に方をしたのである。そういう個々の死によって、肉体の死を経験した人の魂が成長したかしなかったかは、それぞれ異なるのである。が、あえて一般論的に言えば、そういう不慮の死が魂の成長に役立つことは大いにあり得る。
 
 このことについて、谷口清超先生は『新しいチャンスの時』(2002年刊)の中で次のように説かれている。これは、突然の交通事故による死に関するものだが、今回のような自然災害による死についても言えるだろう--
 
「このような即死は、高級霊にもありうることだ。それは急速な肉体からの離脱は、多くの業因を脱落するから、ちょうど大急ぎで家を出る時には、ほとんど何ものも持たず(執着を放して)去るのと似ている。だから魂の進歩に役立つのである」。(p. 21)

 このようにして、今回の被災によって多くの人々の魂が執着を脱落して、急速に進歩をとげたということは大いにあり得るし、その通りだったと私は考える。しかし、このことと、人間の集団としての国家や社会が今回の大災害の後に進歩するかどうかは、別次元の問題なのである。
 
 谷口 雅宣

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2011年4月14日

被災地の海岸を行く (2)

 前日の私たちの行動については妻のブログの方が詳しいので、宮城県教化部を訪問して以降の私たちの行動は、そちらを参照してほしい。今回は、次の日の行動について簡単に記す。
 
 私たちは午前10時ごろに秋保温泉の宿舎を出て、海岸沿いに福島県の相馬市まで南下することにした。まず仙台市にもどって仙台南部道路を海岸方向に東進、今泉から同東部道路に入り、そこを海岸線に沿って南下した。この道路は常磐自動車道に接続していて山元まで行ける。その高架式の自動車専用道路の上から見えた光景は、大変なものだった。津波の浸食で道路左側の海岸沿いの土地は、ほとんどの建物が広大な地域にわたって消失しており、見渡すかぎりの土色の平原に、瓦礫や残留物が無秩序に散乱しているのだった。
 
Miyagidistr_10  ハンドルを握っていた私は、それを克明に見ることができなかったが、助手席の妻が驚愕の声を上げ、嘆息し、うなるのを聞きながら、視野の端々にとらえられる惨状を見ていた。大津波の襲来後、1カ月たっているのだが、この広大な地域の惨状にはほとんど手がつけられていない。国道に降りてからは、道路のあちこちが陥没したり、亀裂が入っていたりする中をさらに南下して、相馬港の入口付近まで行った。大きな火力発電所があり、「新地」と書かれた金属製の住所表示の標識が、津波の力で支柱からひん曲がっMiyagidistr_13 ていたから、恐らくここは相馬共同火力発電の新地発電所ではないかと思う。付近では、運送用トラックが林に突っ込んでいたり、重機が転倒していたり、陸上にある分厚いコンクリート製の防潮堤の先端が引きちぎられていたりして、今回の津波の破壊力の大きさが思い知らされたのだった。
 
 相馬市からは国道113号線を西へ走り、鹿狼山を通って丸森町、梁川町経由で東北自動車道へ入った。新宿着は午後7時ごろだったから、休憩を入れて9時間ぐらいの行程だった。
 
 谷口 雅宣

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2011年4月13日

被災地の海岸を行く

 思い立って東北の東海岸へ行った。史上稀なる大震災と大津波の被害はメディアを通して見ていたが、人やカメラを通してではなく、自分の目で見る必要を感じていたからだ。先遣隊として東北救援の旅から帰ってきた戸島幹雄・総務部長から前日、現場の様子を聞き、どういうルートで行けばよいか助言してもらっていた。朝6時半ごろ妻とともに東京・渋谷の公邸を車で出て、まずガソリンを補充。そして、首都高に乗ったのは7時ごろだった。長時間の運転は2~3時間なら平気だが、片道6時間かかるという話なので、覚悟を決め、いざという時は妻に運転を頼むつもりだった。目的地は仙台市だが、その途中、相馬市、岩沼市、名取市も通る可能性を考えていた。「可能性」と書いたのは、現地の様子が皆目わからず、車で行ける状態なのかどうか自信がなかったからだ。実際に行った戸島氏は「行けます」と太鼓判を押してくれるのだが、テレビなどで見た相馬市の破壊のすさまじさが脳裏にあって、無理はしまいと考えていた。

 東北自動車道は、建設資材や重機、自動車、貨物コンテナ、石油製品などを積んだ大型車両が、北に向かってずいぶん多く走っていた。また、関東以西のナンバーの乗用車も、結構多く走っていて、中には「救援派遣」とか「災害派遣」などと書いた紙や布を窓に貼っている車もいる。そういう車と共にひたすら北上し、8時45分ごろには上河内のサービスエリアに着き、そこで一度休憩をとった。そこからは「運転しましょうか」という妻の好意に甘えた。11時ごろには白石市に到達し、そこから一般道へ出た。ここから先は被災地なので、再び私がハンドルを握り、JR東北本線と北東方向に併行する国道4号線を走り、海岸へと近づいていった。岩沼市に入るまでは、付近の民家やビルに目立った損害は認められなかった。郊外型の大型店もちゃんと営業しているようだった。ただ、瓦屋根の家の中に、一部を青や白のビニールシートで補修した跡の見えるものが、ポツンポツンとあった。復旧作業は、だいぶ進んでいるのだと思った。

Miyagidistr_07  ところが、岩沼市も仙台空港に近づいていくと、風景が一変した。特に、海岸に併行して北上する仙台東部道路を境にして、それより海岸寄りの地域は「色」が変わって見えた。内陸部の地域は普通に色数があるのだが、海岸に近い地域は全体が土色をして見えるのだ。つまり、津波に襲われて土砂をかぶったままの状態にある。そして、仙台空港の周辺地域に行ったが、そこはまるで“地獄”か“戦場”のような破壊の跡が、延々と広がっているのだった。私と妻は、そこで写真を何枚も撮った。が、外に出ていると異様な臭気もするので、長居を避けて内陸部へ引き返した。

Miyagisni_members  生長の家の宮城県教化部は、内陸部の仙台市太白区にある。私たちはその方向へ進み、近くで昼食をとってから教化部を訪問した。前もって何の連絡もしていなかったので、教化部の方々を大変驚かせてしまった。しかし、高坂幸雄・教化部長を初めとした職員の人たちは、休む日もなく復旧活動にフル回転していると聞いていたので、その妨げになりたくなかったからだ。同教化部長など教区五者の人々や事務局長は、県北東部の石巻や気仙沼方面へ救援活動に出ておられた。私たちは教化部の建物の被害状況について説明を受け、大道場での聖経読誦を所望した。私は当初、海岸付近に立って聖経読誦をしようと思っていたが、現場がそんな状況でないし、信徒の方々とともに実相軸の前でそうすることの意義の方が大きいと考えた。今回の地震と津波の犠牲者の御霊に対し、また災害からの復興に尽力するすべての人々の無事と成功を祈り、聖経を読誦させていただいた。

 破壊された街並み、家々、自動車、道路などが脳裏に焼きつく中、常住完全なる実在を説く真理の言葉の朗誦には、自然と力が入るのだった--
 
 万物はこれ神の心、
 すべてはこれ霊、
 すべてはこれ心、
 物質にて成るもの一つもなし。
 物質はただ心の影、
 影を見て実在と見るものはこれ迷。
 汝ら心して迷いに捉わるること勿れ。
 ……
 
 谷口 雅宣
 

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2011年4月11日

新生日本の実現に邁進する祈り

 東日本大震災から1カ月がたち、当初の想像以上に深刻な被害の全貌がようやく見えてきた。被災者の方々に改めて心からお見舞い申し上げるとともに、世界の支援に感謝し、国が一体となって復興に向けて取り組む気運を盛り上げていきたい。3月17日の本欄で祈りの言葉を発表したが、未来を展望したものも必要と考え以下、追加して発表します。この祈りの言葉は、読者において自由に複製し、配布し、使ってくださって結構です。

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 国土再建の槌音が響いている。
 現象の無秩序が消えて、秩序が現れつつある。それが生命本然の営みであるから、私たちは喜びを感じるのである。冬の枯れ野が眼前に広がるように見えても、土の中、樹木の幹の中、氷原の下層では、新たな息吹が始まっている。そのように、生命は常に無秩序を乗り越えて秩序を生み出し続けるのである。破壊と思われるものの背後で、建設が行われている。また、建設されたものの背後から破壊が始まるのである。表面の「現象」を見れば、世界は常に変化する。しかし、その変化の原因である生命は、常に活動し、生み出し、拡大している。それが生命の実相である。

 日本はこれから新生するのである。物質的繁栄が人間と国家の目的であり、幸福の源泉だとする考えとは別の方向へ、人生と国とを進展させる時期が来たのである。物質が悪いのではない。物質の過剰が悪いのである。物品の山、食品の山の中に埋ずまって、そのどこかに“宝”があると探しているのでは“本当の価値”を見出すことはできない。“本当の価値”とは、物品や食品になる前のアイディアであり、さらにそれらアイディアの背後にある“与える心”“愛でる心”“慈しむ心”である。物質は、それらを表現するための手段に過ぎない。しかるにそれが手段であることを忘れ、物品や食品を至上目的とするところから“奪う心”“妬む心”“憎む心”が生じるのである。

 助け合いの中から、新たな富が生み出されている。
 富は、他者(ひと)のためになる物や事があるところに生まれる。それが人間の心に認められたときに、金銭的な値段がつくのである。金銭的な価値は富の本質ではなく、人間の心が認めた度合いを示しているに過ぎない。その証拠に、自然界はそこに生きる生物にとってなくてならぬものだから、どの地点もそのままで価値がある。したがって、それら無数の地点が集まった全体は、無限価値を有している。山にある森は酸素を生み出し、生物を養い、川を流し、水を清め、海を豊かにしているが、人間がその価値をあまり認めないから、「山林」や「原野」は「宅地」より値段が低いのである。だから私たちは、もっと人や物や自然の価値を認めよう。認めて誉めることで、実相の豊かさを引きだそう。
 
 神は無限の富を私たちの前にすでに与え給う。高い山、深い森、豊かな水、複雑な地形、変化に富んだ気候、そして多様な生物。人間社会は、それらに支えられて存在してきた。だから、それらを破壊することで、人間社会が豊かになるはずがないのである。人間社会は助け合いによって成立しており、個人一人で生きることができないように、人間は他の生物と助け合うことで豊かな生活を初めて実現できるのである。新たな富は「奪う」ことではなく、「与える」ことによって実現する。私たちはそれを人間社会の中だけでなく、自然界においても実践し、「本当の価値」を引き出し、豊かな自然と豊かな人の心とが共存する新生日本の建設に邁進するのである。
 
 その機会を与えてくださった神様に、心から感謝申し上げます。
 
 谷口 雅宣

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2011年4月 7日

ブラックソン師の息子

Mt1975  古くから生長の家をご存じの読者は記憶にあるだろうが、長い間、夢に出て指導してくれた導師が、谷口雅春先生だったと知って日本へ手紙送り、1975年に先生とドラマチックな会見をしたプリンス・ブラックソン師というガーナ人がいた。ここに掲げた写真は、東京・原宿の本部会館の総裁室での“出会い”の様子である。

 この人は後に、生長の家信徒の日本人女性と結婚したのだが、この“奇蹟的夫婦”の息子、クテ・ブラックソン氏が、ユーチューブで活躍中だということを、イギリスの信徒が私のフェイスブックのページで報告してくれた。

 なかなか男前で、パワーフルな語り口でよい話を披露している。興味のある方は、ご覧あれ。(ただし、英語)

 谷口 雅宣

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2011年4月 5日

原子力発電について (5)

 イギリスの科学誌『New Scientist』の3月19日号は論説ページで、今回の東日本大震災に関連して、科学技術と自然界の関係についてよい考察をしていた。論説の細部については疑問を感じる点がないわけではないが、大まかな論旨には賛成である。それを簡単にまとめれば、「自然は人間の予測を超えている」ということだ。この「予測」というのは、我々のような普通の常識人が、日常生活の中で「明日は天気になるか?」とか「来年は円安になるか?」とか「孫は試験に受かるか?」などと憶測することではない。この予測とは、先進各国の科学者が協力して、現有の最高の科学的知識を用い、スーパーコンピューターによって最良の予測モデルを走らせて行う種類の“最良の予測”である。大地震は、過去においても人類に甚大な被害を及ぼしているから、それを事前に予測できれば被害の程度を少しでも減らすことができる。だから、地震学者を初めとした世界中の科学者は、地震予知の精度を上げることに努力を傾けている。にもかかわらず、今回の大地震は、その位置や大きさはもちろん、被災地に及ぼす影響(原発事故を含む)なども、まったくと言っていいほど予測できなかった。

 しかし、同誌の論説は「予測できないから仕方がない」とか「諦めろ」と言っているのではない。そうではなく、我々は「だからこそ、自然界への影響を最小限にするよう努力すべきだ」と言うのである。また、日本では今、福島第一原発からの放射線流出のことが大きな問題になっているが、この論説は「原発事故より地球環境改変の方が、はるかに重大だ」と結論している。この論理は一見意外に思えるが、論理的にはそれほど間違っていない(ただし、私の意見は違う)。論説は、現在の原子力科学の正確さを信頼していて、「放射線物質は最小の原子のレベルまで比較的簡単に特定でき、その拡散や崩壊(decay)の状況はモデル化することができる」という。「モデル」とは、コンピューターによる予測プログラムのことだから、モデル化できるということは「予測できる」という意味だ。論説はその一方で、「二酸化炭素の排出が今世紀、地球にどのような気候変動をもたらすかを正確に予測することはできない」といっている。

 つまり、予測できるものは抑制や制御もしやすいから、原発の危険性の問題は、地球温暖化にともなう気候変動の問題よりも深刻でない、というのである。この結論に、私はにわかには承服できない。というのは、これに至るまでに、論説者は科学技術上の問題しか考慮していないと考えるからだ。原子力発電所の建設によって生じる問題は、科学技術以外にもきわめて多岐にわたる。まずコストが膨大であるから、それを負担できる企業や団体は“大資本”でなければならない。また、電力のような公共性の高いものをめぐっては企業間の競争関係を作りにくいので、経済的には「独占」か「寡占」状態になる。そこで今回の東京電力のような行政との癒着や、政党との馴れ合いの問題が生じる。また、いったん建設した原発は、その建設コストを回収するまでに長期間の運用が必要だから、勢い抜本的改良に躊躇し、老朽後も使い続けるという危険性が生まれる。福島第一発電所の場合は、それがまさに事故原因の1つだと言える。さらに、原発は1箇所で莫大な電力量を生み出すため、大都市の電力がそれに依存し、非常時のためのリスク回避が困難になる。これは今、関東地方に住む我々が痛いほど経験していることだ。

 加えて原発は、核拡散問題やテロなどによるリスクを生み出す。簡単に言えば、原発内で生まれる核物質を元にして、兵器の開発が行われる可能性のことだ。これは、言わば治安上、国際政治上のリスクだが、今回の事故を契機として、この分野で私の脳裏に新たに浮上してきたのは、別の政治・軍事上のリスクである。今回は、観測史上まれな規模の大地震と大津波によって原発の機能が破壊された。直接的な原因は、「冷却機能の停止」である。これがM9.0の揺れとその後の大津波によって起こるのであれば、直接的にもっと大きな揺れと破壊をもたらす「ミサイル攻撃」によって起こらないと、はたして誰が言えるだろうか? 私は十分起こりえると考える。その場合、そんな悪意をもった国やテロ集団が存在するかどうかが問題になるが、読者はどう思うだろう? 

 原発の機能や構造に関しては、時間の経過とともに今後も安全対策は進んでいくだろう。しかし、上に挙げた経済上・社会上・政治上のリスクは、原発の増設にともなってより増大すると私は考える。これを言い直せば、どんなに安全で効率的な原発が開発されても、大資本の独占や政治との癒着の問題、大都市の原発依存、政治・軍事上の危険性は拡大していくということだ。そういう点を、科学誌の論説者は見逃しているのではないだろうか。だから、私はできるだけ速やかに旧式原発は廃止し、自然エネルギーの分散利用に向けてエネルギー産業の構造改革をすべきだと考える。

 ところで最後になってしまったが、「自然は人間の予測を超えている」という同誌の論説の認識は、「だから原発事故より地球環境改変の方が、はるかに重大だ」という結論に結びつくのではなく、「だから原発増設も地球環境改変も、やめるべきだ」という結論に行き着くべきだと思う。なぜなら、原発増設は人類のエネルギー消費の増大につながり、それはすなわち地球環境改変につながるからだ。原発の供給するエネルギーのおかげで、首都圏の人間がこれまで何を実現してきたかを振り返れば、このことは明白である。
 
 谷口 雅宣

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2011年4月 4日

東日本大震災の写真

 前岩手教区教化部長の矢野俊一・非常任参議が、大震災後の3月23日に岩手県宮古市から山田町、大槌町あたりの海岸沿いを調査し、震災の惨状を撮った写真を提供してくださった。そのうち16枚を選んで、私のフェイスブックのページに登録した。撮影は、同教区相愛会事務局長の森田真司氏である。

 谷口 雅宣 

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2011年4月 3日

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」

 私のフェイスブックのファンページで、読者の一人が今回の被災者支援のビデオがあることを教えてくれた。中国の有志の制作のようだ。ジャッキー・チェン、ジュディ・オングなどの顔が見える。

 見てみると、これは「被災者支援」の意図だけでなく、「日本人支援」と彼らの日本人理解の双方がよく表現されていると思う。思わず胸が熱くなった。読者にも見ていただきたいと考え、ここに紹介する。

 谷口 雅宣

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2011年4月 2日

「歓喜への道」(3)

 本シリーズの前回で引用した谷口清超大聖師のお言葉には“続き”があり、それを読むと先生の意図がより明確になるので、さらに引用を続けよう--
 
「一体吾々は、果して水ぶくれや金ぶくれの人間をより多く生産する方向に行ってよいものかどうか。人間の本質の自覚がより深まったことを、その人の成功度や財産や、社会的名声で判断するというような、世俗事への迎合姿勢では駄目ではないか。“肉は益なし”“汝らの見ゆという罪はのこれり”なる天の声は、さらに一層高々と国の内外に鳴り響かなければならないのである。それも決して肉体を弱体化せよとか、現象的な美しい街を崩壊させよというようなことではない。
 第一義のものを第一にせよということである。そうすれば現象は自然に整うのである。」(p.18)
 
 私たちはよく「経済成長は善い」と考えがちだ。しかし、清超先生の上の文では、それを「水ぶくれや金ぶくれの人間をより多く生産する」ことだと表現されている。また、人間の本質の自覚がより深まったということを、人の成功度や財産や、社会的名声で判断するのは間違いであり、世俗事への迎合だと批判されている。しかし、今日の経済理論は、人間が水ぶくれや金ぶくれをすることを“善”として奨励しているのである。つまり、消費を拡大することで、より多くの人間が幸せになるというのが基本的考え方だ。だから、“食べ放題”や“使い捨て”や“過剰包装”や“モデルチェンジ”や“ブランド品”や“新規需要”がもてはやされて来たのである。そして、人々が幸せになってきたかというと、自殺者の数は一向に減らない昨今なのだ。
 
 読者はもうお分かりだろうが、これによって大量消費と大量廃棄が何十年も継続し、消費を増やすために交通網の整備、鉄道や航空便の増発、自動販売機の増殖、夜間照明、ライトアップ、貸金業の拡大、深夜営業、そして原発による夜間の電力の垂れ流しが行われてきたのである。これこそ“水ぶくれ”ならぬ“エネルギーぶくれ”の社会であり、“金ぶくれ”すなわちバブル経済の実態ではないか。その方向にもどることが、大震災後の“新しい日本”であってはならないのである。

 ところで、震災関連のテレビや記事ばかりに接している人が、被災地にいない人が普通の生活に喜びを見出すことに違和感を感じたり、「自粛すべきだ」と感じるのは、理解できる。そういう違和感が特殊でないことは、今、関東各地で「花見を自粛しよう」とか「宴会を自粛しよう」などの動きが出ていることからも分かる。この感情は、被災者に対するエンパシー(自己同一化)であると同時に、心理学でいう「認知の不協和」の感情だ。自分を被災者の立場に置き、「家も財産も失ったあの人たちは花見なんて気分になれないはずだから、私たちも同じ気持になるべきだ」と考えるのがエンパシーである。また、自分の目の前の世界で大きく矛盾する2つの事実を認知したとき、心地悪さを感じるのが「認知の不協和」である。“不幸な被災”と“幸せな花見”とが同居しているのはいけない、と感じるのだ。

 これらの感情を、私は決して“間違っている”とか“愚かだ”と言うのではない。ただ、過剰なのは困るし、人に対して自分と同じ感情をもつべきだと強制するのはよくない。それは一種の“見ゆという罪”だからだ。現象の悪に焦点を合わせて生きるのは本人の自由だが、その結果当然生じる感情を、他人がもっていないからと言ってその人を批判するのは、心の法則を知らない人のすることだし、実相の教えを忘却していると言わねばならないだろう。被災者の中には、家や仕事を失って初めて「当たり前の日常が素晴らしい」と知り、「毎日生きていることが有難い」と感じたとカメラの前で話している人もいたし、ボランティア活動で被災地入りしている青年が、「人生の目的を知った」と目を輝かせているとも報じられている。「歓喜への道」は、決して1本だけなのではなく、真っ直ぐなわけでもないのである。

 谷口 雅宣

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2011年4月 1日

「歓喜への道」(2)

 だから、今回の大震災や大津波によってどんな死に方をされた人でも、その実相は完全無欠の神性・仏性であるから、皆尊いというのが真理である。何の前触れもなく、つい数分前まで元気で働いていた人が、いきなり地震で潰され、あるいは津波に巻き込まれて海中に消えていっても、その人の実相が神の子であり、仏であり、円満完全であるということに変わりはない。ただ、最愛の夫や子、家族の肉体が目の前から突然消え、もう会えなくなったために悲しみに打ちひしがれている人がいるのだから、その人に善意から同情し、あるいは感情移入して一緒に涙を流すことは間違っていないし、そうすべきである。が、それだけでは、「人間は皆、神の子であり生き通しである」という信仰をもっているとは言えないのである。
 
「しかし、こんなに悲惨な状態の現実を無視して“神の子はすばらしい”だけではオカシイ!」と感じる人も多いだろう。妻のブログへのコメントでも、そういう不満の表明があった。私のブログの記述についても、「被災地で困難に遭っている人々、救出活動をしている人々が大勢いるのに、ジョギングするなどオカシイ」という人がいた。さらにこの読者は、「たとえジョギングしても、それをブログに書くべきではない」という。そして、宗教指導者は「冷静に成り行きを見守って、祈っているときではないでしょうか」とおっしゃるのである。私はその通りのことをしているが、ブログにはいちいち「今日も神想観をした」などと書かないだけだ。なぜ書かないのか、理由もある。次の聖書の言葉を、この読者は知らないのだろう--

「また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。」(『マタイによる福音書』第6章5節)

 ブログは、現代の路地や四つ辻のようなものである。誰でもそこに来て、読み、眺め、そしてコメントすることができる。また、「この悲惨な現実」「この人々の苦しみ」などと現象の不完全さを強調する人は、「今あなたがたが“見える”と言い張るところに、あなたがたの罪がある」(『ヨハネによる福音書』第9章41節)という言葉も知らないのだろう。しかし、初心の人はそれでいい。このブログは、誰でも読めるからだ。

 さて、上に書いたヨハネ伝の言葉は、実は清超先生の一文にも引用されている。先生の場合、文語体の聖書からの引用だから、もっと威厳がある--「然(さ)れど見ゆと言う汝らの罪は遺れり」である。「あそこに遺体がある」「ここに家屋の破壊がある」「被災者があふれている」「職場が破壊されている」……これらは、本当に正しい情報だろうか。それとも、実相を覆い隠している外見にすぎないのか。悪を探し求めるマスメディアの“伝言ゲーム”に惑わされているのではないのか。
 
 清超大聖師は、さらにこう説かれる--
 
「一体人間は何のためにこの地に生をうけたのか。仕事をして、金を儲け、事業を発展させ、家庭を安穏に送るためと思うかもしれないが、それならば仏教はこの点について当を得ない教えをして来たことになる。キリスト教も“いかにして事業を発展させるか”を説いているのではなく、明確にイエスは、“まず神の国と神の義を求めよ、然(さ)らば凡てこれらの物は汝らに加えらるべし。この故に明日のことを思い煩うな明日は明日みずから思い煩わん。一日の苦労は一日にて足れり”(マタイ伝6ノ33~34)と教えておられるのである。
“これらの物”とは、何を食い、何を飲むか、如何に着るか、住むか……ということであり、子供の学校をどこにしようかというようなことも、現代社会では含まれると考えて間違いない。全て、現象的なオカゲや地位や事業よりも、神の国と神の義を求め行うことが第一だという主旨である」。(p.14)

 これはなかなか厳しい教えであるが、宗教運動とはそもそも物質的繁栄を目指すものではなく、神意の実現や仏国土の現成が目的なのだ。このことを、先生は「生長の家の光明化運動の根本精神は、出家の精神である」(p.15)と表現されている。それなのに、「水ぶくれの人間や、物ぶくれ、欲望ぶくれの人間がふえてきて、大道を求め行ずるために“乞食(こつじき)”をなす行脚僧が、めっきり減った次第である」(p.17)と嘆かれている。当時の状況と現在の日本との間に、それほど違いはない。だから、次の先生の結論は、今日の状況を見事に示しているのである--
 
「今や日本は金儲けや繁栄を追い求めるか、それとも神の国と神の義を第一に置くところの“真理国家”に“出家する”かの岐路に立っていると言える」。
 
 谷口 雅宣

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