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2011年4月14日

被災地の海岸を行く (2)

 前日の私たちの行動については妻のブログの方が詳しいので、宮城県教化部を訪問して以降の私たちの行動は、そちらを参照してほしい。今回は、次の日の行動について簡単に記す。
 
 私たちは午前10時ごろに秋保温泉の宿舎を出て、海岸沿いに福島県の相馬市まで南下することにした。まず仙台市にもどって仙台南部道路を海岸方向に東進、今泉から同東部道路に入り、そこを海岸線に沿って南下した。この道路は常磐自動車道に接続していて山元まで行ける。その高架式の自動車専用道路の上から見えた光景は、大変なものだった。津波の浸食で道路左側の海岸沿いの土地は、ほとんどの建物が広大な地域にわたって消失しており、見渡すかぎりの土色の平原に、瓦礫や残留物が無秩序に散乱しているのだった。
 
Miyagidistr_10  ハンドルを握っていた私は、それを克明に見ることができなかったが、助手席の妻が驚愕の声を上げ、嘆息し、うなるのを聞きながら、視野の端々にとらえられる惨状を見ていた。大津波の襲来後、1カ月たっているのだが、この広大な地域の惨状にはほとんど手がつけられていない。国道に降りてからは、道路のあちこちが陥没したり、亀裂が入っていたりする中をさらに南下して、相馬港の入口付近まで行った。大きな火力発電所があり、「新地」と書かれた金属製の住所表示の標識が、津波の力で支柱からひん曲がっMiyagidistr_13 ていたから、恐らくここは相馬共同火力発電の新地発電所ではないかと思う。付近では、運送用トラックが林に突っ込んでいたり、重機が転倒していたり、陸上にある分厚いコンクリート製の防潮堤の先端が引きちぎられていたりして、今回の津波の破壊力の大きさが思い知らされたのだった。
 
 相馬市からは国道113号線を西へ走り、鹿狼山を通って丸森町、梁川町経由で東北自動車道へ入った。新宿着は午後7時ごろだったから、休憩を入れて9時間ぐらいの行程だった。
 
 谷口 雅宣

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コメント

総裁先生 、白鳩会総裁先生

つつがなくご帰京との事、嬉しく拝見いたしました。
4月13日の”被災地の海岸へ行く”を、ロサンゼルスの幹部と一緒に拝見いたしました。
ご多用にてお過ごしの中、余震が続く被災地にお出かけになり、現地の様子を詳しくお知らせ下さり、ありがとうございました。純子先生のブログ”恵みな日々”と合わせて読ませていただき、惨状に胸詰まる思いで、涙があふれました。

本日(14日)のスタッフステイタスミーテイングにて、雅宣先生と純子先生がお揃いで被災地の宮城までお出かけになられた事、また、宮城県教化部にお立ち寄りになり、地震と津波の犠牲者の御霊に対し、また復興に尽力する人々の無事と成功を願われて祈りを捧げられ、居合わせた職員や信徒の方々とご一緒に聖経を読誦された事を伝えました。両先生と信徒の方々の写真も紹介しました。(両先生をお迎えしたお一人、お一人の感動が伝わって来るようです。)
新生日本の実現に邁進する祈りの輪を広げつつ、復興に向けて継続的に尽力する気運を盛り上げて参ります。

両先生に長旅のお疲れがなく、お健やかにお過ごしくださいますよう、遙かアメリカにてお祈り申し上げます。

           勅使川原 淑子 拝

投稿: 勅使川原 淑子 | 2011年4月15日 18:13

ご無事でお帰りされた由、安堵いたしました。実際にご検分されたことが、これからのブログやご指導の中に活かされる事を期待いたします。
ちなみに、いつも妻や母の墓参の後に宿泊する北茨城・五浦海岸のホテル(区の保養所として提携しているので、利用しています)にあった、岡倉天心ゆかりの六角堂も、津波で流されたそうです。

投稿: 久保田裕己 | 2011年4月15日 20:05

谷口雅宣先生

 御文章中に「コンクリート製の防潮堤が引きちぎられていた」とありますが津波って本当にすさまじい破壊力なんですね。本当に恐ろしいと思います。
 ところで福島第一原発というのはあんな海岸に面した所にあるのに防潮堤の高さが5メートルしか無かったとか。東北電力の小名浜原発は今回の津波でもしっかりとした津波対策をしていたから事故にならなかったそうでこれは完全な人災ですね。
 でも、逆に福島の今回の事故が無ければ「原発など不自然で危険な発電方法はやめよう」って気に人々がならなかったとも考えられる訳でそう考えると複雑な思いが致します。

投稿: 堀 浩二 | 2011年4月15日 20:54

総裁先生

合掌ありがとうございます。
総裁先生ご夫妻の被災地ご訪問に、言いようもなく嬉しく、ありがたく、感激いたしました。

被災地の皆さまはもちろん、日本中、世界中の信徒の皆さまが勇気づけられたことと思います。

私は3月28・29日と単身宮城県の石巻で災害ボランティアをして参りました。「瓦礫の1つでも一緒にどかすお手伝いがしたい、そして聖経『甘露の法雨』をあげたい」その一心でした。

現地でお話しした被災者の中には、車を運転中に津波にのまれながらも助かった方や、自分の家が流されていておばあちゃんも行方不明であるのに復興作業のボランティアに加わっている高校生もいました。

私は被災地の方々から、人のあたたかさと強さを教わりました。

そして「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の一つ一つの意味を、汗を流しながら体感して参りました。

石巻で聖経をあげていて、『甘露の法雨』は限りない生命の讃歌であると感じました。

これからも「新生日本の実現に邁進する祈り」を胸に、祈り、考え、行動して参ります。

Facebookに設立いただきましたボランティア支援にも参加させていただきます。

感謝再拝


投稿: 池田力紀 | 2011年4月15日 22:15

合掌。この度はお忙しい中、宮城教区にお越し下さりありがとうございました。雅宣先生、純子先生の突然のご訪問。驚きと感謝の思いで、皆涙しておりました。今日、仕事で車を走らせていると、桜が咲いていることに気付きました。「春が来ていたんだ」この怒濤の1ヶ月、周りを見る余裕がありませんでした。
 一昨日、私は青年会の仲間と共に、石巻方面で家屋内の清掃活動をしていました。泥だらけになり、疲れきって帰る道中、「両先生が教化部で聖經読誦をして下さった」と聞き、疲れが吹き飛び嬉しくて「万歳!」と叫んでいました。本当にありがとうございました(感謝合掌)。
 被災地はまさしく先生がお書き下さった状態です。私たちも始めて被災地に行った時は、唖然としました。想像を超える光景に涙がでました。「これは現象なのだ」と自分に言い聞かせても、地元の方々の苦悩を思うと、心が苦しくなりました。被災者の方々は皆、下を向いてました。しかし泥だらけの自宅が綺麗になっていくと、少しずつ顔が上がり、元気を取り戻していきました。『私たちが今できること。』それは被災者の方々に『勇気と希望』を持っていただける手助けをしてあげること。そして復興を信じて祈ることだと思います。「神様の世界に不幸はない」ことを硬く信じ、これからも人類光明化運動、国際平和信仰運動に邁進してまいります。先生、本当にありがとうございました。再拝

投稿: 齋藤貴之 | 2011年4月15日 22:18

合掌 総裁先生、純子先生
 純子先生のプログと合わせて見させていただきました。ありがとうございます。ありがとうございました。ご多用のさなか、二日間のご慰霊・ご慰問の旅…ただ、ただ感謝させていただきます。ありがとうございます。再合掌

投稿: 石田 盛喜代 | 2011年4月16日 00:32

合掌ありがとうございます。
福島市在住です。
総裁先生ご夫妻が被災地、特に福島県に来ていただいたことを知り感激しております。
私も出版広報部の先生と同行して10日に相馬市・松川浦。11日にいわき市・小名浜、塩屋崎灯台に行きました。福島県の海岸線は岩手県の三陸沿いとは異なり、なだらかな海岸線のため大きな津波は来ないと誰もが信じていました。
相馬市は10m近くの津波が押し寄せ、防風林をなぎ倒し、数百mも内陸まで防風林を根こそぎ押し流しています。南相馬市では数kmも内陸の田んぼをすべて海水浸しにしました。小名浜は相馬市付近に比べれば津波は小さかったものの、やはり数mに及んだ津波は海岸線にあった住宅を飲み込み、観光施設を水浸しにしました。経済的被害は相馬よりさらに甚大です。
そこに原発事故が追い討ちをかけました。原発周辺南北40kmにわたり避難指示が出た海岸は津波による行方不明者の捜索も出来ず本来なら助かったはずの命がいくつ失われたか見当もつきません。放射能汚染に関する懸念から支援物資・復旧資材の県外からの搬入の遅れ。自分で逃げることの出来ない災害弱者は病院・介護施設にごく少数の介護者とともに取り残され命を失った方もいました。
逃げ出した人々は福島県にとどまらず全国各地に広がり特に浜通りの市町村では安否確認にも支障をきたしています。放射能汚染による被害は実際の被害ばかりでなく風評被害により農業・漁業さらに工業にまで及びました。その上県外に避難した人々、特に子供たちが放射能汚染がある、といわれのない差別を受けているという事実が福島県内に残る私たちの1番の苦しみになっています。一刻も早く原発事故が終息することそれだけを祈り、福島県民は復興を信じて前に進もうとしています。
なお小名浜原発の津波対策についてのコメントがありましたが、小名浜に原発はありません。宮城県にある東北電力の女川(おながわ)原発の間違いだと思います。

投稿: 八島和子 | 2011年4月16日 15:48

コメントをいただいた皆さん、

 生長の家の多くの信徒が今回の被災地救援のボランティア活動を率先してなさっていることを知り、感激しました。皆さんの無償の愛の行為は、必ずよい結果を生むことでしょう。災害とは人を団結させ、愛の表現を導き出す場でもあるのですね。

投稿: 谷口 | 2011年4月16日 21:23

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