地球生命全体の大調和を目指して
今日は雨が降る中、午前10時から東京・原宿の生長の家本部会館ホールにおいて、布教功労物故者追悼春季慰霊祭が執り行われた。私はこの御祭の中で奏上の詞を読み、玉串拝礼を行ったあと、御祭の最後に概略以下のような挨拶をした--
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本日は雨が降り足下が悪い中、布教功労物故者を追悼する春季慰霊祭にご参列くださり、誠にありがとうございます。ご存知のとおり、この慰霊祭は生前に生長の家の運動に幹部として挺身・致心・献資の誠を捧げられた霊さまをお招きして、感謝の誠を捧げる大変意義のあるお祭であります。本日は、お名前を呼んで招霊させていただいた御霊様は193体でありました。
この中で最初に名前を呼ばせていただいのが前参議長で理事長も務めた吉田晴彦さんで、先ほど奥様からご挨拶をいただきました。私と吉田さんとの関係は案外古いのでありまして、私が26年前の昭和60年に本部の副理事長として本部勤務になった当初からの関係です。当時、本部の大幅な機構改革がありまして、その新しい企画部門である「総合企画室」というのができて、その室長が私で、吉田さんは部長代行として部下になったのであります。ここで約3年間、バリバリと仕事をしていただき、その後、「中央五者会事務局長」という組織運動の要の仕事をされ、平成2年には奈良教区の教化部長として地方に出られました。そこでは4年間務めたあと再び本部にもどり、その後は、理事職を兼務しながら次々と重要な部門を担当されました。
その名前をここで挙げますと、中央五者会事務局、企画システム室、総合企画室、国際部などです。そして、平成12年には生長の家の代表役員、理事長となられました。このあと、宗教法人法の改正に伴う本部の機構改革で“聖俗分離”が行われると、“聖”の部門では私の次に来る「参議長」となり、さらに「総裁室長」を兼ねるなど、大変重要な仕事をしながら私を支えてくださったのであります。生長の家の文書として皆さんにも馴染みがあると思われるものに平成12(2000)年に決定した「宗教法人“生長の家”環境方針」というのがありますが、これには吉田晴彦さんの名前が入っていたのであります。
さて今日、招霊させていただいた御霊さまは、吉田さんとは違う立場ではありますが皆、それぞれの地域や役柄において、吉田さんと同じように情熱をもって運動を展開してくださった尊い聖使命菩薩さまであります。私たちはこれまでも、またこれからも、これらの御霊様のご加護をいただきながら、個人生活においても、また私たちの人類光明化運動においても、大いに発展し、人々のため、また地球生命全体のためにも、神の御心を実現していく。その決意を新たにするためには、この春のお彼岸の季節はたいへん相応しい時節だと思うのであります。
それは自然界を見ると、春の始まりですから、動植物が生命力をみなぎらせて成長、発展する時季だからです。私たち人間も自然界とは一体の存在ですから、これからも自然界を大切にして、その生成化育とリズムを合わせて発展していくことを目標としたい。自然界は決して私たちの“敵”ではない。大いなる味方であり、守り手であり、導き手です。それは一見、“天変地異”のような形で私たちを恐れさすことがあるかもしれないが、これも観世音菩薩の働きである。今回の東日本大震災では多くの方が亡くなられましたが、これは本当の意味では“人間の死”ではない。あくまでも“肉体の死”です。私たちはそこから学ぶことが多くある。それについて、私は「自然と人間の大調和を観ずる祈り」というのを書いたことは、多くの皆さんはご存知と思います。
最後に、その一節を読んで、今日の慰霊のしめくくりにしたいと思います。瞑目合掌をお願いします--
「多くの生物を絶滅させ、自然の与え合い、支え合いの仕組みを破壊しておいて、人間だけが永遠に繁栄することはありえない。生物種は互いに助け合い、補い合い、与え合っていて初めて繁栄するのが、大調和の世界の構図である。それを認めず、他の生物種を“道具”と見、あるいは“敵”と見、さらには“邪魔者”と見てきた人間が、本来安定的な世界を不安定に改変しているのである。その“失敗作品”から学ぶことが必要である。
大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である。我々がいかに自然の与え合いの構図から恩恵を得てきたかが、それを失うことで実感させられる。我々がいかに人工の構築物を、田畑を、港を、道路を、送電線を、インターネットを築き上げても、自然界の精妙かつ膨大な仕組みとエネルギーを軽視し、蹂躙する愚を犯せば、文明生活は一瞬にして崩壊することを教えている。我々の本性である観世音菩薩は、“人間よもっと謙虚であれ”“自然の一部であることを自覚せよ”“自然と一体の自己を回復せよ”と教えているのである。
現象において不幸にして災害の犠牲となった人々を、“神の怒り”に触れたなどと考えてはならない。神は完全なる実相極楽浄土の創造者であるから、“怒る”必要はどこにもない。人類が深い迷妄から覚醒できず、自然界を破壊し続けることで地球温暖化や気候変動を止められないとき、何かが契機となって人々を眠りから醒ます必要がある。麻薬の陶酔に頼って作品をつくり続ける芸術家には、自分の作品の欠陥が自覚されない。そんなとき、“この作品は間違っている!”と強く訴える人が現れるのである。そんな“内なる神の声”を1人や2人が叫び続けてもなお、多くの人々に伝わらないとき、それを集団による合唱で訴える役割が必要になる--“この作品は描き直し、造り直す必要がある!”と。現象の不幸を表した人々は、そんな尊い役割を果たしている。これらの人々こそ、我々の良心であり、“神の子”の本性の代弁者であり、観世音菩薩である。
我らは今、この尊き観世音菩薩の教えを謙虚に聴き、心から感謝申し上げるとともに、神の創造(つく)り給いし世界の実相の表現に向かって、新たな決意をもって前進するのである。神さま、ありがとうございます。」
瞑目合掌をおなおりください。
それでは、御霊さまのご加護をいただきながら、これからもさらに地球生命全体の大調和実現に向かって運動を展開してまいりましょう。これをもって私の慰霊祭の言葉といたします。ご清聴、ありがとうございました。
谷口 雅宣
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コメント
吉田晴彦先生のご逝去、こちらのブログで初めて知り、無念の思いで一杯です。ご生前のご指導に心より感謝申し上げると共に、ご冥福をお祈り申し上げます。
今から13年ほど前でしたでしょうか、吉田先生が国際部長をなさっていらっしゃった時に当時のNY教化部長、安藤比叡講師とボストンまでご指導にお越し下さいました。地元の誌友さんの多大な協力を得て、英語グループから50名以上、ブラジルグループの協力を得て、合計60名以上の参加があったと記憶しています。
吉田先生と安藤比叡NY教化部長との絶妙なチームワークで、涙あり、笑いありの素晴らしい見真会となり、初めて参加して下さった皆さんも「心の大掃除ができた」と、大喜びでした。会場の隅から隅まで包みこむような温かい雰囲気づくり、そして心に染み入る素晴らしいご指導に、大変感激しました。
先生は日本にお帰りになってからも、癌で闘病中のボストンの誌友さんの為にお心を寄せてメールを下さり、誌友さんと一緒にその暖かさを分かちあっていました。その年はNYの国際練成にこの見真会参加者の中からアメリカ人の新人さんがが7名も参加して下さいました。
国際平和信仰運動に多大なご尽力を頂いた吉田先生に改めて感謝を捧げるとともに、これからは吉田先生に霊界から応援して頂きながら、運動に邁進させて頂きたいと思います。感謝合掌。
投稿: 西村五百子 | 2011年3月22日 12:07
尊敬する、吉田晴彦先生 が御昇天されたことを知り、大変ショックでした。今、整理中の私の机の上に、奥様(己美子様)からのお手紙が偶然にあり、数日前に再び読んだところでした。「お陰さまで主人も日々快方に向かっております」と云う文章を読み安心していました。
吉田先生は、心の寛大なリーダーでした。明るい、朗らかな笑い声が今でも想い出されます。 先生には、幾度か励ましのお言葉を戴きました。 毎朝、吉田先生のご健康回復のお祈りをしておりましたが、残念でした。
総裁・谷口雅宣先生のご文章の中に「“人間の死”ではない。あくまでも“肉体の死”です。私たちはそこから学ぶことが多くある。」と云う個所がありますが、吉田先生のご冥福をお祈りすると共に、永遠なる生命について、より一層深く、考えさせていただきましたことを感謝いたします。
ご家族のご多幸・ご健勝をお祈りいたします。
安藤比叡 拝
投稿: 安藤比叡 | 2011年3月23日 23:34
西村さん、
安藤さん、
海外の幹部の方々に、日本での訃報をお伝えすることができていませんでした。申し訳ありません。
しかし、吉田晴彦さんは、肉体の束縛から放れて自由になり、我々の耳元に来て語りかけてくれるでしょう。
投稿: 谷口 | 2011年3月25日 11:37