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2011年3月 3日

人間の向上心

 2月25~26日の本欄に書いたことで、匿名希望の読者からやや長いコメントをいただいた。コメント欄で答えてもよかったが、同様の感想を抱いた読者が少なくないかもしれないと思い、ここできちんと不足部分を補うことにしよう。その時の私の論点は、「すでに知り、体験されたものだけが表現され得る」ということだった。デンマークを体験した者だけが、デンマークの良さを表現し得るのと同じように、「すでに神や法則を知り体験している者だけが、神を讃え、法則を発見し、あるいは人(自分)を超えようと努力する」という考えについて、この読者は次のようなコメント(一部抜粋)を付けてくれた--

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「神を知っているから神を表現しようとする」ということでしょうか。私は宗教を信じたいですので、この証明を肯定的にとらえたい気持があります。しかし、「本当にそうなのか?」という反論も考えてみたくなります。これは、私の信仰がまだまだ浅いためでしょう。
反論としては、小説家は自分の経験していないことを書けていることや、汚ないことを私たちが想像できることも、我々が汚ないということの証明になってしまう、などです。ただ、それでは、救われないと思い、自分を誤魔化すように、宗教に肯定的な意見を取り入れようとしてしまいます。これから、生長の家を胸を張って「信じている!」と言えるよう、信仰を深めてまいります。
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 私の説明で足りない点があったとしたら、その1つは恐らく「時間的経過」や「繰り返し」について強調しなかったことだろうか。私は人類史をとおして繰り返し、継続的に起こっていることを指摘したかったのだが、この読者は一人の個人の一時的、一回的な行為や考えについて述べているように見える。個人の心はもちろん、周囲のいろいろな状況に応じて揺れ動く。だから、ある人のことを悪く思ったり、逆に感謝したり、また汚いことを考えたり、美しいことに感動したりする。しかしそれらは、あくまでもその個人の現在意識の表層的な“揺らぎ”にすぎない。そのようなものが神や仏への信仰や、宗教の基礎となるものではないと私は考える。また、この時の私の論点のもう1つは、「表現」という言葉に表された人間の営みである。この点も、反論者は見逃しているように感じる。
 
 何かの考えや感想が心の表面(意識)にフッと浮かぶことと、それを文章や詩歌、絵画、その他の手段で表現することとは、人間の行為としては異質のものである。これは、詩や俳句、絵画や彫刻、音楽の世界を経験したことのある人なら、誰でも知っていることだ。花一輪を見て感動し、これを俳句に詠もうと思うことは簡単である。しかし、その時の自分の感動を一句の中に本当に表現することは、決して簡単でない。表現とは、主観的な感動が客観化され、句を読む人の心の中に伝わるところまでいかなければ、失敗である。我々の肉体を使った表現についても、同じことが言える。「100メートルを10秒台で走りたい」と思うことは、小学生にもできる。が、自分の体を使って実際にそれができるまでには、筋肉を作ることから始め、それこそ血の滲むのような訓練が必要である。「ピアノでストラビンスキーを弾きたい」と思うことは簡単だが、実際にそれを行うためには、努力の繰り返しと、一定の時間的経過が必要である。

 このような努力をしてもなお、やまない向上心や探求心が人間には歴史を通じて、どこの国の、どんな文化の、どんな民族にも見出されるという事実を踏まえて、私は「すでに神や法則を知り体験している者だけが、神を讃え、法則を発見し、あるいは人(自分)を超えようと努力する」と結論したのだった。
 
 谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣先生ありがとうございます。
平成23年3月6日東京大講習会ご盛会ありがとうございます。
心より感謝申しあげます。
以前より、何故東京を捨てて森の中へ…
と云う曲解から生まれる不信に悩まされていましたが、
環境問題運動を展開する土俵が首都東京には残念ながら皆無だった。故、
止むにやまれぬご決意だった。と漸く長い不明の時を経て、納得行きました。
ご講話ありがとうございました。
いま新たな思いで前進しつつありますが、小生の人生に多大な恩恵を与えて下さった方は
勿論雅春尊師では有りますが、もっと身近に素晴らしい方がいらっしゃいました。
東京の青年会時代からの先輩で田原講師が、小生と家内の拙い個性を認めて下さったことです。惜しくも早世なさいましたが、常に優しい慈愛の心でご指導くださいました。
そして、今新たな役目を仰せつかりましたが、相愛会連合会長と、講師会長の篤い思いにお応えし、また前進して行く心でございます。
人は、思っても居ない事で認められる事により、自分の内在する個性を発掘できるようです。小生も多くの方のよき個性を引き出す力を養いたいと思います。
http://ja-jp.facebook.com/?sk=2347471856#!/?sk=mynotes&s=20

投稿: 渡邉憲三 | 2011年3月 6日 23:27

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