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2011年3月 1日

日時計主義をさらに広げよう

 今日は午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館ホールにおいて「立教82年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が行われた。最高気温が10℃に満たない寒い日だったが、近県の幹部信徒だけでなく、全国から本部褒賞受賞者の皆さんが大勢集まってくださったため、ホールはほぼ満席となり、熱気が溢れた式典となった。私は、受賞者への褒賞授与のほか大略、次のような内容のスピーチをした:
 
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 皆さん、今日は生長の家の立教記念式典に大勢お集まりくださり、ありがとうございます。
 よくご存じのように、今日の立教記念日は、昭和5年、生長の家創始者、谷口雅春先生と谷口輝子先生が月刊誌『生長の家』の創刊号を発行された、その日付から、私たちの運動の出発点として定められた日であります。厳密に言えば、『生長の家』誌創刊号ができ上がったのは前年の暮れなのですが、その記念すべき雑誌の奥付に「昭和5年3月1日」と印刷された。この先生のご意思を尊重して、今日の日を立教記念日としているわけです。
 
 さて、この創刊号については、これまでの立教記念日でたびたびお話ししてきました。特に、この雑誌において初めて「日時計主義」という言葉が使われたことを申し上げて、現在の私たちの運動が立教の精神に根ざしていることを強調してきました。この「日時計主義」を実際生活に表していく方法や手段も、現在では立教当時よりもはるかに充実してきています。例えば、『日時計日記』は平成19年以来、毎年発行されていますし、最近では、これをインターネット上で実践する「ポスティングジョイ」というサイトも充実してきました。先月の25日時点では、登録者数は 2,754人(日2,189, ポ516, 英49)となっています。さらに、日時計主義の精神を運動において展開するために「技能と芸術的感覚をいかした誌友会」という新しいタイプの誌友会も、全国各地で盛んになってきました。そして、その誌友会で制作された絵手紙や絵封筒が、毎月の普及誌や機関誌に掲載されたり、毎年開かれる生長の家の美術展「生光展」に数多く出品されるようになりました。
 
 私もこの日時計主義の拡大運動に貢献したいと考え、『日時計主義とは何か?』『太陽はいつも輝いている』という2冊の本、さらに『自然と芸術について』という小冊子を上梓させていただきました。また、ポスティングジョイのメンバーとなり、講習会の旅先から絵封筒を送ったり、そういう絵を卓上カレンダーの形で皆さんに利用していただいています。さらに、私のブログ上で時々、創作を発表したりしてきました。その創作だけを集めた本が、今日の日に合わせて生長の家から出版されましたので、ここで少し紹介させていただきたいと思います。
 
 この本は、『こんなところに……』という題の短編小説集です。短編小説集としては、『神を演じる人々』(2003年発行)に次いで2冊目です。前作の短編集は、倫理や宗教をともなわない科学技術の“独走”の危険を訴えたものです。そういう主題のものばかりを集めました。この2冊目の短編集は、とてもバラエティーに富んでいます。普通の短編小説もあれば、いわゆる「ショートショート」と呼ばれる数ページほどの短編もあります。また、戯曲に属するような会話だけの短編もあり、童話風の作品もあります。このように表現形式は多様ですが、私がここでやっているのは、「フィクションによって、生長の家の教えをどれだけ伝えられるか」という実験です。ここに収録されたすべての作品が皆、生長の家の教えを扱っているわけではありませんが、そういう作品が多いということです。
 
 中でも、「善と悪」の問題を取り扱っているものが多いと言えます。この問題は、哲学や宗教上の重大なテーマですが、それを論文形式で表現すると、きっと難しくて読んでくれる人はあまりいない。そこで、誰でも読めるような創作にすることによって、生長の家で「悪はない」と言っていることが、より多くの読者に理解されればいい、と考えたわけです。この善と悪との問題は、日時計主義とも密接に関係しています。日時計主義とは、人生の光明面を見て、それを本物だと捉え、悪は本来ないと考えるものの見方であり、生き方です。もし、悪が本当に存在するのであれば、それを無視して生きることは“人生逃避”の弱虫の生き方です。が、悪というものは一見、存在するように見えても、それは自分や社会の心の産物だと分かれば、そういう心や、ものの見方を変えることで悪は消える。これは人生逃避ではなく、“人生創造”の積極的な生き方になります。こういう生き方を、理論で理解するのではなく、小説を読者として体験することで理解してもらいたい、そんな願いを込めて書いた話がいくつもあります。

 そういう作品の中で、本では2番目にある『手紙』という短編について、少しお話ししましょう。
 これは、作家の阿刀田高(あとうだ・たかし)さんの『あの人をころして』という作品に触発されて書いたものです。この作品は、人間心理の深いところにある仕組みを見事に表現した優れた短編です。しかし、このタイトルから分かるように、「人を殺す」という暗い主題を扱っています。この作品では、夫婦と子供1人の普通の家族のところへ、差出人の分からない手紙が毎週届くようになり、そこには千円札1枚と「あの人をころしてください」と書いた便せんが入っているだけなのです。これが一家の主人宛に毎週届く。最初は無視していた主人も、しだいに無視できなくなり、妙な行動をするようになっていく……という話です。結末は言いませんが、日時計主義ではない。そこで私は、これと逆のことを『手紙』という作品の中でやっています。毎週、差出人不明の手紙が来るところは同じですが、そこに書いてあるのは「あの人をころして」ではなく「あの人を生かしてください」なのです。物語の結末も、阿刀田さんの作品とはずいぶん違います。詳しくは申し上げられませんが、本当はこの2つの作品を読み比べていただくと、日時計主義の意味と良さがよく分かるのです。
 
 私は、阿刀田さんや阿刀田さんの作品を批判しているのではありません。ものの見方を変えることによって人生は実際に変わっていくという「唯心所現」の事実を、阿刀田さんの作品も強力に訴えています。が、その方向が、どちらかというと人生の暗部に向かっている。私は、同じ方法で、人生を明るい方向に転換することができるということを描きたかった。まあ、こんな感じで、論理ではなく、描写によって日時計主義を感じさせようという作品が、この本の中にはいくつもあります。だから、生長の家を知らない人たちにもお勧めしていただけば、光明化運動の発展に寄与できるのではないかと期待するわけです。
 
 まあ、そんなことで、皆さんもそれぞれの得意な分野、好きな分野で工夫をされ、また互いに協力し合って、大いに日時計主義を表現し、光明生活を実践してください。これが、生長の家の立教の精神のさらなる展開であり、谷口雅春先生へのご恩返しにもなるのであります。それでは、これをもって立教記念日の所感といたします。
 ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣
 

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コメント

先生の「手紙」は、以前こちらよりiPhoneにダウンロードして読ませていただきましたが、昨日先生のお話を拝聴し、先生が阿刀田さんの作品に触発されて書かれた作品であることを初めて知りました。

「こんなとろに…」を購入し、再読しました。

ありふれた日常に舞い込んだサプライズ、一体誰が手紙を送っているのかが最後までわからないところが楽しめますね^^

先生に触発され、私も小説(恋愛モノ)でも書いてみようかと思います( ̄∀ ̄)★

結婚を夢みる34歳の独身女子におとずれる失恋。

愛を失い、自信を無くした彼女の前に、突然現れる一人の男。

その出会いにより、彼女は、今まで自分でも気付かなかった「本当の自分」を知って…。

タイトルは「アンバーホワイト(予定)」です(笑。

投稿: はぴまり☆ | 2011年3月 2日 13:19

合掌,ありがとうございます.

私は今まで運動面で幾度も躊躇することがありました.
信仰に基づいた運動が行えているのだろうか,
このままでよいのだろうか・・・,
など常に自問自答しながら歩んで参りました.

そんな中での今回のご文章は大変勇気づけられました.


2年前の総本山で行われた
「新総裁襲任 立教80年生長の家春季記念日祝賀式」での,
いつまでも鳴り止まない拍手は今でも鮮明に覚えています.
あの時の感動を胸に,一生かけてご恩返しを行う所存です.


生長の家の立教の精神を自分の生活の中で展開して参ります.
ありがとうございます.

投稿: 平野 明日香 | 2011年3月 2日 19:54

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