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2011年3月31日

「歓喜への道」

 谷口清超大聖師のご著書に『歓喜への道--21世紀のために』というのがある。平成4年(1992)4月の出版だが、冒頭に掲げられた同名の一文は平成元(1989)年5月号の機関誌に掲載されたものだ。月刊誌はたいてい、5月号は4月に、6月号は5月に発行されるし、原稿を受け取ってから出版までは約2カ月を要する。ということは、このご文章は、時代が昭和から平成に変わってまもなくの頃、清超先生が書かれた一文と考えられる。それを読ませていただくと、「平成」という新時代に向けて信仰者として何を第一にして進むべきかという重要な指針が力強く説かれていて、感動するのである。私たちは今、未曾有の大地震と大津波、原発事故の被害を身の回りに感じ、まるで“世界の終末”の中にあるような印象をもっているかもしれない。しかし、これで戦後日本の“一時代”が終わるとしても、これから私たちが築き上げる新時代が必ず来ることを疑ってはいけないし、この新時代にこそ、神の御心がより顕著に輝き出た“新生日本”を建設しなければならないと思う。ついては、この清超先生の一文からいくつか学ぶことにしよう。
 
 清超先生はまず最初に「正しい情報が大切」だと説かれている。このことは、今回の災害と原発事故に関しても、私たちはいやというほど感じたことではないだろうか。災害の規模がどれほどか。家族や親戚の安否はどうなっているか。津波の大きさを事前に予測できたのか。原発の危険度を知っていたのか。放射線の体への影響を知っているのか。原発事故の現状は、どれほどの地域に、人に、自然界に危険を及ぼすのか。復旧のコストは、期間は、必要な人員は……。これらの情報が正しく入手できないことに、私たちは困惑してきたのである。だから、「正しい情報が大切」であることは、十分に感じているだろう。現代は情報氾濫の時代だから、「情報を得る」ことは簡単にできる。しかし、ニセ情報も巷にあふれているから、「正しい情報」が何であるかの判断は、情報量が膨大なゆえに一層困難になっている。
 
 そこで先生は、こう説かれている--
 
「そこで情報は金銭で取引きされるとは言っても、その“正確度”が問題であり、もしニセ情報であれば、そのために大きな被害を受けるし、そのマイナスの価値は、はかり知ることが出来ないくらい大きいのである。」(p.6)

「原子力は安全なエネルギーである」という情報を信じてきた多くの人々が、海外の人々も含め、今その“マイナスの価値”を肌身に感じ、震え上がっているに違いない。また情報は、「発信人」と「受け手」が直接授受するだけでなく、両者の間に多くの「中継者」が関与してくることが多い。そして、中継者が多ければ多いほど、情報の中身がゆがめられる可能性が大きくなる。いわゆる“伝言ゲーム”のように、発信人の情報とはまったく異なる内容のものが、“真実”とか“事実”とされる危険度が増してくるのである。このことを先生は、次のように書かれているーー

「しかし発信人の真理をそのまま伝えるということは中々難しく、人は往々にして善意の過ちをおかすものである。」(p.9)

 先生がここで「善意の過ち」と書かれているのは、イエスが人間を“罪の子”と説かなかったのに、「神の子」の自覚に満ちたイエスを尊敬するあまり、弟子たちがへりくだって自分と一般人とを“罪の子”と見なしたことを指している。その気持の中には「教えを曲げよう」とするような悪い意図はないから、善意からの過ちだったと説かれているのである。だから、情報の正確な伝達を期す場合は、善意や同情や感情移入があれば、多少の間違いは許されると考えるのは問題である。ましてや、善意や同情や感情移入さえ表明すれば、宗教上の真理を伝えたことになると考えるのは誤りだ。
 
 では、宗教上の真理とは何か? 先生曰く--「要するに現象の肉体は不完全であり、それは仮相であって、実相は全ての人々が完全無欠の神性・仏性である。この真理を自覚し、伝え、行ぜられるからこそ尊いのである」。(p.10)これを、今回の大災害と大事故に関連させて言い直せば、「これらの惨状や死や深刻な被害は仮相であって、実相は全ての人々が完全無欠の神性・仏性である」ということだ。確かに今、テレビやインターネット、新聞・雑誌では、連日のように人々の不幸や災難や、悲しみや、苦痛、嘘、偽装、経済停滞などが報じられている。しかし、それらを見つめて悲しみを深めていくことが、宗教上の真理を伝えることだと考えるのは誤りだ。先生は再び曰く--「これでは実在の真理そのものがどこかに追いやられ、現象の正確さのみがいたずらに一人歩きする結果になるであろう。しかし生長の家では、現象は実在にあらずと否定するのだ。ある人がどんな生涯を歩んだにしても、そこに完全無欠を求めるのは、現象そのものに実相を求めていることになる。」(p.11)

 谷口 雅宣

 

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2011年3月30日

アメリカ外交は転換するか? (3)

 アメリカ時間の28日夕に、オバマ大統領がワシントンの国防大学(National Defense University)で国民に向けて行った演説で、アメリカ外交方針の転換とその理由づけが明らかになった。これは“オバマ・ドクトリン”とも呼べる新しい考え方である。29日の『日本経済新聞』夕刊、30日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』などが伝えている。
 
 この演説には、2つのポイントがある。1つは、「“世界の良心を汚す”ような大量虐殺を防ぐことがアメリカの国益になる」という観点である。もちろん、ここで問題になっているのはリビア内戦のことで、武力において優勢なカダフィ政権が、反政権側を攻撃して大量の死者を出している現状を放置できないという意味だ。同大統領は、これを「私は、虐殺と大量の墓が現実化するのを、何もせずに待つことを拒否する」と表現した。しかし、だからと言って、虐殺をしている政権を武力で転覆をするのはやりすぎだ、とも述べている。つまり、限定的な武力行使によって人権上の悲劇の拡大を阻止することが、アメリカの国益にかなうと考えているのである。
 
 オバマ氏は、これに関連してブッシュ前大統領が行ったイラク戦争を例に挙げ、「そこで行った政権交代に、我々は8年かかり、何千人ものアメリカ人とイラク人の命が失われ、10億ドル近くを費やした。これをリビアで繰り返すことはできない」と述べた。つまり、限定的でない全面的な武力介入は、かえって国益にかなわないという判断である。

 もう1つのポイントは、この人権擁護を目的とする限定的武力行使に際しては、アメリカが単独で行うのではなく、「国際的な合意と協力」を必要とするという考え方だ。もちろん、アメリカが直接攻撃されたり、アメリカの核心的利益(core interest)が脅かされたりする場合は、アメリカは単独で行動する。しかし、それほどの脅威ではなく、しかも正当な理由がある場合--大量虐殺の阻止、人道的支援、地域の安全保障、あるいは経済的利益の保護のために、アメリカは単独で行動してはならないとしている。端的に言えば、「正しいことをしないのはいけないが、単独でしてはいけない」ということだ。

 その理由づけは、なかなか興味がある。オバマ氏は、こう述べる--「なぜなら、アメリカの指導力というものは、単に自分独りで実行してその重荷をすべて引き受けるという種類のものではない。本当の指導力があれば、他国もそれを引き受ける状況と協力態勢とを形成できる。同盟国やパートナーとともに行動することで、彼らもその重荷と応分のコストを分担できる。それによって、正義と人間の尊厳の原理が、すべてのものによって支えられるだろう」。--つまり、「徳、孤ならず必ず隣あり」ということだろうか。しかし、これを言うためには、国際政治の分野にも世界全体に共通する正義や原則が存在するという前提がなければならないから、アメリカ理想主義の伝統がここに垣間見えるのである。

 ところで、こういう考え方を理解したのちに、国際社会が“リビア介入”を行っている現状を眺めてみよう。新聞報道などによると、リビア介入に最も積極的なのは仏・伊・英などのヨーロッパ諸国で、特にフランスはリビアの反政権組織である国民評議会を国家としていち早く承認しているため、カダフィ政権の転覆まで狙っていると思われる。また、フランスのほかにイタリアなどもリビアに莫大な資源権益を保有しているため、リビア東部の油田地帯に勢力をもつ反政権側の支援に熱心である。そして、英仏2国は28日、カダフィ大佐に即時退陣を求める共同声明を出した。翌29日には、ロンドンでリビア情勢を協議する関係国の外相級と国際機関代表による会合が行われたが、これの呼びかけも英仏両国によるという。ここで注目すべきなのは、こ会合に参加したのが欧米諸国だけでなく、カタールやアラブ首長国連邦も含めた37カ国であり、これにアラブ連盟やEU、アフリカ連合などの6つの国際機関も加わったことだ。この中のカタールは、すでに28日に、リビア反政権組織の国民評議会を同国の正当な代表として承認している。
 
 このように見てくると、今回の“リビア介入”については、アメリカの政治的役割は確かに前面に出ているようには思えない。しかし、29日のロンドンでの会合では、アメリカのクリントン国務長官は「安保理決議にリビアが完全に従うまで多国籍軍の攻撃を続ける」と強調しているし、これまでリビア攻撃に使われた巡航ミサイル「トマホーク」の96%は米軍が発射しているというから、情勢の変化しだいでは、アメリカの指導力が求められる可能性はある。が、とにかく、30日中に飛行禁止区域設定の指揮権はアメリカからNATOへ委譲されるから、形の上ではオバマ大統領の発言どおりの態勢ができているのである。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】

リビアに関するオバマ演説全文

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2011年3月28日

アメリカ外交は転換するか? (2)

 この題で本欄を最初に書いたのは、2月14日だった。そのとき、アメリカの外交専門家たちが、「オバマ氏は今回の2国の“アラブ民主革命”を目撃しながら、数週間前から中東地域の反政府運動を支援する方向に軸足を移しつつある」と分析していることを紹介した。また、同月24日には、この民主革命がリビアに飛び火していることに関連して、その前日、オバマ大統領が対リビア制裁のために「あらゆる選択肢」を検討するよう関係省庁に指示したことを明らかにしたことを述べ、「これは事実上、リビアの反政府勢力への支持表明である」と私は書いた。そのあと、ニュージーランドと日本で大地震が起こったため、本欄では国際政治について書く余裕がなくなっていた。しかし、読者もご存じのように、この間、国連安保理のリビア制裁の決議が通り、“人道的理由”によるNATOの介入の決定、さらに米・英・仏軍のリビア空爆が立て続けに起こっている。欧米諸国は、リビア内戦に介入したのだ。ということは、アメリカの外交政策は転換したと言えるだろう。

 このことについて、アメリカの外交専門誌『Foreign Policy』は、18日の電子版で「オバマ氏はどうして戦争へと急旋回したか」(How Obama turned on a dime toward war)という解説記事を載せている。それによると、この重要な決定は、現地時間3月15日の夜に行われたホワイトハウス上層部の会議で、激しい論争の後に行われたという。ここでは、参加者からリビア攻撃への賛否両論が提出され、最終的にオバマ大統領が内戦介入を決断したという。この“リビア介入”に対する全般的な考え方は、ホワイトハウスに呼ばれた専門家に対して、その数日前に示されたばかりだったらしい。
 
 ある参加者は、「これは我々が国益と国家価値とを再統合する最大の機会だ」と言い、その言葉は大統領自身が言ったと伝えられた。「これ」とは、中東で起こっている民主化への大きな動きのことで、オバマ氏はこの機会に、アメリカの外交政策を民主主義と人権の方向にもっと重点を移す必要があるといったのだ。アラブ民主化の動きに関して、オバマ大統領は、エジプトやチュニジアについては、政権側から反政府側へとしだいに支持を移し、イエメンやバーレーンでの反政府デモが過激化した際にも、武力介入を思わせる言葉は一言も口にしなかった。しかしリビアに関しては、まったく異なる戦略--軍事力の投入によってアラブ地域の出来事に影響を与える戦略ーーを実行に移したのだった。
 
 オバマ政権内部で軍事介入に積極的だったのは国家安全保障会議(National Security Council,NSC)のメンバーたちで、慎重論を唱えたのは大統領の国家安全保障顧問やゲーツ国防長官らという。後者は、リビアに軍を長期に投入することから生じる2次的、3次的影響を心配していたという。中東を訪問中のクリントン国務長官も、この会議中に電話で意見を聞かれたらしい。同長官は14日、G8の外相会議に出席していたが、その時ヨーロッパ側の外相にはリビア問題についてアメリカの立場を一切明らかにしなかったという。同長官はまた、パリでリビアの反体制派の指導者とも会ったが、彼らの支援要請には肯定的に反応しなかった。このため、周囲の人々は同長官はリビア介入に反対だと考えていたが、事実は逆で、彼女は介入賛成だったが、15日の決定までは態度表明を慎重に避けていたらしい。
 
 この会議の後、オバマ大統領は国連安保理でリビアへの軍事介入を可能にする決議案(1973号決議)のとりまとめをスーザン・ライス駐国連大使に命じた。この“介入”とは、単なる飛行禁止区域の設定に留まらず、カダフィ大佐の権力剥奪をも含めた広範囲の内容のものという。ライス大使は、「カダフィ大佐とその支持者たちは、リビア国民の最も基本的な権利を大々的かつ組織的に無視し虐待し続けている」と非難し、アラブ諸国が12日に安保理に対し、リビア市民保護のために飛行禁止区域の設定とその他の方策を確立するよう求めたことに触れ、「今日の決議は、その要請と、地上からの緊急の必要に対する強力な回答である」と述べたという。

 この国連決議の法的根拠について、国連の播事務総長は17日、“保護責任”(Responsibility to Protect, R2P)と呼ばれる人道上の原則を挙げた。この原則は、「一般市民をその国の政府の暴力から守る責任」のことで、コソボやアフリカのダルフールでの“民族浄化”という苦い経験から生まれた新しい概念である。が、この原則にもとづいて他国の内戦に介入することには、様々な問題がある。日本との関係で言えば、中国で再び天安門事件のようなものが起こった場合、アメリカは本当に介入するのか。また、北朝鮮で反政府運動が起こり、政府の武力弾圧が始まった場合、北朝鮮の市民擁護のために米軍を派兵するのか。そのとき、韓国防衛の義務もあるアメリカは、極東で“二正面作戦”を実行することにならないか。また、日本国内の米軍基地が北朝鮮のミサイル攻撃にさらされることにならないか……などである。
 
 また、アメリカの国益との関係では、武力介入によって“カダフィ後”の政権が成立したとしても、それが民主的である保証はないし、親米的になるかどうかも分からない。そういう“危険なギャンブル”をしたと批判する専門家もいるのである。
 
 谷口 雅宣
 

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2011年3月27日

香川教区の“ど根性”

 今日は抜けるような青空の下、香川県高松市のサンメッセ香川をメイン会場とし、小豆島のサン・オリーブをサブ会場として、香川教区での生長の家講習会が開催された。今回は久々に小豆島に会場を設けて、幹部・会員が熱心に推進したことなどにより、前回より360人(6.8%)多い5,670人の受講者が集まってくださった。組織別でも白鳩会、相愛会、青年会のいずれも前回を上回るよい結果となった。渡辺浩行・教化部長を初めとした教区幹部の皆々さまの献身的な努力(ど根性?)に心から感謝申し上げます。

 渡辺教化部長によると、同教区の今回の成果は“長期計画”の奏功によるらしい。同教区では、講習会開催の約1年前の昨年4月から、誌友会の充実を目的とした拡大月間を2回設けて、誌友会の内容の充実と対象者名簿の整備を行った。また、それと併行して、全教区で聖経読誦“33万巻”を目指した読誦運動を展開して信仰心を盛り上げ、名簿に掲げられた対象者の祝福を行ったという。さらに開催日が近づくと、同教化部長を筆頭にした幹部による県下各地への感謝・激励訪問を熱心に行ったという。その結果、今回久々に会場となった小豆島では、これまで組織活動が停滞していたにもかかわらず、幹部の熱意が燃え上がり、また“休眠中”だった信徒も運動に再びもどり、前回は88人の参加者が今回は354人の確定者を出すなどの好結果が生まれたという。小豆島以外の地域の人々も、きっと同様に誌友会の充実と家庭訪問で成果を上げたのだろう。

 講習会の帰途、高松城跡である「玉藻公園」へ寄った。高松城は、16世紀末に生駒親正(いこまちかまさ)によって造られ、以来、生駒4代、松平11代が城主として住み、明治政府の所管となった後に、松平家から高松市が譲り受けたという。天守閣は残っていないが、城の外郭にある月見櫓(やぐら)や艮櫓(うしとらやぐら)などが残っていて、どちらも堂々とした風格がある。この城の特徴の一つは“海に面した平城”という点で、日本の三大水城の一つとされている。堀が海とつながっているため、潮の干満にともなって水位を調節する水門が設置されていて、タイやチヌが堀の中を泳いでいるるのが面白い。
 
Dokonjo  城内にある立派な日本庭園と木造低層の大きな屋敷が、印象的だった。昔の日本人は現代人より体格が小さいと言われるが、どうしてどうして、その逆を感じるような大きさの広い屋敷、庭に並ぶ巨大な飛び石、重さ11トンの手水鉢などに圧倒された。その庭の片隅に、「ど根性松」と書いた札が立っているのに気がついた。近くへ寄ってみると、二抱えもある大きな岩の上から、細い未生の松が生えているのである。立て札には、岩の亀裂に落ちた松の種から発芽して伸びたものだと書いてある。「樹齢はおよそ15年」とあるが、その小ささは2~3年もののようだ。たぶん、条件が悪いので成長が遅いのである。立て札の最後は「果たして成木と成りえるのか? そっと見守りたい」と締めくくっている。
 
 過酷な条件の下で育つ生命は、人に感動を与える。それは、人間を勇気づけてもくれる。植物でさえ、これほど必死に潜在能力を発揮しているのだから、自分も多少の困難にへこたれていてはいけない、などと考えるのである。人間のもっているエンパシー(感情移入)の能力が、そうさせるのだ。このとき私の脳裏にあったのは、東日本大震災下で困難に直面している大勢の人たちのことだった。我々は、松に対しては「見守る」ことしかできないが、同胞に対してはまだまだ支援の手を伸ばすことはできるのだ。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月25日

原子力発電について (4)

 私は3月20日の本欄で今、大事故になっている福島第一原発と同タイプの原子炉は、「構造上の問題が1972年ごろから繰り返し指摘されてきたらしい」と書いた。この原子炉は、米GE社が開発したBWR(沸騰水型軽水炉)というタイプで、その後に現れたPWR(加圧水型軽水炉)よりも構造上、圧力容器の強度が低いという点を指摘した。私は原子炉の専門家ではないから、この評価は17日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(IHT)紙から借りたものだ。ところが、その後も、IHTは23日付で、また『ウォールストリート・ジャーナル』(WSJ)は24日付で、さらに米誌『タイム』も3月28日号で、今回の大事故の背後には、このような構造上の問題以外にも、いろいろな問題があることを指摘している。
 
 23日のIHTの指摘には、福島第一原発の1号機の予備用ディーゼル発電機に強圧によるヒビ割れが発見されていたことが挙げられている。この1号機は、大震災の約1カ月前に10年間の使用期限延長が認められたばかりだったという。さらに、この政府の承認後7~8週たって、東京電力は、6基の原子炉の冷却水ポンプ、ディーゼル発電機を含む原子炉冷却システムに関連する33カ所の点検を怠っていたことを認めたという。このことは原子力安全委員会のウェブサイトに発表され、その後に大地震と大津波が福島第一原発を襲ったのだ。
 
 この事実を取り上げて、同紙は「原発の運営会社と政府監督官庁の不健全な関係」があると指摘している。具体的には、旧式の原発の使用延長を認めた同委員会の専門委員は、監督官庁から雇用されていて、その決定にお墨付きを与えこそすれ、反対することなどめったにないという。さらに、原発に対する抵抗が強い日本では、新規の原発建設は年々難しくなっている。このため電力会社は、旧式原発に問題があっても、原子炉の「40年」という法定使用期限を延長することによって、しのいできた。一方、政府も、海外の化石燃料への依存度を減らす目的で原子力発電の拡大を進めてきたから、電力会社のこの措置には概ね同情的だったという。
 
 同紙はまた、福島第一原発の原子炉の設計を担当した技師の話として、この原子炉で特に問題なのは圧力抑制室が小さいことで、そのため原子炉内の圧力が上昇しすぎる危険性があると指摘している。この欠陥は、改良型の原子炉ではなくなっているという。が、この技師は、そういう点が改善されたとしても、システム全体が--配管も、機械類も、コンピューターも原子炉自体が--古いから交換時期に来ていたのだという。そういう原発に、今後10年間の使用延長を認めた監督官庁を、我々は信頼してきたのだ。
 
 九州大学副学長の吉岡斉(ひとし)氏は、25日付の『朝日新聞』に原発事業者と政府との“癒着”の危険性を次のように指摘している--

「日本の原子力発電事業の特徴は、政府のサポートが、他の国に比べてずっと強いことだ。所轄官庁と電力業界がほとんど一体になっている。(中略)他の国では、支援することはあっても、政府が事業計画まで細かく介入したりはしない。
 原子力安全・保安院は経産省傘下だから、安全行政も経産省が事実上握っている。特に2001年の中央省庁の再編以来、(中略)経産省が推進も規制もするという今の仕組みができてしまった」。

 24日付のWSJは、これとは別の「非常用復水器(isolation condenser)」の増設の必要性について書いている。これは、電力に頼らずに原子炉の冷却を行う装置で、今回のように地震と津波によってすべての電源が失われた場合、数日間、原子炉の加熱を和らげることができるとされている。だから、この間に外部電源を復旧しなければならない。昨年10月、原子力安全委員会で長期計画を検討する会合があったとき、ある関係者がパワーポイントを使い、この技術が「地震と津波から来る危険を追加的に減らす」効果があると説明したという。が、この発表は、福島第一原発のためではなく、今後の新規増設の際のものだったそうだ。非常用復水器は、すでに同原発の1号機に設置されていた。ただし、他の5基にはなく、1号機のそれも、今回は高熱のため使用不能となったと思われている。つまり、危険性は認識されており、それを回避する技術もあったのだが、残りの5基に設置する必要性は認められていなかった。
 
Bwr_structure 『タイム』誌が注目しているのは、予備電源を供給するためのディーゼル発電機の位置のことだ。福島第一原発では、これを1階のレベルに置いたことで、4台あったすべての発電機が津波によって使用不能に陥り、原子炉の冷却が不能になった。1階レベルに置いたのは、津波が来ても防潮壁で防げると考えたからだ。これを2階レベル以上の高さに設置しておけば、今回の惨事は防げたかもしれないというのである。また、放射線漏れを深刻化させた要因の1つに、使用済み核燃料プールの位置と形状が指摘されている。福島第一原発では、原子炉の加熱によって水素爆発が起こり、原子炉建屋の屋根が吹き飛んだ。このため、覆いのない核燃料プールが外部に露出することになり、冷却機能の停止もあいまって、プールから放射性物質が直接外気に発散される事態が疑われているのである。

 このように見てくると、「原子力発電は安全」という主張には相当な誇張があると考えねばならないだろう。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月24日

原子力発電について (3)

 私は17日の本欄で発表した「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の中で「大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である」と書いたが、最近、この未曾有の大震災を体験して初めて学ぶ、貴重なレッスンが数多くあると感じる。この「貴重な」という言葉には、何万人もの人命が犠牲になったことへの無念の想いが込められていることを付言させてほしい。そのレッスンの1つが、現代生活と電力との関係だ。東京では、夜が早くなった。いわゆる“計画停電”と企業や商店などが行う節電によって、デパートや飲食店のディスプレイ用の照明が半減し、閉店時刻が早まったことによって、私たちは今、一時代前の生活にもどっているのである。私が小・中学生の頃は、夜は暗いのが当然だった。デパートや商店は午後6時頃には閉店し、週に1度は定休日があった。自動販売機は、普及開始が1950年代後半だから、街にはほとんどなく、深夜まで煌々と明るいコンビニ店は、もちろん存在しなかった。
 
 昨日の夜、日比谷まで足を延ばして「東京が静かだ」と思った。騒音が少ないだけでなく、人通りも少ない。ショウウィンドーの照明が消えている。地下鉄を使う人が少なく、ゆっくり座れる。エスカレーターは「上り」は動いているが「下り」は止まっている。地下街では広告の照明が消えていたり、間引かれている。飲食店では、料理の見本を並べた飾り棚の照明が消えている。普通、それを見ると「閉店だ」と思うが、中にはちゃんと客がいる。が、数が少ないから、店員はていねいに対応してくれる。夜は暗いし、人々は暗くなったら家へ帰って、家族で食事をする--かつては“当たり前”だったこの生活を、大震災が我々に体験させてくれているのだ。

 考えてみれば、これが「原発のない生活」なのである。原子力発電所は、1日24時間、週7日間、毎週、毎月、何年も停止せずに電気をつくり続ける。停止しないほうがコストが安いのだ。というわけで、原発を導入すれば夜間の電気の“垂れ流し”は必然となる。すると、“夜間電力”なる安価な電力の体系が生まれるから、夜間営業や、夜間工事、夜間照明が経済的メリットを生むようになる。人間は自然の一部であるが、発達した大脳によって自然の欲求や生理的傾向を抑圧し、左脳的な判断を優先させながら生きることができる。言語や数字の操作に長けている左脳にとって、経済的利益はとてもわかりやすく、魅力的である。これに対して、自然と密着した生理機構--体内時計やホルモン分泌のリズムなど--からの信号は、(右脳に伝わっても)左脳には伝わりにくい。だから、経済的利益の追求を“善”とする人たちは、どうしても自然的利益(生物学的利益)を犠牲にする方向へ走ることになる。
 
 医学の発達が、この方向への人々の動きを加速させた。人間は、右脳や生理機構からの信号を受け取ることができる。眠い、だるい、気分が優れない、疲れる、頭痛がする、肩がこる、眠れない、起きられない……理由が判然としなくても、生理機構は我々にこのような“警告”を伝えてくれるようにつくられているが、人間はそれを「薬をのむ」ことで黙らせる方法を開発した。何のためか? もちろんそれは経済的利益ーーつまり、左脳の欲求を優先させるためだ。こうして、現代人は薬を“友”のように信頼して、経済的利益の追求に猛進していったのだ。それはまるで、原発を“友”として成長した戦後の日本経済のように……。
 
 作家の小池真理子氏が今日(24日)の『日本経済新聞』に「言霊の祈り」と題して書いている。同氏は高校時代を仙台で過ごし、学生運動に若い血をたぎらせたそうだ。その仙台が、壊滅的被害を受けた。衝撃の中で、同氏は戦後をこう総括している--
 
「私たちはこれまで、凄まじく暴力的に前進し続けてきた。その繁栄と進化は頂点に達し、それでもなお、膨張は繰り返された。あげく、あちこちで歪(ひず)みが生じた。しかしなお、誰もそれをやめようとしなかった。津波はそうしたものすべてをのみこんで、去っていった」。

 私は、戦後の日本が“前進”し、“進化”したかどうかは知らない。しかし、ある一方向へ突き進んで“壁”に突き当たったことは確かだ。福島第一原子力発電所の破壊は、それを象徴している。もう同じ方向へ進むことはできない。小池氏は、“別の方向”を次のように描いている--
 
「私たちは生来のやさしさや愛、勇気など、人間の本質的な何かを取り戻さざるを得なくなっている。引きこもりや孤絶、無縁、といった言葉は今や、過去のものになった。人々は血縁地縁を超えて連帯し始めた。これが3月11日以前の日本と同じ国なのだろうか、とすら思う」。

 被災者のために、日本全国が支援の手を差し伸べている。期せずして、四無量心の実践が大々的に行われているのだ。私は、四無量心の4番目の「捨徳」こそ左脳偏重の都会生活への執着を断つことであり、それを象徴する原発との決別であると考える。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月22日

“森の3人組”に期待する

3mancoop  今日の午前、森と深く関わった仕事をしている3人の男性が、東京・新宿で“連携の集い”の発進を宣言した。私は事前に案内をもらっていたので、妻と連れだって参加した。この3人とは、オークヴィレッジ代表の稲本正氏、「アファンの森」設立者のC.W.ニコル氏、そして料理研究家の成澤由浩氏である。この連携には、“森を創る・森を使う・森を食べる”というキャッチフレーズがついていて、3人が人間と森との共存共栄を目指していることがよくわかる。
 
 稲本氏は、約1カ月前に生長の家本部の「環境教育研修会」に講師としてお願いし、その時のことを2月18日の本欄に書いた。同氏は、岐阜県高山市清見町に工芸村「オークヴィレッジ」を設立して、当地の森林を世話しながら国産材で各種工芸作品を製造販売する一方、植林活動などを展開している。ニコル氏は約30年前に日本に移住し、以来、長野県で執筆活動と森の再生活動を実践し、里山を購入して「アファンの森」と名付け、それを元に2002年に「C.W.ニコル・アファンの森財団法人」を設立して理事長となっている。成澤氏は、東京・南青山のレストラン「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ」のオーナーシェフで、日本の自然をテーマにした料理を発表して国際的に高い評価を得ている。
 
 私のところへ3月初めに届いた案内は、この3人が「少しでも多くの人が少しでも深く森に関わって欲しい」と願って「森の文化を広げるために、楽しく具体的な提案をしようと計画して」いると、明るい調子で述べていた。が、このあとで3・11の大災害と原発事故が起こった。そこで、今日の発表では当初、会場は重苦しい雰囲気に包まれていた。が、稲本氏が、あの独特のユーモアを交えた語り口で会場を和ませ、ニコル氏が真剣な眼差しで自分がいかに日本の自然を愛しているかを情熱的に語り、成澤氏が人々の意表を突いた「土のスープ」「水のサラダ」などの珍しいオリジナル料理を映像入りで解説し、クリの木入りのビスケットを参加者に配るなどすると、会場からは何度も拍手が湧き起こった。
 
 3氏は、今年が国連が定めた国際森林年であることに注目して、連携して森を豊かに育てる運動を楽しく盛り上げようと企画していたところ、あの未曾有の大災害が起こったのだ。そこで日本の将来と、地球環境の混乱に強い危機感を抱き、今回の発表のトーンを変えたのだと私は理解した。その場で配られた「共同宣言書」には、今回の大震災を終戦時の「廃墟」に比較し、「国民が一丸となれば、再生は十分可能である」とし、しかし、その再生のためには日本が従来とは違う方向へ、森を大切にした生き方に転換する必要があると訴える--

「これからの再生は、かつての日本のように高度成長からバブル経済へと向かったような方向ではない。国土の67%もの森林を持つ日本が、なぜか森をなおざりにし、化石資源や原子力を使った持続の可能性が低い文明に偏りがちだった」。
 
 こういう認識のもとに、宣言書は「人間にとって最も大切なもの」とは「人と自然・人と人が助け合う社会である」とし、森の再生を通して「持続可能な社会の創生」を行うことを訴える。そして最後にこう述べる--
 
「これを機に、“日本が生まれ変わる”事を提言したいと思う。これからの数年の日本の変革は、日本の将来を決めるだろう。ひいては、その結果がモデルとなり、世界に新たな社会の在り方を提示する事になるだろう。だからこそ、今年の国際森林年は、持てる力を出し切って努力する価値がある、と言える」。

 私はこの発表を聴きながら、3氏の決意していることは、生長の家が“森の中”へ行って実現しようとしていることと同じ方向にある、と強く感じた。生長の家が進めている“森の中のオフィス”構想の「基本的考え方」の中には、次のような文章がある--

「生長の家は、“大調和の真理”をさらに広く世界に宣布するとともに、我々自身の生き方の中にそれを実現していくための行動を起こす。すなわち、“現代人が現代の生活を営みならがら自然環境と調和した生活をおくる”というモデル社会の構築である。(中略)この構想は、従来のように森を開発するのではなく、人間が自然の仲間入りをさせてもらい、森の機能を活かしたまま業務を遂行し、“森と人との共存”を実現していこうとするものである」。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月21日

地球生命全体の大調和を目指して

 今日は雨が降る中、午前10時から東京・原宿の生長の家本部会館ホールにおいて、布教功労物故者追悼春季慰霊祭が執り行われた。私はこの御祭の中で奏上の詞を読み、玉串拝礼を行ったあと、御祭の最後に概略以下のような挨拶をした--

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 本日は雨が降り足下が悪い中、布教功労物故者を追悼する春季慰霊祭にご参列くださり、誠にありがとうございます。ご存知のとおり、この慰霊祭は生前に生長の家の運動に幹部として挺身・致心・献資の誠を捧げられた霊さまをお招きして、感謝の誠を捧げる大変意義のあるお祭であります。本日は、お名前を呼んで招霊させていただいた御霊様は193体でありました。

 この中で最初に名前を呼ばせていただいのが前参議長で理事長も務めた吉田晴彦さんで、先ほど奥様からご挨拶をいただきました。私と吉田さんとの関係は案外古いのでありまして、私が26年前の昭和60年に本部の副理事長として本部勤務になった当初からの関係です。当時、本部の大幅な機構改革がありまして、その新しい企画部門である「総合企画室」というのができて、その室長が私で、吉田さんは部長代行として部下になったのであります。ここで約3年間、バリバリと仕事をしていただき、その後、「中央五者会事務局長」という組織運動の要の仕事をされ、平成2年には奈良教区の教化部長として地方に出られました。そこでは4年間務めたあと再び本部にもどり、その後は、理事職を兼務しながら次々と重要な部門を担当されました。

 その名前をここで挙げますと、中央五者会事務局、企画システム室、総合企画室、国際部などです。そして、平成12年には生長の家の代表役員、理事長となられました。このあと、宗教法人法の改正に伴う本部の機構改革で“聖俗分離”が行われると、“聖”の部門では私の次に来る「参議長」となり、さらに「総裁室長」を兼ねるなど、大変重要な仕事をしながら私を支えてくださったのであります。生長の家の文書として皆さんにも馴染みがあると思われるものに平成12(2000)年に決定した「宗教法人“生長の家”環境方針」というのがありますが、これには吉田晴彦さんの名前が入っていたのであります。

さて今日、招霊させていただいた御霊さまは、吉田さんとは違う立場ではありますが皆、それぞれの地域や役柄において、吉田さんと同じように情熱をもって運動を展開してくださった尊い聖使命菩薩さまであります。私たちはこれまでも、またこれからも、これらの御霊様のご加護をいただきながら、個人生活においても、また私たちの人類光明化運動においても、大いに発展し、人々のため、また地球生命全体のためにも、神の御心を実現していく。その決意を新たにするためには、この春のお彼岸の季節はたいへん相応しい時節だと思うのであります。

それは自然界を見ると、春の始まりですから、動植物が生命力をみなぎらせて成長、発展する時季だからです。私たち人間も自然界とは一体の存在ですから、これからも自然界を大切にして、その生成化育とリズムを合わせて発展していくことを目標としたい。自然界は決して私たちの“敵”ではない。大いなる味方であり、守り手であり、導き手です。それは一見、“天変地異”のような形で私たちを恐れさすことがあるかもしれないが、これも観世音菩薩の働きである。今回の東日本大震災では多くの方が亡くなられましたが、これは本当の意味では“人間の死”ではない。あくまでも“肉体の死”です。私たちはそこから学ぶことが多くある。それについて、私は「自然と人間の大調和を観ずる祈り」というのを書いたことは、多くの皆さんはご存知と思います。

最後に、その一節を読んで、今日の慰霊のしめくくりにしたいと思います。瞑目合掌をお願いします--

「多くの生物を絶滅させ、自然の与え合い、支え合いの仕組みを破壊しておいて、人間だけが永遠に繁栄することはありえない。生物種は互いに助け合い、補い合い、与え合っていて初めて繁栄するのが、大調和の世界の構図である。それを認めず、他の生物種を“道具”と見、あるいは“敵”と見、さらには“邪魔者”と見てきた人間が、本来安定的な世界を不安定に改変しているのである。その“失敗作品”から学ぶことが必要である。

 大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である。我々がいかに自然の与え合いの構図から恩恵を得てきたかが、それを失うことで実感させられる。我々がいかに人工の構築物を、田畑を、港を、道路を、送電線を、インターネットを築き上げても、自然界の精妙かつ膨大な仕組みとエネルギーを軽視し、蹂躙する愚を犯せば、文明生活は一瞬にして崩壊することを教えている。我々の本性である観世音菩薩は、“人間よもっと謙虚であれ”“自然の一部であることを自覚せよ”“自然と一体の自己を回復せよ”と教えているのである。
 
 現象において不幸にして災害の犠牲となった人々を、“神の怒り”に触れたなどと考えてはならない。神は完全なる実相極楽浄土の創造者であるから、“怒る”必要はどこにもない。人類が深い迷妄から覚醒できず、自然界を破壊し続けることで地球温暖化や気候変動を止められないとき、何かが契機となって人々を眠りから醒ます必要がある。麻薬の陶酔に頼って作品をつくり続ける芸術家には、自分の作品の欠陥が自覚されない。そんなとき、“この作品は間違っている!”と強く訴える人が現れるのである。そんな“内なる神の声”を1人や2人が叫び続けてもなお、多くの人々に伝わらないとき、それを集団による合唱で訴える役割が必要になる--“この作品は描き直し、造り直す必要がある!”と。現象の不幸を表した人々は、そんな尊い役割を果たしている。これらの人々こそ、我々の良心であり、“神の子”の本性の代弁者であり、観世音菩薩である。

 我らは今、この尊き観世音菩薩の教えを謙虚に聴き、心から感謝申し上げるとともに、神の創造(つく)り給いし世界の実相の表現に向かって、新たな決意をもって前進するのである。神さま、ありがとうございます。」

 瞑目合掌をおなおりください。
 それでは、御霊さまのご加護をいただきながら、これからもさらに地球生命全体の大調和実現に向かって運動を展開してまいりましょう。これをもって私の慰霊祭の言葉といたします。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月20日

原子力発電について (2)

 今回の福島での原子力発電所の事故を重く見た諸外国が、日本政府の発表を信じずに“パニック反応”にも似た慌てぶりを示したことに関連し、私は前回、「それほど恐ろしいものを人類は造ってきた」と書いた。これは、必ずしも感情的になって書いた言葉ではない。私たちが晴天下、春の日差しを浴びながら爽快にジョギングできるのは、実は“奇蹟的”といってもいいことなのだ。なぜなら、太陽からは地球に向かって常に大量の紫外線が出ているのに、私たちは少しも病気にならないからだ。読者は、その理由について思い出してほしい。
 
 この“奇蹟”の主な理由は、地球の周囲を大気がすっぽり覆っているからだった。その大気の組成は、窒素、酸素、オゾン、二酸化炭素、水蒸気などで、このうち約21%を占める酸素は、陸上の植物や海中の藻類や植物プランクトンが生み出している。そして、これに太陽の紫外線が作用すると、大気の外側にオゾン層が形成される。オゾンは波長200~300nmの紫外線をよく吸収するので、生体内のDNAを破壊する太陽の紫外線をカットする働きをもっている。つまり、植物の光合成は、動物に必要な酸素を生み出すばかりでなく、オゾンを生成することで地上の生物全体を守っているのである。

 太陽は、一種の“原子炉”である。ここでは核分裂ではなく、熱核融合反応が起こっている。その結果、生物に有害な紫外線が地球に届くのだが、これを生物全体が協力して大気とオゾン層を作ることで防いでいる。もちろん、太陽は生物に熱とエネルギーを与えることで、生物の繁栄を支援してきた。だから人類は、これらすべて--太陽、植物、動物、酸素、オゾン層--のおかげで生存してきたのだ。にもかかわらず、現代人は、人体に有害な放射線を出す“小型の太陽”を近くにわざわざ造って、これでエネルギー問題と安全保障問題を解決できるなどと考えている。
 
 “原子炉”は、太陽のように遠くに置き、生物全体で協力して有害光線をカットすることで、初めて生命の擁護者たりえたのだ。それなのに、大都市の近くに設置しても、周囲を鋼鉄の容器や頑丈な防護壁で固めれば安全だと考えてきたのが、おかしいのである。それに、日本にある多くの原子炉は、旧式であり、安全性が万全であるとは言えないのだ。
 
 東京電力福島第1原子力発電所で使われているタイプの原子炉は、その構造上の問題が1972年ごろから繰り返し指摘されてきたらしい。17日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。それによると、この型の原子炉は1960年代にアメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)によって開発されたもので、BWR(沸騰水型軽水炉)と呼ばれる。が、現在の世界の主流はPWR(加圧水型軽水炉)というタイプだそうだ。

 BWRは、冷却材(水)を原子炉内で沸騰させ、その水蒸気を直接タービンに送って発電する方式だ。この場合、冷却システムが故障した場合、原子炉中の燃料棒が熱しすぎるので、原子炉を包む圧力容器が破壊され、放射性物質が戸外へ漏れる危険性がある。だから、この圧力容器の強度が重要である。これに対してPWRは、蒸気タービンを回す蒸気は原子炉の圧力容器の外へ導かれて、別に設けた蒸気発生装置に送られ、そこで二次冷却剤を沸騰させる設計になっている。上記の記事によると、これらの設計上の違いにより、圧力容器の頑強度はPWRの方がBWRよりも高いとされている。

 GEは、1960年代にBWRを開発したとき、PWRよりも安価で、建設もしやすいことをセールスポイントにしたという。が、アメリカ政府当局内では、早くからこの型の原子炉の弱点が指摘されてきた。例えば、1972年には、アメリカ原子力委員会のスティーブン・ハノーア氏は、GEのBWRの圧力制御システムには「容認しがたい安全上の危険」があるとの見解を表明した。これに対し、ジョセフ・ヘンドリー氏は同じ年、この型の原子炉を禁止するという考えは「魅力的」であるが、この方式は、業界や政府当局にこれまであまりに広く受け入れられてきたので、「方針転換は、特にこの時期においては、原子力の利用に終止符を打つことになるだろう」と答えたという。ここにある「この時期」の意味は定かでないが、アメリカは1979年にスリーマイル島の原発事故を経験している。そして、アメリカでは今、16の原子力発電所の23基の原子炉がBWRだという。

 ところで、私はこの文章を書くのに今、平凡社の『世界大百科事典』(1988年刊)を開いているが、そこにある「原子炉安全」という項目には、次のような記述がある:
 
「施設の位置については、安全確保に支障のあるような自然的あるいは人工的事象--たとえば地震や津波、洪水や爆発性の製品を扱う工場の存在など--が過去にもこれからも発生しないことが第一に求められる」。

 地震国・日本の海岸線に原子力発電所がどれくらいあるかを考えると、戦後の原子力政策を推し進めてきた自民党政権と業界とに、百科事典にある“常識”が欠けていたことは認めねばなるまい。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月19日

原子力発電について

 好天に恵まれた今日の午後、ジョギングに出かけた。前日は全国的にとても冷え込んだが、今朝の予報では東京地方の最高気温が17~19℃になるという話だったから、春の心地よさを味わうことができると思ったのだ。確かに心地はよかった。ジョギングコースである明治神宮外苑には、私以外にも、カラフルなトレーナー姿の多くのジョガ-たちが軽快に走っていた。風もなく、太陽の光はやさしく肌を温め、鳥たちはさえずりながら無邪気に木々の間を飛んでいる。しかし、その心地よさに私は考え込んでしまった。
 
 静かな土曜日の心地よい東京から東北へ約225キロのところでは、この東京都に大量の電気を送っていた原子力発電所が地震と津波で破壊され、人体に危険な強い放射線を吐き出している。その強烈な放射線漏れを制御しようと、大勢の専門家や技師、自衛隊員、警察官、消防官などが生命の危険を冒して努力している。また、放射線被曝の恐怖から逃れようと、ここからさほど遠くない東京武道館(足立区)と味の素スタジアム(調布市)には、原発のある福島県から避難してきた人が収容され、その数は18日午後7時現在、254人になり、さらに増え続けている。日本政府が問題の「原発から半径30キロの圏外は安全」と言うのが信じられずに、東京は安全だというので避難してきたのだろう。

 が、スリーマイル島の原発事故の経験があるアメリカでは、政府が事故現場から「半径80キロ圏内」に住む米国人に避難勧告を出した。また、日本政府よりそちらを信じた韓国、英国、オーストラリア、ニュージーランド、メキシコなどは、同様に自国民に半径80キロ圏外への避難を勧告した。東京さえ危険だと考える国もあり、イラク、バーレーン、アンゴラ、パナマ、クロアチア、コソボ、リベリア、レソトの8カ国は、外務省に対して正式に大使館の一時閉鎖を通告、ドイツやオーストリアなどは大使館の大阪移転を決断したという。これは恐らく“パニック反応”だろうが、それほど恐ろしいものを人類は造ってきたのだ。
 
 この“パニック反応”の背後は、日本政府への不信がある。テレビを見ていても、きちんとした情報を開示したうえで、責任ある立場の政治家が明確な価値判断をしているようには思えない。こんな時には大学教授や現場責任者に話をさせては、いけない。彼らは事後の自分の立場を考えて、できるだけ価値判断を避けて発言する。それは仕方がないことだ。こういう国家の危機の際には、政治家が全責任を負って国民を守るのでなければ、政治家である価値はない。「混乱を避ける」のが理由で情報を開示しないという態度は、ガン患者に告知をしないのと同じで、何の解決にもならない。患者は、医師や家族を疑いながら死んでいくことになる。

 事故現場から約45キロにある福島県三春町に住む作家で僧侶の玄侑宗久氏は、19日の『朝日新聞』にこう書いている--
 
「政府は屋内退避指示の範囲を変えていないが、本当にそれでいいのか。原発から30キロ圏外ならば、このままとどまっていても安全だという根拠は何なのか。いつまでとどまっていていいというのか。
 現場はとにかく情報が交錯している。原発近くにいる我々は、この国の指示を本当に信じていいのかどうかという、自問の渦中にある」。

 原子力発電を国家の基幹産業の一つとして採用したのであれば、その恩恵だけを喧伝するのではなく、リスクを十分に知り、それを国民に隠さずに知らせるべきである。政府の隠蔽体質は自民党時代からの遺産であるが、これは言葉を変えれば「国民不信」ということだ。今回の原発事故では、その国民不信が、逆に国民の政府不信を生んでいると言えるだろう。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月18日

韓国光明会からお見舞い来る

 韓国において生長の家の運動を推進している韓国光明思想普及会の金廷熙会長から、今回の東日本大震災に対するお見舞いのメールが届いた。暖かいお心遣いに心から感謝申し上げるとともに、同じ信仰者として、一致協力して救援活動はもちろん、ますます魂の救済運動に邁進する決意を固めるものである。

 以下、メールの文面を掲げる。
-------------------------------
 合掌 ありがとうございます
 このたびの東日本大地震によって被災されました多くの方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。

 3月11日午後に、日本で起きました東北地方を中心とする大地震のニュースが報道され、韓国光明会の職員信徒一同、驚きを隠せずにおります。地震のありました当日は、3月13日開催の第21回幹部研修会での指導のため、大平収一・本部講師が丁度大邱に到着なさった日でした。そして3月12日の青年リーダー懇談会が開かれる頃には被害の状況が具体的に報道され始め、私どもといたしましては日本国民の皆さんと生長の家の信徒の皆さんのために力を合わせることを誓い合いました。

 3月13日の幹部研修会は昨年より25名多い75名の幹部が参加し、大平講師の細やかなご指導を頂き、質の高い幹部研修会となりました。また、研修会に参加した幹部による自発的な募金も行われました。

 遠隔地ゆえお役にも立てず、地震に遭われた方々に思いをはせ心苦しく思うばかりで何の行動も起こさないでいるのは、これまで光明会が生長の家の皆様から頂いた恩恵に申し訳が立たないと思い、韓国光明会では14日の愛行の日に、被災された方々への聖経読誦を行いました。また、毎日開かれております午前修行(聖経読誦・神想観実修・愛行)の時間と各種行事の際に、日本の皆さんがこの困難から一日も早く立ち上がり、平穏な生活へとお戻りになることができますよう、祈りをささげる時間を持つことに致しております。そして、国際本部の方針に従い、募金活動にも参加することをお約束いたします。

 このような困難を前にすると「天地の万物は一つである」という総裁先生の御教えの大切さが改めて胸に染みる思いでございます。総裁先生のご指導に従い、生長の家の信徒の皆様がこの危機を乗り越え、一日も早くお立ち直りになり、希望に向けて前進することができますよう、お祈り申し上げます。神様のお導きがありますよう、お祈り申し上げます。

2011年3月18日 
韓国光明思想普及会 
会長 金廷熙 合掌
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 谷口 雅宣

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2011年3月17日

自然と人間の大調和を観ずる祈り

 読者から、今回の大震災について祈りの言葉がほしいとの要望が寄せられたので、以下、発表します。この祈りの言葉は、読者において自由に複製し、配布し、使ってくださって結構です。

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 神の創造(つく)り給いし世界の実相は、自然と人間とが一体のものとして常に調和しているのである。自然は人間を支え、人間に表現手段を与え、人間に喜びを与えている。それに感謝し、人間は自然を愛で、自然を養い、豊かならしめているのである。両者のあいだに断絶はなく、両者のあいだに争いはなく、両者のあいだには区別さえもないのである。
 
 人間に表現手段を与えている肉体は、その周囲を構成する自然界と物質的成分は同一である。だから、人間は自然界から酸素を得て動力として、水を飲んで潤滑油とし、食物を摂取して肉体を維持・成長させることができるのである。これらの物質の流れ、分子や原子の循環の奥に、神の知恵と愛と生命を観ずるものは幸いである。物質は結果であり、神が原因である。すべての存在が渾然と調和し、支え合っているその実相を、神は「はなはだ良し」と宣言せられたのである。
 
 その実相を見ず、「個」が実在であり、世界の中心であると見るのは迷妄である。「個人の損得」を中心にすえるとき、人間は自然との大調和を見失うのである。自然界に不足を見出し、自然界を障害と見なし、自然界を自己の支配下に置こうとして、自然界の機構を自己目的に改変し、利用することは、愚かなことである。自然の一部を敵視して破壊することは、恥ずべきことである。それによって、人間は自然との一体感を失い、自然治癒力を含めた自然の恩恵を自ら減衰させ、生き甲斐さえも失うのである。
 
 人間が自然を敵視すれば、その迷い心の反映として、自然の側から“敵”として扱われるような事態が現れてくるのである。人間が山を削り、森を切り倒し、川を堰き止め、湖や海を埋め立てて、人間だけの繁栄を画策しても、それは神の御心ではない。それは神が「はなはだ良い」と宣言された実相世界とは似ても似つかない“失敗作品”である。実相でないものは、必ず破壊と滅亡を迎える時が来る。それは偽象の崩壊であり、業の自壊である。
 
 しかし、これを“神の怒り”ととらえてはならない。広大な農地を破壊しながら猛スピードで突き進む津波を見て、神が怒りに燃えて破壊を進めていると考えてはならない。神は山を崩して海を埋め立て給わず。海岸に農地を作り給わず。工場を造り給わず。空港も、原子力発電所も造り給わず。それらすべては、人間が自己利益を考えて、動植物の絶滅を顧みずに行った行為である。日本列島やニュージーランド周辺で地震が起こるのは、太古から繰り返されている地殻変動の一部であり、決して異常事態ではない。それが異常事態に見えるのは、人間の視野が狭く、考える時間軸が短く、自己中心的だからである。
 
 多くの生物を絶滅させ、自然の与え合い、支え合いの仕組みを破壊しておいて、人間だけが永遠に繁栄することはありえない。生物種は互いに助け合い、補い合い、与え合っていて初めて繁栄するのが、大調和の世界の構図である。それを認めず、他の生物種を“道具”と見、あるいは“敵”と見、さらには“邪魔者”と見てきた人間が、本来安定的な世界を不安定に改変しているのである。その“失敗作品”から学ぶことが必要である。

 大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である。我々がいかに自然の与え合いの構図から恩恵を得てきたかが、それを失うことで実感させられる。我々がいかに人工の構築物を、田畑を、港を、道路を、送電線を、インターネットを築き上げても、自然界の精妙かつ膨大な仕組みとエネルギーを軽視し、蹂躙する愚を犯せば、文明生活は一瞬にして崩壊することを教えている。我々の本性である観世音菩薩は、「人間よもっと謙虚であれ」「自然の一部であることを自覚せよ」「自然と一体の自己を回復せよ」と教えているのである。
 
 現象において不幸にして災害の犠牲となった人々を、“神の怒り”に触れたなどと考えてはならない。神は完全なる実相極楽浄土の創造者であるから、「怒る」必要はどこにもない。人類が深い迷妄から覚醒できず、自然界を破壊し続けることで地球温暖化や気候変動を止められないとき、何かが契機となって人々を眠りから醒ます必要がある。麻薬の陶酔に頼って作品をつくり続ける芸術家には、自分の作品の欠陥が自覚されない。そんなとき、「この作品は間違っている!」と強く訴える人が現れるのである。そんな“内なる神の声”を1人や2人が叫び続けてもなお、多くの人々に伝わらないとき、それを集団による合唱で訴える役割が必要になる--「この作品は描き直し、造り直す必要がある!」と。現象の不幸を表した人々は、そんな尊い役割を果たしている。これらの人々こそ、我々の良心であり、“神の子”の本性の代弁者であり、観世音菩薩である。

 我らは今、この尊き観世音菩薩の教えを謙虚に聴き、心から感謝申し上げるとともに、神の創造(つく)り給いし世界の実相の表現に向かって、新たな決意をもって前進するのである。神さま、ありがとうございます。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月16日

東北地方太平洋沖地震 (4)

 本部での15日の会議で、今回の東日本大震災の被災者支援と慰霊のために、生長の家では会員各自が、積極的に聖経読誦を行う方針が決まった。各自が日々行う聖経読誦の際はもちろん、研修会、見真会、練成会などで通常行うとき、またリレー式に連続読誦を行ったり、さらには誌友会の前後にも聖経読誦を行ってもよいとされ、その際には、次の言葉を唱えることになった:
 
「東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、わが心、神の無限の愛、仏の四無量心と一体となり、被災された方々の苦悩が除かれ楽が与えられ、自然との大調和のうちに復興が進められるよう祈念いたします」。

 また、「東日本大震災救援募金」の実施が決まった。この募金では、①日本赤十字社を通じて被災者の窮状を支援するための「一般救援募金」と、②生長の家信徒の被災者および教化部等への直接的な救援活動を目的とした「信徒救援募金」--の2本立て。募金活動は、日本国内ではそれぞれの教化部を通して実施し、そこでとりまとめて本部へ送る方法を採る。阪神・淡路大震災のときに行った方法と同じである。
 
 読者の皆さんの暖かいご支援を心からお願い申し上げます。
 
 ところで13日の本欄では、岩手・福島・長野からの状況報告を掲載したが、ここに青森、宮城の2教区の教化部長さんから届いた報告(一部)を掲げる。両教化部長さんは、インフラが破綻した寒く、過酷な条件の下で、教区の幹部・会員の方々の安否確認のために心血を注いでおられる。この尊い菩薩の働きに心から感謝申し上げると共に、皆さんの無事を祈念申し上げます。
 
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青森教区 田中道浩・教化部長(14日付)

 12日(土)の午後から順次、電話がつながるようになり、組織会員の安否を電話で確認していました。しかし、津波による被害がありました八戸市周辺の地域への電話が全くつながらず、状況がわからないため、昨日、田邊白鳩会連合会長と津波による被害が案じられる八戸市、三沢市、階上(はしかみ)町の組織会員宅を16軒訪問いたしました。
 地震による被害はほとんどありませんでした。岩舘講師会長と白鳩会員が1名、中学校に避難されていました。一時帰宅で帰宅したときに訪問したためお会いすることができ、岩舘会長はお元気でした。白鳩会員の方は2泊に及ぶ避難生活に疲れているようでした。木村相愛会連合会長宅は被害がありませんでした。
 
 階上町の白鳩会員宅を訪れた時には、津波の被害を実際にみ、大きな衝撃を受けました。浜辺一体は津波によって、小屋は流され、家も大きな被害を受け、船も打ち上げられ津波の威力の大きさを感じました。白鳩会員宅は浜のすぐ近くだったのですが無事で、目の前で波は止まったそうです。

 皆さんの無事を確認して教化部に戻りましたところ、電話で確認できる中で、相愛会員のお母さん(聖使命会員)が地震で逃げる際に躓いて足を骨折したそうです。また、白鳩会副会長の実家が三沢市の津波で1階まで波が入り泥だらけになり、車が2台流されたそうです。ご両親(聖使命会員)は避難して無事でした。
 
 相愛会、青年会の会員は全員無事が確認され、白鳩会は現在確認中です。八戸周辺は現在も電話がつながらず、昨日訪れた先で聞いた情報では、八戸に住んでいても他の人の情報はあまり入っていないようです。

 街ではガソリンスタンドに長蛇の車の列ができ、ガソリンが売り切れています。次にいつガソリンが入ってくるかわからないため、多くの人がガソリンを求めて並んでいます。また、スーパー、コンビニ等では、カップ麺、水、乾電池、携帯ラジオ等は全て売り切れで、店頭の商品も品薄で売り切れが出てきているようです。

 ご本人には被害がなくても、家族や親戚が宮城県に在住で被災された方もおられたり、また八戸では頻繁に余震が続いているため不安を感じている方もおられます。直近の行事については中止とし、今後の行事開催について現在検討中であります。

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宮城教区 有好正光・教化部長(16日付)

 被害の第一報は、地震の翌日12日の早朝6時すぎ、戸島総務部長に、教化部会館の被害はほとんどなく、教化部職員も組織の事務局員も無事であることをケイタイ電話から報告致しました。地震直後から電気、ガス、水道はストップしました。電気は教化部周辺は15日夜に回復しましたが、その間、テレビ報道は見れず、まるで「陸の孤島」のようでした。ケイタイ電話での発信もほとんどできない状態になってしまい、報告をしようにもできない状態でした。

 現在、信徒誌友の安否確認に全力をあげています。15日になって六者のトップは全員が無事であることがわかりました。16日現在、組織の中心で活動している会員の方で亡くなったという報告はありません。しかし、未だ安否の確認がとれていない会員も多く、特に海沿いの地区に住む会員の安否が気がかりです。

 四者の無事確認ができましたので、罹災者救済に何か方法がないか検討したいと思い、四者を招集して対策会議を持ちたいと思いましたが、教化部に来るのに車を使う人がほとんどで、ガソリンも無く、その補給も非常に困難なため、四者は動きがとれない状態です。教化部事務局長以外の教化部職員も同様で自宅に待機し、信徒さんの安否確認にあたっています。

 地震の翌日から教化部に安否を尋ねる方が、日に3人前後来られます。教化部に行けば、何かわかるかもしれないという思いで来られるようです。私は、教化部まで徒歩15分のところに住んでいますので、毎日教化部に出勤し、それらの人達の応対をしたり、職員に指示をしております。しかし、いまだに連絡が思うにまかせないでいます。できましたら、避難所を訪ね、励ましたい思いで一杯ですが、それもできないでいます。
 
 海沿いに住む信徒さんの中には、命は辛うじて助かったが家が津波に破壊され、流されたという方を何人か確認しています。本当に胸が痛みます。これらの方々のことを思うと、5時頃わが家に帰り、ローソクで明かりをとり、暖房のない部屋で、卓上コンロで即席ラーメンを作りながら、何度も目頭を熱くしました。

  今回の地震の中で、太陽光発電を設置していたお陰で大変助かったという小坂卓久教化部事務局長の体験もありますが、教化部のネット状態が正常になりましてから、ご報告したいと思います。
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 谷口 雅宣

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2011年3月14日

東北地方太平洋沖地震 (3)

Cimg01922  茨城県教化部の被災状況を示す写真を公開します。大道場の天井が落ちています。痛々しいかぎりです。

 
 しかし、私のフェイスブックのページには、海外の生長の家信徒の方々から大震災被災者への暖かい支援を伝えるメッセージが次々に届いています。その一部をここに紹介します。
 
 アメリカ合衆国伝道本部の川上真理雄・副教化総長によると、同伝道本部では祈りのグループを結成して、3月12日の午前11時から、聖経読誦と祈りを開始しています。また、この動きをアメリカ各教区に広げる指示を出したそうです。

Presidentepru2  ブラジル・サンパウロ州のプレシデンテプルデンテ市では、生長の家の会館に信徒が集まり、仙台市の津波被害者の支援のための聖経『甘露の法雨』読誦の会合がもたれました:

 ブラジル・サンパウロ州の青年会幹部、シェイラ・ミヤザキ・デ・リマ(Sheila Miyazaki de Lima)さんからは、ブラジルのテレビ局SBT(Sistema Brasileiro de Televisao)が報道したニュースのリンクが送られてきました。このニュースの最後には、ブラジル伝道本部での被災者支援のための連続聖経読誦の様子が映し出されています。

 谷口 雅宣

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2011年3月13日

東北地方太平洋沖地震 (2)

 大震災の被害状況について、福島、岩手、長野の3教区の教化部長さんから報告をいただいた。多くの読者の関心事でもあると思うので、一部、ここに紹介する。また、カナダのトロント教区、小林俊朗・教化部長からは、同国の人々の反応をつづったメールをいただいたので、それもご披露する。

 なお、本部の目等泰夫・教化部長室室長の報告では、被害が甚大であると報道されている宮城教区は、電話回線が混み合っていて連絡できないとのこと。また、青森教区の田中 道浩・教化部長は、八戸方面の被災地区を訪問中で教化部には不在で、阿仁屋雄一・青年会事務局長の話では、電話や電気など青森市内のインフラは、地震発生時に比べ徐々に復旧してきているとのこと。教区七者及び教化部職員は、全員の無事を確認。なお、八戸市在住の岩舘行雄講師会長は市内の避難所に避難中とのこと。

 また茨城教区では、阿藤和彦・教化部事務局長によると、教化部拝殿の吊り天上が落ち、壁の一部にひび割れが発生。本日現在、会員信徒で罹災したとの情報はない。予定していた教区練成会(3月12日~14日)は中止。なお、つくば道場(牛久市)は被災していないため、同道場を利用して行事の行えるとのこと。

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岩手教区 矢野俊一・教化部長

 地震の発生以来、岩手県全域では停電が続き通信網が途絶えておりましたが、12日の夜遅く復旧いたしましたので、教区内の被害状況について、現在、把握している範囲内でご報告申しあげます。

 盛岡市の教化部会館の建物については、2階大講堂の壁の石膏ボードが一部はげ落ちた程度で、ほとんど被害はございません。同様に、内陸部の県北・二戸市、盛岡市から南下して、花巻市、北上市、水沢市、そして県南の一関市も、信徒からの情報によりますとほとんど被害は出ていないようです。また教区の七者も全員無事であります。

 ただ沿岸部では、報道にもありますように、津波による甚大な被害が出ている模様です。特に被害の大きい地域には、聖使命会員や組織会員が多数おりますので、大変心配しております。聖使命会員は、宮古市に192、大槌町に8、釜石市に65、大船渡市に30、陸前高田市に1、山田町は0、また組織会員は、宮古市に15、釜石市に6、大船渡市に4、大槌町に2の会員がおります(陸前高田市は0です)。今はただこの方々の無事を祈るのみです。この地域の信徒には、地震直後から、電話やメールで再三連絡を試みておりますが、未だ不通の状態が続いております。

 現在、被災地の沿岸に通じる道路は全て、救助のための緊急車両以外は通行できない状況でありますので、今後通行が可能となった時点で、信徒の安否確認のために現地入りしたいと考えております。

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福島教区 休場敏行・教化部長

 教区七者は、全員無事です。教区の信徒さんも今のところ亡くなった方、家が倒壊した等の連絡は入っておりませんが、連絡の取れないところが沢山あります。特に、被害の大きい地区の信徒さんとの連絡が取れていません。また、教化部会館ですが、築46年目で大変古く、外壁、内壁にも沢山の亀裂が入りました。また、一部壁が剥がれ落ちた所があります。
 今朝、信徒の一級建築士に会館を見てもらいましたが、大変、不安な状態であるとのことでした。今日は、昼まで後片付けをして、仕事を終了にしました。まだまだ大きな余震が予想されますので、安全を期して、明日、明後日を休館にすることに致しました。今後、安全を第一にし、また、信徒さんの安否の確認をして参りたいと思っています。

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長野教区 大槻健晴・教化部長

 長野県は新潟との県境にある栄村が激震(震度6)に見舞われ、倒壊や崩落が伝えられていますが、幸いここに生長の家の信徒はいません。

 その隣接の野沢温泉(震度5)には数人の信徒がいますが、棚のものや壁掛けが落ちた程度で大きな被害はありませんでした。更に南に下がった北信地区(震度4)、更に震源地から遠く離れている教化部では大きな揺れを感じた程度ですみました。現在のところ信徒宅で特に大きな被害があったところはありません。七者は皆元気でいつもの通り運動しております。以上地震の状況について簡単にご報告させて頂きます。

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カナダ・トロント教区 小林俊朗・教化部長

 当地カナダの信徒・誌友の中にも、被災地域に親族や知人、またその地域に隣接の県で、連絡がとれず様子を案じている人がおります。また、日系人のみならず、当地カナダでの各種メディアが刻一刻と報道され、それで知られた方からもお見舞い・励ましをいただいているところです。

 先生がお書きくださったように、これらの方々の他人事でなく思いやりの言葉が本当にありがたい励みとなり、その愛念に感謝しおります。昨日、ささやかですが、小生も会館で聖経読誦とお祈りをさせていただきました。

 東京では職場から自宅で徒歩で帰宅されたり、中には泊まられた人もいたことを知りました。私事ですが、小生も実家の新潟に電話で見舞いの連絡をとろうとしましたが、当初電話回線が混線のため、通じませんでしたが、後で無事元気でいる様子を確かめることができました。

 甚大な被災に打ちひしがれる人たちの姿を見て、当地でも幾分でも何かできればと思い、会員の方に、これまでの米国ハリケーンカタリーナ、ハイチ地震、パキスタン水害などのもろもろの被災時と同じようにお祈りをしようと御知らせいたしました。

 まだまだ被災が拡大している様子が伝えられています。各地から救援の作業を行われる方が駆けつけておられ、また海外からも50カ国を越す国々から救援に向かわれることも聞き及びました。皆様の尊いご活動に深く感謝いたしますとともに救援の活動、復興が無事すみやかに運ばれることを心より祈るばかりです。

 日本の信徒の皆様と被災地域すべての皆様の安寧をお祈りを在カナダの誌友とさせていただきます。

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 谷口 雅宣 

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2011年3月11日

東北地方太平洋沖地震

 日本の観測史上最大といわれるM8・8の大地震が東北地方中心に起こり、最高7メートルもある大津波が列島の太平洋岸を襲った。まだ被害状況の詳細はわからないが、テレビ等で伝えられる揺れの大きさや津波のすさまじさから考えると、阪神淡路大震災なみの相当数の被災者と、甚大な被害が出ているものと思う。被害に遭われた大勢の方々に心からお見舞い申し上げるとともに、被災者の救助と救援活動に尽力されている政府各機関を初め関係者、ボランティアの皆々さまに、心から感謝申し上げます。また、海外からもたくさんのお見舞いのメッセージと祈りの念をいただいています。感動するとともに、“神の子”の同志との一体感を感じます。
 
 1回目の地震が起こった午後3時前、私は東京・原宿の本部会館にある執務室で原稿書きの最中だった。ゆらゆらと揺れが始まったときは「また地震だな~」と思ったが、揺れはすぐ止まるとたかをくくっていた。ところが揺れは収まるどころか次第に大きくなり、棚の上の本や置物が落ち始めたので、私は自分のデスクの下へもぐり込んだ。階下へ降りるのは手遅れだと思ったからだ。本部の建物は古くて、今の耐震基準を満たしていない。だから、もしかしたら崩壊するかもしれないと思った。その時、頭の中にあったのは、ニュージーランドのクライストチャーチ市を襲った地震で、日本人が多く学んでいた英語学校の建物のことだった。が、幸いなことに揺れはだんだん収束していった。
 
 午後3時から執務室で人と会う約束があったから、揺れが収まると隣室の秘書たちに頼んで、床に落ちた本や書類を片付けてもらった。そして、予定通り来訪したその人と面談を始めた。そうこうしている間に、2回目の揺れが来た。今度は明確な縦揺れだった。面談の相手と顔を見合わせ、「下へ降りたほうがいい」と合意した。そして、階段を伝って1階まで降り、隣接する東郷神社のピーターハウスの前で、揺れが収まるのを待った。そこには、同じように危険を感じて外を出た本部職員が何人もいて、その数はだんだん増えていった。
 
Eq11008  2回目の揺れが収まると、私は面談相手とともに再び執務室へもどり、そこで手短に用事をすませてからテレビを見た。いつも落ち着いた態度でニュースを報じているキャスターが、声を震わせていた。そこに映し出された映像は尋常でなかった。特に津波の大きさに舌を巻き、早く帰宅しようと決めた。残った仕事は家でもできるものばかりだったからだ。こうして帰宅できた私は、幸運だった。東京の鉄道は地下鉄を含めてすべて止まっていたから、多くの職員が長時間かけて、バスや徒歩を使って帰宅し、あるいは地下鉄などの運行再開を待って帰宅したのだろう。
 
Eq11009  自宅の被害はなかった。ただ、高い場所にあった多くの物が落ち、一部の花瓶やコップなどが壊れた。私が帰宅したとき、妻はそれらの片付けをほとんど終わっていたが、私の書斎では本が散乱していた。大きなもので壊れたのは、庭にあった石灯籠ぐらいである。また、ガスが止まっていた。が、これも夕食前には出るようになっていたので、食事も普通にいただけたのは本当にありがたかった。

 私は、7年前に新潟中越地震を長岡駅で経験しているので、揺れに対する恐怖はそれほどではなかった。あの時は、立っていられないほどの揺れで、駅の床に這いつくばって恐怖に耐えたのだった。それと比べて、「まだ大丈夫」という気持がずっとあった。しかし、今回の地震の激甚さはその比較ではないだろう。被災地の一刻も早い復興を心からお祈り申し上げます。
 
 谷口 雅宣
 

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2011年3月10日

自然を囲い込む

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 アメリカのSNS「フェイスブック」上に、私が英語の“ファン・ページ”を開設したとはすで に本欄に書いた。そのサイト上で最近、「Tokyo ambivalence」という写真シリーズを始め た。アンビバレンスとは、「相反(矛盾)する感情」とか「両面価値」などと訳されるが、私は東京で出会う様々な事象の中に、人間が自然に対して抱く相反する想いを感じ、それらを写真に定着したいと考えたのである。休日などに街を散歩していると、この主題に合うものが案外多いことに気づく。ほんの思いつきで始めたことだが、発表ずみの写真はすでに8枚になった。そのうち何枚かを、ここに紹介しよう。

 2009年にブラジルのサンパウロ市で行われた生長の家教修会で世 界の宗教がもつ自然観を学んだとき、仏教誕生の地である古代インドでは、「森」に代表される自然界は何か不気味で恐ろしいものとして捉えられ、これに対して「都市」には安全と平和があるとの考えが強かっ たとの発表があった。それによると、大乗仏教の『大般若経』には、未開の大自然の中に生活する菩薩は、昆虫による病気や、水不足、食料不足に苦しみ、その経験から人々に対する自他一体感を得ると説かれ、さらに、この菩薩の悟りによって出現する仏国土とは、「大都市近くの喜びの木のようであろう」と書かれてあるという。
 
Wheat  しかし、その反面、釈迦の前生物語の中には、彼が多くの動物にたいして慈悲を行じたことで、世界の人々を救う導師として生まれ変わることができたとの教えが書かれている。これは、「人間と動物の魂は互いに入れ替わる」という教えで、自然と人間との間に大きな垣根はない。また、中国へ渡った仏教は、中国人の自然観の影響を受けて、動物だけでなく、いわゆる“山川草木国土”のような非情(心をもたないもの)にも仏性が宿るという教義を獲得し、それが日本に伝わって、土着の山岳信仰や神道の自然観を吸収して、「自然そのものの中に救いがある」とする考え方に結びついたことを学んだのである。

Lacoste  つまり、最古の世界宗教である仏教の中に、自然に対するアンビバレンス(相反する感情)が内包されている。また、仏教だけでなく、ユダヤ教とキリスト教の聖典である『創世記』にも、自然界の事物に対する相互に矛盾する記述があることを、私は昨年7月の本欄(7月13日、同月16日)などで指摘してきた。だから、日本人だけでなく、人間一般の心の中には、自然界に対する忌避や恐れがあると同時に、憧憬や愛があると言えるだろう。それならば、都市空間に置かれた人間の製作物にも、このようなアンビバレンスを反映したものがあるに違いない、と私は考えたのである。
 
Inisdeout_3  そのような考えを脳裏に秘めて街を歩くと、目にする光景の中に、私の予想に合致するようなものが案外目につくのである。それは我々人間が、動物や植物などの自然界の事物を「好む」のであるが、全体を受け入れるのではなく、一部を「囲い込む」ことで自然を無害化して受け入れ、精神の安定を得る--そんなイメージを想起させる。言わば「盆栽」や「箱庭」のように自然を愛するのである。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月 6日

“無言の戒律”

 今日は東京第一教区での生長の家講習会が行われ、有楽町駅前の東京国際フォーラムをメイン会場として、明治神宮会館、大田区産業プラザの3会場に合計8,318人の受講者が集まってくださった。前回より受講者数は808人(8.8%)減ったが、午前中の出足は前回並みだったという。同教区では、運動の主力である白鳩会で、推進途中で役員交代があるなどのイレギュラーがあったものの、“熟年層”を含めた多くの幹部・信徒の皆さんが一丸となり、熱心な活動を展開してくださったことに、心から感謝申し上げます。
 
 今回の講習会で印象的だったのは、質問が用紙の数で「30枚」と多く出たことだ。そのうち半数以上の16枚を、10~40代の人が占めた。若者も含め、多くの受講者が講話の内容に興味を示してくださったことはありがたい。質問の内容は実に変化に富んでいて、きわめて初歩的なものから哲学的に高度な内容のものまであり、どれに答えるべきか困惑するほどだった。が、この質問数では、予定していた時間内に3分の1も答えられず、何か申しわけない気持が残った。

 さて、これらの中で、本欄の読者にも興味があると思われる内容のものがあったので、その1つをここに紹介しよう。それは、東京都世田谷区の36歳の主婦の方からの、次のようなものである--
 
「私は大学生の時、父から生長の家を知りました。今ではとてもありがたくて、心の支えのようなものとなっています。ですが、私は教えを知るまでずっと何の問題もなく(多少はありましたが、それも含めて)、とても幸せに暮らしていました。神想観や聖経を読むことの行を行わなければならないことを知ってしまって、それを行わなければ、すごく心苦しく思うことがあります。教えを知ってしまったばかりに、神想観や聖経をあげずに一日を終えると、やり残したような気持になってしまいます」。

 この主婦の人は、そういう自分の気持をどのように処理したらいいのか? という質問だと私は理解した。
 
 私は、この人の気持がある程度理解できる。というのは、私も生長の家の“二世”とか“三世”と言われる部類に属するからだ。そういう人は、多くの場合、祖父母や親の代からの“徳積み”のおかげで順調な人生を送ることが多く、練成会などで生長の家の仲間と知り合うと、そういう人と比べて「悩みがない」とか「体験がない」という本来感謝すべきことを、逆に“負い目”として感じる場合があるからである。深刻な悩みを通して生長の家の教えを知り、それを克服した際には、「救われた」と感じることが多いが、そういう体験をもたない人は、「すでに救われている」という自覚を得るのは比較的高度なことだから、「悩みがないことを悩む」という不思議な心境になることがある。そして、この悩みを解決しようと、自分をわざわざ困難な状況に追いやる場合もある。私は、そういう心境を必ずしも「間違い」とは思わない。しかし、その背後には、一種の「逃避」の機構が働いていることは自覚すべきである。
 
 宗教生活は、決して「安楽である」とは言えない。まれにそういう心境に達する人もいるが、高度の修行をへた少数の人である。普通の大多数の信仰者は、やはり自分の中から起こる“懈怠の心”や物質的欲求を抑えたり制御する必要があり、そのために多くの宗教では「戒律」を設けている。生長の家は、そういう戒律がきわめて少ない宗教の1つである。しかし、人間はどんな人でも、肉体維持や子孫繁栄のために動物と共通した“本能”を兼ね備えているから、信仰心よりもそちらを優先したいという気持が起こる可能性が常にある。ということは、逆に考えると、戒律の少ない宗教では「自己を律する」という“無言の戒律”が要求されているのである。そう考えていくと、生長の家でいう「三正行」(この中に神想観実修が含まれる)は、現代生活を犠牲にせずに実行可能で、自分で工夫する自由度の高い実践だから、実に現代人にふさわしい戒律である、と私は思うのだ。
 
 ところで、講習会では、私は上の質問に対して、「三正行は毎日必ず行わ“ねばならない”ことはない」と答えた。この意味は、忙しい現代生活では、そう義務づけることが実際は不合理な場合が起こり得るからである。例えば、海外旅行時に航空機の中で神想観を実修するのは、どんなものだろうか。2時間の通勤電車の中で聖経を読むことを要求するのは、どんなものか。受験勉強中の学生に「毎日愛行せよ」と言うのはいかがなものか。病気療養中の人はどうすべきか……など、いろいろ困難なケースがあるからである。だから、「毎日しなければならない」ということでなく、「できない日があってもいいが、その分、別の日に大いに努力しよう」という意味の答えをしたのだった。「“ねばならぬ”をなくすのが生長の家である」と言われることもある。しかし、それを口実にして「三正行はしてもしなくてもいい」と考えるのは、もちろん間違いである。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月 3日

人間の向上心

 2月25~26日の本欄に書いたことで、匿名希望の読者からやや長いコメントをいただいた。コメント欄で答えてもよかったが、同様の感想を抱いた読者が少なくないかもしれないと思い、ここできちんと不足部分を補うことにしよう。その時の私の論点は、「すでに知り、体験されたものだけが表現され得る」ということだった。デンマークを体験した者だけが、デンマークの良さを表現し得るのと同じように、「すでに神や法則を知り体験している者だけが、神を讃え、法則を発見し、あるいは人(自分)を超えようと努力する」という考えについて、この読者は次のようなコメント(一部抜粋)を付けてくれた--

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「神を知っているから神を表現しようとする」ということでしょうか。私は宗教を信じたいですので、この証明を肯定的にとらえたい気持があります。しかし、「本当にそうなのか?」という反論も考えてみたくなります。これは、私の信仰がまだまだ浅いためでしょう。
反論としては、小説家は自分の経験していないことを書けていることや、汚ないことを私たちが想像できることも、我々が汚ないということの証明になってしまう、などです。ただ、それでは、救われないと思い、自分を誤魔化すように、宗教に肯定的な意見を取り入れようとしてしまいます。これから、生長の家を胸を張って「信じている!」と言えるよう、信仰を深めてまいります。
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 私の説明で足りない点があったとしたら、その1つは恐らく「時間的経過」や「繰り返し」について強調しなかったことだろうか。私は人類史をとおして繰り返し、継続的に起こっていることを指摘したかったのだが、この読者は一人の個人の一時的、一回的な行為や考えについて述べているように見える。個人の心はもちろん、周囲のいろいろな状況に応じて揺れ動く。だから、ある人のことを悪く思ったり、逆に感謝したり、また汚いことを考えたり、美しいことに感動したりする。しかしそれらは、あくまでもその個人の現在意識の表層的な“揺らぎ”にすぎない。そのようなものが神や仏への信仰や、宗教の基礎となるものではないと私は考える。また、この時の私の論点のもう1つは、「表現」という言葉に表された人間の営みである。この点も、反論者は見逃しているように感じる。
 
 何かの考えや感想が心の表面(意識)にフッと浮かぶことと、それを文章や詩歌、絵画、その他の手段で表現することとは、人間の行為としては異質のものである。これは、詩や俳句、絵画や彫刻、音楽の世界を経験したことのある人なら、誰でも知っていることだ。花一輪を見て感動し、これを俳句に詠もうと思うことは簡単である。しかし、その時の自分の感動を一句の中に本当に表現することは、決して簡単でない。表現とは、主観的な感動が客観化され、句を読む人の心の中に伝わるところまでいかなければ、失敗である。我々の肉体を使った表現についても、同じことが言える。「100メートルを10秒台で走りたい」と思うことは、小学生にもできる。が、自分の体を使って実際にそれができるまでには、筋肉を作ることから始め、それこそ血の滲むのような訓練が必要である。「ピアノでストラビンスキーを弾きたい」と思うことは簡単だが、実際にそれを行うためには、努力の繰り返しと、一定の時間的経過が必要である。

 このような努力をしてもなお、やまない向上心や探求心が人間には歴史を通じて、どこの国の、どんな文化の、どんな民族にも見出されるという事実を踏まえて、私は「すでに神や法則を知り体験している者だけが、神を讃え、法則を発見し、あるいは人(自分)を超えようと努力する」と結論したのだった。
 
 谷口 雅宣

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2011年3月 1日

日時計主義をさらに広げよう

 今日は午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館ホールにおいて「立教82年生長の家春季記念日・生長の家総裁法燈継承記念式典」が行われた。最高気温が10℃に満たない寒い日だったが、近県の幹部信徒だけでなく、全国から本部褒賞受賞者の皆さんが大勢集まってくださったため、ホールはほぼ満席となり、熱気が溢れた式典となった。私は、受賞者への褒賞授与のほか大略、次のような内容のスピーチをした:
 
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 皆さん、今日は生長の家の立教記念式典に大勢お集まりくださり、ありがとうございます。
 よくご存じのように、今日の立教記念日は、昭和5年、生長の家創始者、谷口雅春先生と谷口輝子先生が月刊誌『生長の家』の創刊号を発行された、その日付から、私たちの運動の出発点として定められた日であります。厳密に言えば、『生長の家』誌創刊号ができ上がったのは前年の暮れなのですが、その記念すべき雑誌の奥付に「昭和5年3月1日」と印刷された。この先生のご意思を尊重して、今日の日を立教記念日としているわけです。
 
 さて、この創刊号については、これまでの立教記念日でたびたびお話ししてきました。特に、この雑誌において初めて「日時計主義」という言葉が使われたことを申し上げて、現在の私たちの運動が立教の精神に根ざしていることを強調してきました。この「日時計主義」を実際生活に表していく方法や手段も、現在では立教当時よりもはるかに充実してきています。例えば、『日時計日記』は平成19年以来、毎年発行されていますし、最近では、これをインターネット上で実践する「ポスティングジョイ」というサイトも充実してきました。先月の25日時点では、登録者数は 2,754人(日2,189, ポ516, 英49)となっています。さらに、日時計主義の精神を運動において展開するために「技能と芸術的感覚をいかした誌友会」という新しいタイプの誌友会も、全国各地で盛んになってきました。そして、その誌友会で制作された絵手紙や絵封筒が、毎月の普及誌や機関誌に掲載されたり、毎年開かれる生長の家の美術展「生光展」に数多く出品されるようになりました。
 
 私もこの日時計主義の拡大運動に貢献したいと考え、『日時計主義とは何か?』『太陽はいつも輝いている』という2冊の本、さらに『自然と芸術について』という小冊子を上梓させていただきました。また、ポスティングジョイのメンバーとなり、講習会の旅先から絵封筒を送ったり、そういう絵を卓上カレンダーの形で皆さんに利用していただいています。さらに、私のブログ上で時々、創作を発表したりしてきました。その創作だけを集めた本が、今日の日に合わせて生長の家から出版されましたので、ここで少し紹介させていただきたいと思います。
 
 この本は、『こんなところに……』という題の短編小説集です。短編小説集としては、『神を演じる人々』(2003年発行)に次いで2冊目です。前作の短編集は、倫理や宗教をともなわない科学技術の“独走”の危険を訴えたものです。そういう主題のものばかりを集めました。この2冊目の短編集は、とてもバラエティーに富んでいます。普通の短編小説もあれば、いわゆる「ショートショート」と呼ばれる数ページほどの短編もあります。また、戯曲に属するような会話だけの短編もあり、童話風の作品もあります。このように表現形式は多様ですが、私がここでやっているのは、「フィクションによって、生長の家の教えをどれだけ伝えられるか」という実験です。ここに収録されたすべての作品が皆、生長の家の教えを扱っているわけではありませんが、そういう作品が多いということです。
 
 中でも、「善と悪」の問題を取り扱っているものが多いと言えます。この問題は、哲学や宗教上の重大なテーマですが、それを論文形式で表現すると、きっと難しくて読んでくれる人はあまりいない。そこで、誰でも読めるような創作にすることによって、生長の家で「悪はない」と言っていることが、より多くの読者に理解されればいい、と考えたわけです。この善と悪との問題は、日時計主義とも密接に関係しています。日時計主義とは、人生の光明面を見て、それを本物だと捉え、悪は本来ないと考えるものの見方であり、生き方です。もし、悪が本当に存在するのであれば、それを無視して生きることは“人生逃避”の弱虫の生き方です。が、悪というものは一見、存在するように見えても、それは自分や社会の心の産物だと分かれば、そういう心や、ものの見方を変えることで悪は消える。これは人生逃避ではなく、“人生創造”の積極的な生き方になります。こういう生き方を、理論で理解するのではなく、小説を読者として体験することで理解してもらいたい、そんな願いを込めて書いた話がいくつもあります。

 そういう作品の中で、本では2番目にある『手紙』という短編について、少しお話ししましょう。
 これは、作家の阿刀田高(あとうだ・たかし)さんの『あの人をころして』という作品に触発されて書いたものです。この作品は、人間心理の深いところにある仕組みを見事に表現した優れた短編です。しかし、このタイトルから分かるように、「人を殺す」という暗い主題を扱っています。この作品では、夫婦と子供1人の普通の家族のところへ、差出人の分からない手紙が毎週届くようになり、そこには千円札1枚と「あの人をころしてください」と書いた便せんが入っているだけなのです。これが一家の主人宛に毎週届く。最初は無視していた主人も、しだいに無視できなくなり、妙な行動をするようになっていく……という話です。結末は言いませんが、日時計主義ではない。そこで私は、これと逆のことを『手紙』という作品の中でやっています。毎週、差出人不明の手紙が来るところは同じですが、そこに書いてあるのは「あの人をころして」ではなく「あの人を生かしてください」なのです。物語の結末も、阿刀田さんの作品とはずいぶん違います。詳しくは申し上げられませんが、本当はこの2つの作品を読み比べていただくと、日時計主義の意味と良さがよく分かるのです。
 
 私は、阿刀田さんや阿刀田さんの作品を批判しているのではありません。ものの見方を変えることによって人生は実際に変わっていくという「唯心所現」の事実を、阿刀田さんの作品も強力に訴えています。が、その方向が、どちらかというと人生の暗部に向かっている。私は、同じ方法で、人生を明るい方向に転換することができるということを描きたかった。まあ、こんな感じで、論理ではなく、描写によって日時計主義を感じさせようという作品が、この本の中にはいくつもあります。だから、生長の家を知らない人たちにもお勧めしていただけば、光明化運動の発展に寄与できるのではないかと期待するわけです。
 
 まあ、そんなことで、皆さんもそれぞれの得意な分野、好きな分野で工夫をされ、また互いに協力し合って、大いに日時計主義を表現し、光明生活を実践してください。これが、生長の家の立教の精神のさらなる展開であり、谷口雅春先生へのご恩返しにもなるのであります。それでは、これをもって立教記念日の所感といたします。
 ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣
 

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