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2011年3月24日

原子力発電について (3)

 私は17日の本欄で発表した「自然と人間の大調和を観ずる祈り」の中で「大地震は“神の怒り”にあらず、“観世音菩薩の教え”である」と書いたが、最近、この未曾有の大震災を体験して初めて学ぶ、貴重なレッスンが数多くあると感じる。この「貴重な」という言葉には、何万人もの人命が犠牲になったことへの無念の想いが込められていることを付言させてほしい。そのレッスンの1つが、現代生活と電力との関係だ。東京では、夜が早くなった。いわゆる“計画停電”と企業や商店などが行う節電によって、デパートや飲食店のディスプレイ用の照明が半減し、閉店時刻が早まったことによって、私たちは今、一時代前の生活にもどっているのである。私が小・中学生の頃は、夜は暗いのが当然だった。デパートや商店は午後6時頃には閉店し、週に1度は定休日があった。自動販売機は、普及開始が1950年代後半だから、街にはほとんどなく、深夜まで煌々と明るいコンビニ店は、もちろん存在しなかった。
 
 昨日の夜、日比谷まで足を延ばして「東京が静かだ」と思った。騒音が少ないだけでなく、人通りも少ない。ショウウィンドーの照明が消えている。地下鉄を使う人が少なく、ゆっくり座れる。エスカレーターは「上り」は動いているが「下り」は止まっている。地下街では広告の照明が消えていたり、間引かれている。飲食店では、料理の見本を並べた飾り棚の照明が消えている。普通、それを見ると「閉店だ」と思うが、中にはちゃんと客がいる。が、数が少ないから、店員はていねいに対応してくれる。夜は暗いし、人々は暗くなったら家へ帰って、家族で食事をする--かつては“当たり前”だったこの生活を、大震災が我々に体験させてくれているのだ。

 考えてみれば、これが「原発のない生活」なのである。原子力発電所は、1日24時間、週7日間、毎週、毎月、何年も停止せずに電気をつくり続ける。停止しないほうがコストが安いのだ。というわけで、原発を導入すれば夜間の電気の“垂れ流し”は必然となる。すると、“夜間電力”なる安価な電力の体系が生まれるから、夜間営業や、夜間工事、夜間照明が経済的メリットを生むようになる。人間は自然の一部であるが、発達した大脳によって自然の欲求や生理的傾向を抑圧し、左脳的な判断を優先させながら生きることができる。言語や数字の操作に長けている左脳にとって、経済的利益はとてもわかりやすく、魅力的である。これに対して、自然と密着した生理機構--体内時計やホルモン分泌のリズムなど--からの信号は、(右脳に伝わっても)左脳には伝わりにくい。だから、経済的利益の追求を“善”とする人たちは、どうしても自然的利益(生物学的利益)を犠牲にする方向へ走ることになる。
 
 医学の発達が、この方向への人々の動きを加速させた。人間は、右脳や生理機構からの信号を受け取ることができる。眠い、だるい、気分が優れない、疲れる、頭痛がする、肩がこる、眠れない、起きられない……理由が判然としなくても、生理機構は我々にこのような“警告”を伝えてくれるようにつくられているが、人間はそれを「薬をのむ」ことで黙らせる方法を開発した。何のためか? もちろんそれは経済的利益ーーつまり、左脳の欲求を優先させるためだ。こうして、現代人は薬を“友”のように信頼して、経済的利益の追求に猛進していったのだ。それはまるで、原発を“友”として成長した戦後の日本経済のように……。
 
 作家の小池真理子氏が今日(24日)の『日本経済新聞』に「言霊の祈り」と題して書いている。同氏は高校時代を仙台で過ごし、学生運動に若い血をたぎらせたそうだ。その仙台が、壊滅的被害を受けた。衝撃の中で、同氏は戦後をこう総括している--
 
「私たちはこれまで、凄まじく暴力的に前進し続けてきた。その繁栄と進化は頂点に達し、それでもなお、膨張は繰り返された。あげく、あちこちで歪(ひず)みが生じた。しかしなお、誰もそれをやめようとしなかった。津波はそうしたものすべてをのみこんで、去っていった」。

 私は、戦後の日本が“前進”し、“進化”したかどうかは知らない。しかし、ある一方向へ突き進んで“壁”に突き当たったことは確かだ。福島第一原子力発電所の破壊は、それを象徴している。もう同じ方向へ進むことはできない。小池氏は、“別の方向”を次のように描いている--
 
「私たちは生来のやさしさや愛、勇気など、人間の本質的な何かを取り戻さざるを得なくなっている。引きこもりや孤絶、無縁、といった言葉は今や、過去のものになった。人々は血縁地縁を超えて連帯し始めた。これが3月11日以前の日本と同じ国なのだろうか、とすら思う」。

 被災者のために、日本全国が支援の手を差し伸べている。期せずして、四無量心の実践が大々的に行われているのだ。私は、四無量心の4番目の「捨徳」こそ左脳偏重の都会生活への執着を断つことであり、それを象徴する原発との決別であると考える。
 
 谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣先生

 都会の24時間営業のコンビニとかレストランが原発によって成り立っていたとは知りませんでした。
 
 震災で亡くなった方、被害に遭われた方はもちろんお気の毒ですが今回の事を契機に日本が以前の日本と変わって来たのは有り難い事だと思います。これを契機に自然と共生する生き方に人類全体が覚醒する事を祈ります。

投稿: 堀 浩二 | 2011年3月24日 18:22

合掌ありがとうございます。このたびの、東北、関東大震災、未曾有の甚大な震災で、被災地で避難所生活を強いられている方々、関係者の皆様、支援の手が届かないところで寒さと餓えと不安の中におられる被災者の皆さま・・・連日のテレビの報道を見るたび、言葉もなく、ただただ、お見舞いを申し上げます。福島原発の影響で、野菜の出荷が制限され、農家の方々の苦悩を思いますと、胸が詰まります。私は、震災のその日、翌12日の講師試験の受験勉強を朝から教化部でしており、(東日本が地震と津波と火災で大惨事)と私の支部の会員さんからのメールで知らされました。17日には総裁先生が(自然と人間の大調和を観ずる祈り)をご発表くださり、(大地震は神の怒りにあらず、観世音菩薩の教えである)とご教示くださいました。総裁先生のお深いお深いお祈りのお言葉に、毎回涙を拭いながらお祈りさせていただいております。私事で申し訳ございませんが、持病の内服薬を製造している会社が被災し、今後のくすりのことも、どうなるかわからず、また、予定されていたアイソトープ(放射線治療)療法も見合わせましょう・・・と主治医に言われ、主治医も(総裁先生の書いておられる通りですね)と言われました。私を担当してくださっているお医者さまは、総裁先生のブログを読んでくださっていて、とても共鳴してくださっています。
こんなに素晴らしい谷口雅宣先生が総裁として、こうして私達に直接、ご教示くださるのです。とても有り難く、ただただ感謝です。生長の家の信徒でいることに誇りを感じます。これからも(四無量心)の(捨徳)を実践し、機縁ある方々に、御教えをお伝えいたします。
被災された方々の苦しみが除かれることを心よりお祈り申し上げます。再拝

投稿: 岡田さおり | 2011年3月24日 23:21

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