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2011年3月20日

原子力発電について (2)

 今回の福島での原子力発電所の事故を重く見た諸外国が、日本政府の発表を信じずに“パニック反応”にも似た慌てぶりを示したことに関連し、私は前回、「それほど恐ろしいものを人類は造ってきた」と書いた。これは、必ずしも感情的になって書いた言葉ではない。私たちが晴天下、春の日差しを浴びながら爽快にジョギングできるのは、実は“奇蹟的”といってもいいことなのだ。なぜなら、太陽からは地球に向かって常に大量の紫外線が出ているのに、私たちは少しも病気にならないからだ。読者は、その理由について思い出してほしい。
 
 この“奇蹟”の主な理由は、地球の周囲を大気がすっぽり覆っているからだった。その大気の組成は、窒素、酸素、オゾン、二酸化炭素、水蒸気などで、このうち約21%を占める酸素は、陸上の植物や海中の藻類や植物プランクトンが生み出している。そして、これに太陽の紫外線が作用すると、大気の外側にオゾン層が形成される。オゾンは波長200~300nmの紫外線をよく吸収するので、生体内のDNAを破壊する太陽の紫外線をカットする働きをもっている。つまり、植物の光合成は、動物に必要な酸素を生み出すばかりでなく、オゾンを生成することで地上の生物全体を守っているのである。

 太陽は、一種の“原子炉”である。ここでは核分裂ではなく、熱核融合反応が起こっている。その結果、生物に有害な紫外線が地球に届くのだが、これを生物全体が協力して大気とオゾン層を作ることで防いでいる。もちろん、太陽は生物に熱とエネルギーを与えることで、生物の繁栄を支援してきた。だから人類は、これらすべて--太陽、植物、動物、酸素、オゾン層--のおかげで生存してきたのだ。にもかかわらず、現代人は、人体に有害な放射線を出す“小型の太陽”を近くにわざわざ造って、これでエネルギー問題と安全保障問題を解決できるなどと考えている。
 
 “原子炉”は、太陽のように遠くに置き、生物全体で協力して有害光線をカットすることで、初めて生命の擁護者たりえたのだ。それなのに、大都市の近くに設置しても、周囲を鋼鉄の容器や頑丈な防護壁で固めれば安全だと考えてきたのが、おかしいのである。それに、日本にある多くの原子炉は、旧式であり、安全性が万全であるとは言えないのだ。
 
 東京電力福島第1原子力発電所で使われているタイプの原子炉は、その構造上の問題が1972年ごろから繰り返し指摘されてきたらしい。17日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙が伝えている。それによると、この型の原子炉は1960年代にアメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)によって開発されたもので、BWR(沸騰水型軽水炉)と呼ばれる。が、現在の世界の主流はPWR(加圧水型軽水炉)というタイプだそうだ。

 BWRは、冷却材(水)を原子炉内で沸騰させ、その水蒸気を直接タービンに送って発電する方式だ。この場合、冷却システムが故障した場合、原子炉中の燃料棒が熱しすぎるので、原子炉を包む圧力容器が破壊され、放射性物質が戸外へ漏れる危険性がある。だから、この圧力容器の強度が重要である。これに対してPWRは、蒸気タービンを回す蒸気は原子炉の圧力容器の外へ導かれて、別に設けた蒸気発生装置に送られ、そこで二次冷却剤を沸騰させる設計になっている。上記の記事によると、これらの設計上の違いにより、圧力容器の頑強度はPWRの方がBWRよりも高いとされている。

 GEは、1960年代にBWRを開発したとき、PWRよりも安価で、建設もしやすいことをセールスポイントにしたという。が、アメリカ政府当局内では、早くからこの型の原子炉の弱点が指摘されてきた。例えば、1972年には、アメリカ原子力委員会のスティーブン・ハノーア氏は、GEのBWRの圧力制御システムには「容認しがたい安全上の危険」があるとの見解を表明した。これに対し、ジョセフ・ヘンドリー氏は同じ年、この型の原子炉を禁止するという考えは「魅力的」であるが、この方式は、業界や政府当局にこれまであまりに広く受け入れられてきたので、「方針転換は、特にこの時期においては、原子力の利用に終止符を打つことになるだろう」と答えたという。ここにある「この時期」の意味は定かでないが、アメリカは1979年にスリーマイル島の原発事故を経験している。そして、アメリカでは今、16の原子力発電所の23基の原子炉がBWRだという。

 ところで、私はこの文章を書くのに今、平凡社の『世界大百科事典』(1988年刊)を開いているが、そこにある「原子炉安全」という項目には、次のような記述がある:
 
「施設の位置については、安全確保に支障のあるような自然的あるいは人工的事象--たとえば地震や津波、洪水や爆発性の製品を扱う工場の存在など--が過去にもこれからも発生しないことが第一に求められる」。

 地震国・日本の海岸線に原子力発電所がどれくらいあるかを考えると、戦後の原子力政策を推し進めてきた自民党政権と業界とに、百科事典にある“常識”が欠けていたことは認めねばなるまい。
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌 ありがとうございます。

総裁先生のご覧になられた百科事典でさえそんな[常識]が載っていたのですね。
確かに私も、柏崎や東海村の事故、また三陸の津波など、報道をみるにつけ、原発は大丈夫なのだろうかとか考えておりました。また、先週の地震直後、教化部職員と原発は大丈夫だろうかと心配しておりました。

そもそも、「原発は安全という神話」?は、他に比べ安価だから原子力に頼ってきたからではないかと聞きます。それはまるで、エアコンや冷蔵庫の冷媒のためフロンを安易に用いたことにも通じる安直さと通じるかもしれません。

原発もフロンと同様と考えて妥当かはわかりませんが、安価で容易な手段を見直し、いまこそ未来を見据えた自然との調和を目指した政策を示してもらいたいです。具体的には、太陽光発電を普及させる以外にないと思います。

それが政府民主党のかかげたCO2を25%削除することにつながる~と素人ながら考えました。

投稿: 青木 繁和 | 2011年3月21日 19:40

私は今回の原発の被災は、人間が“神”を冒涜した行為の報いだと思っています。
日本には昔から八百万の神がおられ自然界を含むすべてのものから多くの恵みを戴いて生きていたはずです。
たとえば、野の雑草からも、強くたくましく生きることを教わっているし、野菜などからは、美味しく体に良い成分を含んでいるものを充分に戴いています。
自然と調和・共生することによって多くの恵みを戴いていることを、今回の原発の問題で再度、教えられ考え直す時が来たのではとおもっています。
確かに、便利で豊かな生活を与えてくれる高度技術は現在では必要かもしれません。
しかし、それらの高度技術を選択して使うのは人々だと思うのです。
大切なことは“心の豊かさ”“心が安息できる”事こそが大事だと思っています。
太陽の恵み・生命の根幹である水・美味しい食べ物を作ってくれる土等など人間にとってありがたいものばかりを生成してくれる。
今回の原発の問題は人間に考え直す啓示を与えてくれたのではないでしょうか。
幸い、私の住んでいるところは田舎ですが、そのような思いを満たしてくれるものが沢山あり、心豊かな安息の日々を送らせていただいております。

現在の岩手に住んである10万人以上の人々が避難生活を余儀なくされている様子がテレビで映しだされるのを見て、心が痛むばかりです。
今日は救援物資を市役所に届けましたが“貧者の一灯”で、たいしたお役には立てないかも知れませんが、今後も、何らかの形で少しでも、お役に立てる方法を考えてまいります。
ありがとうございます・・・合掌

投稿: 渡部 博喜 | 2011年3月22日 00:10

日経の電子版で、与謝野経財相が原発政策見直しに慎重姿勢を見せていると報道されていました。
 ↓
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819481E0E0E2E29A8DE0E0E2E1E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

ご著書『“森の中”へ行く』141-147頁では、太陽光が86,000TWもあるとお示しいただいていますが、与謝野氏はそんなことも知らないのでしょうか? そうと思うと、非常に情けないです。

山中優 拝

投稿: 山中優 | 2011年3月22日 10:53

合掌ありがとうございます。

今回の地震で、原発の危険性が全世界に響き渡り、自分は原発に対していかに無知であったかを反省しています。特に70年代、80年代には、保守=原発推進 左派・左翼系=原発反対 という2色地図が刷り上がっていて、保守系の思想の人は、特に科学的な検証もせずに原発を(間接的に)推進してきた様に思えます。一方、左派も「保守に反対する」というアジェンダだけが先立ち、原発に代わる実用的な案を出さぬまま、補償問題を主題に持っていき、お金で解決してきたのではないかと思います。 

今回の事件をきっかけに、原発問題は、政治係争ではなく、科学的係争として、客観的に判断すべき事だと深く感じました。 保守派のひとりとして、大変責任を感じました。

投稿: 西村五百子 | 2011年3月22日 12:25

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