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2011年2月26日

ある日、デンマークを超えて (2)

 私は本欄で、これまで何回も「神話」について書いてきた。最近では、日本の「天照大御神」の神話について書いたが、それだけでなく、『創世記』の神話や神武天皇の建国神話、レヴィ=ストロースや中沢新一氏の神話学の一部も紹介した。神話とは、ほとんどすべての民族の内部で、太古の昔から語り継がれてきた神に関する物語である。多くの場合、それらの神々の行動は、天地の始まりや、国・民族・物事の起源の説明、あるいは人間の行動原理を表現している。そして、これらの神話は、宗教や信仰と深く関わっているため、現代人の生活とも大いに関係している。

 つまり、簡単に言うと、人間はいつの時代にも「神」の観念から逃れられない。人格的な「神」を否定する唯物論者でさえ、「法則」や「原理」のような不可視の偉大な力を認め、その発見や賞賛のためには努力を惜しまない。そのような「神」や「法則」や「原理」が支配する領域では、安定や調和、平和が実現すると考えてきた。そして、それを絵画や音楽、詩歌、建築物などを通して表現し、表現物は人々の賞賛を受けてきたのだ。そういう「人を超えた不可視の存在」がなぜ人間に理解され、表現され得るのか? この疑問に、その時の妻の言動が雄弁に答えているような気がしたのだ。
 
「すでに知り、体験されたものだけが表現され得る」--それが答えだと思った。デンマークを体験した者だけが、デンマークの良さを表現し得る。それと同じように、すでに神や法則を知り体験している者だけが、神を讃え、法則を発見し、あるいは人(自分)を超えようと努力するのである。

 そもそも我々人間が「自分を超えよう」と努力することは一見、不合理でありながら、最も真実なことではないか? 私はかつてオリンピック選手についてこの努力を取り上げ、次のように本欄に書いた。が、同じことは、芸術家や実業家、学者、技術者、農業者……にも言えるのだ--
 
「なぜ人間は、あのように“上へ、上へ”と自分を駆り立てるのか? 他人より1秒速く走れたとて、1メートル遠くへ飛べたとて、半回転よけいに体が回ったとて、その人の生存が他人より有利になるわけではない。少なくとも、そうしなければ生きられないわけではない。にもかかわらず、そういう“完全”に近づくために、人々は大きな犠牲を払い、莫大なエネルギーを費やす。それを世界中の人々が見て、興奮し、共感し、感動する。これは、人間が内部の完全性を表現しようとしている姿ではないか」。

 内部ですでに“体験”していることを、人間は努力しつつ表現する。それが本当ならば、宗教や信仰の存在そのものが、人間の本質が神性・仏性であることを証明しているのだ。
 
 --こんな想いが脳裏からこぼれ落ちてしまわないように、私はこの晩、注意深く妻のエスコートを続けていた。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○谷口雅宣著『小閑雑感 Part 3』(世界聖典普及協会、2003年)

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2011年2月25日

ある日、デンマークを超えて

Nighttree  水曜日は、我々夫婦にとって“ウィークエンド”に当たる。前回のウィークエンドは、代官山でゆっくり過ごした。そこに中庭から立派なケヤキが聳えるヨーロッパ風のレストランがあり、「一度夕食を一緒に……」などと話していたのだった。道路側が軽食レストラン、ケヤキを挟んだ奥の方が高級レストランになっている。後者は、1万円以上のディナーしかないので我々の性分に合わない。で、手前の道路側の店の窓際に席を取って、ゆっくり食事をした。そして食後には、その立派なケヤキの写真を撮った後に、周辺を散歩した。

 沿道の建物の何軒か先に、デンマーク大使館がある。「Royal Denmark Embassy」という文字を読まなければ、そこが大使館だと気づかないほど、ものものしくなく、明るい色の普通の建物である。
 
 その前を通ったとき、妻がこう言った。

「ああ、デンマークに行きたい!」

 私は、そんな気持にはならなかった。デンマークがどんなところだか、よく知らないからだ。もちろん“情報”としての知識はある程度ある。その国が北欧の一国であり、北海をはさんでノルウェーやフィンランドと向かい合っている……という地理は頭に上ってくる。また、「ダニッシュ・ペーストリー」という艶やかな菓子パン、そして有名な海辺の人魚像……それくらいは知っているが、しかし「ああ、行きたい」とは思わなかった。

 ところが妻は、そう行った後に、
「チボリ庭園」
「ディアガルテン」
「オーデンセ」
「ダンスク」
「トラファルゲ」
「……」
 などと、私の知らない横文字を連発するのである。

 彼女が「ああ、行きたい」と思うのは、もちろん彼女がデンマークに行ったことがあるからだ。航空会社の客室乗務員だったから、何も不思議な気持ではない。それに彼女は料理好きで、食器にも造詣が深い。かの国には「ロイヤル・コペンハーゲン」という高級食器のブランドがあり、それを現地調達していたほどだ。聞いてみると、約10年の仕事の中で5~6回当地に滞在しているという。だから、彼女の「行きたい」という思いは、私がもし「行きたい」と思ったとしても、それとは全く質が違うのだ。いろいろな体験をした思い出がまだ生き生きと残っているから、彼女はそう言うのである。
 
 私はその時、この2人の違いから得た、まったく別のことを考えていた。それは、人間が古くからもつ不思議な性向についてである。

 谷口 雅宣

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2011年2月24日

アラブ諸国が揺れている (3)

 前回(2月1日)、この題で書いてから3週間で、チュニジアに始まった“ジャスミン革命”はエジプトの政権を倒し、バーレーンに政変を起こし、その隣国・リビアを2分させている。エジプトとは対照的にリビアでは、長期独裁を続けてきたカダフィ大佐が「最期まで戦う」と宣言し、自国民を空爆するなどの暴挙に出ているため、犠牲者増大が止まらないという悲惨な状態が続いている。旧宗主国・イタリアの外相によると、リビアでのこれまでの死者は「約1千人」に上るらしい。このカダフィ氏の暴挙には、政権中枢の人々もさすがに嫌気がさし、一部の将校や軍の離反、海外駐在外交官の辞任表明があり、欧米諸国は自国民を避難させるために軍用機を派遣するなど、“内戦状態”と呼べる情勢だ。

 これに伴って、石油価格の上昇が顕著である。これは前回の予想通りだ。特にリビアは、石油の埋蔵量が「世界8位」と言われているため、この地の混乱が長期化するとの予想から、原油高騰が続いている。日本への影響について、24日付の『日本経済新聞』は「政情不安がリビア以外の産油国にも拡大すると、原油輸入の9割を中東に頼る日本の調達に支障が出る恐れもあり、政府・日銀は国内景気への影響に警戒を強めている」として、アラブや北アフリカの“革命の連鎖”に懸念を示している。同紙によると、欧州市場の北海ブレント原油は1月末、2年4カ月ぶりに1バレル100ドル台に乗せ、2月23日には110ドル台に上昇した。また、ニューヨーク市場のWTIも、この日、1バレル98ドル台になった。さらに、中東産ドバイ原油は24日午前、東京スポット市場の4月渡しで109ドルになったという。

 この中東の“民主革命”に関連して、アメリカが外交政策を転換する可能性について本欄(2月14日)に書いた。革命後の新政権の行方を、あくまでもアラブ諸国の自己決定に委ねるとすれば既定方針(イラクやアフガニスタンからの撤退)通りであろうが、新政権へ影響力を行使する態度を表明すれば、方針転換の可能性が生まれる。この微妙な問題に、1つ答えが出たようだ。それは、オバマ大統領が23日、対リビア制裁のために「あらゆる選択肢」を検討するよう関係省庁に指示したことを明らかにしたからだ。この際、同大統領はカダフィ氏の行動について「言語道断(outrageous)で容認できない(unacceptable)」と強く非難した。これは事実上、リビアの反政府勢力への支持表明である。支持した後に撤退することは難しい。次の動きは、バーレーンの米軍基地の増強になるのだろうか。
 
 ところで、こんな時に歩を合わせたように、22日、ニュージーランドの南島で大地震が起こり、クライストチャーチ市などで多くの建物が損壊・崩壊した。日本人の語学留学生を含む多くの人々が犠牲になったことは、誠に残念であり胸が痛む。関係者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。
 
 谷口 雅宣

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2011年2月22日

“鯨肉食”はやめる時期

 前回の本欄で日本の“調査捕鯨”なるものについて触れたが、19日の『朝日新聞』が最近の動向についてまとめている。それによると、今季の日本の調査捕鯨は打ち切られることが18日に決まったそうだ。また、「来季以降の見通しも不透明で、80年近い歴史を持つ南極海での捕鯨が岐路に立たされている」という。理由は、①海外からの批判が大きい、②国内消費が減り続けている、③国内在庫が余っている、④近海捕鯨への方針転換、らしい。私は最後の理由が気になるが、今回の中止決定は歓迎する。日本がそれだけ“殺生”の悪業を積むことが減り、CO2削減にも貢献し、在庫管理のコストも減るからだ。
 
Whalecatchesjapan  上の『朝日』の記事によると、日本が南極海まで行って捕鯨をするようになったのは1934年からで、88年までは“商業捕鯨”をしていたという。ところが、捕鯨反対の声が海外で高まってきたため、88年でそれを打ち切り、代わりに「商業捕鯨をするのに十分な鯨が生息しているというデータを得るため」という理由で、調査捕鯨を始めたらしい。何かスゴイ理屈に聞こえるが、まあ、国内の捕鯨関係者を擁護するというのが本当の理由だろう。しかし、ここに掲げたグラフにあるように、鯨肉の国内市場への供給量は1965年以降、急激に減っている。水産庁の統計では、国内消費のピークは1962年で、約40万トンが消費されていたのに対し、近年はその100分の1に当たる4千トン程度なのだ。また、在庫量は経済低迷の影響もあって、昨年12月末の時点で約5千トン。つまり、年間消費量より多い。それならば、需要と供給の関係から、鯨肉の価格が下がってもいいはずなのに、私が調べたように、地元でさえ牛肉並みの値段で売られている。
 
 人気がないのなら、南極まで行って捕獲する必要はないと思うのだが、そこのところは“補助金行政”のおかげなのだろうか、何とも理由(わけ)が分からないのである。記事によると、調査捕鯨で捕獲された鯨肉は、“副産物”という名目で国内市場に出される。そして、その売り上げが次の年の調査捕鯨の経費に充てられるという。そうなると、鯨肉が“値崩れ”すると次期の捕鯨の経費が出ないことになりかねない。そんな配慮が働いて、市場への供給量を減らすのだろうか……。
 
 ところで、水産庁は南極海捕鯨をやめて近海捕鯨を“商業的”にやる方針のようだが、これは再考されたい。理由は、主として2つある--①高等哺乳動物の殺生、②汚染鯨肉の増加。最初の理由は、肉食関連の話の中で本欄で何度も書いたから省く。2番目の理由は、案外知られていない。映画『ザ・コーヴ』を見た読者はご存じだろうが、この映画の主張の1つが、水銀汚染の問題なのである。汚染化学物質は、食物連鎖のピラミッドを下から上の方向へと、濃縮されながら上がっていく--これが原則だ。だから、海洋に棲む大型魚類は、小型の魚よりも化学部質を体内に高濃度に蓄積することになる。しかし、南極海の調査捕鯨の対象であるミンククジラは、ヒゲクジラ類に属していて、小魚ではなくオキアミなどを主な餌としている。これに対して、日本近海にくるマゴンドウなどはハクジラ類に属していて小魚を食べる。ということは、近海物の鯨肉の方が南極海のものよりも汚染濃度が高い可能性が大きいのである。
 
 環境化学研究者の小野塚春吉氏は、『ザ・コーヴ』のパンフレットの中で次のように書いている--
 
「1973年、厚生省(当時)は行政上の指導指針として“総水銀0.4ppm、メチル水銀0.3ppm”の暫定的規制値を定めた。しかし、この暫定的規制値は“魚介類について設定されたもの”であるため、クジラ・イルカには適用されていない。“クジラ類は魚介類、魚類ではない”との解釈からであろう。そのため、暫定的規制値を超えるものが、何ら規制されることなく市場流通している」。

 もしこれが本当ならば、鯨肉を学校給食に出すなどという発想は、恐ろしく無責任である。とにかく、“伝統文化”の旗印があれば何をやってもいいという考えは、改めるべきなのだ。
 
 谷口 雅宣

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2011年2月20日

和歌山でも講習会大成功

 今日は和歌山教区での生長の家講習会だった。同教区では今回、和歌山市内の「和歌山ビッグホエール」に加えて、新宮市の「新宮市民会館」にも会場を設けて、初めての2会場開催となった。これによって教区全体の推進活動が盛り上がり、前回を6.6%(255人)上回る4,111人の受講者が集まってくださった。熱意をもって推進してくださった同教区の幹部・信徒の皆さんに心から感謝申し上げます。
 
 講習会当日の昼休みに私たちは控室で休憩するが、今日はその部屋に絵手紙が飾ってあった。教区の五者のメンバーが自ら筆を執って描いた作品である。それぞれに個性が表現されていて興味深く拝見した。今日、これら5人の幹部の皆さんとは昼食も共にしたが、その時に感じた個性とはまた別の側面が、絵手紙の中には出ているから不思議だ。絵を描くという行為は、「自己表現」と同時に「自己開示」を伴うものだと思った。こういう歓迎をしていただくと、こちらも胸襟を開いた交流をしたくなるものである。
 
 そんなことで、講習会後の幹部会でも活発な発表や発言があり、充実した時間がもてた。その中で印象に残ったのは、ある幹部の人から、今回のような衛星通信の技術やインターネットを利用した伝道には、限界があるのではないかとの質問だった。私は、その通りだと答えた。宗教の世界では“心の触れ合い”が基本であり、それを補う手段として通信手段を使った映像や音声のやりとりがあると思う。この主従の関係を逆転させると、前回の本欄で書いたような“ニセ情報の伝達”となる危険性が大きい。だから、生身の人間同士が交流し、対面する講習会や研修会、練成会、個人指導のような場は、“炭素ゼロ”を目指した今後の運動の中でも欠かせないものである。
 
Whalemeat  ところで、去年の8月16日の本欄で、和歌山県太地町のイルカ漁を扱った映画『ザ・コーヴ』について書いた。私は当地の食生活の中で、クジラやイルカがどのような位置を占めるかよく知らなかったので会食の時に聞いてみると、一種の“高級食材”だとの答えだった。それで、腑に落ちるものがあった。というのは、前日の夕方にJR和歌山駅前デパートの食品売り場で、何種類ものクジラの肉が売られているのを見たからだ。それには「100グラム1000円」という値札がついていて、案外高価だと感じた。この値段のもののWhalebacon ラベルをよく見てみると「ミンククジラ 南極海域産」「鯨ベーコン 南極海域産」の2種類で、それとは別の「ナガスクジラ アイスランド産」というのは100グラムが「283円」と安価なのに驚いた。「南極海域産」というのは、恐らく今問題になっている“調査捕鯨”によって獲られたクジラだ。アイスランドから来る輸入物の4倍以上の値段だから、高級食材には違いない。が、どれだけの人がそれを買うのか疑問に思う。

 クジラやイルカは高等哺乳動物であり、かつ海洋の食物連鎖の頂点にいる。だから色々な意味で、ウシやブタと同様に食材とすることはやめた方がいいのである。
 
 谷口 雅宣

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2011年2月19日

都会に本当の情報はない (2)

 『秘境』のヒロインであるサヨのことを、私はこう書いた--

「年齢は15~16歳。太い眉の下につぶらな瞳が輝く一見、ごく普通の少女。だが服装は、昭和初期を描いた歴史教科書から抜け出てきたように、色あせ、すり切れた着物に身を包み、足には草履(ぞうり)をはいている。彼女はテレビを知らず、ケータイを知らず、マンガも読んだことがなく、読み書きもできない。

 その代わり、少女は自然を知っていた。太陽の位置や鳥の飛び方で時間を知り、雲の流れや虫の動きで天候を予想する。森の落ち葉の上に残された糞を見ればその動物が分かり、鳴き声で鳥を言い当て、足跡をつたってウサギの巣を見つけた。実のなる木や草の場所を正確に覚え、食べられる草、毒草の別も知っていた。池の中で湧き水が出る位置を記憶し、周囲に集まる魚をヤスでしとめる敏捷さがあった」。(pp. 39-40)
 
 こういう知識は、実際の体験と相まって、山地に住むひと昔前の日本人の多くにとっては“当たり前”のものだったはずだ。森の中では労働の負担は大きく、危険と隣り合わせで生活しなければならない。が、その代わり、人間は頭脳的知識と五感とを総動員して自然と接触した。そうしなければ、生きていけないからだ。ところが、都市と農村の分業が行われるとともに経済発展が進み、都市生活者はしだいに自然との接触を失う反面、様々な地域から、豊かな農海産物を簡単に得る機会がふえた。そして今、私たちは黒海のキャビアやアマゾンの果物をスーパーマーケットへ行けば買える環境にいる。
 
 こうして先進国の都市生活者にとって、「自然」は絵画のように抽象的な存在になった。それは、スーパーやデパートのガラスのショウケースに入った、無害、無菌で極彩色のパプリカであり、バナナであり、トマトであり、パイナップルの切り身であり、ショルダー・ベーコンであり、握り寿司である。酒類や清涼飲料は、中身ではなく、容器やパッケージの美しさや奇抜さで選ばれる。品物のそのものの価値よりは、それをどんな有名人が使っていて、どんなイメージが付着していて、それを持つことで自分がどれほどステキに見えるかなどで、売れ行きが左右される。確かに都会では、そういう情報を速く、豊富に、安価に入手することができる。が、人間にとって、そんなものが本当に必要な情報なのだろうか?
 
 昨日の稲本氏の講演の中で、ハッとするような言葉があった。それは、テレビやインターネットを通じて得る情報の、基本的欠陥についてのものだ。同氏は、「都会で得られる情報は本当ではない」というのである。これには色々の意味があるが、その1つは、都会では情報をどうやって得るかを考えると分かりやすい。それは、マスメディアとインターネットだろう。メディアにはテレビ、新聞、雑誌がある。稲本氏によると、これらが伝える情報のほとんどは視覚情報と言語情報だ。また、これに聴覚情報が加わることがあるが、あまり多くない。これらは、人間が通常得る「五感」の中の1つか、2つに過ぎない。その他の嗅覚や、触覚、運動感覚の情報は欠落している。欠落しているにもかかわらず、我々はメディアが伝える情報を“本物”だと信じる傾向がある。そして、そういう判断のもとに行動するのである。

 このことの意味を今回は詳しく示すことはできないが、単純に考えても、ニセ情報にもとづく判断や行動は間違うことが多いことは分かるだろう。例えば、目と耳だけからしか情報を得られなくなり、触覚や運動感覚が麻痺した場合、日常生活は破綻することが多い。そういう神経系の病気の人が実際にいて、そういう人たちは障害になった当初は、簡単に自分の体を傷つけてしまうのだ。例えば、簡単にドアに指をつめたり、刃物の扱いを間違ったり、熱湯を飲んだり、逆に寒冷地では凍傷になる。我々は近年、そんな不完全な認識、間違った判断にもとづいて自然とつき合ってきたのではないか……そう考えてみると、今の「都会生活」と「自然との共存」は両立が難しいことが分かるのである。
 
 谷口 雅宣

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2011年2月18日

都会に本当の情報はない

 今日は午後から東京・原宿の生長の家本部会館ホールで、オークヴィレッジ代表の稲本正氏の講演があった。生長の家の役職員が地球環境問題などを学ぶ「環境教育研修会」に、稲本氏を講師としてお願いしたのだ。巧みな話術と博学な知識、気取らないユーモア、豊富な体験談……2時間の講演が少しも長く感じられない充実した時がもてた。その稲本氏の講演で最も印象に残ったのが、「都会に本当の情報はない」という話だった。これは一見、ウソのように感じられるが、よくよく考えてみると、我々の錯覚を実に端的に指摘した真理である。我々は、都会にこそ大切な情報があると考えがちだが、その「大切」という意味をよく考えずに使っている。そして、考えれば考えるほど、その「大切」の意味は分からなくなるはずだ。
 
 長く、複雑な要素が交じった稲本氏の話をあえてひと言で凝縮すれば、「人間は森なくして生きられない」ということだ。人間だけでなく、動物はみな森があって生きているのだが、特に人間は森から離れた生活が長すぎるため、この基本的な事実を忘れている。そして、それ以外の、生存にとっては枝葉末節的な知識--人間界の出来事の細部などを“大切な情報”だと思っているのだ。森の大切さの詳しい説明は、稲本氏の著書を読めばよく分かる。が、ここでごく基本的で重要なことを挙げれば、我々は呼吸しなければ生きられないということ。酸素がないと生きられないということだ。その酸素を製造するのが「森」で、このほかに地球上に“酸素製造装置”はない。酸素の次に人間に必要なのは「水」であり、人の飲料水のほとんどを「森」が製造し、保管している。また、人間は食物を摂取しなければ生きられないが、この食物の基本も「森」だ。
 
 我々の「食物と森」の関係は、ときどき「食物連鎖」という言葉で表現される。つまり、植物が水と太陽光から光合成で炭素を作って蓄え、これを動物が体内に摂取して生存し、人間はこの植物と動物を摂取して生きながらえる、ということだ。ときどき生命の根源は「海」だと言われることがあるが、これは間違いではないが、人間にとっては「森」の方が、より生存に密着している。なぜなら、人間は水生動物ではないからだ。また、海の生物の多くは、川を通って森から流れてくる栄養素や微生物の恩恵を得ている。だから、森が減れば海中の生物も減少する。ということは、人間にとって本当に大切な情報とは、「森に関する」情報なのである。

 では、我々はどれだけ多く「森」について知ってるだろうか? 日本の森に今生えている木は何であり、どんな外観をし、どんな葉をもち、どんな性質があり、どんな用途があり、どんな花を咲かせ、どんな動物を養い、どんな宿木や下草を生やし、どんなキノコと共生するのか。また、そういう木の生える森は、時間の経過とともにどんな植生に変化するのか……これらの情報を、頭の中の知識としてだけでなく、目で見て、鼻で匂って、手で触れて、口で味わって体験しているかどうか……と聞かれると、私にはまったく自信がない。恐らく多くの読者も、同じ感想ではないだろうか。そんな知識は中学・高校の教科書で読んだぐらいで、役に立たない知識だと思い、テストである程度の点が取れたら、その後は忘れてしまう。こうして我々は、森を忘れて都会に出て、都会での便利な、そして恐ろしくムダの多い生活に慣れ親しんでいるうちに、自分たちの都会生活によって世界中の森がどんどん減少していくことに、何の痛みも感じなくなってしまった。
 
 もちろん稲本氏はそこまでは言っていない。が、私はそう思う。この都市化の流れと消費生活の問題について、私はかつて小説『秘境』(2006年刊)を書きながら鮮明に感じていた。この小説では、都市化や消費生活だけでなく、現代文明そのものを知らない一人の少女を登場させることで、彼女の生活と、我々の都会生活とのどちらに価値があるかを問いかけたものだ。稲本氏の講演を聴いて、私はそのことを懐かしく思い出しながら帰宅したのだった。
 
 谷口 雅宣

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2011年2月16日

短編小説集『こんなところに……』について

Konnatokoro  私は本欄などで時々、短い創作物を発表してきたが、それらを集めた単行本『こんなところに……』(=写真)が3月の立教記念日に際して生長の家から発刊される。私の短編小説集としては、『神を演じる人々』(2003年発行)についで2冊目となる。全体が4部に分かれていて、収録作品は25編ある。『神を演じる人々』は、科学技術と生命倫理の問題をテーマにしぼった作品17編からなるが、今度の短編集は、「多様なテーマと形式」が特徴と言っていいだろう。普通の短編小説もあれば、ショートショートと呼ばれる極短編作品、名作のパロディー、童話……などだ。4部構成はそれぞれ、第1部「こんなところに……」、第2部「ショートショートでひと休み」、第3部「対話編」、第4部「最後は童話風に……」という題名で、これらの題名を読めば中身が推測できるはずだ。
 
 本全体と第1部の題名が共通して「こんなところに……」となっているが、これは本書の冒頭に収めた短編作品の題名でもある。奇妙な題名をつけた理由は、その作品を読んでもらえば分かるが、それとは別に、本書全体のタイトルにもこれを使った理由がある。それは、私がこれらの短編作品の発想するときの気持を表しているからだ。発想は、予期せずに、思いがけない所で浮かんでくる。いや、「降りてくる」と言ってもいいかもしれない。例えばこの冒頭の作品の発想は、私の仕事場である生長の家本部会館に隣接した東郷神社の境内で得た。いきなり1巻のストーリーが降りたのではなく、記憶に残るいくつもの別々の映画のシーンが、それぞれ断片的で無関係であったものが、いきなり1つの物語にまとまる--そんな感じである。ごく普通の日常生活の場面にドラマが隠れている。それを見つけたときの「こんなところに!」という驚きを表現したかった。
 
 そういう意味で、本書に収録された作品の多くには、私の日常生活の場面や体験が適度にブレンドされている。幼いころや若いころの体験、妻とのやりとりが変形して織り込まれているものもある。また、9・11の同時多発テロなど、世界的大事件の衝撃をどう受け止めるか苦悶しながら書いた作品もある。人生に起こる出来事には、宗教の教義から説明しようとすると「紋切り型」で、「味気」がなかったり、「冷たい」分析になったりで、共感力や説得力が失われるものが少なくない。そんな場合、主人公への感情移入を必要とする小説や戯曲のような表現形式の方が、より深い共感をよぶことがある。本書に収められた作品が、そういう効果を生んでくれれば、作者として喜びこれに勝るものはない。
 
 谷口 雅宣
 
 

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2011年2月14日

アメリカ外交は転換するか?

 チュニジアに続きエジプトでも独裁的な長期政権が倒れたことで、アメリカの外交政策に変化が生じる可能性が出てきた。これは、現在のオバマ大統領の登場に、前任者のブッシュ氏の“失政”--とりわけ外交政策の失敗--が深く関わっていることによる。つまり、9・11に遭遇したブッシュ氏は、“テロとの戦争”の旗を掲げてアフガニスタンに続き、イラクの政権を武力で打倒したが、テロは一向に収まらず、ヨーロッパやインドなどに拡大した。イラク戦争は、フセイン政権が ①テロリストを国内にかくまい、②大量破壊兵器を所持しているとの前提により、“ブッシュ・ドクトリン”と呼ばれた先制攻撃論を採用して行われた。だが、後の調査により、この2つの前提のいずれも存在しなかったことが分かった。するとブッシュ氏は、大統領2期目の就任演説で、2つの前提は間違いだったかもしれないが、アフガニスタンとイラクで旧政権が倒れたことは、アメリカが“圧政”(tyrany)を倒したのだから、中東の民主化が推進され、両国の国民にとっても、アメリカにとってもよいことだと述べたのだ。そして、イラクとアフガニスタンに民主主義を導入することを次の目標に掲げた。この論理に「ノー」と答える国民が多かったことが、オバマ氏の登場の要因の1つとなった。
 
 だから、オバマ政権の外交政策は、できるだけ早期に2つの戦争をやめて中東から軍隊を引き揚げることとなった。また、ブッシュ政権の“唯我独尊”的な外交ではなく、ヨーロッパや中東の友好国、さらにはイランなどの旧敵国とも話し合いをしながら合意点を探る方向を目指してきた。ということは、短期的にはアラブ諸国の現状を追認することだから、その強権的政府ともうまくやっていかねばならない。こうしてアメリカは、エジプトにもチュニジアにも多額の支援を続けてきたのである。もちろんオバマ氏は、民主主義の良さを讃えてきた。が、それを世界に広めることを自分の政策課題として掲げなかった。今回の2国での長期政権崩壊は、そういうオバマ氏の“現実主義的”な政策にアラブの国民から「ノー」を突きつける格好になった。チュニジアやエジプトの国民は「圧政に反対!」を唱えて、ついに政権を倒したのだ。この点をとらえて、アメリカの“右派”の人たちからは、「今回の大変化で、ブッシュ氏の方針が正しかったことが証明された」という声が上がってきているという。14日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙が、その分析記事を載せている。

 それによると、オバマ氏は今回の2国の“アラブ民主革命”を目撃しながら、数週間前から中東地域の反政府運動を支援する方向に軸足を移しつつあると、外交専門家たちは分析しているらしい。しかし、この方向への急旋回は、既定方針であるイラクやアフガニスタンからの兵力撤退と矛盾する。また、この地域にのめり込み過ぎると、ブッシュ氏の過ちを再び繰り返すことにもなる。さらには、イエメン、イランなど他の諸国で、民主化勢力がアメリカを頼って反政府運動を激化させた場合、難しい問題が起こるだろう。それはかつて、欧米のかけ声に勇気づけられ、ウクライナで“オレンジ革命”が起こった後、ロシアの圧力に対抗する行動を欧米がとらなかったため、親欧米派のユーシェンコ氏の政権が長続きせず結局、親ロシア派のティモチェンコ氏に権力が移ったことからも予想できることだ。加えて、今回の政権転覆の主力となったチュニジアやエジプトの若者たちは、政治運営の経験もないし、経済的、政治的基盤もない。それに引きかえ、モスレム同胞団などのイスラーム主義勢力は歴史も、組織も、経験もあるから、新政権はイスラーム主義者に“ハイジャック”される可能性もある。

“民主主義の推進者”や“民主主義の擁護者”を言葉で言うのは簡単である。しかし、その言葉が真実であることを示すためには、軍事介入を視野に入れた実際行動を起こす覚悟がなければならない。その難しい立場を今明確にするべきか。それとも、民主革命後の新政権の行方を、あくまでもアラブ諸国の自己決定(self-determination)に委ねるのかどうか。アメリカには、この態度表明をしなければならない時期が近づいているのである。

谷口 雅宣

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2011年2月13日

「SNS」という国 (2)

 約1カ月前に本題について書いたとき、チュニジアやエジプトでの“民主革命”に威力を発揮したと言われるソーシャル・ネットワーク(SNS)の利用拡大の状況を報告した。そして、その最大手「フェイスブック」(Facebook)の会員が5億人を超えたことで、中国、インドに次ぐ人口をもった“国”がネット上に生まれていることを紹介した。また、生長の家でのSNS利用の仕方を概観し、私がフェイスブック上に「Seicho-No-Ie President」(生長の家総裁)のページを立ち上げたことにも触れた。これに興味をもった読者が、ファンぺージに70人近くも登録してくださったのはありがたい。
 
 これは英語のページなので、日本人の読者には面白くないかもしれないが、その後、登録者の数は順調に増えてきている。今日(13日)現在で「449人」だが、登録者の国別の構成は次のようになっている:
 
  ブラジル   249
  日 本    69
  アメリカ   23
  コロンビア  18
  イギリス   15
  ポルトガル  15
  ペルー    9
  アルゼンチン 8
  スペイン   7
  香 港    4
  その他    32
 
 このリストの1~3位までは予想していた通りだったが、その下に続く国名は意外だった。教勢の強いブラジルの影響から、隣国のアルゼンチンが含まれるのは納得できるが、同じ隣国でもコロンビアやペルーのような比較的貧しい途上国から参加している人がいる。その数は、英語の“本場”であるアメリカやイギリスからの参加者の数と、あまり差がないのである。また、スペイン、ポルトガルなどのヨーロッパからの人数も意外に多かった。さらに、「その他」の中に含まれる国(参加者が1~2人)の中には、インドやアラブ首長国連邦(UAE)の名前がある。そういう国に生長の家が伝わっているとは、私は知らなかった。
 
Snipdem021311j  フェイスブックでは、ページ参加者の性別、年齢別構成もわかる。今日現在のそれを見ると、女性が男性より多いのにちょっと驚かされる。その差はさほど大きくないが、これはどこ宗教でも、信者は女性が男性より多いことによるのかもしれない。また、年齢構成は、日本の信徒のそれよりずっと若いが、これもインターネット人口の年齢構成に対応しているのだろう。しかし、このことは、ネットを使った若年世代への伝道の可能性を示しているのだから、注目に値する。青年会や白・相両組織の今後の健闘に期待しよう。
 
 さて、フェイスブック上の私のページは、こんなわけでまだ“国”と呼ぶにはほど遠い過疎地帯だが、いろいろな意味で新しい可能性を秘めた“未開拓地域”であることは確かだ。途上国の経済発展とともに、SNSは今後さらに拡大していくだろうが、この分野に興味のある読者は積極的に利用され、またそれぞれの立場から運動への有効な活用を研究し、“開拓伝道”を展開していただきたい。
 
 谷口 雅宣

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2011年2月11日

日本は“男尊女尊”の国

 今日は霙(みぞれ)も降る寒い日だったが、午前10時から東京・原宿の生長の家本部会館ホールで「建国記念の日祝賀式」が行われた。私は式典の最後の方で、概略、以下のような言葉を述べさせていただいた:
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 本日は日本の建国記念の日、おめでとうございます。あいにく雪交じりの天候になりましたが、足元の悪いところを大勢お集まりくださって有り難うございました。
 
 今日のこの記念日は、『古事記』や『日本書紀』に記録された建国の神話にもとづくものです。これは“神話”であり史実ではありませんが、その代わり日本人の心情やものの考え方がよく盛り込まれているので、そこから学ぶことは数多くあります。私はこれまで数年のあいだ、この建国記念日の挨拶で日本建国の理想がどこにあるかを、『記紀』の記述に照らしてお話ししてきました。それは具体的には、国の中心者の資格と国の統治の方法の問題でした。そして、国の中心者は、①神の御心を実行する者、②人びとに支持される人格者であること、③自然と一体の生活をする者であること、の3つを挙げ、この条件が満たされれば、「刃に血塗らずして」国がまとまって政治が平和裏に行われる--これが『記紀』に描かれた日本の国の中心者の理想像、そして日本建国の理想だと申し上げてきました。

 今、エジプトでは30年ほども続いたムバラク大統領の統治に対する大規模な反対運動が起こっています。その前は、同じ北アフリカのチュニジアで、29年間続いた独裁的政権が、大規模な国民の反対運動によって倒れました。これら2つの国のあり方を見ると、先ほど掲げた“中心者の理想”“建国の理想”とは大分異なることがわかります。強権によって国民を弾圧し、自由を束縛することが「神の御心」であるわけがなく、そういう警察や軍隊の力によって維持されてきた長期政権が、人びとに支持されてこなかったことは明白です。こういう現代の問題を考えても、日本の神話に現れた“建国の理想”“国の中心者の理想像”は少しも古くなっていないと思います。ですから、私たちは21世紀の現代においても、この“建国の理想”に誇りをもち、それを高く掲げて進んでいくべきでしょう。

 さて、私のブログの読者はすでにご存じと思いますが、私は最近、「天照大御神」のことについて連載記事を書いています。具体的には、日本の天皇家の祖神が女性であること、この女神が他の神々とどういう関係になっていて、『記紀』の中でどのような行動をするかということ、その行動を我々はどう解釈すべきかということなどです。今日はその中から、私たちの運動とも関係があると思われる大切な要素について1つだけお話しします。それは、日本神話における「女性」の位置についてです。
 
 日本の神話には様々な女性の神さまが登場しますが、「天照大御神」はとても重要な神であります。この神はもちろん、天皇家の祖神です。また、生長の家の神想観では最後に「大調和の歌」を歌いますが、そこでお名前を呼ぶ神さまでもあります。この神さまは「太陽神」でありながら女性なのです。なぜ女性なのでしょうか? こういう質問をすると、多くの日本人は驚くかもしれません。なぜなら、我々は太陽が女性であることにあまり疑問を感じないからです。谷口雅春先生の著作の中にも『女は愛の太陽だ』というのがありますから、そのタイトルから、先生が女性に太陽のイメージを重ねておられたことが分かります。また、谷口清超先生は、『日の輝くように』という聖歌を作詞・作曲されました。ここでは、太陽の“光”と“熱”を愛情として描いています。例えば、この歌の3番の歌詞には、こうあります:
 
「夜にはいつも 日が沈む
 太陽はまた 別の地で
 全てのものに おしみなく
 光りを恒に ふりそそぐ
 だから私も 光りを送る
 すべての人の 心の中に」

 ここでは、太陽の光が地球の裏側で輝くことと、人間の心の中に光りを送ることが同一視されていますから、精神的に明るいもの、暖かいもの--つまり、愛情の送り手として太陽は描かれています。さらに、私も数年前、日時計主義を大いに推進するために『太陽はいつも輝いている』という本を書きました。こういう捉え方は、太陽をどちらかというと“男性”ではなく、“女性”として感じていることを示していると思います。

 しかし、世界には数多くの民族があって、それぞれが神話をもっていますが、その中では太陽神を男性として描いているものの方が相当多いのです。ユング心理学の日本における第一人者で、文化庁長官も勤めた河合隼雄さんは、『神話と日本人の心』という本の中で、次のように言っています:
 
「八百万(やおよろず)とも言われる数多くの日本の神々のなかで、際立った地位を占めるアマテラスは、日の女神であった。古代日本の天空に輝く日輪に、日本人は女性をイメージしたのだ。これは世界の数々の神話のなかでも、相当に特異なことと言っていいだろう。イヌイットなどのアメリカ先住民の神話を除いて、ほとんどの民族において、太陽は男性神である」。(p.1)

 河合さんが言っている世界の神話の例を挙げれば、ギリシャ神話の太陽神・アポロン、古代バビロニアの太陽神・シャマシ、エジプトの太陽神・ラー、インドのヴィシュヌ神など、メジャーな神話では太陽はみな、男性のイメージで捉えられてきたのです。ところが、日本神話では国の中心となる天皇家の祖神が女神であるとされてきました。そして、日本は「千五百秋の瑞穂の国」ですから、稲の栽培には太陽が欠かせないように古来、日本人は太陽がいかに大切であるかは十分承知しています。また、天空において太陽と並び賞される「月」は、日本神話ではツクヨミノミコトとして男性扱いです。が、日本以外の多くの神話では、月の方を女性として扱う場合が多いようです。

 ということは、太陽の月に対する圧倒的な明るさと熱に注目すれば、それを「女性」と見てきた日本神話は、“女性優位”の文化を表していると考えられます。これに対し、太陽を男性として扱ってきた他の多くの文化圏は、“男性優位”の考え方が支配的だったといえます。有名な例を挙げれば、ユダヤ=キリスト教の聖典である聖書の『創世記』では、人類最初女性・イブは、男性アダムの肋骨を取って作られたと書いてあります。これは、女性は男性の一部から作られたということですから、“男性優位”の思想と解釈できます。
 
 しかし、その一方で、日本神話は“女性優位”だけで成り立っているのではなく、男性も大いに活躍している。例を挙げれば、イザナギノミコト、スサノオノミコト、オオクニヌシノミコト、ヤマトタケルノミコト、そして初代の天皇といわれる神武天皇・カムヤマトイワレヒコノミコトなど、神話中の有名な物語の主人公はほとんど男性である。だから、日本文化を単純に“女性優位”と表現することは間違いだが、逆に“男性優位”と考えるのも間違いなのです。考古学者や文化人類学者は、これらのことから古代日本は“母系社会”とか“女権社会”だったと言うことがあります。ところが、『記紀』を詳しく読みますと、そのアマテラスはイザナギの左目から出てきたとありますから、男性から生まれている。これがイザナミから生まれたのならば完全な女系社会ですが、そうではなく、男性のイザナギから生まれていることから、日本の神話では男女のどちらも決定的に優位にしないように、微妙なバランスがとられていると言えるのです。
 
 このように考えてくると、日本という国は古来、女性を重視してきた国柄があるということが分かります。確かに昔は「男尊女卑」という言葉があり、武家社会や近代の一時期において、そういう生き方が求められた時代はあったかもしれませんが、古代は違った。『古事記』の編纂に深く関わったという稗田阿礼も女性だったいう説は有力ですし、古代の天皇には女性が多かった。紫式部や清少納言を筆頭に、女性の文学者も輩出している。そして、私たちは、太陽を「女性」と感じてきたことなどを考えると、日本人の潜在意識には「男尊女卑」などという価値観はなく、むしろ「男尊女尊」とも呼ぶべき価値観があると思うのです。
 
 このことは、私たちの運動とも無関係ではありません。ご存じの通り、生長の家は女性の組織「白鳩会」と男性の組織「相愛会」、そして「青年会」の3者を中心にして活動してきました。このうち「白鳩会」と「相愛会」の間には優劣の関係はないし、あってはならない。この関係は「誌友相愛会」の時代にはありませんでしたが、現在は当たり前になっています。でも、この考え方が日本文化と無関係ではないということが、神話を研究するとわかってくるのです。

 今日は建国記念の日ですから、日本の“建国の理想”についてお話しすべきですが、それはもう何回もお話ししてきたので、最初に3~4項目を復習のつもりで申し上げました。つまり、国の中心者は、①神の御心を実行する者、②人びとに支持される人格者であること、③自然と一体の生活をする者であること、この3つの条件が満たされれば、「刃に血塗らずして」国内がまとまり、政治が平和裏に正しく行われるということでした。今日はそれに加えて、日本は古来女性を重んじる文化をもってきたということを強調したいのです。だから、今申し上げた3項目の“建国の理想”は、何も“男の仕事”だと考える必要はないのです。女性も男性も、そして青年も、大いにこの理想を掲げ、人類光明化と国際平和実現に向かって、太陽の光を背に受けながら邁進していただきたいと思います。
 
 日本の建国記念の日に当たって、所感を述べさせていただきました。ご清聴ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

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2011年2月 8日

天照大御神について (11)

 前回までの本欄で紹介した日本神話の「中空構造」と対照させて、河合氏はいわゆる“一神教”の文化圏の神話には「中心統合構造」が見られると指摘している。前回引用した河合氏の文章には「論理的整合性」という言葉が出てくるが、同氏はこれを重視して物事を進めていくタイプの神話を「中心統合構造」をもつ神話と考える--
 
「この場合は、神は唯一で至高至善の神であり、神の原理、その力には誰も逆らうことはできない。逆らう存在は、決定的に“悪”として排除しなくてはならない。これは神と人との関係であるが、このような基本構造は、人間のことを考えるときにも、そのまま移行しているのが特徴的である。つまり、人間のことを理解する上において、キリスト教文化圏においては、強力な中心が原理と力をもち、それによって全体が統合されている、という構造が一般的となるのである」。(p.310)

 この河合氏の言葉は、神話の物語的性格を超えた重大な示唆を含んでいる。本シリーズの8回目で、私は神話の解釈を深層心理学の立場から行う同氏の考えに賛同して、「神話とは“過去の遺物”ではなく、あくまでも“現代のテキスト”として読むべきだ」と述べた。これは、神話というものは、それを生み出した部族や民族の潜在意識(深層心理)を表現したものと考えるからである。神話以外の民話や伝説にも似たような性格があるが、それらと神話が異なる点は、それに「神」の語が付されていることからも分かるように、宗教と密接に関係していることだ。つまり、神話が運ぶメッセージは、その神話と関連した宗教の信者の心を、現代においても支配する力をもっているのである。
 
 もちろん現代人は、神話だけを元に生きているのではない。現代的歴史観も科学的世界観ももっている。しかし、それらは多くの場合、現在意識のレベルに留まっている。また、そうでない場合も、潜在意識は相互に矛盾した感情も包容するから、そういう潜在意識の混沌の中で神話的イメージと現代的世界観の葛藤が行われているだろう。河合氏が専門とする深層心理学は、そういう現代人の潜在意識中の葛藤を研究し続けてきた学問であり、実践でもある。だから、その専門家が語る神話解釈は、単なる個人の想像力の産物ではなく、「現代人の心」という実際のデーターの裏付けがあると考えるべきだろう。
 
 そう考えると、『古事記』に顕著に表れた「中空構造」とは、現代人を含めた日本人の心のどんな状態を示していることになるのだろうか? この点について、河合氏はとても興味ある記述をしているーー
 
「(前略)中空均衡構造の場合は、新しいものに対して、まず“受けいれる”ことから始める。これは、中心統合構造の場合、まず“対立”から始まるのとは著しい差を示している。まず受けいれたものは、もちろんそれまでの内容とは異質であるので、当初はギクシャクするのだが、時間の経過と共に、全体的調和のなかに組みこまれる。
 外から来る新しいものの優位性が極めて高いときは、中空の中心にそれが侵入してくる感じがある。そのときは、その新しい中心によって全体が統合されるのではないか、というほどの様相を呈するが、時と共に、その中心は周囲のなかに調和的に吸収されてゆき、中心は空にかえるのである。これが、中空均衡構造の変化、あるいは進化のあり様なのである」。(p.311)

 私はこの文章を読んで、明治維新のことを思い出した。科学技術や軍事力において圧倒的に優勢な欧米列強を前に開国した日本は、明治天皇が先頭に立って“文明開化”と“近代化”を実行した。河合氏はそれだけでなく、もっと古い時代の日本人が海外から仏教や儒教を取り入れる際にも、同じことを行ったとも指摘している。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○河合隼雄著『神話と日本人の心』(岩波書店、2003年)

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2011年2月 7日

天照大御神について (10)

 さて、本シリーズも10回目となり、前後の脈略がつけにくくなった思われるので、前回までに天照大御神に関して述べたことを簡単にまとめてみる--
 
①日本神話には太陽神が男女2神あり、そのうち女性としての天照大御神が歴史的には強調されてきた。
②太陽神が女性として描かれる例は珍しい部類に入る。その要因は、古代日本人が女性や母性に対して肯定的評価をしていたということである。
③この女神は天皇家の祖神として“最高位”にあるが、無謬でも万能でもなく、平和主義者である。
④深層心理学的に見ると、この女神はスサノヲとツクヨミとを加えたトライアッドを構成する。

 これらの理解の上に立って、前回の本欄では、日本神話(特に『古事記』の神話)に特徴的なものとして、河合氏の言う「中空構造」があることを紹介した。これは日本の神話学者、大林太良氏からも認められた考え方として重要だと思われるので、河合氏の説明をさらに聞こう--
 
「日本神話の構造の特徴は、中心に無為の神が存在し、その他の神々は部分的な対立葛藤を互いに感じ合いつつも、調和的な全体性を形成しているということである。それは、中心にある力や原理に従って統合されているのではなく、全体の均衡がうまくとれているのである。そこにあるのは論理的整合性ではなく、美的な調和感覚なのである」。(p.309)

 この点を今、我々が考えている天照大御神をめぐる神話の文脈でいえば、上記の③のことである。もっと具体的に言おう。この女神は天皇家の祖神でありながら絶対的善でも絶対的権力者でもない。これまで我々が見てきたように、この天上の女神は、荒くれのスサノヲが訪ねてきたときにはその意図を読めず、武装して待ち構える。そして、誓約(うけひ)によって彼の真意を知る競争にも敗れる。勝ったスサノヲが数々の狼藉を働くと、アマテラスはなす術を知らず、怒って岩の洞窟の中へ身を隠してしまう。が結局、周囲の神々のはかりごとによって洞窟から出される。スサノヲは処罰されるが、“悪”として徹底追放されるのではなく、本欄では触れなかったが、後に出雲における文化的英雄となり、王国を建設するのである。
 
 アマテラスは普通、女性原理として考えられるが、出自は「イザナギの左目」であるから男性原理とのオーバーラップがある。また、前回触れたトライアッドを考えた場合は、男神タカミムスヒを“老賢人”として持つ立場にもあるから、男性原理の影響下にあると考えられる。しかし、それらの要素を無視して、スサノヲとの関係を女性原理と男性原理の関係として見ることもできる。すると、アマテラスは結局天皇家の祖神となるのだから、総合的には前者が後者よりやや“優位”だとは言える。が、だからと言って男性原理であるスサノヲは“悪”として徹底排除されることはなく、葛藤はあっても、やがて双方がそれぞれの居場所を得て平和裏に共存することになる。しかも、“中心的”支配者のような神の姿は、ここにはない。そのことを河合氏は「中空均衡構造」と呼んでいるのである。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○河合隼雄著『神話と日本人の心』(岩波書店、2003年)

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2011年2月 6日

天照大御神について (9)

 天照大御神とは何者であるかを考えるには、日本神話で初めて天照大御神が登場する場面に注目するのが一つの方法である。そこには、この重要な神の「出自」が描かれているはずだからだ。この場面は有名なので、多くの読者はすでにご存じだろう。それは、イザナギがイザナミと別離の言葉を述べ合って別れ、黄泉の国の穢れを祓うためにみそぎを行い、その過程で次々といろいろの神を生んでいく話の後に来る。このみそぎの最後の方で、イザナギが自分の左目を洗ったときに生まれたのが天照大御神だった。そしてこの後、右目を洗うと月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗うと須佐之男命(スサノオノミコト)が生まれている。そして、イザナギはこの三神を見て「三柱の貴き子を得た」といって喜ぶのである。

 この“三貴神”が成立する構造のことを、河合隼雄氏は「トライアッド」(triad、三つ組)と呼んでいる。そして、この構造は世界の神話の様々な場面に登場すると指摘している。日本神話でこれが最初に登場するのは、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、タカミムスヒノカミ、カミムスヒノカミの三神であったし、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に生まれたのもホデリ、ホスセリ、ホヲリの三神だった。海外の物語でも、バビロニアの神話では、アヌ(Anu)、ベル(Bel)、エア(Ea)の三神や、シン(Sin)、シャマシュ(Shamash)、アダド(Adad)の三つ組が出てくる。さらに、キリスト教では「父(神)、子(キリスト)、聖霊」が「三位一体」として信仰の対象とされている。そして河合氏によると、日本神話においてはこの“三神構造”が出ているときには、一神は「ほとんど何もしない」という役割をもっているというのだ。つまり、第1のトライアッドでは、アメノミナカヌシは神話の最初に1行出てくるだけで何もせず、第2のそれではツクヨミ、第3のそれではホスセリが“無為”の役割を担っているという。
 
 そして興味あることに、河合氏はこのことが「日本神話の最も重要な特性」だというのである:
 
「(前略)『古事記』神話の全体を通して、この三組のトライアッドが出現の時とその現われ方、そしてトライアッドのなかの神々の対応関係などにおいて、実に見事な構成をなしており、それぞれが特徴をもちつつも、中心の神が名前のみで、その行為についてまったく語られないという点で共通していることがわかる。この全体としての構造を、私は“中空構造”と呼び、日本神話の最も重要な特性と考えた」。(p.278)

 本シリーズでは天照大御神に焦点を当てているので、三組のトライアッドのうち二番目のもの--アマテラス、スサノオ、ツクヨミの三神の関係を考えよう。すると、『記紀』の物語の中ではツクヨミの存在の影が薄いことがよくわかる。『古事記』では上に示したイザナギの右目からの誕生のことしか書いておらず、『日本書紀』には「一書に曰く」という異説として、第五段にエピソードが1つ書いてあるだけで、他の二神と比べるとほとんど“非存在”に近い。そして、この1つのエピソードが不思議な展開を示すのである。河合氏はその部分を次のように短くまとめている--
 
「イザナキはアマテラスに高天原を治めよと言い、ツクヨミには“日に配(なら)べて天の事を知すべし”、スサノヲには“滄海之海(あおうなはら)”を治めよと言う。そこで、アマテラスは天にあって、ツクヨミに“葦原中国に保食神(うけもちのかみ)がいるので、そこを訪れるように”と命じる。ツクヨミが行ってみると、ウケモチは、国の方に顔を向けると口から飯が出てきて、海に向かうと魚が口から出る。山に向かうと獣が出てくるので、それらを取りそろえてツクヨミをもてなそうとした。ツクヨミは口から吐き出したものを自分に食べさそうとするのは汚いと怒り、剣を抜いて切り殺してしまう。このことをアマテラスに報告すると、アマテラスは怒って、“お前は悪い神だから、相見ることはない”と“月夜見尊と、一日一夜、隔て離れて住みたまふ”ことになる。ウケモチは死んでしまうが、その体から牛馬や粟、稗、稲など食糧となるものが、つぎつぎと生まれていた」。(p.119)

 これは、太陽と月とが天空を離れて回るようになった由来記の形になっている。しかし、このエピソード自体は、『古事記』にあってはツクヨミのものではなく、スサノヲを主人公にして語られているのである。河合氏は『古事記』の記述が本来のもので、『日本書紀』の異説は混同だろうとしているが、その混同がなぜ起こったかを分析して次のように書いている--
 
「これは、あまりにも徹底した無為というのは考えにくいので、何か目に見える形で考えようとすると、中心のツクヨミの両側に存在するアマテラスやスサノヲのイメージを少し借りてくるようなことになるのかもしれない。と言うよりは、中心としてのツクヨミはまったく無為ではあるが、そのなかに、アマテラス、スサノヲ的なものを内在させている、と見る方が適切かもしれない」。(pp.124-25)

 なかなか面白い解釈だと思う。古代日本人が、男性(父性)と女性(母性)のいずれを重視したかについては、本シリーズで何回か触れた。それは、後者を少なくとも前者並みに扱ってきたということだった。このバランス感覚が、アマテラス、スサノオ、ツクヨミのトライアッドの中でも生かされているのではないか。アマテラス(女神)が支配者として強く描かれる場合は、ニュートラルのツクヨミがスサノヲ(男神)の役割を演じることもあるのである。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○河合隼雄著『神話と日本人の心』(岩波書店、2003年)

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2011年2月 4日

天照大御神について (8)

 日本の神話とよく似たストーリーが世界各地に散在していることを、どう考えたらいいだろうか? 本シリーズの6回目で、私はこの問題に関連して石田英一郎氏の考えを紹介した。それを再掲するとーー
 
「これらの神話を構成するいくつかの要素が、多くの異なった民族や地域にわたって、量質ともに、とうていたがいに独立に生じたとは考えられない程度の類似を示すときには、われわれはここに神話の伝播という事実を仮定せざるをえないのである」。

 文化人類学や考古学の分野の研究者は、たいてい石田氏のような考え方をする。つまり、世界各地に似たような話が残っているのは、そういう話をする人たちが、永い年月が経過する中で「移動して伝えた」と考えるのである。そこから“北方民族流入説”とか“南方系渡来説”などを唱える人もいる。しかし、神話学や精神分析学のように「人間の心」の仕組みを研究する分野の人たちは、それとは一風違った考え方をするようである。彼らは、人間の心の深層には共通した部分があると考えるから、その共通部分の表現として生まれる(神話や宗教を含む)文化現象は、必ずしも人によって伝えられなくても世界各地に存在しえる、と考えるのである。
 
 ユング心理学の日本における第一人者、河合隼雄氏は、自らの神話研究の態度について、こう語っている--
 
「宗教学、民族学、文学、文化人類学、歴史学などとそれぞれの立場から研究ができるであろう。神話の伝播の経路を推察できるし、神話の類似性から、何らかの文化圏の存在を仮定することもできる。あるいは、神話そのものの成立の過程を類推することもあろう。これらに対して筆者(河合氏)の立場は相当に異なっていて、深層心理学の立場によっている。つまり、それは既に述べてきたように、人間にとっていかに神話が必要であり、それが人間の心に極めて深くかかわっているか、という観点に立って、神話のなかに心の深層のあり方を探ると共に、神話からわれわれが実際に生きてゆく上でのヒントを得ようとするものである。(中略)日本神話を対象とする場合は、そこから日本人の心のあり方について考える、ということが重要な焦点となるものである」。(『神話と日本人の心』pp.17-18)

 上の文章で注目してもらいたいのは、深層心理学の立場では、現代の人間が生きるうえで、大昔にできた神話から学ぶことが多くあると考える点である。神話とは“過去の遺物”ではなく、あくまでも“現代のテキスト”として読むべきだとするのだ。私もその考えに賛同し、それゆえにこのシリーズを書き継いでいる。
 
 それでは、日本神話にある天照大御神から、現代の私たちは何を学ぶことができるだろうか。河合氏の考えを聞こう。
 
【参考文献】
○河合隼雄著『神話と日本人の心』(岩波書店、2003年)

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2011年2月 3日

天照大御神について (7)

 本シリーズの前回では、日本の「天の岩戸隠れ」に似た神話や伝説が世界各地に伝わっているということを確認した。また、天照大御神が“最高神”であるにもかかわらず、あくまでも「温和」であり、時に「臆病」に振舞うのは、日本神話に特徴的であるのかどうかも問うた。この後者の問題については、まだ解答が見つかっていない。今回はしかし、日本神話に登場する女神すべてが「温和」で「臆病」なのではないということを、読者に思い出してもらいたいのだ。

 有名な伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の黄泉の国での出来事が、それを有力に語っている。ここには“温和な女神”とは対照的な女神像が描かれている。そのきっかけは、黄泉の国を出る前の準備をするから御殿の中を覗かないでほしいと言ったイザナミの願いに反し、イザナギが中を見て、そこに醜悪な姿のイザナミを発見したことだ。イザナギは恐れおののいてその場から逃げ出すが、イザナミは恥をかかせたと怒り、鬼女や雷神たちに命じてイザナギを徹底的に追わせる。イザナギは様々な方法を使って追っ手から逃れるが、最後にイザナミ自身が追ってきて、黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)という所で夫のイザナギと最後の言葉を交わす。『古事記』の表現では、こうなっている--
 
イザナミ「愛しき我が汝夫の命、かく為せば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」。
イザナギ「愛しき我が汝妹の命、汝然為ば、吾一日に千五百の産屋立てむ」。

「愛しきあなた」と呼びかけながら、言っていることは「あなたの国の人を1日に千人殺す」というのだから恐ろしい女神である。これに対してイザナギは「それなら、こちらは1日に千五百人生まれるようにする」と言い返す。イザナミは決して「温和」でも「臆病」でもない。だから、日本神話に登場する女神がみな、天照大御神のようであると考えてはいけないのだ。

 ところで、この有名な夫婦神の物語も、日本独自ということはできない。『記紀』にあるほど詳細で複雑な物語ではないが、似たような話--神話学者の大林太良氏の分類では「言い争う二神と死の起源」というモチーフは、東南アジアだけでなく、北アジアやアメリカ原住民の間にも見出せるという。考古学者の後藤明氏によると、例えば次のような話がニュージーランドのマオリ族の神話にあるという--
 
「創造の神タネは土で女の人形を作った。そしてこれと交わり、娘ヒネ(月の女神ヒナ)を生んだ。タネは成長したヒネを妻にした。ヒネは夫が実の父親であることを知り、恥ずかしさのあまり自殺した。ヒネは地下にある黄泉の国に行って、夜の女神になった。タネは妻を追って冥界に行き、ヒネの家の戸をたたいた。しかしヒネはタネをなかに入れなかった。彼が一緒に地上に戻ってくれと懇願すると、ヒネは断った。そして言った、“あなたは一人で地上に戻り、明るい太陽のもとで子孫を養いなさい。わたしは地下の国に留まり、彼らを暗黒と死の国に引きずり下ろすでしょう”と。」

 日本神話の“縮小版”と言えるのではないだろうか。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○後藤明著『南島の神話』(中公文庫、2002年)

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2011年2月 1日

アラブ諸国が揺れている (2)

 北アフリカの小国チュニジアの政変から半月という速さで、アラブの大国エジプトの長期政権が倒れるという大きな変化が起こりつつある。当初、チュニジアの“ジャスミン革命”はエジプトには波及しないとの見方が多かったが、アメリカが「ムバラク支持」を言わずに、エジプト政府に対して「ムバラク退陣」を求めるデモ隊への「暴力の行使」を戒め、エジプトの民主化に向けた“具体的措置”を支持すると表明したことで、エジプトの現政権はアメリカの支持を失ったと言える。そして、これに呼応するように、エジプト警察から治安維持機能を奪取したエジプト軍は31日、「平和的な表現の自由を保障する。軍は民衆に武力を行使しない」との声明を発表した。これで、軍は実質的に「ムバラク退陣」を支持したと言えるだろう。

 今後は、軍との関係が深いスレイマン副大統領が中心となり、イスラム主義を掲げる野党のムスリム同胞団、民衆と政治との橋渡しを模索するエルバラダイ・前国際原子力機事務局長などが、話し合いによって次期政権の骨格をどこまで作れるかが焦点となる。これが不成功に終わるとチュニジアのような政権崩壊となり、政治的空白が生まれて予測の難しい混乱状態に陥る可能性が高い。1日付の『日本経済新聞』(夕刊)によると、エジプトの憲法では、ムバラク後の大統領選にエルバラダイ氏のような無所属の候補が出馬するためには、人民議会(国会)などの議員計250人以上の推薦が必要というから、海外生活が長く、ごく最近帰国した同氏の立候補は難しいという。しかし、同氏の人気は高まりつつあるようだ。
 
 さて、エジプト情勢が日本に影響を与えるとしたら、どういうシナリオが考えられるか。最も早期の影響は、石油の値上がりから来る物価高かもしれない。エジプトはスエズ運河を抱えるから、政変でここが閉鎖されると、石油は直ちに値上がりする。いや、“スエズ閉鎖”の可能性が生まれた現在、すでに値上がりは始まっている。上記の『日経』は、31日のニューヨーク市場での原油先物価格が前日に続いて大幅に上がり、一時1バレル92.84ドルまで上昇したことを報じている。この価格は、2008年10月7日以来、ほぼ2年4カ月ぶりの高値だという。今後の動向が注目される。

 ところで、今回のエジプトの政変は、同国とアメリカとのこれまでの関係に一因があるという記事を、興味をもって読んだ。これは、1日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙に載ったロス・ドゥーザット氏(Ross Douthat)の論説だ。すでに28日の本欄でも少し触れたが、アメリカにとってエジプトは、同盟国イスラエルの隣国であり、アラブの“盟主”の地位にある中東政策の要だった。アメリカはだから、この国が親米路線をとっている限り、国内で人権が軽視され、非民主的政治が行われていても、“見ない振り”をしてきたのだ。これは、サウジアラビアについても言えることだ。このことが、数多いアラブの若者たちから見ると、強権的な支配者への憎しみとともに、アメリカへの憎しみにもつながっていた、とドゥーザット氏は指摘する。
 
 アルカイダの歴史を書いた『The Looming Tower』(不気味な塔)の中で、作者のローレンス・ライト氏(Lawrence Wright)は「9月11日のアメリカの悲劇は、エジプトの監獄から生まれた」との可能性を指摘しているそうだ。ムバラク政権は、イスラーム原理主義を唱えるモスレム同胞団を徹底的に弾圧したので、イランのような国内での“イスラーム革命”の道は閉ざされた。が、その代りに、反対勢力は--アルカイダの実力者、アイマン・ザワヒリのように--過激化し、国外に逃れて国際化の道を進んだという。それと同時に、ムバラク政権とアメリカとの密接な関係は、反対派の“ジハード論(聖戦論)”を強化することになった。
 
 エジプトは、アメリカから多額の援助を得てきた。その額は、イスラエルに次いで2番目に大きい。経済と政治の貧困の中で、若い血気盛んなエジプトの若者にとって、独裁者を憎むことと、その支援者を憎むことの差はなくなってしまう。こういう多くの若者の中に、建築を学んでいたモハメッド・アタがいたという。彼はもちろん、世界貿易センターに突っ込んだ2機の旅客機のうち1機の操縦桿を握っていた男だ。となると、そんなムバラク政権が倒れることは、アメリカにとって望ましいことのように見える。が、現実はそれほど単純ではないという。
 
 ドゥーザット氏によると、アメリカがムバラク政権を支持してきた背後には、“2つの恐怖”があるという。1つは、新しいホーメイニが出ること。2つは、新しいナセルが生まれることだ。前者は“第2のイラン革命”のことで、後者は、世俗派の社会主義汎アラブ主義者だ。ナセルは、アラブ世界を糾合してイスラエルと2回の戦争をした。毒ガスを使ったと非難され、ミサイル開発を進めた。だから、エジプトの“民主革命”が成功したとしても、次に何が来るかは分からない、と同氏は警告するのだ。

 この見方は、典型的な“現実主義”だ。国際政治では、こういう悲観的見方にもとづいて諸般の準備をする方が安全であるとは言える。が、人々の抱く理想や良心によって、国際政治が変わってきたことも事実だ。戦争犯罪が定められ、国連が生まれ、アパルトヘイトが倒れ、EUのような国家連合が生まれ、地球温暖化抑制のための国際的枠組みができた。私は、多くのアラブの若者の心が「恨み」や「破壊」から解き放たれて、「同志愛」と「建設」の方向へ向かうきっかけになることを祈りながら、“ジャスミン革命”の広がりを注視しているのである。
 
 谷口 雅宣
 

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