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2011年2月19日

都会に本当の情報はない (2)

 『秘境』のヒロインであるサヨのことを、私はこう書いた--

「年齢は15~16歳。太い眉の下につぶらな瞳が輝く一見、ごく普通の少女。だが服装は、昭和初期を描いた歴史教科書から抜け出てきたように、色あせ、すり切れた着物に身を包み、足には草履(ぞうり)をはいている。彼女はテレビを知らず、ケータイを知らず、マンガも読んだことがなく、読み書きもできない。

 その代わり、少女は自然を知っていた。太陽の位置や鳥の飛び方で時間を知り、雲の流れや虫の動きで天候を予想する。森の落ち葉の上に残された糞を見ればその動物が分かり、鳴き声で鳥を言い当て、足跡をつたってウサギの巣を見つけた。実のなる木や草の場所を正確に覚え、食べられる草、毒草の別も知っていた。池の中で湧き水が出る位置を記憶し、周囲に集まる魚をヤスでしとめる敏捷さがあった」。(pp. 39-40)
 
 こういう知識は、実際の体験と相まって、山地に住むひと昔前の日本人の多くにとっては“当たり前”のものだったはずだ。森の中では労働の負担は大きく、危険と隣り合わせで生活しなければならない。が、その代わり、人間は頭脳的知識と五感とを総動員して自然と接触した。そうしなければ、生きていけないからだ。ところが、都市と農村の分業が行われるとともに経済発展が進み、都市生活者はしだいに自然との接触を失う反面、様々な地域から、豊かな農海産物を簡単に得る機会がふえた。そして今、私たちは黒海のキャビアやアマゾンの果物をスーパーマーケットへ行けば買える環境にいる。
 
 こうして先進国の都市生活者にとって、「自然」は絵画のように抽象的な存在になった。それは、スーパーやデパートのガラスのショウケースに入った、無害、無菌で極彩色のパプリカであり、バナナであり、トマトであり、パイナップルの切り身であり、ショルダー・ベーコンであり、握り寿司である。酒類や清涼飲料は、中身ではなく、容器やパッケージの美しさや奇抜さで選ばれる。品物のそのものの価値よりは、それをどんな有名人が使っていて、どんなイメージが付着していて、それを持つことで自分がどれほどステキに見えるかなどで、売れ行きが左右される。確かに都会では、そういう情報を速く、豊富に、安価に入手することができる。が、人間にとって、そんなものが本当に必要な情報なのだろうか?
 
 昨日の稲本氏の講演の中で、ハッとするような言葉があった。それは、テレビやインターネットを通じて得る情報の、基本的欠陥についてのものだ。同氏は、「都会で得られる情報は本当ではない」というのである。これには色々の意味があるが、その1つは、都会では情報をどうやって得るかを考えると分かりやすい。それは、マスメディアとインターネットだろう。メディアにはテレビ、新聞、雑誌がある。稲本氏によると、これらが伝える情報のほとんどは視覚情報と言語情報だ。また、これに聴覚情報が加わることがあるが、あまり多くない。これらは、人間が通常得る「五感」の中の1つか、2つに過ぎない。その他の嗅覚や、触覚、運動感覚の情報は欠落している。欠落しているにもかかわらず、我々はメディアが伝える情報を“本物”だと信じる傾向がある。そして、そういう判断のもとに行動するのである。

 このことの意味を今回は詳しく示すことはできないが、単純に考えても、ニセ情報にもとづく判断や行動は間違うことが多いことは分かるだろう。例えば、目と耳だけからしか情報を得られなくなり、触覚や運動感覚が麻痺した場合、日常生活は破綻することが多い。そういう神経系の病気の人が実際にいて、そういう人たちは障害になった当初は、簡単に自分の体を傷つけてしまうのだ。例えば、簡単にドアに指をつめたり、刃物の扱いを間違ったり、熱湯を飲んだり、逆に寒冷地では凍傷になる。我々は近年、そんな不完全な認識、間違った判断にもとづいて自然とつき合ってきたのではないか……そう考えてみると、今の「都会生活」と「自然との共存」は両立が難しいことが分かるのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

合掌ありがとうございます

>例えば、目と耳だけから情報を得て、触覚や運動感覚が麻痺している場合、日常生活はたちまち破綻する。

私は理学療法士という仕事を通じてそのような障害を負った方のリハビリを行っております。
そのような方の場合、一端生活は破綻するもののリハビリによって体の使い方を他の残された感覚を利用して、再び日常生活を新たな方法で学習していきます。
外から与えられた情報による受動的な生活ではなく、自らの感覚を研ぎすました能動的な生活をし出します。
他の人からみれば一見不自由な生活にみえますが、自分の感覚を自らの意志で使い、生きるのだという生命力を感じます。

後天的に障害を負った方からよく聞かれる事が、
「今まで過ごしてきた当たり前な生活がありがたかった」と。


先生のおっしゃられるように、「自然との共存」は外からの情報に依存せず、自らの内部情報を駆使して、自らの生命を沸き上がらせた生活が必要になると感じます。
そこから、考えることであったり、気づきが生じ、喜びがでてくるのだと感じます。


いつも興味深くブログを拝読させて頂いています。
ありがとうございます。
長文、失礼致しました。

再拝

投稿: 平野明日香 | 2011年2月21日 06:56

平野さん、
 専門の立場からの助言、ありがとうございました。
 表現が極端だった点を改めました。今後ともよろしく御願いします。

投稿: 谷口 | 2011年2月21日 10:51

谷口 雅宣 先生、
もったいない程のお言葉ありがとうございます。
助言という程の事はできていませんが、自分の考えをこうして文字にすることで自分自身の考えがまとまってきます。

私も自分の考えを表現する場として主に仕事に関する事を書いたブログを行っております。よければのぞいてみてください。
http://peacemaker1101.blog83.fc2.com/


医療の現場を通じて、日時計主義、実相をみつめ信じる事の大切さを日々痛感しております。
宗教心を持つ事がよりよい医療者であるために必須な事と感じます。
生長の家の御教えをどんどん医療界へ伝えていきたいと考えています。

今後ともご指導よろしくお願い致します。

投稿: 平野明日香 | 2011年2月22日 07:00

雅宣先生
いつも私たちあるいは世間の常識を覆す少閑雑感は、宗教的にだけでなく、はっとさせられる知識や情報の危うさをご指摘いただいて痛快でございます。

2回目の投稿ですが、企業のPRの裏側を端っこでお手伝いしている身として常々抱いていた疑問・疑念を見事に言い表してくださり、ありがとうございます。

私自身、野山を駆け巡った少女時代ですので、おっしゃる意味がよーくわかります。義兄には、姉と子供時代の話をすると「野蛮人!」ってからかわれておりました。「そっちこそ過保護もええとこやわぁ!」なんてやり返したりして・・・

また、今都会生活をしておりますが、豆腐・牛乳・納豆・お魚など生鮮食料品を買う際または使う際、賞味期限を確認することはまずありません。目と鼻と舌を駆使しております。その変はけっこう自信があります。

マスコミの情報は恣意的である、一般にそれは皆さん理解されていますが、さらに巧妙な仕掛けが至る所にあることまでご存知な方は、やはり業界人だけなのでしょうか。。。。

猫を飼っておりますが、大好きなものでも必ず最初はクンクン嗅いで、舌でちょろっと舐めて、そうしておちょぼ口で一口。で、これはイケるってことで、がバーという食し方をしています。私も見習おうと思っています。

ありがとうございます。


投稿: 谷口 美恵 | 2011年2月27日 11:26

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