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2011年1月16日

言葉は神さま

Illusioryglasses  東京のホテルで一人食事をしながら、聡子は窓際のテーブル席がポツンと空いているのが気になっていた。
 寒風が吹く日曜日の夜で、泊まり客は少なかったから、レストランのテーブルがすべて埋まっていないのは、不思議ではない。事実、窓際の席だけでなく、内側の席も、中央に1つ、奥に2つというように、白いクロスだけが見えるテーブルが点々とある。もう夜も8時を回っていたから、これから食べに来る客はいないだろう。
 それなのに、その窓際の席だけに二組のフォークやナイフ、グラスなどがきちんと向かい合って並んでいる。そこには、まるで列車の特等席のように、天井からスポットライトが当てられているため、窓外の闇を背景にして、ナフキンやテーブルクロスが雪のように輝いて見えるのだった。
(予約をしたカップルが、何かの都合で来られなかった……)
 そんな想像が、聡子の脳裏をよぎった。とたんに、次の想像が心の余白を埋めようとする。
(二人とも来れなかったのは、仲違いしたからかしら……)
 すると、仲違いの理由についての、物語が浮かんできた。
(男性側が席の予約をしたとして、予約の取り消しをしなかったのは、彼の方が怒ったからね)
 聡子は、自分がレストランの予約をした場合のことを考えていた。都合が悪くなって食事に行けなくなれば、自分だったら店に取り消しの電話を入れる。でも、男性の場合は、そこまで気を遣わない人が多い。特に、怒りっぽい人は……。
 彼女も、優と電話で言い争いになったことがある。その時、特に彼と会う約束はしていなかったが、電話してきたのは優の方だから、もしかしたら彼がどこかの店を予約していた可能性はある……そんな考えが聡子の頭に浮かんだ。
(そうすると、どこかのレストランの一番いい席に、こんなふうに空きができるんだ……)
 そんな因果関係に初めて気づいて、聡子は何か目が覚めたように感じた。
 それは昔の話だった。今の彼とは、もっと注意深くつき合うようになっていた。優との失敗の原因は、自分だけの責任ではない。しかし、電話口のちょっとした言葉遣いが引き金になって、貴重な人間関係が壊れてしまうような愚かさはもう繰り返すまい、と決めていたのだ。
「言葉は神なり」という格言に出会ったのも、優と別れてからだった。
 最初は「なんて大げさな」と思った。「言葉の遊び」とか「言葉だけ」とか「口先で」「言葉尻」「巧言令色」など、言葉にはあまり価値がないという意味の言い方が多い中で、言葉を神さまに喩えるなんて非常識だと思った。でも、自分の経験を思い返し、またオフィスでの人間関係を観察していると、ちょっとした言い草で、ひと言多いために、またその逆に、そのひと言が言えないために……つまり、ある言葉を言うか言わないかで、人生の進路が変わっていく例を、いくどとなく目の当たりにするのだった。
 その逆のこともある。どんなに言葉を尽くしても、相手に自分の意思が伝わらないこと。同じ言葉を話していても、2人で意味が違うこと……。だから、この言葉さえマスターできれば、きっと神さまのように物事はうまく進む。そういう意味では、「言葉は神なり」という格言は確かに真理だと思った。

 谷口 雅宣 

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