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2011年1月21日

天照大御神について

 こんな題をつけて本欄を書き始めることに、私は躊躇している。なぜなら、この題からは、何か大論文を書くかのような印象が生まれるかもしれないからである。学者のように「アマテラスオオミカミ」と片仮名で表記してもよかったが、そうすると読みにくいだけでなく、何か突き放すような、その反面小馬鹿にしているようなニュアンスがある。とすると、それは心外だ。私は毎年、正月に伊勢神宮に参拝して神宮の「角祓い」を買い、自宅の神棚の小社に納める。その霊代には「天照皇大神宮」と墨書してあるから、「アマテラス」より「天照」の方が、これから書こうとしている主題をよく表していると感じる。さらに、『古事記』や『日本書紀』なども同様の表記であるし、私が毎日の神想観で「光明思念の歌」を唱えるときには、「アマテラス」ではなく「天照す」を心にイメージしているから、やはり漢字表記のほうが適切だと感じるのである。

 その神について書く理由は、日本の天皇家の“皇祖神”として考えられているだけでなく、神話の中では明確に「太陽神」として位置づけられているため、21世紀の人類最大の課題である地球温暖化・気候変動の問題にも深く関わっているからである。つまり、この神は、古代の神であるだけでなく、現代において新たな意味を付与されて息を吹き返しつつある重要な神さまだと感じるのである。そのことは、拙著『“森の中”へ行く』の第5章(p.146)でも触れたし、2009年5月27日の本欄にも書いた。また、世界中で祝うクリスマスに関連して、これを12月25日に定めた由来がローマ時代の太陽神信仰と密接に関係していることも、本欄で何回か(2005年11月17日昨年12月21日 )取り上げてきた。つまり、太陽からくる数多の恵みを認識し、それに感謝し、その思いを宗教的に表現することは、時代や民族を超えて人類に共通するものなのだ。それをひと言で表現しようとすると、日本人の私には「天照大御神」という言葉しか思い浮かばないのである。
 
 私はかつて「天照大御神の御徳を讃嘆する祈り」というのを書いたが、この祈りは、上記のような私の知的理解を情的に表現したものである。その祈りの言葉を読んでいただけば、それが一宗教の神を讃嘆しているのではないことが分かるはずだ。例えば、そこには「天照大御神は“愛なる神”の別名である。キリストの愛の別名である。自ら与えて代償を求めない“アガペー”の象徴である。また、三十三身に身を変じて衆生を救い給う観世音菩薩の別名である」と書いてある。また、その祈りの最後近くには、次のようにある--
 
「太陽は、地球から何の報いを得なくとも、無限に与え続けるのである。この偉大な力によって、地上に多様な生命と生態系が出現し、おびただしい数の生命が支えられていることを思うとき、人類も“与える愛”を駆使することで、地上の平和と秩序と、多様なる生命の共存共栄を実現できることを知る。われは今、天照大御神の日子・日女として、その高邁なる目標を掲げて生きるのである」。(p.66-67)

 だから、私がここで使う「天照大御神」という神名を、東洋の片隅にある国の宗教が説く、数多くの神々の名前の1つ--つまり、固有名詞だと考えないでほしいのである。そのことは、谷口雅春先生も『詳説 神想観』(新版)の中で強調されている。すなわち先生は、「天照す御親の神の大調和(みすまる)の生命(いのち)射照し宇宙(くに)静かなり」という光明思念の歌を、次のように解説されている--
 
「光明思念の歌は決してただの呪文でもなければ、伊達に荘厳味を添えるために歌うのでもないのである。“天照す御親の神”というのは天照大神という固有名詞ではなくて“あま”は宇宙で、宇宙を照らし給う御親の神、本源の神様のいのちが宇宙一杯に光明輝いて照らし渡って神の慈光の下に平和に、大調和に一つの世界を実現している--その実相を諦視し、言葉の種子を天降して、世界平和が実現するように祈るところの荘厳な行事なのである」。(同書、p.111)

 このような理解のもとに、本シリーズを読まれたい。
 
 谷口 雅宣

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コメント

天照大御神のメッセージに感謝しております。

お言葉で、天照大神様の偉大さを再確認致しました。太陽光発電と天照大神(霊的文明)、化石燃料と須佐之男命(物質文明)。地球環境問題は人類が霊的生活へ復帰せよとの神様からのメッセージと感じます。

 最近、ゆには練成道場の起床放送に「天照大御神の御徳を讃嘆する祈り」が流れております。
                  本田 恵

投稿: 本田 恵 | 2011年1月25日 07:35

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