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2011年1月27日

天照大御神について (5)

 前回までの本欄で、私は、古代日本人の女性や母性への肯定的評価が、天皇家の祖神としての天照大御神の登場の契機になったと述べた。もっとも太陽神としては、7世紀末より前の時代には、天照大御神ではなく、男神であるタカミムスヒが皇祖神として認められていたらしいことは、本シリーズの2回目で述べたとおりである。しかし、それ以降は、国の中心として延々と続いていく家系の源が女神であることに、日本人は長い歴史を通じてほとんど違和感を感じなかったのだ。このことは、現在の“女性天皇”の是非をめぐる論争を考えるときに、重要な示唆を与えてくれると私は思う。

 ついでに言えば、7世紀から8世紀にかけての日本で“最高神”の地位が男神から女神に移行したことは、この頃に女性の天皇が輩出したことと関係があると思われる。7世紀代には50年以上が、推古(在位592-628)、皇極(同642-645)、斉明(同655-661)、持統(同697-702)など女性天皇の御代であったし、8世紀代も約3分の1に当たる歳月が、元明(同707-715)、元正(同715-724)、孝謙(同749-758)、称徳(同764-770)という女帝であった。この理由について、溝口氏は、前出の著書の中で次のように述べている--
 
「5世紀から7世紀まで、国家神はタカミムスヒという男性神だったし、支配層の氏を代表していたのも男性である。しかしタカミムスヒは急遽外からもってきた神であるし、氏もまだ実態としては、父系出自集団が形成されていない状態で、社会の内部には、女性の首長や女性の天皇をそれほど不思議としない風習が根強く残っていた。アマテラスの国家神化は、このような時代が終末に近づこうとしているころに起きている、したがって巨視的にみれば、これも弥生以来の女性首長の伝統の残存といえなくはない。当時はまだ、トップの神に女神を置くことへの、後世の人々が感じるような違和感や抵抗はなかったに違いない」。(pp.216-217)

 さて、私は先に天皇家の祖神のことを“最高神”と表現した。しかし、日本神話の中での天照大御神の言動を思い出してもらえば、この女神がギリシャ神話のゼウスや、旧約聖書のヤハウェのような「全能の唯一絶対神」とは相当異なることに気がつくだろう。例えば、前回書いた誓約(うけひ)は、弟神のスサノオに邪心がないかを調べるために行われるのだが、ゼウスやヤハウェならば、全能なのだから、そんなことをしなくても相手の心が分かるだろう。また、スサノオの内心がどうあろうとも、全能の神ならば高天原に誰が来ようとも、びくびくする必要はないのである。さらに言えば、有名な「天の岩戸隠れ」が起こるのは、姉神がスサノオの乱暴狼藉に怒って姿を隠してしまうからである。こんなに臆病で消極的な“最高神”では、全宇宙を治めることなどとてもできないだろう。
 
 しかし、我々日本人は、このような女神を長らく愛し、国家の“最高神”としての地位を与え続けてきたのである。角川書店の『世界神話事典』は、そんな女神が天皇家の祖神であり続けた理由を、次のように推測している--
 
「この女神の特徴の一つは、その徹底的な平和主義である。高天原に上ってくるスサノオに向かうときに武装はしても、実際に戦いはしないし、スサノオの横暴な振る舞いに対しては、自らが岩屋戸に閉じこもるだけである。こうした平和主義的な女神のあり方が天皇という元来は祭祀的・宗教的な支配者の形態と類似していたから、アマテラスは皇祖神とされたのであろう」。(p.174)

 谷口 雅宣

【参考文献】
○大林太良、伊藤清司他編『世界神話事典』(角川学芸出版、2005年)

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コメント

 天照大御神についてのご教示ありがたく読ませていただきました。徹底的な平和主義者である天照大御神を中心として全国津々浦々に張り巡らされた「神のネットワーク」のお陰で、日本は平和が保たれていると感じました。進展したソーシャルネットワークで気楽に総理を非難しても、平和で自由な日本ではエジプトのようにデモが起こる気配もありません。
 建国記念の日を迎えるに当たり、先生の昨年の建国記念の日のブログ「建国神話のメッセージを読む」を改めて読み返しております。ご指導ありがとうございます。
               本田 恵拝

投稿: 本田 恵 | 2011年2月 4日 17:09

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