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2011年1月25日

天照大御神について (4)

 前回の本欄では、「天照大御神」の名が初めて登場する『古事記』という書物の成立について簡単に触れた。その目的は、この神のイメージ形成には女性が関与している可能性があるということを述べたかったからだ。民俗学者の柳田國男氏も、そのことを『古事記』の記述の全体のトーンから推測できると指摘していた:
 
「『古事記』はその体裁や資料の選択から、むしろ伝誦者の聡慧なる一女性であったことを推測せしむるものがあるのである。たとえば美しい歌物語が多く、歌や諺の興味ある由来談を中心にして、しばしば公私の些事が記憶せられ、政治の推移を促したような大事件が、かえって折々は閑却せられていること、従って事蹟が幾分か切れ切れになっており、またわずかな思いの違いの交っていることなどは、すなわち与えて保持せしめられたものでない証拠であった。言わば史実としてよりも、心を動かすべき物語として、久しく昔を愛する者の間に相続せられていた事情を考えさせられる」。

 作家の長谷部日出雄氏は、『古事記の真実』の中で柳田のこの文章を引用して、稗田阿礼女性説に賛意を表している。この説に説得力があるのは、柳田氏が指摘するような『古事記』の全体的特徴だけでなく、そこに描かれた「天照大御神像」そのものに、女性に対する好意的価値判断が織り込まれているからである。次に、この好意的判断の例を眺めてみたいが、その前に、私がこれから書くことは、生長の家の信仰の対象としての“神のイメージ”ではないことを強調しておきたい。それは、聖経『甘露の法雨』や『生命の實相』の中ですでに繰り返し説かれている。私が本欄で描きたいのは、あくまでも古典に描かれた「天照大御神」のイメージである。
 
 すでにご存じの読者もいると思うが、『古事記』と『日本書紀』の間では、この神のイメージに関連して正反対の記述がある。それは、伊弉諾尊(イザナギノミコト)から高天原の支配をゆだねられた天照大御神のところへ、弟神である須佐之男命(スサノオノミコト)がやってきた時、弟が姉に対して自分の心に悪意がないことを証明する誓約(うけひ)を行う場面だ。これは一種の占いで、姉弟の二神は、それぞれ自分が身につけていた剣や玉を相手に渡し、口に含んで噛み砕いたものを霧のように吹き出すことで子供の神を生む。そして、生まれた子神の性別によって心中の悪意の有無を証明するという行事である。

『古事記』本文の記述では、姉神が男子5人を生み、弟神が女子3人を得る。すると、弟神は自分は力の弱い女子を得たのだから、自分の清明心が証明されたとして喜ぶのである。これに対し『日本書紀』の本文では、弟神は男子5人を得て「勝った」と言って喜ぶのである。その理由は、「女を生めば汚れた心があると考え、男を生めば清い心がある考える」からだという。『日本書紀』は、これ以外にも異伝をいくつも併記しているが、その中の「一書に曰く」では、弟神は自分の持ち物を噛み砕いて男子6人を得るところが本文の記述と違っている。しかし、これによって弟神は自分の清い心が証明されたと言うところは同じである。姉神はその理由について、自ら「あなたが邪な心をもっていなければ、あなたは必ず男の子生む」というのだ。

 複雑な比較なのでわかりにくいかもしれないが、ポイントは「男女どちらの子を生めば清い心をもつとされるか」という判断にあると思う。『古事記』はそれを「女」だとし、『日本書紀』は「男」だと解釈している。このことから、『古事記』の作者には女子を得ることにマイナスのイメージをもつ心がなかったと推測できるのである。また、この心的態度は、『古事記』の作者だけでなく、その編纂に深く関わった太安万侶や天智天皇も共有していたと考えられるのである。
 
 このことに関連して、心理学者の河合隼雄氏は、『日本書紀』にいくつもの異伝が併記されているのは、当時、父性と母性のどちらを重視するかに混乱があったか、どちらかを決定的に優位とすることへの迷いがあったと解釈している。そして、『記紀』全般の比較を、次のように述べているのが興味深い:
 
「ただ、どちらかと言えば、『古事記』は母性原理優位で大体一貫しており、おそらくこれが古代日本の姿で、『日本書紀』は中国のことなどを考慮して、父性を正面に立てようとするが、やはりそれによって全体に整合的な物語とするのは難しかったのであろう」。(『神話と日本人の心』p.139)

 このように見てくると、日本の古典の中に天照大御神が登場し、それに天皇家の祖神としての地位が与えられた背後には、男性や父性との比較のうえでも、女性や母性への肯定的評価を古代の日本人が共有していたからだと言えよう。

【参考文献】
○長谷部日出雄著『「古事記」の真実』(文春新書、2008年)
○河合隼雄著『神話と日本人の心』(岩波書店、2003年)

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コメント

総裁先生、大変興味深いご論考をありがとうございます。

生長の家に入ってから、神道とか皇室に関心を持つようにしていますが、書紀と古事記でこんなにも明瞭な差異があるとは知りませんでした。
日本のことをもっと学ぼうと決意いたしました。

今シリーズでは太陽信仰を通じて、伝統的神道の信仰を普遍化/国際化しようと試みておられるのではないかと拝察し、今後の国際伝道のあり方についてのご教示が近々伺えるのではないかと期待しております。

投稿: 辻井映貴 | 2011年1月27日 10:05

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