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2010年12月19日

なぜ“森の中”なのか? (3)

 今日は、熊本市のグランメッセ熊本と天草市の市民センターを会場として、熊本教区の生長の家講習会が開催され、5,578人の受講者が参加してくださった。前回よりも175人(3.7%)の減少だったが、今回初めて天草市に会場を設けたことで、これまで講習会に参加できなかった多くの人が受講されたことは有り難い。同教区の浜山正幸・教化部長によると、天草地方からの参加者は前回248人だったが、同地方の幹部・信徒の方々の熱意ある推進の結果、今回は667人と3倍弱に増えている。同教区の皆さまに心から感謝申し上げます。
 
 私の午前の講話に対する質問も、20通と多かった。その中で、生長の家が国際本部を大都会・東京から山梨県の八ヶ岳山麓に移転することに対し、次のような質問があった:
 
「八ヶ岳は見たこともありません。2万坪とかの広大な土地は森林か原野かも知りませんが、大きな本部事務所とか職員の宿舎など、多くの建物が建つと思いますので、大自然の破壊になるような気がします。でも、出来上がってからはすばらしい生活ができると思います」

 このコメントは、生長の家の本部移転に関して一般に抱く感想を代表しているのではないかと思った。私はこれについて答えたが、なにせ時間の制約があったため言葉を尽くせたとは思えない。本当は、質問者には私と妻の共著である『“森の中”へ行く』(2010年、生長の家刊)--特に第5章の中にある「自然との共生を求めて」の項を読んでいただくのが一番いい。ここでは、上の質問とほとんど同じ疑問に対して、私が10ページを費やして答えているからだ。同書での回答は、今年4月14日15日の本欄に掲載されたものだから、まだ読んでいない人は、その文章を参照してほしい。さらに、本欄の読者にも同様な懸念があるといけないので、この場を借りて以下、簡潔に“まとめの答え”を提示させてもらいたい。
 
 生長の家の本部移転の目的は、大別するとこの2点に集約されるだろう:①“新しい生き方”の提案、②炭素ゼロの実現と新産業の育成。①は、言葉を換えていえば「自然と一体化した生活」を実践すること--より具体的には「森林の活用と育成」である。②は、①を実現する過程で行う環境上のまた経済上の効果である。別の表現を使えば、①は主として精神上、生活上の目標であり、②は現実的な効果である。宗教は主として精神上の営みであるから、現実的効果を生む必要はないとの考え方もあるだろうが、生長の家は昔から「地上天国建設」とか「実相顕現」と称して、単なる精神的覚醒や悟りのみを目標とするのではなく、その精神上の変化の発露として現実世界に変化が起こる(唯心所現)ことに価値を見出してきた。「人類光明化」とか「国際平和を信仰によって実現する」という考え方も、この伝統に則ったものである。
 
 このような観点から今後の運動を考えたとき、大都会を本拠地として運動することの問題点が明らかになるはずだ。本部職員が東京で生活し、東京で仕事をし続けることで、「新しい生き方」を提案し、「自然と一体化した生活」や「森林の活用と育成」を行うことは、まず不可能である。それでもなお強引にそれを行えば、“机上の空論”に陥らざるを得ない。また、②を大都会にいて実現することも、相当な困難が伴う。グリーン電力や排出権取引などの現行の諸制度を活用して、いわゆる数字上で“炭素ゼロ”を実現することは可能かもしれない。しかし、これらの制度は、本質的に「自然への破壊を金銭的対価を払って弁償する」ということだ。少なくとも、現在の制度下では、その程度のことしかできない。しかし、私たちは「自然を破壊しない」だけでなく、森林育成などを通して「自然をより豊かにする」ことを目標にしているから、これらの方法では不十分なのである。また、現行制度の活用だけでは、再生可能の自然エネルギーを基礎とした「新産業の育成」などできないと考える。
 
 また、従来の省エネ・省資源運動の延長として、太陽光発電や太陽熱利用、建物の高断熱化、屋上の緑化、エコカーや電気自動車の利用などに取り組めば、本部を“森の中”へ移さなくても温暖化抑制に貢献できると考える人もいるかもしれない。もちろん、このような方法でも環境への貢献は“ある程度”はできる。しかし、この“ある程度”とは「社会の標準的レベル程度」ということであり、私はこれが十分だとは思わないのである。いやむしろ、現在の人類の環境への貢献は、総合的には“マイナス貢献”が続いている。つまり、一方で環境への貢献が行われていても、他方で環境破壊が行われていて、トータルでは後者が前者を大きく上回っている。だから、温暖化対策を社会の標準レベルに合わせているのでは、“マイナス貢献”を継続していくことと大差がない。残念なことだが、これが人類の生活意識の現状であり、とりわけ日本社会の現状だと思う。

 上記の本にはもっと詳しく書いたが、このほかにも本部移転の理由はいくつもある。が、上に掲げた“骨”となる理由は、読者にはぜひ理解していただきたいのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

有難うございます
森の中、読ませて頂き、私が今始める事と先生がお考えの事が一致する事が多く勇気を与えられます。道元禅師は、どの様な布施が有っても断り、山の中に永平寺を建てられました。あれが環境破壊ですか。先生の様な環境の人が山に目を向けらた事に感謝いたします。私は山の掃除屋を若い人また中高年の人々としたいと思っています。そのための学校創設するため頑張っています。

                 中井久勝 拝 (京都)

投稿: 中井久勝 | 2010年12月21日 15:01

谷口雅宣先生

お誕生日おめでとうございます。常に正しく愛深くお導きいただいていることに厚く感謝申し上げます。

光明実践委員の通信課題を受け、森の中のオフィスは「実相がある」という信仰なくしてはできないことであると考えるようになりました。ただの環境保護団体なら現象的な破壊を見て、人間の罪深さを感じ、人間に対して否定的になるだけかもしれません。これからの生き方のモデルを作るのは、「自然と調和している世界が既にある」という信仰なくしては難しいと思います。

投稿: 加藤裕之 | 2010年12月24日 23:56

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