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2010年11月22日

「生命不死」と「日時計主義」を掲げて

 今日は午前10時から、長崎県西海市の生長の家総本山で谷口雅春大聖師御生誕日記念式典が執り行われた。あいにくの雨模様だったが、同本山の楠本孝行総務によると、近県の幹部・信徒を中心に867名が参列してくださった。これに先立ち、昨日は好天の下、午前に第30回龍宮住吉霊宮秋季大祭、午後には第33回龍宮住吉本宮秋季大祭が行われたが、こちらの参列者は941名だったという。今日の式典では、私は祝詞を奏上し、大略以下のような挨拶の言葉を述べた:

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 皆さん、本日は谷口雅春大聖師御生誕日の記念式典に大勢お集まりくださいまして、誠にありがとうございます。
 
 今年は、猛暑があったり洪水があったり、いろいろ変化ある気候が続き、農業や漁業にも影響が出ていると報じられていますが、ありがたいことに本山の紅葉は依然として美しいのであります。今日の雨も、木々の葉の赤や黄色を一層引き立てています。谷口雅春大聖師は明治26(1893)年のこの日にお生まれになったので、もし肉体が御存命であれば、今日は先生の117歳のお誕生日に当たります。
 
 谷口雅春先生は、昭和50年1月にこの総本山に移住されてから約10年間、この地にお住まいになり、団体参拝練成会などで講話され、執筆をされました。その最後のご講話で「生命の不滅」を説かれたということは有名なので、皆さんもご存じのことと思います。そのご講話は、『生長の火をかざして』(1985年、世界聖典普及協会)という追悼グラフの中に収録されているので、今日はそれをまずご紹介いたしましょう。昭和60年5月26日の団体参拝練成会におけるご講話です:
 
「……鶴は千年、亀は万年といいますが、人間は、万年どころじゃない、無量寿如来である。『正信偈』という仏教のお経は、“帰命無量寿如来、南無不可思議光”という書き出しで始まっておりますね。帰命とは、イノチの元へ帰ってみるのが帰命であります。そしたら、皆さんは皆、無量寿如来のイノチを頂いて、で、ここに生まれ変わってきておられるのである。皆さんは、ここへ生まれてから真宗の信者になったとか、阿弥陀さんの信者になったとかいう、そんな浅い因縁ではない。命の元へ帰っていったら、無量寿如来、いいかえると阿弥陀如来であります」(同書、p. 21)

「人間は皆、無量寿如来の分身であるから死んでも死なない」--この「生命は不滅」の教えは、生長の家の教義の根幹をなすものですが、誤解していただきたくないのは、これは「肉体生命の永続」ではないということです。肉体は死滅し無くなってしまっても、それを表現していた霊なる生命の“本体”は永遠に続くということです。この教えによって、これまで多くの人々が魂の救いを得てきたわけです。しかし、その一方で、「生命は不死」ということだけでは、人間は必ずしも幸福にはなりません。例えば、「人間はみな罪人であり、人生はその罪の償いの場である」と考えている人には、そのような“償いの人生”が永遠に続くということは、苦しみ以外の何ものでもないでしょう。
 
 また、「生命は不死」だと信じている人の中にも、他人を傷つけて顧みない人もいるのです。このことは今度、新たに出版された『小閑雑感』の「Part 17」(第17巻)の中で取り上げられているので、それを次にご紹介いたします。去年の9月28日に私がブログに書いた文章で、112ページから始まっています。
 
 (同書、pp.112-114 から引用)
 
 ここに書いてあるように、単に「生命は不死である」という考えだけでは、人間は現在の生--現世を否定的にとらえている場合、大きな過ちを犯すこともあるのです。しかし、生長の家では現世を否定的、あるいは自暴自棄的にとらえず、価値あるものとしてとらえていますから、このような危険性を未然に防ぐ教義をもっている--今日はこの点を、強調してお伝えしたいのであります。

 生長の家は、この現世での生活を肯定的にとらえているということは、皆さんは十分ご承知のことと思います。それは、昭和5年に谷口雅春先生が『生長の家』誌を発行されたとき、その創刊号の中に「日時計主義」を高々と掲げられたという事実が、有力に物語っています。当時は、昭和恐慌のただ中で、経済は低迷し、失業者が巷に溢れていただけでなく、中国大陸には日本軍が派遣され戦闘が起こっていた。今の経済は「悪い悪い」と言われますが、当時と比べたらよほどいいのです。その昭和の初期の日本において、「ほがらかに笑って生きよ」とか「人生の光明面を見よ」という日時計主義を掲げたのが生長の家の運動の出発点でした。そのことを思い起こせば、生長の家が現象的人生を肯定的にとらえ、大切にする教えであることは明らかです。
 
 生長の家の「信徒行持要目」にも、この精神は明確に表れています。

第5項目ーー「常に人と事と物との光明面を見て、暗黒面を見るべからず」
第7項目--「人生を神生となし、常に必勝を信じて邁進すべし」

 今、世界は経済的な困難に遭遇しているといって、失業率や株価の下落、円高の困難、政治の低迷など、暗黒面ばかりを指摘して眉をひそめている人が多いのですが、生長の家はご存知のとおり、日時計主義の生き方を前面に出して、光明生活を全世界的に推進する運動を展開しています。これは、生長の家の発祥当時からの考えにのっとった運動であることがお分かりになると思います。その光明生活とは、物質的な豊かさを求めるのではなく、すでに与えられている自然の恵みに感謝し、自然とともに調和して生きることです。その中に人間精神の向上と幸福があるということを、多くの人々に伝えるのが、これからの運動の中心になります。
 
 皆様もどうぞ、「人間生命は不死であり、我々は無量寿如来の分身である」という真理と、人生を肯定的にとらえる日時計主義の実践を通して--両者を車の両輪のごとく推進して、自然と人間とが豊かに共存する世界の実現に向かって運動を力強く進めてまいりましょう。
 
 これをもちまして、谷口雅春大聖師ご生誕日記念式典のあいさつといたします。ご清聴、ありがとうございました。

 谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣先生

 少し前に先生がJCBカードの宣伝文句「買い物は世界を幸福にする」というのは間違っていると看破されておられましたが、あの時は今ひとつその意味が分かりませんでした。でも、講習会等で先生の御講話を拝聴する中で私にもその意味が分かって来ました。既に与えられている事に感謝するという光明面を観る生き方が大事であり、それが人生に光明をもたらし、自然保護にもつながるという事なのですね。
 私の家ではおよそ6年前にシャープのアクオスを買いました。当時としては大型のテレビで液晶です。でも、その直後に地デジの切り替えが決まり、我が家のテレビは地デジ対応ではないのでこれは来年の7月のアナログ放送終了までに買い換えなくてはならないと思っていましたがせっかく買って問題なく観れているテレビを買い換えたくないと思っておりました。そうしたら、うちはケーブルテレビなのですがその受信機を更新する事でそれは地デジチューナー内蔵なので有り難い事にテレビは従来のままで地デジが観れる様になりました。やっぱりまだ観れるテレビを無駄にしないということは気持ちがいいです。

投稿: 堀 浩二 | 2010年11月23日 09:56

堀さん、
 私の家ではまだ、1990年製のビクターの33インチを使っています。地デジチューナーは別のアクオスのものを使います。つまり、切り替えて見ているのです。ハハハハ

投稿: 谷口 | 2010年11月23日 22:21

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