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2010年11月14日

生長の家と政治的立場

 今日は、横浜市港北区の横浜アリーナを会場にして、神奈川教区の生長の家講習会が行われた。私たちは朝の8時半に自宅を車で出発し、会場には9時20分ごろ到着した。横浜・中区の「みなとみらい地区」では、APEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議が行われているため、警備等で交通渋滞が予想されたが、道中はきわめてスムーズだったのはありがたい。今回の講習会は、1万人を超える大勢の方(1万308人)が受講してくださった。数字的には前回より400人弱(375人)の減少だったが、広い会場にもかかわらず、大勢の方々が静かに聴講してくださったことはありがたかった。特に驚いたのは、午前の私の講話に対する質問が44通も来たことだ。この数は、私の記憶に残る限り過去最多の数で、受講者の関心の深さを示していると感じた。
 
 講習会での質問は、A5判横書きの専用紙に書かれるのだが、私はそれを昼休みが終わる10分前の12時50分ごろ、係の人から受け取ることになっている。だから、10分弱の時間内で質問の内容を読み、どれに答えるかを決めねばならない。今回は、質問をすべて読み終わる前に昼休みが終わってしまい、結局、10問程度しか答えることができなかった。神奈川のような1万人規模の講習会では、常にこの問題がある。現象世界の制約だから仕方がないとは分かっていても、真面目に質問を書いてくださった受講者の方々には申し訳ない気持をぬぐい去ることができない。そこで過去にもそうしてきたのであるが、機会をみて答えるべき質問には本欄などで答えようと思う。
 
 今回の質問の中で目についたのは、昨今の政治関連の変化に対するものである。これは、宗教とは直接関係のないテーマだが、日本国の一員として、また人類の一構成員として考えねばならないことだから、私も本欄では時おり話題にし、自分の考えを表明してきた。しかし、今日は宗教の教えの講習会なので、時間的余裕があればともかく、質問数も過去最多だったので政治問題への回答はすべて割愛した。

 講習会の質問の中には、様々な政治問題を取り上げて「これについて生長の家の立場を教えてください」と問うものが時々ある。しかし、生長の家は政党や政治運動ではないから、世の中のすべての政治問題についていちいち“立場”や“考え”や“見解”をもっているわけではない。そもそも「政治」とは、現象世界において利害関係が生じたときに、その一方の立場を推進したり、他方との関係を調整することを目的として行われる様々な営みである。ということは、そういう政治問題に関して“立場”や“見解”を表明すれば、問題となっている利害関係の当事者の一方に与する結果となる危険が常に存在する。「当事者の一方だ」と見なされれば、それはもう広義の意味で「政治に関与する」ことになるだろう。これは、個人として私が行うことは全く問題がない。それどころか、国政に関わることは日本国民の義務である。だから、私は過去の国政選挙には常に参加して一票を投じてきた。
 
 しかし、「生長の家として政治的立場を明確にしろ」と問われた場合、「はいはい分かりました。では見解を申し上げます」と簡単に言うのは如何にも愚かである。なぜなら、生長の家は宗教運動であって政治運動ではないからだ。また、私たちは過去に政治運動を熾烈に行ったが、その誤りから何も学ばないことになる。この過去の運動の問題点については、生長の家教修会の内容を記録した『歴史から何を学ぶか』や『平和の先人たち』に詳しく書かれているので、ここではこれ以上触れない。ただ、私がここで言いたいのは、生長の家の信仰の原点は、「大調和の神示」が説くように、「神の創造になる実相世界には利害の対立は本来ない」ということである。これは、今日の講習会で繰り返し述べたことで、その前提に立てば、「政治的対立の一方に与する」ことで何かが解決すると考えることは、生長の家の信仰の本道から逸れているのである。
 
 しかし、私が日本国民の一人として国政に参加したのと同じ理由で、読者や一般信徒が日本国民として特定の政治問題についてどう考えるべきか助言がほしいというのであれば、それを全く無視することはかえって責任逃れのような気がする。そこで、過去にも本欄では、選択的に政治問題にも触れてきたのだった。

 谷口 雅宣

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コメント

総裁先生、ありがとうございます。昨日の神奈川の講習会に参加させて頂きました。質問用紙の多さにも驚きましたが、総裁先生がその中で取り上げて下さった質問に対して愛深くお答え下さっている姿にとても感動しました。『生長の家の信仰の原点は、「大調和の神示」が説くように、「神の創造になる実相世界には利害の対立は本来ない」ということである』という御教えは、本当に素晴らしいと思います。
感謝 合掌 丸山貴志拝

投稿: 丸山貴志 | 2010年11月15日 20:34

 私は、生長の家の信徒ではありません。30代でジャーナリストをしています。谷口雅宣様、谷口雅春様のご見識とご主張に惹かれ、ご著書などを拝読し始めたものです。特に、雅信様の「日々の祈り」には深い感銘を受けました。タゴールを思わせる思索と美しい言葉にです。そしてブログも2週前から拝読させていただいています。
 部外者の言葉で、御不快に思われたらご寛恕ください。今回のブログの記事も、短いながらも、適切な決意表明と思います。そして、生長の家の皆様が過去保守勢力の中心になられた事実を考えると、この結論までに、教団と谷口様の真剣な考察があったと思います。
 私はどの宗教も信仰告白をしていません。昨今の政治と宗教の関係をみると、日本だけではなく、世界で本当に「宗教の堕落」ともいうべき現象があふれています。心の救済を図るべき宗教が争いのたねになる。日本のような民主国家でも、心の救済ではなく、政治闘争そのものが宗教団体の行動を束縛している例が後を絶ちません。そして「中立」という姿勢を堅持なさることも、大変勇気の必要な決断だったと思います。
生長の家の皆様が、こうした取り組みに巻き込まれず、部外者がみても素晴らしく、美しい教義の求道に進まれることをお祈り申し上げます。

投稿: TI | 2010年11月15日 21:27

合掌 ありがとうございます。
あっ! 先生の写真が変わりましたね。お家のベランダでしょうか。ゆっくりくつろいだ雰囲気の、とても柔らかく暖かい空気の漂っている様子が伝わって来ます。ついこちらもほくそ笑んでしまいそうです。これぞ、日時計主義の表情というのでしょうね。
いつも、ありがとうございます。

投稿: 永田 良造 | 2010年11月15日 22:24

谷口雅宣先生

 昨日は当教区に御巡錫下さり、誠に素晴らしいご指導有り難う御座いました。私のお誘いした方も「先生のお話は本当に分かり易くて素晴らしいですね。」と仰っていました。

 ところで昨日の御講話の中で利用可能なエネルギー源の中で太陽光こそが最も容量のポテンシャルがあるのに人類がそれを使おうとしないのは産業革命以来からある「地下資源をエネルギー源として使う」という業があるからで、それは経済界、政界の利害が複雑に絡み合っているからだという御指摘がありました。そういうのが所謂、政治というものの持つ一つの立場なんですね。

 

投稿: 堀 浩二 | 2010年11月15日 22:52

初めて参加しました。 
森のご本を購入して読んでおります。

投稿: 大和家族 | 2010年11月16日 08:02

ようやくパソコンが使える様になり先生にコメント出来る様になりました。今66歳になり父、母より学んだ生長の家の御教えを反復している処です。いろいろな事業をして来ましたが、それが出来た事が感謝の一言です。そこで今までの経験を生かして人と自然の調和のため後半の人生を全うしたいと思っています。一時は産廃ビジネスもしましたが、所詮そのことをするのも人である故に雅春先生は人の道を説かれていた、またここで雅宣先生が実践しようとされていることに感動しています。

投稿: nakaihisakatu | 2010年11月16日 10:18

丸山さん、
 講習会参加、ありがとうございます。質問が多かったことは、私にとってもよい刺激になりました。

TIさん、
 ご丁寧なご挨拶、ありがとうございます。宗教と政治の関係は大変難しいですが、また大変重要だと考えています。特に、今日のイスラーム圏での様々な混乱を見聞するにつけ、学ぶことは多いです。ところで、本欄では、コメントは本名でお願いしているので、今後はよろしくお願いします。本名を公開できない事情がある場合は、その理由を私に知らせてください。

堀さん、
 神奈川の講習会、どうもご苦労さまでした。日本だけではありませんが、政治が目先の利害関係に縛られがちであるのは、残念なところです。

nakaihisakatuさん、
 コメント、ありがとうございます。
 パソコン人生の開始ですね! 本欄にコメントをくださる方で、90歳近い人もいます。皆さん、年齢にかかわらずチャレンジ精神が旺盛なのに驚かされます。なにせ、人間は神の子ですから……。(笑)

投稿: 谷口 | 2010年11月16日 14:07

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