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2010年10月11日

実相を拝せば軍備は不要?

 昨日は東京・調布市の生長の家本部練成道場など4会場で、東京第二教区(多摩地区)の生長の家講習会が開催された。日本各地では「大雨」の予報が出されていたが、この日の当地の降水確率は府中が午前40%、午後20%、八王子は午前40%、午後30%で、小雨がパラつく朝だった。私はメインの会場(調布市)の様子しか知らないが、午後からは雨は上がり、青空の出る清々しい天気となったことは、ありがたかった。同教区では今回、青梅市に会場を新たに設けることができたこともあり、4会場合計の受講者が前回より195人多い6,427人になったのは誠に喜ばしい。この場を借りて、同教区の幹部・信徒の皆さんに心から感謝申し上げます。講習会後の幹部懇談会でも、努力が実った喜びの声が多く聞かれた。
 
 私の講話に対する質問も「22通」と多く出た。時間の都合でそのうち半分も答えられなかったが、このうちホットな国際問題についての質問は、印象的だった。これは、私が午前中の講話で「北朝鮮も悪ではない」という意味のことを言い、軍備の問題に触れたために出されたものだ。神奈川県平塚市から来られた65歳の主婦の方からのもので、質問用紙にはこう書かれていた--
 
「軍備のことですが、北朝鮮他、実相を拝していましたら軍備をしなくて良いのでしょうか。現実問題として、生長の家では、どのように考えたら良いのでしょうか」。

 この質問には、「実相」と「現象」の区別をしながら現実にどう対処するかという難しい問題が含まれている。私は、夜空に皓々と照る満月を見ることと、その月が湖面に映って乱れる姿を見ることに喩えて、この問題を説明したのだった。すなわち、前者の月が本物だと分かっていれば、後者の月を見ても心を乱さずに湖面の出来事に対処できると述べたのだ。が、質問者にこの喩え話の意味がどれだけ伝わったか分からない。
 
 ちょうどこの日の新聞には、北朝鮮の金正日総書記の後継者として登場した金正恩(キム・ジョンウン)氏が、平壌市の国立演劇劇場を視察したときの写真が載っていたから、20代後半と言われるこの“若き将軍候補”と、日本は今後長く付き合っていく可能性が現実のものとなっている。また、今日(11日)の紙面には、金正恩氏が党中央軍事委員会副委員長として、平壌で行われた軍事パレードの前で父親と並んで閲兵している写真が掲載されている。『日本経済新聞』によると、この軍事パレードは3年ぶりの開催で、金親子の前を通るパレードの中には、射程距離が3千キロ以上と推定される「ムスダン」という新型の中距離弾道ミサイルが8基あったという。このミサイルは、日本列島をはるかに超え、グアム島などにも達するとされ、今回初公開である。つまり、北朝鮮はこのパレードで、「これからもアメリカに対する核抑止力を充実していく」との意志を明確にし、それを推進する後継者も決まったことを誇示しているのである。上記の質問は、そういう隣国に対して、日本は国の安全保障をどのように講じるべきかという設問でもあるのだろう。

 生長の家は、これまでにも軍備を否定したことはない。かつては「戸締り論」の立場から防衛力を肯定し、また「病院」や「警察力」と同様の現象処理機関として、自衛隊の存在を肯定してきた。人間の実相は肉体でなく生きとおしの生命だが、現象世界には“神の子”の実相を知らずに生活する人々が大勢いる。それらの人々が“悟り”に至るためには、肉体の健康を維持することが必要な場合が多い。また犯罪が抑止され、社会の秩序が保たれることは、多くの人々の魂の修行には必要である。さらには、現象界においては、「他人の病気を癒す」とか「犯罪を防ぐ」とか「秩序を保つ」ということは、神意の現成の一過程であるから、有意義であり尊いことである。だから、そのような実相顕現の場、現象表現の場を護り、維持していくことは重要であり、価値ある営みである。つまり、国の防衛力は現象的には必要であり、価値あるものである。その反面、警察力や軍隊組織は、使い方しだいでは“善”とは逆の方向に働くことがあることを十分心得ておかねばならない。戦前の日本社会の経験が、それを有力に教えてくれる。また、今の時代でも、検察官が証拠捏造疑惑で逮捕されるなど、権力の間違った行使は起こっている。病院についても、過剰な薬剤投与や治療などの“行き過ぎ”の問題があることを忘れてはいけない。
 
 これらの現象処理機関は、上記の比喩を使えば、湖面に映った満月の姿をできるだけ乱さないためのものであるが、その目的に沿う運営が行われているかどうかは、各国によって事情が違う。日本はその運営が比較的うまくいっている国だが、北朝鮮はそうとは思えない。国民の基本的人権は護られず、軍備に偏重した資源配分によって貧富の差が著しい。加えて、国家の指導者の行動を制御したり規制する政治的、法的メカニズムも存在しないから、“暴走”の危険性は高く、現に“暴走している”と言ってもいい。そういう国からの悪い影響をできるだけ受けないようにするための現象処理機関は、したがって必要である。しかし、このことと、北朝鮮の国民や指導者を“悪”と見たり、“悪の枢軸”などと考えることとは、意味が違う。
 
 上記の比喩を再び使えば、湖面に映った月の姿がどんなに乱れていても、上空では満月が皓皓と輝いているという事実(実相)は、何ら影響がないのである。だから、日本国民としては、北朝鮮国民や指導者の実相は“神の子”であるということを信じながら、また、現象的にその本質が顕現されることを祈りながらも、彼らの迷いによってわが国の主権や社会秩序が乱されないような対策を講じることには、何ら矛盾はないのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

雅宣先生、はじめまして。
先日、栄える会の人からチケットをもらって初参加しました。
ライブで聞けて楽しかったし、そのお話がブログになってるって感動です!!

投稿: 辻井映貴 | 2010年10月14日 08:52

総裁先生。
ここで先生が教示されておられることに、私は全く同感です。ただ、「実相」について私は”よく理解している”とは言えませんので、それについては私なりの受け止め方ではありますが。「現象処理機関」としての「軍備」についても、国民国家というものが存在する限り、その要素として肯定されるものだとおもいます。その上で言えば、北朝鮮についても中国についても、私たち(とくに生長の家の方)は”社会科学的な把握”をすることが必要であり、それを前提にして「現象処理」を考えるということに習熟すべきではないでしょうか。その点では、総裁先生のブログは良い教科書であるとおもいます。
私は谷口清超先生の『新生と解脱のために』の中の「戦争と平和」及び「体験から何を学ぶか」を、このたび拝読しまして貴重な示唆をいただきました。ひとつは、清超先生が「日本が平和を求めることは、もはや日本一国だけの問題ではなく、全世界の平和に関連するという時代になった」という時代認識をされていることです。そこで、『日本の実相顕現の神示』から戦争は「神が戦いをさせているのではない、迷いと迷いと打合って自壊する」ものであり、「神の教えは『自給他足・他給自足』」であると教えておられることです。
もうひとつは、水野広徳氏(日露戦争で水雷艇長、第一次大戦の教訓から日米戦争に反対)が結局は「『閉塞された心』の懊悩を肉体上に表現して死んだ」ことに関連して、私にとっても誠に大切なことを教えておられることです。それは「真の『神の国』に超入する信仰をもつことが肝要だ。これが欠けると、単なる思想や哲学の論争だけでは、苦悩の解決と大安心の境には至らずして、この世を去ることになる」という点です。

投稿: 水野哲也 | 2010年10月15日 11:12

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