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2010年10月31日

山口県の“大成功”

 今日、山口教区で行われた生長の家講習会は“大成功”という言葉を当てはめていいだろう。すでに妻がどこかに書いているが、受講してくださった人の数は、前回より313人(6.5%)多い5,164人で、内訳も、白・相・青の3組織そろって前回を上回った。この主な原因は、前回までは周南市の1会場に絞って行われていたものを、今回は信徒の多い岩国市と下関市の2箇所に会場を増やし、合計3会場で行ったことだろう。このため、これまで“お客さん”のように、一歩下がった取り組みをしていた岩国、下関周辺の幹部・会員の皆さんが、責任感とヤル気を出して推進と運営に取り組んでくださった。誠にありがたい。坂次尋宇・教化部長を初めとした教区の幹部・会員の皆さんに、この場を借りて心から御礼申し上げます。ありがとうございました。
 
 講習会後の幹部懇談会でも、喜びの声が多く聞かれた。各人の発表によると、「会場を増設する」ことだけが成功の原因ではなく、日ごろからの活動においては、いわゆる“単層伝達”を実現するために、組織の各層の責任者に役割を与えて「任せる」一方で、誌友会の開催率を上げて組織を活性化したことが好結果に結びついたようだ。こちらの教区では、「技能と芸術的感覚を生かした誌友会」も多く開催しているというから、これも活性化に一役買ったのではないかと思う。
 
 山口教区では、環境を意識した取り組みも盛んだという。教化部では、毎月1回「ノーカーデー」を設けて、職員の車の使用を制限することで通勤によるCO2排出の削減をShunanaddr1しているほか、自然豊かな敷地で草刈りなど、自然と人との触れ合いを進めている。また、組織においては、白鳩会が会合での食事を手弁当に切り替えたり、会議や行事のための移動にもできるだけ公共交通機関を利用しているほか、空き缶の回収、EM菌を使ったボカシ作りなどをしているという。相愛会はすでに2年前、敷地内に70本の植樹をしていて、これを防風林に育てるための草刈りなどをしているという。

 さて、メイン会場が設けられた周南市の話にもどるが、ここには東京を連想させる地名がいくつもある、と坂次教化部長が教えてくれた。そこで徳山駅の近くを歩いてみると、なるほど「有楽町」「銀 座」「千代田町」などがある。その理由を聞くのを忘れたが、この地を含む山口県からは国Shunanaddr2_2 政レベルの政治家が多く出たからか……などと考えてみる。しかし、わざわざ東京を真似た地名を作るというのは、見方によっては故郷をバカにしていると思われるだろう。だから、その可能性は低いと思う。それに、東京にある同名の地とこちらの土地を比べると、広さを含めて差があまりにも大きい。偶然の一致だと考えた方がいいのかもしれない。

 上の文章を書いた数日後、山口教区の坂次尋宇・教化部長から周南市の町名の由来について、同市農林課から「徳山の町名由来記」  という文書を入手したとの報告をいただいた。それをここに掲げるので、興味ある読者は読まれたい。結論的に言えば、東京の町名等との類似は“偶然の一致”などではなく、考えに考えたすえのことで、一元的に決まったのではなく、様々なケースがあるのだという。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月30日

生物多様性と文化の多様性

 名古屋で開催されていた「生物多様性条約第10回締約国会議」(COP10)で、生物多様性を守る世界的な取り組みについてようやく合意が成立した。190を超える国や地域の代表が集まり、13日からの事前会合を含めると2週間以上にわたって続いた協議は、生物資源を多くもつ途上国と、それを利用する技術を有する先進国の意見が対立して難航したが、会期を延長した30日の未明になってやっと合意に達し、生物の利用や利益配分の枠組みを定める「名古屋議定書」を採択した。この議定書は、京都議定書に続いて日本が主導的役割をはたして成立させた国際条約だ。内容的には途上国、先進国ともに不満の残るものだが、これを出発点として、「毎年4万種」といわれる生物種の絶滅をくい止め、さらに自然と人間との共存・共生へと向かう契機としたいものだ。
 
 ところで、今日は山口県での生長の家講習会のため西へ飛んだが、JALグループの機内誌『スカイワード』の10月号に作家の浅田次郎氏が書いた「多様性と二者択一」というエッセーを、楽しく読んだ。何か小難しいことが書いてあるような題だが、そんな内容ではなく、近頃のレストランで出るスパゲッティーの種類が多いことについて書いた愉快な一文である。とは言っても、戦後の日本の食文化の変化の本質を、浅田氏の体験を交えて酒脱に描いている。内容を簡単にまとめれば、戦後しばらくはスパゲッティーの種類は「ミートソース」と「ナポリタン」の2種類しかなかったが、その後の国際化と多様化のおかげで、今の街では、旧来のものは消えたが、その代りに選択に困るほど多くの種類のパスタ料理があふれている。これは一見、多様性の産物であるように見えるが、実際は昔あったような喫茶店文化が衰退しているからだ--こういう分析である。
 
 私は浅田氏と同年代だから、氏が懐かしがる「喫茶店文化」の良さがよく分かる。10月23日の本欄で旭川市の喫茶店の話を書いたが、そういう落ち着いたインテリアで、客が何時間いても関知しないような雰囲気の店は、最近はめっきり減ってしまった。その代り、照明は明るくても、硬い床、硬い椅子、アップビートの音楽を流す騒がしい雰囲気のセルフサービスの店が主流になっている。コストカットと機能優先の競争社会が、多様性を犠牲にしているように見える。ただし、戦後の変化で評価できるものもある。それは、「禁煙」や「分煙」の喫茶店が増えていることだ。また、国内の喫茶店やコーヒーショップの全体の数が減ったわけではないだろうから、スタバやドトールの登場は、喫茶店全体の多様性を増したと言えるだろう。が、問題は、そういうフランチャイズ店やチェーン店ばかりが伸びていることであり、それは多様性の減退と言わねばならない。
 
Shunan_01  今日も講習会で来た周南市の駅周辺を歩いていて、それを強く感じた。この近辺も御多分に漏れず、人口減少と郊外型の大型店舗がふえたことで、駅前商店街が衰退している(=写真)。大型店舗のほとんどは東京資本で、見慣れたロゴマークと店構えが“旅”で来たという印象を薄めてしまう。こういう店が日本国中に広がると、そこで売られる製品やサービスが画一的であることはもちろん、街の風景や人々のライフスタイル、ものの考え方や価値観なども、全国で均一化していくだろう。これでは多様性が失われるばかりだ。
 
 多様性が失われることの問題は、生物多様性について考えてみれば分かる。例えば作物の場合、単一種の栽培が大々的に行われると、病原菌やウイルス、あるいは“害虫”などの被害は甚大なものとなる。また、気候変動で天候が作物に適しなくなっても、不作から来る被害は甚大になる。この現象を文化面に置き換えると、東京の消費文化が地方を席捲するということだ。地球温暖化と人口爆発の時代における“消費文化”は一種の疫病である。それが広まることで人類は不幸になるからだ。となると、消費文化の地方席捲は、日本全体を痛めつける結果になるだろう。

 東京のような大都会では頻繁に、新旧交代が行われる。去年隆盛を誇っていた店舗が、今年はもう取り壊されて別の店舗になる。そんな文化が日本全国に広まったら、「もったいない」という言葉に代表されるような日本のよい伝統は消えてしまう。自然との一体感もなくなるだろう。そういう意味で、私は地方の衰退を悲しむのである。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月28日

谷口清超大聖師二年祭にあたって

 今日は午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館ホールで「谷口清超大聖師二年祭」が行われた。12月並みの気温の寒い日だったが、東京近郊の幹部・信徒の方々が参集してくださり、しめやかではあるが、笑いや拍手も起こる和やかな雰囲気の中で、谷口清超先生の教恩と御徳を偲ぶよい御祭になったと思う。私は最後に、概略以下のような挨拶を述べた:

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 皆さん、本日は冷たい雨の中、谷口清超大聖師二年祭にお集まりくださり、有難うございます。
 
 谷口清超先生は、昭和60(1985)年に総裁法燈継承をされてから平成20(2008)年までの23年間、生長の家の総裁として私たちを温かく、ときには厳しく御教導くださいました。私は2年前の追善供養祭のときには、清超先生の自由を尊重される御心のおかげで、生長の家の今日の運動があるということ、また私個人もそこから大変な恩恵を得ていることをお話ししました。今日は、その「自由」の展開は神意にもとづかねばならず、清超先生はそのことを最大限に強調されてきたということを申し上げ、清超大聖師をお偲び申し上げたいのであります。
 
 谷口清超先生は、昭和60年の生長の家総裁法燈継承のあった記念式典のときにご挨拶をされています。このお言葉は、清超先生が生長の家総裁として初めて正式に対外的に発せられたお言葉ですから、大変重要なものです。宗教の導師の言葉を政治家の言葉と比較することは語弊を生むかもしれませんが、あえてそれをすれば、一国の大統領なら、その大統領就任演説、日本の首相だったら、就任後最初の施政方針演説に当たるものと言えます。ですから、このお言葉は後に「中心帰一の真理」と題されて、『新編 聖光録』や生長の家地方講師の活動指針である『求道と伝道のために』の中に収録されました。皆さんもきっと読まれたことと思います。その中に、次のような箇所があります--
 
「真理というのは、その時その時に応じて色々な相(すがた)をもって展開されねばならない。そこがイデオロギーや運動方針とは違います。イデオロギーならば色々と文字に書きあらわすこともできるかもしれないが、それは『真理そのもの』とは違うのです。そこの所をよく諒解していただかないと、過去の歴史を繰り返せよということを、相承と思い違えたりする。この点は皆さんにも充分ご理解いただく必要がある。そしてこれからの運動はやはり中心帰一の原理を説く生長の家の運動でありますから、中心帰一を守りつつ大いに大々的に展開していきたいと念願している次第であります」。

 ここで言われている「中心帰一」とは、「夫に従え」とか「教化部長に従え」というようなレベルの話ではありません。「神の御心」が何よりも大切であるということです。「神の御心」とは、宗教的な“真理そのもの”です。それは言葉では表せず、説きつくせない部分があります。この神の御心を現象世界である実生活に展開していくためには、公式的なイデオロギーや学説では足りない。また、先師の言ったことの一言一句を自分はそのまま説くのではない、ということです。清超先生は、このお言葉を述べられたときには、日本が現代史において経験した戦争の話をされています。日清・日露戦争に始まり、満州事変、日中戦争、そして大東亜戦争にいたるまでの歴史に触れ、それが昭和天皇の御心に反し、神の御心にも反していた、と述べられたのです。これは、谷口雅春先生が昔述べられていたこととは多少違うのであります。

 このお話から四半世紀--25年がたちました。多くの信徒の方は、このお言葉の重要性を理解し、納得してくださったのですが、一部にいまだに理解不十分な人がいて、生長の家は谷口雅春先生の時代とまったく同じ行動をし、生長の家総裁は雅春先生と一言一句同じことを繰り返さねばならないと主張しているのは残念なことです。戦争の問題に関しては、谷口清超先生は、生長の家総裁法燈継承後に2冊の本を出され、その中で、生長の家の信仰においては“聖戦”というものはありえず、現代において日本が関与した戦争は神の御心に反していたということをハッキリ述べられている。そのことを今日はぜひ、皆さんも改めて確認していただきたいのであります。
 
 先ほど触れた2冊の本というのは、『新しい開国の時代』(平成元年)と『歓喜への道』(同4年)です。特に、最初の『新しい開国の時代』という本は、私が広報・編集部長をしていたときに、清超先生と直接相談しながら作った本ですから、その頃の先生のお気持が私にはよく理解できるのです。
 
 日本が戦前、朝鮮半島や中国大陸に派兵したことについて、『新しい開国の時代』の40頁~41には、次のように書かれています--
 
「しかし本質的に言うならば、満州はどこまでも満州民族のものであって、日本のものではない。それ故、その利権を守ろうとすることは、日本が日本固有のものでないものにしがみつくことになる。これを満州民族あるいは中国人から見ると“日本が侵略している”という厳然たる事実とされる。それはもはや、日本がどんなに好意的な態度で善政を布いたとしてもさけることの出来ない“拒否反応”であることは、他人の心臓を移植した時と同じである。すべて拒否反応というものは、それを受け容れたら、死ななくてすむのに、生体は拒否することによって、死に到って尚かつ拒否するのである。
 それは、そのような現象の奥にやどる“理念の生”の強烈な自己主張であるのだ。従ってその“生”こそ本来的なもので、“死”は外面的な現象に他ならない。しかし現象的には、死が発生する。これが満州事変の拡大となり、さらに支那事変としてより深刻化し、遂に大東亜戦争にまで発展して“死相”が全東亜に拡大した原因である」。
 
 ここで先生がおっしゃっているのは、当時の国際政治の常識では、日本が朝鮮半島を植民地化したり、日露戦争でロシアに勝った日本が、ロシアがもっていた満州の利権を引き継いだりすることは許されてしかるべきだったが、それは“神意”ではなかったということです。人間社会においては、「民族自決の原則」はこの時代には国際的に認められていなかったが、それは本来的な“理念の生”の自己主張だった--つまり、臓器移植をする際に、他人の臓器を患者の体が激しく拒絶するのと同様に、他民族の支配を拒否するということは、国や民族が「生きる」ということの本来の在り方だったと述べておられるのです。しかし、日本は、「欧米各国がこれまでやってきたのと同じことをして何が悪いか」という次元でしか、国際政治をとらえられなかった。そして、大国として生きるために資源や権益に執着したのです。この「執着心」が戦争の原因だと、清超先生はハッキリと述べておられます。同じ本の58~59頁を朗読します--
 
「何故日本が、満州事変から支那事変さらに大東亜戦争へと引きずられて行ったか、その根本には、やはり日本が満州の資源や権益を非常に重大視して、それに執着したからであった。いや日本だけではありません。その当時、世界中の国々が自分の持っている資源とか権益を拡大する方向に進んで行き、植民地を作ったり、資源獲得の競争をしたりして、有限の資源をできるだけ早く手中に収めようという方策を執った。日本はその競争に少し出発が遅れたのですが、どういう訳か、満州という国土の資源が手に入った。これは元を正せば、満州と朝鮮半島を侵略したロシアの持っていた財産を、日露戦争で日本が受け継いだからであるが、その満州の権益を日本は非常に大事に思い、それに執着しすぎたのです。その為にその権益が失われそうになると、満州にどんどん軍隊を増派した。当時から満州は日本の生命線であると内閣声明で謳っていたのであるが、天皇様は“満州事変は拡大するな”との御意思をお伝えになっていられたのであって、満州の資源を是非とも確保せよとは仰言っておられなかった。その食いちがいが非常に問題であると、私は再三にわたって各地の講習会で指摘しております」。

 このご文章は、昭和61年2月9日の生長の家栄える会全国大会での講話の筆録でありますから、谷口雅春先生が亡くなられてから約半年がたった頃のお話です。つまり、清超先生は、雅春先生のご昇天後の講習会では各地を回りながら、「戦争の原因は人間の執着心である」ということを説き続けられていたのです。戦争の問題について書かれた2冊の著書には、「大東亜戦争は聖戦だった」などということはひと言も書かれていない。それどころか、清超先生は、神が望まれる“聖戦”などというものは存在しない、と繰り返し説かれてきたのです。このことを今日、清超先生の二年祭にあたって、ぜひ皆さんと共に再確認したいのであります。生長の家には“聖戦”などという言葉は存在しないのです。また、資源や利権に執着することで戦争は起こるということです。
 
 なぜ私がこれを今、強調するかと申しますと、現在の国際関係では、またまた資源獲得競争とか、利権の拡大競争が起こってきているからです。しかも、それと併行して、地球温暖化にともなう気候変動が深刻化しています。この2つの問題への解決法は、他から奪わない自然エネルギーの開発と利用であることは明確なのですが、その方向に進むにはコストがかかると言って、多くの国や企業が化石燃料や原子力の利用をやめようとしない。日中間でも最近、尖閣諸島周辺での領土的争いが顕在化しています。この背後には、この地域での天然ガスの開発の問題があることは皆さんもご存じのとおりです。また、これに関連して、中国が先端技術に欠かせない稀少資源であるレアアースの日本への輸出を制限した問題も脚光を浴びています。このように、資源や利権に執着する動きが世界各地では起こっている。そういう時期だからこそ、私たちは谷口清超大聖師が説かれた「執着を去れ」という教えを今、実生活に展開していかねばならないのです。
 
 具体的に言えば、自然から奪い、他国から奪い、貧しい人々から奪う結果となる化石燃料の使用をやめて、豊かにある自然エネルギーの利用を通して、人々や動植物と共存し、さらには与える生活の実現を目指していかなければなりません。谷口清超大聖師二年祭にあたり、清超先生の教恩に限りない感謝を捧げ、その教えにもとづいた運動をさらに拡大していく決意を新たにするものであります。ご清聴ありがとうございました。

 谷口 雅宣

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2010年10月27日

ウサギの長老 (2)

 ウサギは、長老の話を聞いているうちに、自分が何を知りたくてこの山へ来たのか、分からなくなってきました。そこでウサギが茫然として空を見上げていると、長老が言いました--
 
長老--「さぁ、ここに来て私といっしょに瞑想をしてみないか?」
ウサギ--「何のためでしょう……」
長老--「何のためでもないさ」
ウサギ--「目的もなく座るのは、時間のムダじゃないでしょうか?」
長老--「そんなことはない。物事は“ムダだ”と思えば、すべてがムダに思えてくる。我々ウサギが存在するということだって、ムダだと思えばムダなんだ。なぜなら、地球はそのうち灰になるのだから……」
ウサギ--「ええっ? そんなバカなことが!」
長老--「ちっともバカなことじゃない。君が尊敬している人間がそう言っているのだ」
ウサギ--「地球が灰になるというのは、山火事が広がるということですか?」
長老--「そんな簡単なことじゃない。山火事だったら、人間が消してくれるだろう。人間が得た知識によると、太陽が膨張してきて、地球の軌道を覆ってしまうということだ」
ウサギ--「それなら、人間も灰になる……」
長老--「そのとき地球上にいれば、の話だがね」
ウサギ--「そのときって、いつですか?」
長老--「ずっと先の話だ。100年とか200年先ではないぞ。その1億倍ぐらい先のことだ」
ウサギ-「ええっ! そんな先のことが分かるなんて、人間はやっぱりスゴイ!」
長老--「それが分かって、何の役に立つのかな?」
ウサギ--「地球を脱出する準備ができます!」
長老--「いったい誰が脱出するんだ。そのころには、人類は絶滅しているかもしれない。そんなことよりも、隣の国や民族と戦争しない方法を知ることのほうが、よほど重要じゃないか? 核戦争や細菌戦争をやれば、人類以外の生物も大量に死滅するんだ」
ウサギ--「長老さま。それなら言葉や知識は何の役にも立たないんでしょうか?」
長老--「私はそんなことを言ってない。言葉も知識も役に立つものは役に立つが、役に立たないものもたくさんある、ということだ」
ウサギ--「では、役に立つ言葉、役に立つ知識を教えてください」

 それを聞くと、ウサギの長老は体をゆすって笑いはじめました。
 
ウサギ--(憮然とした表情で)「何がそんなにおかしいんです?」
長老--「何がおかしいって……役に立つか役に立たないかは、君が決めることなんだ。誰にでも役に立つ言葉、なんてものはない。誰にでも役に立つ知識、なんてものもない。君の役に立つ言葉、君の役に立つ知識があるだけだ。それは、必ずしも私の役には立たないかもしれないし、君の父君の役にも立たないかもしれない」
ウサギ--「では、私の役に立つ言葉、私の役に立つ知識を教えてください」
長老--(首を横に振りながら)「そんな質問では、望む答えはもらえないゾ。いったい君は、何の役に立つことを知りたいのだ? 何を知りたくてここへ来たのだ?」
ウサギ--「そう聞かれると、私はわからなくなります」
長老--「だから、言っただろう。ここへ来て瞑想をしてみよう。君は自分自身を知らないでいて、他のものを知りたいと思っていないかな? 心が不安で、うわついているだけではないのかな? それを鎮めることで、自分が何を知りたいかがわかるかもしれない」
ウサギ--「わかりました、長老さま。今、そこへ参ります」

 こうしてウサギは、長老と並んで洞窟の中で瞑想をはじめたのでした。

 谷口 雅宣

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2010年10月26日

ウサギの長老

 (この話は、「ウサギとカメ」シリーズの続編です。電子ブック版も参考に…)

 ある島に、ウサギとカメが住んでいました。ウサギはすばしこくて、走るのが得意で、いつも競争相手をさがしていました。カメはゆっくり動くのが好きで走るのは遅かったですが、自分のまわりのものによく気がついて、ていねいで、根気が強いのでした。
 ウサギは最近、人間の言葉を勉強しはじめました。人間が言葉の力を使うことで、偉大な業績をなしとげてきたことを知ったからです。ウサギが新しい言葉を覚えるきっかけになったのは、ある日、島に人間が上陸して、古い雑誌をいっぱい捨てていったからでした。ウサギはそこに印刷されている言葉が、自分の知っている言葉よりもはるかに多く、書いてある内容もわからなことばかりなので、大きな衝撃を受けました。そこで、島のいちばん高い山の上に住んでいるウサギの長老のところへ行き、教えを請うことにしました。
 長老は、海を見下ろす岩山の洞窟で、静かにすわっていました。
 
ウサギ--「長老さま、長老さま、こんにちは。お元気ですか?」
長老--(瞑想をしていた目を開いて、ウサギを見る)「なんだか、さわがしいね……」
ウサギ--「すみません。お忙しいのにお邪魔して……」
長老--「いそがしくはないが、何だね?」
ウサギ--「あのぉ……教えていただきたいことがあるんです」
長老--「何を知りたいのだ?」
ウサギ--「言葉です。人間が使う言葉をたくさん覚えたいんです」
長老--「覚えて、どうするのだ?」
ウサギ--「人間が書いた雑誌や本が読みたい」
長老--「読んで、どうするのだ?」
ウサギ--「人間のように賢くなって、いろんなことができるようになる」
長老--「いろいろのことができるのが、なぜいいのだ?」
ウサギ--「世界の可能性が開ける……」
長老--「世界の可能性ではなく、自分の可能性だろう?」
ウサギ--「そうかもしれません。でも、もっと広い世界を知りたい!」
長老--「それはいい目的かもしれないね。でも、知れば知るほど、世界は分からなくなるかもしれないぞ……」
ウサギ--「ええっ? 知ることは分かることではないんですか?」
長老--「知ることは、よけいなことを考えることにもつながるぞ」
ウサギ--「世の中に、よけいなことなんてないと思います」
長老--「それはどうかな……」
ウサギ--「知識は力です。人間は、知識を増やすことでほかの生物を征服したんじゃないのですか?」
長老--「ふーむ。君はそう考えるのか……。しかし、地球の反対側のどこかの土の中にいるミミズが、今日は何を食べたかを知っても、君の生活がどう変わるのかねぇ。そんなことよりも、君の好物のニンジンがこの島で育つかどうかを知ることのほうが、よほど意味があるのではないかね?」
ウサギ--「それは、そうですが……」
長老--「だから、よけいなことを知るよりも、自分の生活に関係のあることを知る。そのほうが賢いウサギだと思うよ」

 谷口 雅宣

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2010年10月25日

万聖節に立ち上がる

 日本ではハローウィンが人気の行事となりつつあるが、この“お祭り”の起源が中世キリスト教の「万聖節」(All Saints' Day)と関係していることは、読者もご存じだろう。万聖節は、カトリック教会では「諸聖人の祝日」と呼ばれ、11月1日をその日とすることが西暦800年ごろに固定したという。要するに、教会から“聖人”と認定された人々を記念する日で、ローマ教皇グレゴリウス4世(在位827-844)の時代に、正式に教会の祭日として確定したという。ところが、万聖節にはもっと古い起源があって、ヨーロッパでの新年を祝う日だった。この前日の夜、農民たちが行う“火祭り”の行事がハローウィンの本当の起源らしい。この日は、放牧中の家畜が寒さで弱らないように畜舎に入れ、同時に、死者の霊を自宅の炉端に迎え入れる日だったという。農民たちは自分で火を焚いて先祖の霊を導き入れ、悪魔を追い払う行事をした。そういう“異教”の習慣をやめさせるために、カトリック教会は万聖節を11月1日に定め、翌2日を万霊節(All Souls' Day)として、キリスト教の中に取り込んでしまった。日本の仏教でいえば、お彼岸かお盆に当たる日を、「天国で神のもとにあるすべての死者の霊を慰める日」に変えてしまったのだ。これは、クリスマスを12月25日の不敗太陽神の復活祭(冬至祭)に充てた話とよく似ている。
 
 ところで、ハローウィンを祝う10月31日は、プロテスタントでは宗教改革記念日であることを読者はご存じだろうか。私は、プロテスタント系の学校で教育を受けながら、このことをつい最近まで知らなかった。教科書的な表現をすれば、マルティン・ルターは1517年の10月31日の正午、カトリック教会を批判する『95カ条論題』なるものを、ヴィッテンベルクの城教会の扉に貼り出したことで、宗教改革は始まった。ただし歴史家は、この日付と場所を疑っている。が、ルター自身は、自分と「ローマ法王庁の論争がはじまったのは、1517年の諸聖人の祝日であった」と語ったという。敬虔な修道士であったルターは、だから、この区切りのいい、意義ある記念日を明確に意識して、当時の教会権力に“反対”の狼煙を上げたと考えるべきだろう。
 
 ルターが反対したことで有名なのは、当時の教会が発行していた贖宥状(しょくゆうじょう)である。これは、一般的には「免罪符」と呼ばれてきたものだ。ヨーロッパ教会史に詳しい歴史学者、永田諒一氏は、この免罪符とは何かを次のように描いている--
 
「これを買えば、信仰上の違反行為や怠慢が許され、結果として来世の天国が約束されるという御札である。当時のローマ・カトリック教会の長であった法王レオ十世は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂を再建する費用を得るために、ドイツで贖宥状を大々的に売り出していた。しかしルターは、修道士としてのそれまでの修行と思索から、死後の魂の救済は、そのような現世的行為によってではなく“信仰のみ”によって達成されるという確信を得ていた。そのことを神学的問題提起の形でまとめたのが『論題』であった」。(『宗教改革の真実』p.18)
 
 このように「金銭によって罪が赦される」とか「金を多く出せば救われる」という考え方に異義を唱え、本当の信仰とは何かを問い詰めたことから、キリスト教の宗教改革は始まった。私たちも「信仰」を重視する立場から、ハローウィンを単に“西洋風の収穫祭”としてエンジョイするだけでなく、この日に合わせて自ら信仰のために立ち上がり、歴史を変えた人々があったことを思う日にしたい。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○永田諒一著『宗教改革の真実--カトリックとプロテスタントの社会史』(講談社現代新書、2004年)

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2010年10月23日

旭川の珈琲店

 生長の家の講習会で旭川市に来た。事前の天気情報では最高気温が15℃、最低は4℃という話だったので、スプリングコート持参である。広大な空には、目に沁みるような青さの中で白い雲が点々としている。刈り取りの終った田がどこまでも続く中、冠雪した大雪山系の山々を横目で見ながら車で走る。木々の紅葉と黄葉が、常緑樹の緑を背に浮き上がって見える--自然のパノラマを堪能しているうちに、灰色のビルが立ち並ぶ市街地に、突然来ていた。
 
Halloween02  午後の早い時間に宿舎に着いたので、市内をゆっくり散策できた。“買い物公園”という名の屋根のない広い商店街で、黒い服装の子供連れの一団が整列しているので近づいていくと、ハローウィンのイベントをしていた。行列を作って歩きながら「トリック・オァ・トリート」と言い、出店の人から何かもらうイベントのようだ。そんな一団は、東京でもあまり見かけない。中には青い目の人、黒い肌の人もいる。なかなか国際的だ。イベント会場では、オバケ・カボチャの製作指導もしていたし、カボチャはタダで提供していた。さすが農業国・北海道である。
 
 私たちは、そんな中を抜けて、お目当ての“あの珈琲店”を探した。妻は、4年前にここへ来たときに入ったというが、私は憶えていない。それでも、商店街から逸れて狭い路地へ入っていくと、何となく思い出してきた。蔦がからまる古い木造の平屋で、錆びた金属製のGarden2 看板がある店……廃業していなければ、まだあるはず……。ありがたいことに、その店は4年前と変わらぬ姿で、そこにあった。珈琲亭「ちろる」である。この店は、間口は狭いが奥行きが深く、裏口を出ると中庭まである。落ち着いた色の木製の家具や暖炉がある中で、人々が静かに談笑している。私の学生時代には、こういう店が東京にもたくさんあった。そこへ入って何時間も友達と話をしていた頃を思い出し、懐かしい気持になる。中庭では、青いベンチの背後に伸びた蔦の紅葉が見事だった。そんな店で、私たちはパンプキン・パイを食べながら半時間ほど過ごし、翌日のための英気を養った。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月19日

マンデルブロー氏、逝く

「フラクタル」という複雑系の概念を生み出した数学者、ブノワ・マンデルブロー氏(Benoit B. Mandelbrot)が14日、アメリカのマサチューセッツ州の自宅で亡くなった。85歳だった。ワルシャワ生まれのフランス人で、後にアメリカへ渡り、永年IBMのトーマス・ワトソン研究所の研究員を務めた後、イェール大学に移った。フランスの大学にも籍を置いて研究を進め、1975年に初めて「フラクタル」という概念を提出し、数学を使って自然界の複雑な現象や構造の説明を試みた。それによると、円や直方体、球などのように「特徴的な長さをもつ形」ではなく、「特徴的な長さをもたない形」が自然界には存在するとし、この形の重要な性質は「自己相似形」だとしたのである。

 この概念は一見難しいようだが、日本でのフラクタル研究の第一人者、高安秀樹氏は実に明快に説明する。それによると、自己相似形とは、「考えている図形の一部分を拡大しSekiran てみると、全体(あるいは、より大きな部分)と同じような形になっている」ということだ。もっと具体的には、「たとえば、雲の形を思い浮かべてほしい」と高安氏は言う。「雲の形にもいろいろあるので、ここでは積乱雲を考えてみよう。もくもくとわき上がった雲の各部分は球に近い形に見えるかもしれない。しかし、よく観察すれば球とみなそうと思った形の中にも無視できないほどのでこぼこがあり、さらに小さな球の集まりをもってこなければよい近似にはならないことがわかる」。こういうように、部分が全体の形に似ており、全体が部分の形に似ているもの。言い換えれば、全体の中に部分があり、部分の中に全体があるような図形や構造を「自己相似形」というのである。
 
 雲だけでなく、自然界は多くのフラクタルで満ちている。海岸線の形、山や谷などの地表の凸凹、アマゾン川の形、肺や血管の構造、立木や根の構造、パセリやカリフラワー、ブロッコリーに見られる特徴的先端構造などは、わかりやすい例だ。私がこの考え方に出会ったのは20年ぐらい前だったと思うが、その時驚いたのは、こういう自然界にある当り前の自然物が、パソコンによって計算式で描けるということだった。単に「パソコンで描く」というと、今ではマウスやペンタブレットを手で操作して、画用紙にペンや色鉛筆で絵を描くような描画を想像する人が多いかもしれないが、そういう手を動かす方法ではなく、手を動かさずに「計算式で描く」のである。もちろん、それによってカリフラワーやブロッコリーそのものが描けるのではなく、それによく似た形が描けるということだ。その描画のための計算式も、とりわけ複雑なものではなく、パソコン用のプログラムにして20行程度ですんでしまう。だから当時、私はプログラムを打ち込んではフラクタル図形をパソコン上に描き、「なぜこうなるのか……」と不思議に思いながら思索に耽ったものである。
 
Mand01  そして、私が引き出した結論は、「自然界にはアイディアが満ちている」ということだった。この場合の「アイディア」とは、「定数」とか「関数」とか「バイブレーション」に近い概念である。カリフラワーの“花”は、そこに実在するのではなく、目に見えない1セットの定数や関数の命令にしたがってカリフラワーの細胞が整列したときに、そこに「出現する」のである。もともとあるのは、目に見えない定数や関数の方であり、物質的存在としてのカリフラワーは、細胞が定数や関数の指示どおりに並んだときの「表現形」であり、一時的な存在にすぎない。となれば、この考え方はプラトンの「イデア論」に近づいてくるし、「理念が物質に先行する」という考え方、さらには生長の家の「実相と現象」の区別にも比較できる。こういう哲学的、宗教的な考えが、数学によって目に見える形で証明される--その可能性に胸を躍らせLambda02 たものだ。
 
 当時、パソコンで描いたフラクタル図形をここに掲げよう。こういう知的興奮と美的経験を与えてくれた“知の巨人”の1人に心から感謝し、冥福を祈るものである。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○高安秀樹著『フラクタル』(朝倉書店、1986年)

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2010年10月18日

福井で受けた“結婚相談”

 昨日は福井教区での生長の家講習会が行われ、前回を255人(11.8%)上回る2,424人の受講者の方が集まってくださった。白・相・青の3組織そろっての増加である。

 今回の受講者増加の大きな要因は、同教区で初めて複数会場による受講を実現したことだろう。ただし、その準備の過程では、教区の幹部・信徒の方々には相当のご苦労があったと聞いている。前回の受講者数は2,169人だったから、普通の教区では1会場で行うか、多くても2会場の規模である。しかし、福井県は南北に長い地形で、県庁所在地の福井市が同県の北側にあるという特殊な事情がある。ここから南に敦賀市まで行き、さらに西の端の小浜市まで行く距離は、福井市から金沢市までの距離より長く、直線距離では、福井市から岐阜市までの距離に匹敵する。そんなことも考えて、今回は敦賀市と小浜市に新しい会場を設け、3会場の同時中継で講習会を開催したのだろう。結果は、敦賀市、小浜市近郊の信徒の人々が燃えて、さらに同県周辺の教区から参加者も集まり、2桁の増加を示したと推測する。竹内智・教化部長を初め、福井県の幹部・信徒の皆さんには、心から感謝申し上げます。

 私の午前中の講話に対する質問も12通と比較的多く、質問者の住所も多様なのが印象的だった。福井県下はもちろんだが、富山県富山市、同県魚津市、京都府宮津市、大阪府寝屋川市、それにアメリカのフロリダ州に住む人からも質問があったのは、驚いた。この人の場合は、「福井県の実家に帰っていた」という説明が添えられていたから、例外的なケースだろう。それらの質問の中に、35歳の女性からの次のようなものがあった--
 
「唯心所現というお話をよく聞きますが、この部分がやっぱり自分自身で理解しにくいです。今の私で言えば、なかなか結婚をすることが出来ずに悩みます。でも、生長の家では“必ず魂の半身はいるから信じて神に全托せよ”と言われますので、信じて想念に描いていますが、状況は逆の方向に向かい、もう信じることが出来なくなって来ました。これは、私が本心で結婚を望んでいないということでしょうか? 潜在意識がそれを望んでいないということでしょうか?」

 私は講習会の講話で、「質問を受け付けるが個人的な悩みの相談は避けてほしい」とお願いするのが常だ。昨日もそう言ったのだが、それでもこの質問が来たのである。だから、質問者は相当悩んでいるのだろう。提出された質問には、午後の講話のときに時間が許すかぎりお答えしているが、この質問には答えなかった。質問者の抱える事情が、これだけではほとんど分からないからである。しかし、同種の悩みを抱えている人は、男女を問わず、本欄の読者にも多くいると思うので、“一般的な回答”をここで簡単に述べることは意味があるだろう。
 
 まず、「唯心所現」の意味は、「心で思うことが実現する」というような単純なものではない。その点は質問者自身も自覚していて、「潜在意識」や「本心」が何を望んでいるかを問題にしている。つまり、自分の現在意識は「早く結婚したい」と願い、人生の伴侶たる相手を、心の中で強く思い描くことをしているらしい。恐らく神想観を実修しながら、そう念じているのだろう。が、そういう努力にもかかわらず、「状況は逆の方向に向か」っているというのだ。これは多分、付き合っている男性とうまくいかず、相手と別れるという事態になっているのかもしれない。だから、自分の本心/潜在意識は、結婚を望んでいないかもしれない--そういう不安を抱いているのである。結婚をしたくてもなかなかできないという悩みを抱えている人は、「自分は本当に結婚を望んでいるのか」を、一度真剣に検証した方がいい。

 結婚とは、ひと組の男女が互いに裸になって向き合うことである。これは何も肉体的なことを言っているのではない。もちろん、結婚すればそういう事態に自然に到るのだが、心と心が裸になって向き合うことは、肉体が向き合うより数段難しい。だから、肉体だけ向き合っておいて、心は向き合うのを避ける人も多い。そんな人たちは、いざ結婚という段階になると、いろいろな理由をつけて逃げ出してしまうのである。また、結婚を一種の“条件闘争”の結果として得る賞金のように考えている人も、結婚は難しく、結婚に到った場合も、それは離婚への“待ち時間”であることが多い。ここでいう“条件闘争”の意味は、自分勝手に作り上げた結婚相手の理想像を「100」として考えた場合、目の前に現れる“候補者”を冷徹に採点して「90でなければいけない」とか、「80だけど結婚してみるか」とか、「70だけど後がないから妥協するか」などと、商売人が値踏みするように相手を考えることである。結婚にいたるまでに、二人の間にこの種の“値踏み”がまったくないとは言わないが、これだけで結婚したり、これを愛情より優先させるような結婚は、いずれ破綻するだろう。

 また、結婚に際して考えねばならないのは、自分と親との関係である。よく言われることだが、男は母親との関係、女は父親との関係が、結婚相手を選択する際の重要なポイントになる。これは、意識的にそうなるというよりは、無意識(潜在意識)の世界で、男の子は母親を「女性」の代表としてとらえ、女の子は父親を「男性」の代表として見ながら成長するからである。だから、男性とその母親との関係が年齢に不相応に近かったり、女性とその父親との関係が異常に密接であったりすると、結婚への障害となることは珍しくない。「マザコン」とか「ファザコン」という言葉は、この辺の事情を指している。

 ここまで書いてきたことは、あくまでも一般論であり、例外はある。また、男女の関係はこれだけですべてを説明できないことは、もちろんである。しかし、他人に結婚の相談をする場合は、これらの情報--自分の結婚観、過去の交際の状況、自分と親との関係など--を、相談する相手に包み隠さず知らせることが“最低限”必要だろう。

 なお、ここに掲げた質問の中に「魂の半身」という言葉が出てくるが、若い人の中にはこの言葉の意味を浅薄に解釈している人が案外多い。これについて深く知りたい人は、私がかつて書いた「半身半疑」という文章が電子ブックのサイトに掲げてあるので、ぜひ一読されたい。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月16日

自然に“触れる”ということ

 13日の本欄でキノコを採った話を書いたが、今年は全国的にキノコの“当たり年”ではないか、と秘かに思っている。というのも、私の山梨の山荘周辺にボコボコと出ていただけでなく、町の市場にも数多くの種が並んでいたし、少し離れた「美しの森」という広い斜面にも多種が出ており、14日の朝のNHKラジオでは「マツタケを6本採った」という岡山県の人の話をしていた。また、東京の自宅の庭のケヤキの根元からもナメコのようなキノコの群生が2回出ただけでなく、つい最近はモクレンの木からも、これまで見たことがない「イチョウタケ」らしい大型のキノコが顔を出していたからだ。これだけのサンプル数で「全国」を語るのは早いかもしれないが、そう考えると納得できる周辺情報もあるのだ。
 
 今日(16日)の『朝日新聞』は来春の樹木からの花粉の飛散量が、今年の10倍になるかもしれないと警告している。その理由は、「今年6~8月の平均気温は統計を取り始めた1898年以降最も高く、スギ、ヒノキの花芽の育ちが良い」からだという。前日に日本気象協会が発表した情報にもとづくらしい。そのこととキノコとの関係は定かではないが、八ヶ岳南麓の清里で夏を過ごしたという人に聞いたら、今夏の山は雨続きで、最近になってようやく青空が出だしたというのだ。この降水量の増大と長期にわたる高温続きが山地の植物を成長させただけでなく、キノコなどの菌類の成長にも一役買ったとは考えられないだろうか。もしそうだとすると、地球温暖化の影響は必ずしも“悪く”はない、との結論に急ぎやすい。
 
 だが、同じ日の『朝日』の「天声人語」には、キノコだけでなく、クマも“当たり年”らしいと書いてある。すでに報道されているように、クマたちは福井のデイケア施設や山形の中学校で人に被害を及ぼしているだけでなく、他の地方でも出没が増えているため、捕獲数は2006年以来の約5千頭に達する可能性を記事は示唆している。クマの出没の原因に関しては「ドングリの不作」説がよく言われるが、今年はそうでないかもしれない。というのは、私の山荘では、夜寝ていても、ドングリが屋根に落ちてコロコロと転がる音が盛んに聞こえたし、地面には落ちたドングリがゴロゴロしていたからだ。また、「天声人語」は、写真家の宮崎学氏の『となりのツキノワグマ』(新樹社)をもとにして、「クマの数は増えている」という説を掲げている。数が増えれば、民家の周辺に現れる確率も増えるということだ。
 
 それによると、宮崎氏はもう35年ほど前から、中央アルプスの獣道などに自動撮影装置をつけたカメラを仕掛けて動物写真を撮ってきたが、1982年からの3年間で1頭しか写らなかったクマが、2005年には1カ月で10頭も写ったというのである。だから、同氏は「人知れず、うんと増えているというのが定点観測の実感です。山で増えれば、里に下りる数も増す」と言っている。同じ日の『福井新聞』にも、福井県大野市が「クマ出没対策本部」なるものを前日に設置して、クマ対策に全庁体制で当たることを決めたことが書いてある。それによると、同市での15日までのクマ出没件数は77件で、この数は、2006年の386件(10月末まで)、2004年の203件(同)に次いで多いという。捕獲数は10頭で、うち2頭は射殺、8頭は放したという。

 こんな話を聞くと、私もそのうち“クマとの遭遇”を経験することを考慮しなければならないかもしれない。山荘周辺では、私はすでにイノシシ、シカ、キツネ、キジに遭っていて、雪の中にノウサギの足跡も発見している。また、だいぶ前のことだが、山荘のデッキ付近にウサギの片耳が落ちていたこともあるから、猛禽類も棲んでいるはずだ。となると、クマとの出遭いも覚悟しておいた方がいいのだろう。自然に“触れる”ということは、人間にとってリラックスできることだけではないのだとつくづく思う。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月13日

クリフウセンタケ

 秋のよい気候になってきたので、自然と親しもうと思い、妻と2人で山へ来ている。キノコ採りが目的だが、原稿の締め切り日も間近なので、時間の配分に工夫が必要だと頭を悩ませていた。ところが、朝、様子見で山荘の裏山を少し歩いたところ、いたるところに様々なキノコが出ている。以前から本欄でよく紹介しているジゴボウ(ハナイグチ)も数多く、それ以外の名前のわからない種も多い。

Kurifusens  そして、もう帰ろうと思っていた矢先、南向き斜面の一画に黄褐色の傘をもたげたキノコの群生を見つけたのだ。名前は分からないが、小さなオムスビのように盛り上がった成菌の傘と、土に半分埋もれながら、ボールのような“頭”を覗かせている幼菌とが連なって、何メートも帯状に拡がっている姿に感動した。これまでの経験から、何となく食用キノコのような気がする。種の特定をするために、以前にもキノコの同定で世話になったペンションのご主人のところへ行き、それがクリフウセンタケであることを教えてもらった。初めて採った種なので、2人して喜んだことは言うまでもない。
 
 クリフウセンタケは、「ニセアブラシメジ」というあまり聞こえのよくない異名をもつが、味は本物の食用キノコだ。ものの本によると、「さわやかな香りと多少ぬめりもあり、歯切れも舌ざわりもよい。味には全く癖がなく、うま味のあるよいだしが出るので、どんな料理にも利用できる」という。大量に生えていたので全部採ることはせず、料理のための後処理に懸命だった妻に大いに感謝して、夕食のおかずにいただいた。酢の物もおろし和えも、絶品である。

 谷口 雅宣

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2010年10月11日

実相を拝せば軍備は不要?

 昨日は東京・調布市の生長の家本部練成道場など4会場で、東京第二教区(多摩地区)の生長の家講習会が開催された。日本各地では「大雨」の予報が出されていたが、この日の当地の降水確率は府中が午前40%、午後20%、八王子は午前40%、午後30%で、小雨がパラつく朝だった。私はメインの会場(調布市)の様子しか知らないが、午後からは雨は上がり、青空の出る清々しい天気となったことは、ありがたかった。同教区では今回、青梅市に会場を新たに設けることができたこともあり、4会場合計の受講者が前回より195人多い6,427人になったのは誠に喜ばしい。この場を借りて、同教区の幹部・信徒の皆さんに心から感謝申し上げます。講習会後の幹部懇談会でも、努力が実った喜びの声が多く聞かれた。
 
 私の講話に対する質問も「22通」と多く出た。時間の都合でそのうち半分も答えられなかったが、このうちホットな国際問題についての質問は、印象的だった。これは、私が午前中の講話で「北朝鮮も悪ではない」という意味のことを言い、軍備の問題に触れたために出されたものだ。神奈川県平塚市から来られた65歳の主婦の方からのもので、質問用紙にはこう書かれていた--
 
「軍備のことですが、北朝鮮他、実相を拝していましたら軍備をしなくて良いのでしょうか。現実問題として、生長の家では、どのように考えたら良いのでしょうか」。

 この質問には、「実相」と「現象」の区別をしながら現実にどう対処するかという難しい問題が含まれている。私は、夜空に皓々と照る満月を見ることと、その月が湖面に映って乱れる姿を見ることに喩えて、この問題を説明したのだった。すなわち、前者の月が本物だと分かっていれば、後者の月を見ても心を乱さずに湖面の出来事に対処できると述べたのだ。が、質問者にこの喩え話の意味がどれだけ伝わったか分からない。
 
 ちょうどこの日の新聞には、北朝鮮の金正日総書記の後継者として登場した金正恩(キム・ジョンウン)氏が、平壌市の国立演劇劇場を視察したときの写真が載っていたから、20代後半と言われるこの“若き将軍候補”と、日本は今後長く付き合っていく可能性が現実のものとなっている。また、今日(11日)の紙面には、金正恩氏が党中央軍事委員会副委員長として、平壌で行われた軍事パレードの前で父親と並んで閲兵している写真が掲載されている。『日本経済新聞』によると、この軍事パレードは3年ぶりの開催で、金親子の前を通るパレードの中には、射程距離が3千キロ以上と推定される「ムスダン」という新型の中距離弾道ミサイルが8基あったという。このミサイルは、日本列島をはるかに超え、グアム島などにも達するとされ、今回初公開である。つまり、北朝鮮はこのパレードで、「これからもアメリカに対する核抑止力を充実していく」との意志を明確にし、それを推進する後継者も決まったことを誇示しているのである。上記の質問は、そういう隣国に対して、日本は国の安全保障をどのように講じるべきかという設問でもあるのだろう。

 生長の家は、これまでにも軍備を否定したことはない。かつては「戸締り論」の立場から防衛力を肯定し、また「病院」や「警察力」と同様の現象処理機関として、自衛隊の存在を肯定してきた。人間の実相は肉体でなく生きとおしの生命だが、現象世界には“神の子”の実相を知らずに生活する人々が大勢いる。それらの人々が“悟り”に至るためには、肉体の健康を維持することが必要な場合が多い。また犯罪が抑止され、社会の秩序が保たれることは、多くの人々の魂の修行には必要である。さらには、現象界においては、「他人の病気を癒す」とか「犯罪を防ぐ」とか「秩序を保つ」ということは、神意の現成の一過程であるから、有意義であり尊いことである。だから、そのような実相顕現の場、現象表現の場を護り、維持していくことは重要であり、価値ある営みである。つまり、国の防衛力は現象的には必要であり、価値あるものである。その反面、警察力や軍隊組織は、使い方しだいでは“善”とは逆の方向に働くことがあることを十分心得ておかねばならない。戦前の日本社会の経験が、それを有力に教えてくれる。また、今の時代でも、検察官が証拠捏造疑惑で逮捕されるなど、権力の間違った行使は起こっている。病院についても、過剰な薬剤投与や治療などの“行き過ぎ”の問題があることを忘れてはいけない。
 
 これらの現象処理機関は、上記の比喩を使えば、湖面に映った満月の姿をできるだけ乱さないためのものであるが、その目的に沿う運営が行われているかどうかは、各国によって事情が違う。日本はその運営が比較的うまくいっている国だが、北朝鮮はそうとは思えない。国民の基本的人権は護られず、軍備に偏重した資源配分によって貧富の差が著しい。加えて、国家の指導者の行動を制御したり規制する政治的、法的メカニズムも存在しないから、“暴走”の危険性は高く、現に“暴走している”と言ってもいい。そういう国からの悪い影響をできるだけ受けないようにするための現象処理機関は、したがって必要である。しかし、このことと、北朝鮮の国民や指導者を“悪”と見たり、“悪の枢軸”などと考えることとは、意味が違う。
 
 上記の比喩を再び使えば、湖面に映った月の姿がどんなに乱れていても、上空では満月が皓皓と輝いているという事実(実相)は、何ら影響がないのである。だから、日本国民としては、北朝鮮国民や指導者の実相は“神の子”であるということを信じながら、また、現象的にその本質が顕現されることを祈りながらも、彼らの迷いによってわが国の主権や社会秩序が乱されないような対策を講じることには、何ら矛盾はないのである。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月 9日

ミツバチはなぜ減少する? (3)

 何年か前に、私はアメリカなどでミツバチが減っているという話を本欄で書いたことがある。2007年の3月2日11月6日だった。この現象は、「群棲崩壊障害」(colony collapse disorder, CCD)と呼ばれていて、最初の正式な報告は2006年だったが、散発的なケースは2004年ごろから起こっていたらしい。原因としては、農薬や遺伝子組み換え食品などが取り沙汰されていたいたが、どうもそうではなく、2007年10月に科学誌『Science』に掲載された論文は、イスラエル産のウイルスの感染によるものと推定したが、確定してはいなかった。ところが、このほど米陸軍とモンタナ大学の研究チームが発表したところでは、菌類とウイルスが協働して及ぼした現象だという。7日付の『ニューヨークタイムズ』(電子版)が伝えている。
 
 CCDが起こる詳しいメカニズムはまだ分かっていない。しかし、“下手人”として疑われているこの菌類とウイルスは2つとも、涼しくて、湿気の多い天候の時に繁殖し、ハチの腹の中で“悪さ”をするという。だから、ハチの体内の栄養素が影響を受けるのかもしれない。CCDの原因究明で難しいのは、ミツバチたちは巣の中などの特定の場所で集団で死ぬのではなく、どこかへ散り散りに飛んでいって、孤立状態で死んでしまうことだ。こういう場合、ハチの死には数多くの原因が考えられるから、いろいろな場所から死骸を集めて調べても、そこから特定の原因を絞り込むことは難しいのである。ところが、モンタナ大学と陸軍のエッジウッド生物・化学センターの研究者たちが調べたところ、CCDの被害に遭ったミツバチのコロニーには、例外なく同じ菌類とウイルスの組み合わせが発見されたというのである。また、この菌類だけ、あるいはウイルス単独では、ミツバチに致命的な影響を与えないが、2つが組み合わさると死は確実になるらしい。
 
 この菌類は「N. ceranae」といい、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究で、すでにCCDの原因の一部だろうと言われていた。またウイルスは、何種類もに“嫌疑”がかけられていた。が、軍で開発された生物兵器の探索用のソフトウエアによって今回、それらとは別のウイルスが“犯人”として特定されたという。では、ミツバチたちはなぜ、死ぬ前に巣から飛び立っていくのか?--1つの説明は、菌類とウイルスによってミツバチの記憶が阻害され、巣へ帰還できなくなるというもの。もう1つの説明は、ミツバチの脳が一種の“狂乱状態”を起こすというものだ。いずれにせよ、2006年以降、アメリカではCCDによってミツバチのコロニーの20~60%が消滅してしまったというから、早く原因を確定してほしい。
 
 日本は、食品の原料や動物の餌などとして、アメリカから大量の穀物や果実を輸入しているから、決して“人ごと”ではない。世界の食糧難が予測されている中、植物の授粉に不可欠な役割を果たしているハチのありがたさを、改めて噛みしめる機会としたい。

 谷口 雅宣
 

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2010年10月 7日

“スーパーオフィス”は実現するか?

 すでにご存じの読者も多いと思うが、生長の家が運営する喜びの投稿サイト「ポスティング・ジョイ」に去る5日から、ポルトガル語と英語のサイトが誕生した。そして、ブラジルとアメリカの幹部・信徒がネット上での日時計主義を実践し始めている。今日の午後10時半の時点で集計すると、日本語のメンバーはすでに1,723人となっているが、ポルトガル語のメンバーは146人で、英語のメンバーは15人である。まだまだ数は少ないが、ブラジルにおける生長の家の教勢から考えると、ポ語のサイトは日本語サイトの人数を上回る可能性がある。また、国際語である英語のサイトは、アメリカやイギリスのみならず、インド、オーストラリア、ニュージーランド、香港、シンガポール、フィリピンなどの英語圏で、生長の家をまだ知らない人たちへの影響力が期待されている。また、今回の“バージョンアップ”で注目されるのは、自動翻訳機能が装備されたことである。翻訳の精度は未熟だが、これにより、各サイトで話されている内容が、英語やポ語が苦手な人にも「何となくわかる」はずだ。

 私は17年前の1993年に、当時動いていた「生長の家オンライン・フォーラム」という電子掲示板(BBS)に、「スーパーオフィス」なるものを夢想する論文を書いた。当時はまだ電子メールが使われ始めた頃で、ウェブサイトもアイポッドもケータイもブログもなく、電報や電話以外の一般的な情報の高速伝送手段としてはわずかファックスがあるだけだった。そんな中で、1対1の情報伝達手段である電子メールに加え、1対多、多対1の情報伝達を行う電子掲示板が使われだした頃だ。私はアメリカの大手商用BBSのコンピューサーブ(CompuServe)に参加していて、当時の大事件だったペルシャ湾岸戦争(1990年8月~1991年2月)などについて意見交換しながら、情報伝達におけるインターネットの威力を肌で感じていたのだった。これはきっと、近い将来、世界各国の間に横たわる「時間」と「空間」と「言語」の距離を消滅させるか、大幅に短縮させる有力な手段になると思った。そして、生長の家もこれを利用することで、いよいよ“国際運動”に飛躍すると予測し、「スーパーオフィス」と名づけた次のようなイメージを描いたのだった--

「このスーパー・オフィスを、分かりやすくイメージするための一つの方法は、現在、東京とサンパウロとロサンゼルスにある(伝道)本部会館の建物を、一つに合体させてしまったものを想像してみることだ。そこでは、日本語、ポルトガル語、英語の3ヵ国語が飛び交い、日本人、ブラジル人、アメリカ人が働いている。また、これら3ヵ国の講師が活動し、3ヵ国語の新聞、月刊誌、聖典等が発行されている。このオフィスでの仕事は、それぞれの職員の話す言語の違いによって、日本人職員は日本の光明化のことを考え、ブラジル人職員はブラジルと周辺のスペイン語圏の光明化を考え、アメリカ人職員は北アメリカの光明化運動を考えている。しかし、お互いの交流は自由であり、インフォーマルな会話ばかりでなく、講師達は、派遣先の文化の違いからくる練成会のプログラムの差異などを論議し、運動推進部門の職員は、キリスト教圏とイスラム教圏に於ける組織運動の違いについて話し合い、編集に従事する職員は、国際結婚によって新たな国に御教えが伝わりつつある様子をレポートする」

 このオフィスはもちろん、物理的な建物のことではなく、電子空間上のバーチャルなオフィスのことだ。今回、日・英・ポの3カ国語を使える電子空間が成立したことで、この“夢想”に近いことが現実に行われる可能性が生まれている。ポスティングジョイは、業務をするためのサイトではない。だから「オフィス」という言葉は似合わない。しかし、インフォーマルな会話が成立すれば、そこから“仕事の話”へ発展することは時間の問題だろう。しかも、今のインターネット技術では、文字だけでなく、音声や静止画、動画の共有や受け渡しが簡単にできる。これらを駆使して、世界中の生長の家の仲間と、まだ生長の家を知らない大多数の人類とが結ばれる場が生まれることは、私たちの運動の可能性を大きく広げてくれると思うのである。

 なお、上に引用した私の昔の論文は、全文を私の電子ブックのサイトに登録したので、参考にしていただければ幸甚である。

 谷口 雅宣

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2010年10月 5日

卓上型日訓を出しました

Desktopnikkun  このほど世界聖典普及協会のご好意で、卓上型の“日めくり”を出していただいた。「輝く日々の言葉」という題で、私がミニブログ「ツイッター」に出した“つぶやき”をもとにした短文と、それに絵と説明文を添えたものを1ページとし、日英2カ国語で各31ページ分ある。卓上に立てて置くと、片側に和文、反対側に英文が出るので、対比してみるのも面白い。この日訓に使われている絵は、生長の家が運営する喜びの投稿サイト「ポスティングジョイ」に私が発表した絵封筒やスケッチなどである。文章との関連性はあまりないが、楽しんでいただけたら有り難い。また、表紙のカラー写真は、谷口清超先生の撮影になるものだ。
 
 卓上型日訓というのは、これまで日本では製作していなかった。しかしブラジル伝道本部では、日本の生長の家日訓『ひかりの言葉』をポルトガル語に翻訳して卓上型のものと壁掛け型の2種類を出版していた。その一方の方式が、いわば“逆輸入”されたことになる。聞くところによると、日本でもアパートなどに住む人の中には、壁や柱に釘を打つことができない場合、従来の壁掛け式の日訓を利用しにくいという声があるらしい。そういう人々のためにお役に立てれば幸甚である。また、添えられた絵は、「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」を開くときの参考にしていただけるかもしれない。31枚の絵を媒体別に分類すれば、絵封筒が15点、スケッチ画12点、PC画4点である。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月 4日

iPS細胞と“神の子” (2)

 前回の本欄で書いたことの説明をしよう。
 
 iPS細胞の作製で分かった最も驚異的なこととは、人間の(そして、恐らくすべての多細胞生物の)体内には、最も原初的な“初期状態”にもどる能力のある細胞が多数存在するということである。それまでの研究では、もっとも原初的な“初期状態”にある細胞は、ES細胞(胚性幹細胞)だけだと思われていた。ES細胞とは、受精卵が分裂を始めて1週間から10日たった頃にできる「胚盤胞」と呼ばれる状態の時、その中核部に形成される細胞塊を取り出して増殖可能の状態にしたものである。「胚から取り出した幹細胞」という意味で、この名がある。この細胞の特徴は、身体を構成するどんな種類の細胞にも分化する能力があるという点だ。だから、このES細胞に化学的な刺激を与えて各種の組織や臓器を作製することで、難病の治療や再生医療に役立てようとする研究が行われている。
 
 しかし、ES細胞には大きな問題が2つある。1つは、それを得るためには受精卵を破壊しなければならないということ。もう1つは、それを治療に使うには、拒絶反応をなくすために免疫抑制剤を使わねばならず、これが患者の感染症への抵抗力を弱めるという点だ。この2つの問題点は、しかしiPS細胞にはないのだ。
 
 iPS細胞の「iPS」とは、「induced pluropotent stem cells」という英語の頭文字を取ったもので、日本語では「人工多能性幹細胞」と訳している。「induce」は、外から手を加えるという意味で、「pluropotent」の「pluro」は「plural(複数)」の省略形で、「potent」は「能力」とか「有能」という意味だから、「複数種の細胞に分化する能力がある」ということだ。「stem cells」は「幹細胞」である。
 
「幹細胞」の説明は本欄ですでに何回もしているが、重要な概念なので簡単に繰り返す。幹細胞の「幹」は、そこから枝や葉や花が伸びてくるように、いろいろな特徴をもった部分が分化して出てくるための「元」になる細胞という意味だ。例えば、私たちの皮膚の奥には「真皮」と呼ばれる部分があって、そこにある皮膚の幹細胞から、新しい表皮が作られる。指の爪の元には、爪を作る幹細胞がある。髪の毛にも、皮膚の組織中に埋まった部分に幹細胞があり、そこで新しい髪の毛の細胞が作られるため、髪は伸びるのである。このほか、神経組織を作る神経幹細胞、血液中の様々な細胞を作る造血幹細胞、骨の幹細胞など、たくさんの種類がある。しかし、ほとんどの幹細胞は、単一種か、多くても2~3種の細胞にしか分化できない。これに対して、ES細胞とiPS細胞は、身体のどんな組織や臓器の細胞にも分化する能力をもっていると言われているため、“万能細胞”と呼ばれることもある。

 こういう細胞レベルの活動を念頭に置いたうえで、今度は、人間の体を外側から外観してみよう。人間の体は、60兆個から100兆個の細胞で構成されている。日本人は70兆個ぐらいであるという。私たち人間の「意識」は、これらの夥しい数の細胞が何をしているのか、また何をしていないかについて全く関知しない。にもかかわらず、私たちの体の細胞は、24時間休みなく、それぞれに与えられた役割を忠実に果たしている。心臓は血液を全身に送り、血液中の数多くの免疫細胞は外敵と戦ったり、傷口や故障を修復したりしている。内臓からは栄養素が体内に吸収され、毒物や不要成分は肝臓や腎臓で中和され、膀胱へ送られる。これらの臓器や組織の仕事は、分子レベルでは皆、細胞が行っているのだ。しかも、これらの細胞は、私たちの肉体の死活にかかわる重要な仕事をする中で、役割を果たしたものは死んでいき、また新たに生まれてくる。ごく大雑把に言えば、人間の体内では細胞分裂によって24時間中に約1兆個の細胞が生まれ、それとほぼ同数の古い細胞が死んでいく。これを私たちは「新陳代謝」と呼んでいる。
 
 私は『日々の祈り』の「“肉体なし”の真理を自覚する祈り」の中で、新陳代謝の具体例として、「皮膚は1カ月ごとに、胃の内層は4日ごとに、食物とじかに接する胃の表面は5分ごとに新しくなる」と表現した。また、「肉体を構成する物質原子の98%が、1年前にはそこに存在しなかった」ものだとの見解を紹介した。このように複雑かつ組織的な細胞の入れ替わりが体内で行われていることを、私たちの「意識」は全く知らないし、意識的に制御することもできない。にもかかわらず、体中の数多くの幹細胞がこれを行っているのである。これは一体何者の仕業と考えるべきだろうか?
 
 この幹細胞の中の特殊の種類のものを人工的に取り出して、一定の化学的刺激を与えると「iPS細胞」ができるのである。しかしこれは、人間が人工的に“魔法の細胞”を創り出すのではない。もともと細胞がもつ万能性を人間が少し手を加えて発現させるだけだ。「分化していた細胞の機能をリセットして始原状態にもどす」と言ってもいいかもしれない。そうすることで恩恵を得るのは、神経系の難病などにかかった人たちだ。が、翻って考えてみると、そういう病気にかからずに、毎日を平穏に、健康に生きている圧倒的多数の人間は、この偉大な幹細胞の恩恵に常に、完全に浴しているのである。では、1つ1つの幹細胞が意思をもっていて、私たちに恩恵を与えてくれるのか? そうではあるまい。数多くの幹細胞を有機的に、秩序だてて、統一意思のもとに機能させている“何者か”がどこかにいると考えざるを得ない。それは、人間の意識の能力を超えているから、人間業ではない。だから、「神業」という言葉を使いたくなる。
 
 iPS細胞の登場は、私たちの肉体の当り前の機能の中に、“神の子”のような偉大な働きが隠されていることを改めて教えてくれると思うのである。
 
 谷口 雅宣

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2010年10月 3日

iPS細胞と“神の子”

 今日は佐世保市三浦町にある複合施設「アルカスSASEBO」で長崎北部教区の生長の家講習会が行われた。佐世保地方は朝から「大雨洪水警報」が出されていたから、受講者の足に影響が出ないか心配したが、幸いにも離島からの船も出て、前回より40人多い3,008人の方が参加してくださった。稲田賢三・教化部長を初めとした同教区幹部・信徒の皆さんの熱心な推進活動が実を結び、誠に喜ばしいことである。また当地は、生長の家総本山の“お膝元”であるから、同本山の職員や家族の方々の日ごろの活動が運動の伸展に結びついているのだろう。この場を借りて、心から感謝申し上げます。
 
 ところで、今日の講習会の午前中の講話で「iPS細胞」のことに触れて、この働きが明らかになったことで、“人間・神の子”の素晴らしさが医学的にも示されつつあるという意味のことを話した。すると、さっそくこれについて、佐世保市からの54歳の女性参加者から質問を受けた。次のようなものである--
 
「iPS細胞と人間神の子の真理との考え方について、もう少しくわしく教えて頂きたいと思います。私達真理を知っている者として、iPS細胞をどのように考えればよろしいのでしょうか」

 私がiPS細胞に言及したのは、ちょうどこの前日の2日に、この“万能細胞”の作製者である京都大学の山中伸弥教授が都内で講演会を開いて、現在の研究状況や今後の見通しを話したことをニュースで知ったからだった。今日の『日本経済新聞』によると、同教授は、これを使った治療法の開発時期について、「何らかの病気で10年以内に臨床研究を始める目標を掲げながら研究に取り組んでいる」と語っているが、私は、これをニュースで聞いて、「10年とは案外時間がかかるなぁ」と感じた。また、同教授がこれを使った治療の問題について、「ガン化する危険性を除かなければならない」と言っていたのを憶えている。しかし、この治療法は、ES細胞のような倫理的に問題のある方法よりも優れているから、本欄などを通して、私はこれまでも山中教授の研究を応援してきたのだった。しかしその反面、この技術も、使い方によっては深刻な問題を惹き起す可能性を否定できない。それについては、「万能細胞がもたらす“深い問題”」と題して、過去3回(2008年1月12日同13日同15日)に分けて書いた。
 
 本欄ではこれまで、iPS細胞に関してこのような経緯があったが、それらを振り返りながら、私はこの分野の研究成果から学んだことを、この日の講話で簡単に触れた。すると上記の質問が出されたため、それに答える形で少し詳しく話したのだった。しかし、時間の関係もあり言葉を尽くせなかったので、ここに言いたかったことを書こうと思う。
 
 私はこの“万能細胞”の知識を通して、「細胞」という生物の最小単位がもつ驚異的な潜在能力を知ることができた。そして、その活動が、ヒトのように複雑な多細胞生物の中では、何によって制御されているかを考えると、その背後に、どうしても“超人間的”なコントロール・センターの存在を想定せずにはいられない。別の言葉で言えば、我々の肉体は、まさに“神業”と言うべき複雑、かつ精妙な組織と秩序によって細部まで制御されていて、それを制御する主体は、いわゆる「自分」でないことは明らかなのである。このことを私は、“人間・神の子”の素晴らしさが医学的にも示されつつある、と表現したのだった。

 谷口 雅宣

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