ウサギの長老 (2)
ウサギは、長老の話を聞いているうちに、自分が何を知りたくてこの山へ来たのか、分からなくなってきました。そこでウサギが茫然として空を見上げていると、長老が言いました--
長老--「さぁ、ここに来て私といっしょに瞑想をしてみないか?」
ウサギ--「何のためでしょう……」
長老--「何のためでもないさ」
ウサギ--「目的もなく座るのは、時間のムダじゃないでしょうか?」
長老--「そんなことはない。物事は“ムダだ”と思えば、すべてがムダに思えてくる。我々ウサギが存在するということだって、ムダだと思えばムダなんだ。なぜなら、地球はそのうち灰になるのだから……」
ウサギ--「ええっ? そんなバカなことが!」
長老--「ちっともバカなことじゃない。君が尊敬している人間がそう言っているのだ」
ウサギ--「地球が灰になるというのは、山火事が広がるということですか?」
長老--「そんな簡単なことじゃない。山火事だったら、人間が消してくれるだろう。人間が得た知識によると、太陽が膨張してきて、地球の軌道を覆ってしまうということだ」
ウサギ--「それなら、人間も灰になる……」
長老--「そのとき地球上にいれば、の話だがね」
ウサギ--「そのときって、いつですか?」
長老--「ずっと先の話だ。100年とか200年先ではないぞ。その1億倍ぐらい先のことだ」
ウサギ-「ええっ! そんな先のことが分かるなんて、人間はやっぱりスゴイ!」
長老--「それが分かって、何の役に立つのかな?」
ウサギ--「地球を脱出する準備ができます!」
長老--「いったい誰が脱出するんだ。そのころには、人類は絶滅しているかもしれない。そんなことよりも、隣の国や民族と戦争しない方法を知ることのほうが、よほど重要じゃないか? 核戦争や細菌戦争をやれば、人類以外の生物も大量に死滅するんだ」
ウサギ--「長老さま。それなら言葉や知識は何の役にも立たないんでしょうか?」
長老--「私はそんなことを言ってない。言葉も知識も役に立つものは役に立つが、役に立たないものもたくさんある、ということだ」
ウサギ--「では、役に立つ言葉、役に立つ知識を教えてください」
それを聞くと、ウサギの長老は体をゆすって笑いはじめました。
ウサギ--(憮然とした表情で)「何がそんなにおかしいんです?」
長老--「何がおかしいって……役に立つか役に立たないかは、君が決めることなんだ。誰にでも役に立つ言葉、なんてものはない。誰にでも役に立つ知識、なんてものもない。君の役に立つ言葉、君の役に立つ知識があるだけだ。それは、必ずしも私の役には立たないかもしれないし、君の父君の役にも立たないかもしれない」
ウサギ--「では、私の役に立つ言葉、私の役に立つ知識を教えてください」
長老--(首を横に振りながら)「そんな質問では、望む答えはもらえないゾ。いったい君は、何の役に立つことを知りたいのだ? 何を知りたくてここへ来たのだ?」
ウサギ--「そう聞かれると、私はわからなくなります」
長老--「だから、言っただろう。ここへ来て瞑想をしてみよう。君は自分自身を知らないでいて、他のものを知りたいと思っていないかな? 心が不安で、うわついているだけではないのかな? それを鎮めることで、自分が何を知りたいかがわかるかもしれない」
ウサギ--「わかりました、長老さま。今、そこへ参ります」
こうしてウサギは、長老と並んで洞窟の中で瞑想をはじめたのでした。
谷口 雅宣
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コメント
総裁先生、ありがとうございます。
とっても難しくて、まるで禅問答みたいです
続編ありますか?(笑)
長老が
>「だから、言っただろう。ここへ来て瞑想をしてみよう。君は自分自身を知らないでいて、他のものを知りたいと思っていないかな? 心が不安で、うわついているだけではないのかな? それを鎮めることで、自分が何を知りたいかがわかるかもしれない」
やっぱり難しいです・・・さらによく分らなくなってきました
ここで分ったことは、学ぶことより心鎮めて瞑想することが先決だということだけはわかりました
感謝 再拝
投稿: かんみ | 2010年10月28日 20:10
ウサギと長老(3)
そこでウサギは長老と並んで座り、目を閉じました。
しばらくするとウサギに不思議なことが起りました。身体がなくなって、透明ウサギになってしまったのです。ウサギは、びっくりしました。確かに私はここにいるのに、身体がなくなっちゃったんです。そして、多分身体があるかもしれないところを風がサァーっと吹き抜けて行きました。ウサギはなんとも言えない良い気持ちになり、すっかり風と空気に身を任せてしまいました。
「瞑想は、気持ち良かったかな」長老の声でウサギは我に帰りました。透明ウサギではなく、いつものウサギに戻っていました。ウサギは興奮して、長老に透明ウサギになった話をしました。「自然と一体になって気持ち良かったです」
「そうか。一つ賢くなって良かったな。…また、瞑想をしてみるといい」
「ありがとう、また瞑想をしてみたいと思います」
ウサギは何だか自分が生きているのが嬉しくなって、ぴょんぴょん跳ねて帰って行きました。
投稿: 水野奈美 | 2010年10月28日 20:27
総裁先生、ありがとうございます。
難しくてよく分らなかったので、もう一回ゆっくり考えてみました(笑)
読んでて、もしかしたら今まで自分が「これを勉強したら絶対に役に立つ」と思ってたことが、そうではないかもしれないような気がしてきて、嘘~としか頭に浮かばなかったにですが、長老の言ってることをもう一度考えてみたら、「そうだったの?」と、ウサギを自分に置き換えて考えてみました。
>「それを鎮めることで、自分が何を知りたいかがわかるかもしれない」
この言葉を読んで、先ずは神想観をするこで自分がすべきことが観えてくるかもしれないと思いました
再拝
投稿: かんみ | 2010年10月28日 21:45
かんみさん、
前作の「ウサギとカメ」を読んでいただくと、多少わかりやすいかもしれません。すぐに「答え」を知ろうと思わないのも、1つの読み方です。
水野さん、
なかなか面白い“続編”ですね。私の続編もまもなく書きます。
投稿: 谷口 | 2010年10月28日 23:57
総裁先生、ありがとうございます。
読んでると、自分のことも分からない、何が神意なのか分らなくなってしまった自分の考えてることと、ウサギがよく似てるよう気がしていました。
そして前作の「ウサギとカメ」も読んでみました。
ますます自分は何でも知ってると誇らしげにしゃべってるウサギが、自分に似てるような気がしてしまいました。
小ざかしい智慧でいろんなことを考えるより、心を沈めて、神の声に耳を傾けようと思いました。
再拝
投稿: かんみ | 2010年10月30日 21:09
雅宣先生、ありがとうございます。 今、本当に生長の家の神想観がどんなに素晴しいものかが解りかけてきました。始めて十五年になります。初めのうちはなんの変化もありませんでしたが今ようやく続けていく事の大切さに気づかせて頂いています。神様の世界を、神様を想い観る、実相を知る事の大切さ、すばらしさを思います。だから若い人にも新しい人にも神想観を奨めます。生長の家に入信して神想観をしなかったらもったいないと思うものですから。 再拝
投稿: 真由美 | 2010年11月 1日 22:38