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2010年9月11日

二つの祭

 生長の家の本部に近い鳩森八幡神社で秋季例大祭があるというので、夕食後に妻と連れ立って行った。神社の大祭は一般の参加者の都合を考えて、たいてい土曜、日曜に行われるが、私たちはこの両日に講習会で出張することが多い。ということで、自宅近くの産土神社にも、これまでは祭礼の日に参拝する機会がほとんどなかった。ところが幸いにも、この日は出張がなかったので、よい機会と思って足を延ばしたのである。

 鳩森神社には立派な能舞台があって、そこで日本舞踊の奉納をやっていた。ほかには、普段は見かけない屋台の店が2~3店出ていただけだ。舞台前の神社の庭にはパイプ椅子を並べた100人ほどの観客席が設けられていたが、半分も埋まっていなかった。私たちが行った時には、この「氏子奉納舞踊プログラム」は半分以上終っていたから、舞踊家や観客のすべてを見たわけではない。しかし、浴衣姿の3~4人の小学生を除いては、若者の姿はそこにはなかった。それでも観客の中には40代とおぼしき人がポツポツといた。が、舞台上で踊る人は、30代後半の女性1人を除いては、60代、70代という様子だった。そういう人々が1人ずつ舞台に上り、録音された謡曲に合わせて、普段からの練習の成果を発表する場--そんな感じのつましい集いだった。

 小一時間で奉納舞踊は終り、それがその晩の祭の終りでもあった。私たちが神社を出ると、「ハチ公バス」という名のコミュニティバスがちょうどそこへ来たので、急いで乗り込んだ。次にどこへ行くということではなく、そのバスが家の近くの表参道へ行くことを知っていたからである。ところが、そのバスが青山通りから表参道へ入った頃、外を見ていた私たちは驚いた。普段から見慣れた街ではあったが、人々の数が多いのである。土曜日の夜だからと考えてみたが、若者を中心とした人出がいつもより相当多く、しかも彼らはパーティーに出席するかのように着飾っているのだった。その理由は、私たちがバスから降りて、いくつかの店の様子を見てから判明した。

 この日は、表参道商店街のお祭だったのだ。もっと正確に言うと、この日は、青山通りと表参道の商業施設が中心になって企画した「Fashion's Night Out」(ファッションの夜に繰り出そう)という一大商業イベントをやっていたのだ。中心会場は表参道ヒルズで、ここで午後5半からファッション・ショーや種々のパーフォーマンスを含んだオープニング・セレモニー(開会式)が行われ、午後11時から30分続くクロージング・セレモニー(閉会式)まで、人々はショッピングなどを楽しむことになっていた。街は、それに参加する若者たちで溢れていたのだ。

 私は、この2つの“祭”の違いに驚いていた。一方は、50人に満たない観客の前で、音質があまりよくない録音ずみの謡曲に合わせ、若くはない人々がつましく踊る日本舞踊を奉納する会である。もう一方は、一流デザイナーズ・ブランド店が外国のモデルやタレントを動員して、派手なファッションショーや景品の抽選会をするイベントである。この2つが、文字通り「隣り合わせ」に存在していたのだった。

 商業主義のことを「祭」と呼ぶのに抵抗がある人はいるかもしれない。しかし、「祭」という日本語には、宗教的な「祭祀」という意味以外にも、「大勢で浮かれ騒ぐこと」とか「派手な催し物」という意味がある。この後者の意味ならば、表参道の商業イベントは立派な“祭”である。宗教的祭祀が廃れつつある中、商業イベントに大勢の若者が群がる現代日本を強く感じながら、私はこの日が、アメリカの同時多発テロ事件の9周年であることを、いったい彼らの何人が気づいているのかと思った。平和が続くことは誠に喜ばしいことだ。しかし、その平和を守るために欧米では大勢の若者が戦場に行き、ついに帰還しなかった者もたくさんいるという事実を、この国の若者たちがどう理解しているのか、私は知りたい。

谷口 雅宣

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