親・ご先祖は人生の共同構築者
今日は午前10時から、東京・原宿の生長の家本部会館ホールで「布教功労物故者追悼秋季慰霊祭」が執り行われた。東京地方は、前日には33℃にも上がった気温が嘘のような、20℃前後の肌寒い天気。大雨警報が出ていた地方もあったが、慰霊祭中は雨足はさほど激しくなく、静かな雰囲気の中で御祭がつつがなく行われたことは、誠にありがたかった。私は斎主として奏上の詞を読み、玉串拝礼を行ったほか、大略次のような挨拶の言葉を述べた:
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本日は、永年にわたり生長の家の運動に携わって来られて最近、霊界に旅立たられた方々の御霊をお招きして、生前の真心に感謝し、今後の顕幽両界での運動のさらなる進展を誓い合うという、誠に意義深い御祭の日であります。
ただ今、229柱の御霊さまを招霊するに当たってお名前が呼ばれるのを聞いていますと、私の記憶にまだ鮮明に残っている方々のお名前があるのです。最初に呼ばれた北原オリンピオさんは、2004年と2006年に、サンパウロで国際教修会が行われたときに、堂々と発表してくださったブラジルの大幹部の1人です。杉村哲男さんと清水春夫さんは、教化部長として日本各地に赴任して、運動発展のために大いに活躍してくださいました。また、日本教文社の編集部長だった辻信行さんは、谷口清超先生がご昇天後、先生の追悼グラフを製作するのに尽力され、つい最近まで私の部屋にも来られていたことを思い出します。特に、辻さんは、私が大学を出てすぐに日本教文社に就職したとき、すでに先輩編集者として月刊誌の編集に携わっておられ、2年半ばかりいろいろご指導いただきました。そういう方々が霊界へ旅立たれると、「次は自分の番かなぁ……」などと思ってしまうのです。
まあ、人間の今生での寿命は正確には本人にも分かりませんが、たとい肉体生命がこの世から姿を消しても、神の子としての人間の本当の命は不滅である、というのが生長の家の信仰です。ですから、肉体の姿が消えても、私たちは先人への感謝と、先人の遺志の尊重とを忘れてはいけないのです。特に、私たちとご先祖との関係については、ときどき1本の樹木に喩えられ、「先祖は幹や根、子孫は枝葉」などと言われます。ですから、枝葉が茂り、果実がよく実るためには「親に孝行、先祖に供養」と言われます。
これを現代風の言葉に置き換えてみれば、私たち一人ひとりは両親のDNAをちょうど半分ずつ引き継いだ肉体をいただいている。それだけでなく、幼い頃からの成長の過程で、親の教育方針などを通じて、両親からは大きな心理的、人間的影響を受けています。さらに、子供は両親から社会的・経済的な支援を受けて大人になります。そんなわけで、世の中には“親の七光り”などという言葉もあるわけです。これは、商家の人のみならず、芸能界や政界、実業界、スポーツ界などにも広く当てはまることで、私自身も恐らく“親の七光り”の部分は大きい。とにかく、人間が営むそれぞれの分野において、親が優秀であることは、子の繁栄と発展に密接に関係しているということは、皆さんもきっと承認してくださることと思います。
このことに関連して、最近、私が体験したことを少しお話ししましょう。
私は、雑誌やブログのために文章を書くのが仕事の重要な一部であることは、皆さんもよくご存じと思います。そして、新聞記者時代は紙に原稿を書いていましたが、今はもっぱらパソコンで文章を書いています。また、インターネットも毎日使いますから、私のパソコンの中には、そういう原稿だとか、ネット上の新聞記事とか、雑誌の記事など、仕事に関する電子的情報の大部分が収められているのです。ところが数日前に、そのパソコンが突然動かなくなりました。コンセントに差しても、電源が入らなくなったのです。パソコンには電池が入っていますから、まったく動かないわけではありませんが、電池で動く時間は限定されています。だから、「これでは仕事にならない」と私は慌てました。いろいろ確かめてみるうちに、外部の電源から電気を取って、それをパソコン用の電圧に変換するための「ACアダプター」という装置がうまく動かないようなのです。
そこで、その機械だけを急いで購入しようと思い、近くの家電量販店に電話しました。が、いろいろ調べてくれたすえ、メーカー品でないものは該当機種の在庫はなく、メーカーの純正品は川崎の支店にあるということが分かりました。けれども、入荷には2~3日かかるというのです。入手に2~3日もかかると、その間のメールは読めないし、ブログも書けない。今日のこの慰霊祭のスピーチを考えるのにも間に合わない。ということで、とりあげず注文はしておいてから、私は、夜中になって、問題のACアダプターが電源コードと接続している部分の分解を試みたのです。自分で何とか修理してみようというわけです。で、結局、電源コードの内部で銅線が切れているため、電気がアダプターからパソコンに通じないことがわかりました。それを応急的に修理して、今は動くようになっています。故障の原因が、私の手の届く範囲でよかったですが、そうでなかった場合、ちょっと危ない事態に陥る可能性がありました。
この経験を通してわかったことは、パソコンにとって最も重要なのは、中に納めたデーターではなくて、パソコン自体を動かす電気だということでした。これは、考えてみれば当たり前のことです。電気が通じなければ、パソコンの中にどんなに確かで、充実したデータが入っていても、それは全く利用できません。このことは、我々の人生についても言えるのではないか、とその時私は思いました。私たちがどんなに多くの、貴重な人生経験をしても、また知識や技術を得ても、さらにどんなに経済的に豊かになっても、この肉体に命が流れていなければ、それらの貴重な資源を生かすことはできない。
この我々の肉体を1台のコンピューターに喩えれば、肉体生命が働かなければ、電気の通じないパソコンと同じように、何の仕事もすることができない。聖経『甘露の法雨』の「人間」の項には、「神は光源にして、人間は神より出でたる光なり」という言葉がありますが、「神は電源にして、人間の肉体はパソコンなり」と言い換えることができます。そう考えるとき、私たちの両親やご先祖は、ちょうど「ACアダプター」の役割をしていることが分かります。電源である神は、宇宙を創造するような莫大なエネルギーの持ち主ですから、そのエネルギーをこの小さな肉体にそのまま使えば、きっと黒焦げになってしまう。ですから、ご先祖や両親が、この神の無限エネルギーをちょうど私たちの肉体に最も適する形に変換して、私たちが利用可能な肉体として提供してくださることにより、地上生活が可能になっている。もちろん、そういう肉体的なことだけでなく、親やご先祖からは精神的、経済的な支援も受けていることは先ほど申し上げた通りです。
このように考えてくると、私たちは両親を通じてご先祖と、さらには神との連絡なくしては存在しえないことが分かります。親やご先祖は、私たちの人生の「共同構築者」だといっても言い過ぎではないでしょう。あるいは、私たちの人生を建築物に喩えるならば、その“基礎工事”は親やご先祖によってなされているのです。私たちはその上に、自由に自分の人生を築き上げることができるけれども、基礎を無視することはできない。ここにお集まりの皆さんは、生長の家とは縁の深い方々ですから、そういうしっかりとした信仰の基礎の上に、立派な人生を築いておられると思いますが、ぜひその信仰の基礎を、今度は次の世代の人々にも及ぼしていただきたい。そして、霊界からのご加護もいただきながら、ますます明るく、力強く、人類光明化と国際平和実現のためにご協力いただきたいと思います。
本日は雨の中、慰霊祭へご参加くださいまして誠にありがとうございました。
谷口 雅宣
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