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2010年9月 2日

イラク戦争の教訓

 アメリカのオバマ大統領は、8月31日をもってアメリカ軍のイラクでの戦闘任務は終了したとして、アメリカ全土に向けてテレビ演説を行った。「我々は、アメリカとイラクの歴史上の注目すべきこの1章を通して、我々の責任を果たした。だから今や、ページを繰って次へ進む時だ」(Through this remarkable chapter in the history of the United States and Iraq, we have met our responsibility. Now, it's time to turn the page.)--この言葉の中には「勝利」という語も「目標達成」という語もない。7年5カ月に及ぶ戦いで、米軍には4,400人の戦死者が出、戦費は7千億ドル(約58兆円)に及んだ。それによって、サダム・フセインという独裁者は排除され、彼が率いるスンニ派の世俗政党・バース党の力は削がれ、代わりに多数派のシーア派がイラクの実権を握ることになった。しかし、国内は分裂状態で部族間の対立やテロは依然として続き、国会も機能していない。この間、イラク人の死者は、少なく見積もっても10万人と言われている。9月2日の『日本経済新聞』によると、2007年までの治安悪化で、イラクでは国外難民200万人、国内避難民200万人が出たという。
 
 イラク戦争のきっかけになったのは、もちろんあの9・11同時多発テロ事件である。これによって激高したアメリカ世論が、イラクは、①大量破壊兵器を保有する、②テロ実行犯を送った国際テロ組織に協力しているという、ブッシュ前大統領の挙げた理由を信用して、アフガニスタン侵攻に続き、イラク攻撃へと突き進んだ。しかし、この2つの理由は、いずれも事実でなかったことが後に判明している。では、この戦争によってアメリカが得たものは何かと考えても、私には思い浮かぶものはあまりない。その代り、長引く戦費の拠出によってアメリカ経済が疲弊し、リーマン・ショックへの伏線が引かれたという経済学者の説が思い出される。だから今、オバマ大統領が言う「次のページへ進む」こととは、財政健全化を含むアメリカの経済立て直しのことなのだ。
 
 外交政策を論じる際に、よく「国益」(national interest)という言葉が使われるが、これが何であるかを決めることは一見簡単なようでいて、きわめて難しい。例えば、9・11の後に中東地域で戦端を開こうとしているアメリカの首脳陣は、「国益」のことを考えていたことは疑問の余地がない。しかし、それはあくまでも「彼らが考えた国益」である。事件の首謀者が隠れているアフガニスタンへ侵攻して、反米のタリバーン政権を倒し、山岳地帯で活動するテロ組織を武力によって破壊することがアメリカの国益である、と考えたに違いない。この場合の「国益」とは「安全保障上の必要」という意味だろう。しかし、武力において圧倒的に有利な米軍は、アフガン侵攻と政権打倒を簡単に達成し、次なる目的であるイラク戦争に向かって突っ走った。その際に掲げられた理由は、上に挙げた2点である。アフガニスタンの山岳地帯にオサマ・ビンラーデンを首領とするテロ組織が潜んでいたことは事実である。また、その組織が9・11を実行したことも事実だった。しかしイラクは、国家として9・11に関与していなかった。そのことは、当時のブッシュ大統領も知っていただろう。だから、先制攻撃を正当化する「ブッシュ・ドクトリン」なるものを発表せざるを得なかったのだ。
 
 私は2002年6月11日の本欄で、この“先制攻撃論”を次のように説明した--
 
「今年の秋にも発表されるアメリカの新しい国家安全戦略では、テロ集団、あるいはこれらの国(“悪の枢軸”と名指しされた国)が核や生物・化学兵器などの大量殺人兵器を開発し、さらにそれをアメリカやアメリカ国民に対して使用する意図をもっている場合は、相手が実際に攻撃をしかける前であっても、アメリカは“先制攻撃”ないしは“防衛的介入”によって敵の攻撃能力を破壊し、アメリカ国民の生命と財産を守る--こういう選択肢を正式に採用することになるらしい」。

  この戦略論が、アメリカの国益を考えて練り上げられたものであることに、疑いの余地はない。しかし、その結果としてのイラク戦争が、アメリカの国益にかなっていたかというと、私はかなり疑念をもつ。つまり、国益を考えて何かを言ったり、何かをしたりすることと、実際に国益に合致することとは異なるのである。国益を考えて立てた戦略でも、それが実行に移される地域の政治環境や民衆の感情などを十分に考慮していなければ、国益を大きく損なうこともあるのである。

 2日付の『ニューヨーク・タイムズ』は、この戦いを「悲劇的で意味のない戦争」(a tragic pointless war)と形容し、「この戦争はアメリカ人の安全を損ない、新しいテロ組織を生み出し、国の軍事資源と政治的意志をアフガニスタンから逸らした」ばかりでなく、イラクを弱体化したことで、ライバルである「イランに対して、核開発や過激派の支援、イラク政治への干渉などをより自由にさせることになった」と手厳しく批判している。これは、「目的が正しくとも手段が間違っていれば、行為の正当性は失われる」という言説にも通じる重要な教訓である。日本にも「国益」を声高に叫ぶ人は多くいるが、この点をどれだけ考慮しているのか疑問に思うのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

総裁先生、
国益を目標にした行動が国益に叶うとは限らないとはよく肝に命じる必要があると思います。
今、民主党の党首選挙を控えて両陣営が政策を訴えていますが、現実に実行できるのか疑問な事もあります。それを無理やろうとして更に大きな問題を生じることは鳩山政権の時の普天間問題で起きたことです。
これからの日本が心配です。

投稿: 近藤 静夫 | 2010年9月 4日 08:16

全く、いくら目的が正しくでも手段が道にかなっていなかったら結局、失敗に終わると言う事ですね。
愛国心とか国益をいくら叫んでもやはり真実の神に導かれた全ての国の幸福を視野に入れた智恵により行動しなくては駄目ですね。

投稿: 堀 浩二 | 2010年9月 4日 09:18

総裁先生。ブッシュ・ドクトリンの「先制攻撃論」は核抑止論という、アメリカの戦略との整合性が無いと思います。核抑止とは、核保有国が必要とあらばいつでも核兵器を使う能力と”意図”を有するという仮定の上で、核戦争を抑止するというものと思いますが、大量殺人兵器をアメリカに対して使用する”意図”を認めたなら正当防衛が成立するというような「先制攻撃論」の論理は、法意識としても違和感があり、核抑止の虚構性がさらに露わになったと私は思います。アメリカには優秀な学者も戦略・戦術家も占星術師もいるのですから、まさか、グローバリゼーションといわれる現代に”冷戦”時代や、国家と国家の利益の獲得または喪失という内容で問題の決着が着くとは考えてはいないと思うのですが。
安全保障の概念は、ともすれば軍事的なものばかり考えがちですが、この時代はもっと多元的に、そしてグローバルに考えるべきと私は思います。何しろビンラディン
を頭目とするテロリストは、脱国家的であり、9・11に関してもアメリカは報復の仕様がないのです。アメリカは、テロリストの温床となる貧困・飢餓、難民、人権・民主化、民族・宗教対立、地球環境破壊といった問題に取り組むべきです。私は、オバマ大統領のいう「次のページ」が、そのことであれば良いがと思います。ある政治学の教科書にも「『ゼロ・サムゲーム』のルールでは、自己の価値をも喪失するとの認識が高まっている。自己の価値と相手の価値とを両立可能にすることによって、はじめて自己の価値の獲得・維持が可能となる、という『ノン・ゼロ・サム』のルールの存在が、次第に注目される」ゆえんです。このグローバルな事情のもとでは、通常の兵器ですら、軍事力の行使には相手国(民族)のナショナリズムを亢進させるのみならず、自国においてもどんなに重いリスク、コストがかかることか、アメリカの現状をみても一目瞭然です。現代では、「国益」と「国際」の利益とをはっきり区別することは不可能です。地球環境問題一つとってみても、そうです。国家が対応を誤れば、”人類意識”や”地球共同体意識”、それに基づくグロ-バルな運動に敵対することさえありえます。


投稿: 水野哲也 | 2010年9月 5日 13:57

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