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2010年9月26日

札幌での質疑応答

 今日は、札幌市郊外にあるコミュニティドーム「つどーむ」で生長の家講習会が開催され、7,597人の受講者が集まってくださり、青空がのぞく中、初秋の半日間を過ごしていただいた。前回より受講者数が減ったのは残念だったが、大勢の生長の家幹部・会員の皆さんが推進や運営に参加してくださったことで、この北海道の中心地で、今後の運動が上昇気流に乗ることを期待している。参加者が多かったため、私の講話に対する質問の数も15通を数え、その中に7歳と11歳の姉妹からのものもあったのが、印象的だった。しかし、わざわざ取り上げて大人の前で答えるべき内容ではなかったので、他の質問への回答を優先した。が、興味のある読者のためにここに紹介する-
 
「なんで、あなたはそんなにいろいろわかるんですか」というのが7歳の子からの質問で、「なぜ先生は、何人もの人を救えるのですか? 私は、おばあちゃんが、しゆう会などへ行って、“とても元気になれました”などの感想を言ってもらうのがうれしい! と言っていたので、すごいなと思いました。なので、なぜ、何人もの人を、救えるのですか?」というのが、11歳の子の質問である。前者の質問はともかく、後者の方には答えたかったが、時間が足りなくて断念した。私が何と答えたかったかというと、それは「人が救われるのは個人の力によるのではなく、真理の力による」ということだ。真理は普遍であり、不偏であるから、1人を救うのも千人を救うのも真理自体にとっては何も変わらない。それは、竹細工のヘリコプターが飛ぶ原理が、物資運搬用の大型ヘリコプターが飛ぶ原理と変わらないのと同じことだ。もし両者の間に違いがあるとすれば、それは前者の原理を後者に“応用する”ための工夫の度合いだろう。それについては、応用者の努力や能力によるところが大きい。生長の家の場合、この点で最大の努力と能力を発揮されたのは、創始者、谷口雅春先生であることは言をまたない。

 ところで、今日の質問には、昨今の日本周辺の国際情勢を反映して、日中関係についてのものがあった。これは、“現在進行形”の問題なのでまだ不明な要素が多く、したがって私は断定的なことを言うのを避けた。が、質問の趣旨は、外交的、政治的な細い問題とは関係が薄いので、私が答えた大筋については本欄でも紹介しておいてよかろうと思う。その質問とは、67歳の女性からの次のようなものだ--
 
「日中問題では、中国側の動向には驚きが。潜在意識の部分から解決するとの午前のお話。具体的にいい方向に行くようなお話がお聞きしたい。仏教、儒教の発展の国にしては、昨日、今日の動向は考えられませんが……」

 若干意味が取りにくい部分のある質問だが、私の午前中の話を受けての質問だから、そのことを考慮して補えば、大要は次のような意味だと思う--「午前中の講話では、国家間の関係では、それぞれの国に住む大勢の人々の過去からの経験が潜在意識に共有されていて、その影響が大きいということでしたが、現在の日中間のゴタゴタをよい方向に解決するには、具体的にどうしたらいいとお考えですか? 仏教や儒教を信じる国民が多いはずの中国ですが、昨今の中国のやり方は理解できないのですが……」--多分、質問者は、こう問いたかったのだろう。
 
 この時の私の答えは、質問者の質問を言い変えた私の文章の中に、大半が書かれている。つまり、今回の問題では日中両国の「大勢の人々の過去からの経験が潜在意識に共有されていて、その影響が大きい」ということだ。もっと具体的に言えば、日本には日中戦争での侵略行為を反省し、罪の意識を感じている人が多いと同時に、歴代の日本の首相が何回謝罪しても沈静化しない中国側の不信感に嫌気が差している人も多い。また、中国との経済関係が深まってきた昨今では、日本では許されないような不正や不当な行為が、中国では放置・放任されていることが多いと分かり、中国に対する不信感も広がっている。その一方、中国側では、永年の反日的歴史教育を受けて、多くの人々は日本への不信感を抱いているし、過去の植民地支配への怒りと同時に、GDPで示される経済力では「すでに日本を抜いた」というプライドをもっている。だから、「1度は負けたが、決して2度とは負けないゾ」という強い敵愾心があると考えていいだろう。
 
 そういう中で、今回は「領土問題」という国家間では最も難しい問題をめぐって衝突が起こったのだから、私は両国の外交当局がよほど注意して処理しなければ、この問題の解決は長引くし、両国にとって好ましくない結果を招く恐れが十分あると思うのである。この問題が起こった詳しい事情は、まだ両国の国民に知らされていない。また、外交というものは、深刻な問題が含まれれば含まれるほど、本当の事情は国民の目から隠されるものだ。だから、「真相究明」とか「白黒の決着をつける」ことを急がずに、両国は“対立点”ではなく“合意点”を強調し、それを拡大していく方向に進むべきである--私は、そういう意味のことを述べたのだった。
 
 谷口 雅宣

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