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2010年8月16日

映画『ザ・コーヴ』(The Cove)

 最近見た映画の中に『ザ・コーヴ』がある。これは、2009年度アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞などを受賞したアメリカ映画である。ご存じの読者も多いと思うが、そんな名誉ある映画を、日本では大手の映画館が上映をやめた。理由は、この映画が日本のイルカ漁を批判的に扱っていて、政治的に“右寄り”と言われる人たちに「反日的」というレッテルを貼られたからだ。そんな理由で映画館が上映を渋るのは、「言論の自由」「表現の自由」を標榜する民主主義国として恥ずかしいかぎりだ。が、幸いにも中小の映画館には気骨ある経営者がいたおかげで、この映画が何をどう言っているのかを知る機会を私に与えてくれたのである。結論を先に言ってしまえば、私はこれを見て知らなかったことをいろいろ知り、とても勉強になった。
 
 日本では伝統的に、動物の屠殺場は一般市民の目から隠されてきた。そして、屠殺や動物の体の処理にかかわる人々を差別してきた歴史がある。このことを思い出させる内容だった。が、知らなかったことは、その動物の中に「イルカ」もいたということだ。クジラとイルカは同じ仲間とは聞いていたが、日本では悪名高い“調査捕鯨”とは別に、小型船による沿岸捕鯨で、ツチクジラ、イシイルカ、バンドウイルカ、マダライルカ、スジイルカなど多数(捕獲枠は年間2万頭)が捕獲され、それらの肉が「クジラ肉」や「イルカ肉」と表示して売られている、ということも知らなかった。クジラもイルカも同類であれば、どちらの表示でも“偽装”ではないのだろう。さらに知らなかったことは、これらのクジラ類の肉の水銀汚染について、厚生労働省は規制基準をもっていないということだ。これには少し驚いた。
 
 環境化学研究者、小野塚春吉氏によると、1973年に当時の厚生省は行政上の指導指針として「総水銀0.4ppm、メチル水銀0.3ppm」という暫定的規制値を定めた厚生省環境衛生局長通知を出したが、この文書には「魚介類の水銀の暫定的規制値について」という表題がついていたため、哺乳類であるクジラやイルカは魚介類でも魚類でもないという解釈から、規制基準はないのである。しかし、多くの読者はご存じのように、海中では「小さいものは大きいものに捕食される」という原則があるから、海中の汚染物質は大型魚の体内に最も高濃度に蓄積されていく。特に、クジラの仲間でも歯をもったハクジラ類に属するイルカは、海中の食物連鎖の頂点にあるから、体内の水銀濃度が高くなる確率が高い。にもかかわらず、その肉の有害物質による汚染は規制されていないのである。
 
 映画の主な舞台は、和歌山県太地町の風光明媚なリアス式海岸の入江である。入江を英語で「cove」といい、それに「the」という定冠詞がつくと「ある特定の入江」という意味になる。その特定の入江は、外部から見えず、近づけないようになっていて、そこでイルカの追い込み漁が行われてきた。その様子を記録するためにアメリカから来た撮影隊が、地元の人々の反感や妨害を受けながら、ついに“屠殺”の現場を撮影することに成功する--というのがストーリーだ。私は今、「風光明媚」と書いたが、映画の中に出てくる風景は、そういう表現に当てはまらない。わざと暗く、陰湿な感じに色落としがされている。これは恐らく、「善」と「悪」とを峻別するアメリカ的考え方によるものと私は解釈した。風景だけでなく、撮影に反対する地元の人々も、顔が隠され、暗く、何か空恐ろしい雰囲気である。それが残念でならない。
 
 私が指摘したいのは、この映画が「善が悪をくじく」式の単純な発想で成り立っている点だ。地元民の反対を押し切って撮影した映画だから、自ずから限界があることは確かだ。しかし、山田洋次監督が撮るような美しい自然の中で、その地で生きる人々が、恐らく良心の呵責に耐えながらも行わねばならない“屠殺”がある--そういう観点からイルカ漁を描く方が、日本の観客には訴える力が強かったのではないかと思った。
 
 谷口 雅宣

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コメント

「コーブ」は、是非観たいと思います。
ところで総裁先生は、動物虐待につながる動物実験をどのようにお考えですか?
最近、NPO法人「動物実験廃止を求める会」の活動を知りました。
このような団体や活動があることを知りませんでしたが、ヨーロッパでは化粧品の動物実験を廃止し、代替法が取り入れられているそうです。

投稿: 久保田裕己 | 2010年8月20日 13:14

久保田さん、

>>ところで総裁先生は、動物虐待につながる動物実験をどのようにお考えですか? <<

 「動物虐待につながる」という形容句が「動物実験」という語の前に置かれていますが、あなたは「動物虐待につながらない動物実験」もある、というお考えですか? それとも、「動物実験はすべて動物虐待につながる」とお考えですか?

投稿: 谷口 | 2010年8月20日 13:43

 総裁先生
 私は、動物実験はすべて動物虐待につながると思います。
 3週間ほど前、NPO法人「動物実験の廃止を求める会」のコーディネーターのお話しを聞きまして、ビジュアル(写真)で実験の様子を見て、動物虐待につながると思いました。
 その時貰ったパンフレットに次のような表記がありました。
「動物実験は犯罪である」(ビクトル・ユーゴー)
「動物実験は、今日、人間が神が造られた美しい生き物たちに対して犯している罪のなかでも、最も罪深いものだと思います」(マハトマ・ガンジー)
「もし、動物に対する実験が、動物への共感という理由によって廃止されるなら、人類は根本的な進化を遂げるであろう」(リヒャルト・ワグナー)
「バーゼル大学の医学部の学生だったころ、私は動物実験の恐ろしさ、そして野蛮さ、何よりその無益さに気づき、医学部を退学した」(カール・G・ユング)
「残虐行為とは、たとえそれが実験室の中で行なわれようと、医学研究という名で呼ばれようと、残虐行為であることにかわりない」(ジョージ・バーナード・ショー)
「あらゆる生きものに対しあわれみの念を抱くようにならない限り、人類に平和は訪れないだろう」(アルベルト・シュバイツアー)
「生物は一つの大きな連続です。人間に苦しいことは感覚あるものにはやっぱり苦しい。人間に悲しいことは強い弱いの区別はあっても、やっぱり動物も悲しいのです」(宮澤賢治)
<<NO MORE ANIMAL TESTING 動物実験はいらない>>パンフレットより。
 このパンフレットには、「動物実験で人間を救うことはできません」として、安全のために薬や化粧品などに含まれる化学物質の毒性を調べる目的で、たくさんの動物実験が行なわれていることを指摘し、教育のために、大学の医学部・獣医学部・薬学部・栄養学部や小中高などでの解剖実習や動物実験を指摘し、医学のための動物実験に対し「動物にむりやりガンを起こしておいて、そこから得られた結果を人間にあてはめることはできない」(K・スター教授=ニューサウスウェールズ癌協会名誉部長)、「動物実験は生命への敬意を損ない、人間の患者の苦しみに対する研究者の感覚を麻痺させる。動物に向けられた残酷さは、無意識のうちに、しかも不可避的に、人間への残酷さに転化してく」と指摘している。
そして、「動物たちを苦しめない社会は人間にもやさしい」として、動物を犠牲としない代替法の研究開発が進むこと、実験医学に替わって、生命にやさしい医学が求められ、生命を大切にする教育こそが、今必要とされています」と書かれています。

投稿: 久保田裕己 | 2010年8月20日 17:36

久保田さん、

>>私は、動物実験はすべて動物虐待につながると思います。<<

 そうですか。薬品開発のための動物実験は確かに“虐待”と言えますね。では、動物の「調教」というのは動物実験に入るのでしょうか? また、動物の性質を知るために飼育するのは「動物実験」とは言えないのでしょうか?

投稿: 谷口 | 2010年8月21日 12:03

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