“マルチタスク”はほどほどに
6月15日の本欄で「情報の質」について書いたとき、情報機器を駆使していわゆる“マルチタスク”をする人の問題点に触れた。その1つは、情報刺激によるドーパミン系の活性化が起こることで一種の「中毒症状」を起こす危険性があることだった。この中毒症状とは具体的にどんなものか、詳細は分からない。が、想像するところ、新しい情報を求めて次から次へとネットサーフィンをするうちに、気がついたら1時間たっていて……などというものだろうか。この程度だったら、あまり実害はなさそうにも思える。ところが、そういう“中毒”は、気がつない形で我々を疲労に追い込んでいるということになると、大いに実害があることになる。
26日の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』に載った記事は、「疲労」だけでなく「記憶の阻害」も起こるらしいことを伝えているから、マルチタスクのお好きな読者は注意した方がいいだろう。それによると、トレーニング中に音楽を聴いたり、ビデオを見たりするなど、休む間もなくデジタル情報で脳を刺激している人は、“何もしていない時間”の脳の働きを阻害するというのだ。妙な表現を使ったが、今“何もしていない”と書いたが、その時間は、我々の意識が「何もしていない」と感じているだけで、脳自体はこの時間に「学習」や「記憶」を行い、さらには新しい「発想」に向けて活動しているらしい。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校で行ったネズミを使った実験では、知らない場所へ行くなどの新しい経験をさせると、脳内に新しいパターンの活動が生まれるが、それが記憶につながるためには、その経験から一度離れて休息をする必要があるという。これと同じことが人間にも言える可能性が高い。同大学のローレン・フランク氏(Loren Frank)は、「暇な時間というものは、脳が過去の経験を復習して、確かな形に整理し、長期記憶の中に焼き付ける時間だとほぼ確実に言える」という。だから、ひきりなしに脳を刺激するだけでは、学習の妨げになるのである。また、ミシガン大学での研究では、自然の中を散策した後と、混雑した街中を歩いた後とでは、学習の結果にかなりの違いが出ることがわかっている。もちろん、前者の方が結果がいいということだ。街中は広告や信号、自動車のクラクション、音楽、人々の会話などで満ちているから、一種のマルチタスクになるということだろう。
こういう話を聞いてみると、我々が一見ボーッとして、何もしていないような時間が、実は脳にとっては大切な情報整理と記憶の時間だということが分かる。
もう1つ、マルチタスクの危険を思わせる記事が、同じ日の同じ新聞に載っていた。それは、イヤフォンから聴く音楽との関連を強く思わせるものだ。簡単に言えば、アメリカのティーンエージャーの5人に1人が、聴力に衰えがあるという話だ。10年前の調査では、この率は7人に1人だったというから、変化は大きい。アメリカ医学協会の紀要の最新号に発表された研究で、12歳から19歳までの若者1,771人を2005~06年に調べた記録と、1988~94年の調査データを比べたものだ。研究者は、これらの若者が特定の騒音源と関係しているかどうかを突き止めることはできなかったというが、若者からは、「騒音があったとしても自分には聞こえないはずだ。なぜなら、いつも大きな音で音楽を聴いているから」という答えがしばしば返ってきたという。
谷口 雅宣
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コメント
総裁先生。
あるIT技術者が「脳はいったんインプットすると、自動検索が答えを見つけるまで止まらない。インプットした後に考えると、自動検索を何度もやり直すことになるから、”考えない”こと」ということを言っていますが、なるほど学習というものは”漬物を漬ける”のとおなじことなのですね。
私は、どちらかというと人間関係を作るのが苦手で、こういう種類の者にとってはインターネットは有難い道具です。しかし、モニターに表示されたものだけが全てである関係が、人間関係の形成を必ずしも促進するとはおもえません。ネットというものが、何故か自分の”時間”をどんどん吸い取ってしまうようで、暗然とすることがあることを別にしても、むしろ私のような者については”現実からの逃避”を促進するという意味での「中毒」性が在るのかもしれません。生身の人間関係には葛藤が伴いますが、ネットでの関係は嫌ならモニターを切れば後腐れはありません。
アメリカのある例で、あるティーンエイジャーは3歳からコンピューターを使っており、ネットではとても饒舌に表現するのに、実生活では他人とのふつうの会話が全くできないとのことです。
投稿: 水野哲也 | 2010年8月31日 10:07
水野さんに同感です。ネットなどで自分の思う通りに反応することに慣れ過ぎると、現実の対人関係で自分の思っていることが相手に伝わらないとイラつく事があります。
しかし、生身の人間とのコミュニケーションでしか味わえない共感の喜びもあります。
投稿: 近藤 静夫 | 2010年9月 1日 07:28