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2010年8月18日

中国の“足長バス”

 お盆も終ったので、帰省先や行楽地から自動車で長時間かけて帰還した読者も多いだろう。私も16日、山梨の山荘から5時間半ほどかけて妻と帰宅した。途中で夕食のために休憩したので、ハンドルを握っていた時間は5時間もなかったが、それにしても長時間の交通渋滞には神経を鍛えられるものである。ところが、そんな交通渋滞にも煩わされずに、道路をスイスイと走る大型バスのような交通機関が中国で実験稼働中だという。しかも、1回に最大1200人を乗せ、動力の一部は太陽光から得るというのだから、どんな乗り物かと頭をひねってしまった。
 
 私はこの話を、携帯端末のアイポッド上で『ニューヨークタイムズ』のアプリによって17日に知ったのだが、その記事には写真がついていなかったので、この交通機関の形をいろいろ想像してみた。しかし、「そんなことがどうやってできるのか?」と頭をかしげ、思いつけずにいたのだった。が、18日付の『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙がその記事を写真入りで掲載していたのを見て、アッと驚いた。実に新鮮な発想だと思った。読者は、貿易港の桟橋に設置されているガントリー・クレーンという運搬機械をご存じだろうか? 大きな貨物用コンテナを船に積み込むための機械で、高さは3~4階建てのビルほどもあるだろうか。このクレーンは、巨大な鋼鉄製の「門」のような形をしていて、門の両脚の下端に車輪がついている。だから、桟橋にやってくる大型トラックでも楽々とまたぎながら移動できるのである。そして、トラックの荷台のコンテナを吊り上げて、貨物船の中に吊り下ろす。実験中の新交通機関は、このガントリー・クレーンを“引き延ばした”というか、“いくつもつなげた”というか、そんな形の乗り物だった。
 
Chinatrans2  写真からスケッチした図をここに掲げるが、ちょうど通常の道路の2車線をまたぐ横幅(6m)をもち、2階建てビルほどの高さだろうか。この2階部分に乗客を収容し、天井に張ったソーラーパネルで発電した電気と、通常の電線からの電気を組み合わせたもので走るという。走行スピードは平均40キロで、普通のバス40台分の乗客が収容できる。記事ではこれを「またぎバス」(straddling bus)と呼んでいるが、私は「足長バス」の方が分かりやすいと思う。メーカーの話では、これによってバス40台分の燃料--年間860トン--を節約できるから、CO2に換算して2,640トンの排出削減ができるという。建設コストは、走行機1台と40Km分の設備一式で740万ドル(約6億3千万円)。高価なようだが、地下鉄の建設費に比べると10分の1だそうだ。すでに北京の一部でテストが始まっていて、今年末までには9Kmの設備が完成するという。
 
 私は、炎天下の交通渋滞の中でハンドルを握りながら、「車の天井にソーラーパネルの設置を義務づけたらいいのになぁ……」などと考えていたが、“足長バス”ではこれが見事に実現している。ただ、日本で同様のものを走らせるとしたら、人間や動物が道路を横断しない場所でなければならないだろう。あるいは、現在より高い場所に歩道橋を設置することになるのかもしれない。とにかく、“人間のため”を考えた乗り物のようではあるが、私にはどうも“乗り物優先”のイメージが拭い去れないのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

谷口総裁先生。
私は、自動車という物はどのように先進的な技術で製造しても、安全や廃棄物のことも考えますと、やはり環境や人間・社会への負荷はナンバーワンであり続けるのではないかと思います。18日付けの『産経新聞』に「国内では4年前に富山市で始めて本格導入され、まちづくりの核となっている」という「路面電車の発展型として脚光を浴びるLRT」のことが紹介されていました。ある記事では、アムステルダム市ではトラム(路面電車)がくまなく巡り、5km以下の移動には車ではなく、自転車を用いるように道路整備がなされつつある、とのことです。ロンドンでも2003年には、中心市街に乗り入れる車には「混雑賦課金」を課すという制度が創設されているそうです。地球環境の保護というとき、「車社会」からの思い切った転換が必須であると、私はおもいます。

投稿: 水野哲也 | 2010年8月20日 13:43

水野さん、

 あなたは自家用車をお持ちではないのですか? また、運転されないのでしょうか?

投稿: 谷口 | 2010年8月20日 13:47

総裁先生。私は車も、免許も持っておりません。通勤も、買い物も自転車です。千葉県の、とんでもなく不便な所に住んでいますが・・・。ただ貧しかっただけのことですが、貧しいことは地球環境に良いことのようです。クーラーも、元々ありませんし。

投稿: 水野哲也 | 2010年8月20日 14:04

総裁 谷口雅宣先生
水野さんが指摘になった富山のLRTは数年前までJR西日本富山港線でした。いま、岡山、広島、熊本、東京(東急世田谷線)にも低床タイプの路面電車が導入されています。また、地方都市でも導入が検討されていまして宇都宮市が全国で一歩リードしてます。かつて路面電車は高度経済成長時に道路渋滞の元凶と言われ次々と廃止の憂きめとなりましたが、現在では環境保護の観点から見直されてきています。ですから東京でも都電荒川線の延長計画すらあるのです。しかし国際本部移転となれば、自動車は必然的に(絶対的に)不可欠な存在になります。(電動アシストもありますが)昭和30年代後半から始まったモーターリゼーションは自動車をもてはやし赤字ローカル線や軽便鉄道を廃止してきました。自動車のツケが今頃になって地球環境保護の排気ガスという名目で脅かすのではないかと思います。私は環境保護につながる電気自動車や水素で走る水素自動車が今までの化石燃料で走る自動車の淘汰する日が近いと思います。

投稿: 直井誠 | 2010年8月20日 23:37

水野さん、

 そうですか。「とんでもなく不便な所」には、選んで住んでおられるのですね。車社会というのは、しかし個人主義の一表現みたいなところがありますから、すぐにはなくならないでしょうね。

 「田舎に住むと自動車は必需品だ」とよく聞くのですが、あなたにとってはなぜそうならないのでしょうか?
 

投稿: 谷口 | 2010年8月21日 11:56

総裁先生。先生の?に、お答えいたします。
私が当市に居りますのは、日常意識としては「不本意に」です。市役所まで行こうとしますと、まずA私鉄でB市に出て、JRでC市まで行って、D私鉄で終点まで行かねばなりません。最寄の停留所を通るバスは、2~3時間に1本。私の住まいから市役所まで、直線では3キロはありません。当市に移ってから30年程にもなりますが、状況は殆ど変わりません。市中に、路面電車の一本も縦断させれば、どれほど住みやすい街になることか。こういう場所ですので、車は必需品です(80過ぎの老女が、やむをえず車を運転して移動せざるを得ないという実例もあります)。
私は、車が無いという事実を甘受して生活しています。私にとってのその他の必需品、衣食住と自転車、パソコン、ラジオ、めがね、圧力釜などは幸い、有しております。ピコ・ライヤーさん(『小閑雑感』第16巻、p.
198)はシッダールタのように富を捨てられた訳ですが、私の場合は悟りを得ての選択ではありません。

投稿: 水野哲也 | 2010年8月24日 11:43

水野さん、

 そうですか……なかなか大変ですね。でも、「車がない」ということで何か善かったという体験はおもちではありませんか? 

投稿: 谷口 | 2010年8月24日 14:32

総裁先生。?にお答えいたします。
まず、ピコ・ライヤーさんと同じく、「自動車に関する様々なことに煩わされな」いことです。次に、俳句をつくり始めた者としては、せめて自転車のほうが、鉄製のハコの中にいるより、天然自然に触れやすいことです。
ところで、車をピカピカに磨くのは日本人だけですか?
これはマテ=ブランコのいう非対称的関係の逆転ではないですか?
   私は車を磨く→車は私を磨く
こうして、私はピカピカである!というように。

投稿: 水野哲也 | 2010年8月27日 01:13

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