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2010年8月24日

ソマリアの祖母の教え

Infidel_pb  ソマリアのモスレムの家に生まれ、成人後ヨーロッパへ移住してオランダの国会議員となった女性政治家、アヤーン・ヒルシ・アリ氏(Ayaan Hirsi Ali)が書いた『Infidel(不信仰者)』という本に、彼女が祖母から聞いたという教訓物語が出てくる。それは、美しい妻をもった若い遊牧民の話だ。この若夫婦には、まだ生まれてまもない息子が一人いて、砂漠の中を家畜を連れて移動するのである。砂漠では、家畜が養えるような牧草地を見つけて、そこに滞在し、雨が降らずに牧草が不足してくると、別の地に雨と牧草を求めて移動する。この家族が移動を始めてまもなく、若い夫は瑞々しい草地のある恰好の場所を見つけたという。おまけにそこには、まだ建ってまもないような小屋が1軒あったのだ。小屋には誰もいなかったので、夫は妻子のところへ取って帰り、「たった一日の旅で、理想的な場所を見つけたぞ!」とうれしそうに告げたという。
 
 ところが、その2日後、一家でその場所へ行ってみると、小屋の入口には見知らぬ男が立っていた。背はあまり高くないが、頑丈そうな身体をしていた。そして、真っ白な歯となめらかな肌をしていた。その男は、こう言った。
「あんたには妻と子がいるから、この家を使えよ。大歓迎だ!」
 そして歯を見せてニッと笑うのだった。
 若い夫はそれを見て、ずいぶん気前のいい人だと思い、感謝の言葉を述べた。そして、「あなたにはいつでもここへ来てほしい」と言ったのである。しかし、彼の妻は、その見知らぬ男に何か違和感を覚えたそうだ。赤ん坊も、この男の顔を見たとたんに、泣き出したという。
 
 その晩のこと、獣が1匹家に忍び込んできて、赤ん坊をベッドからさらっていった。夫は、腹いっぱい食事をしてぐっすり眠っていたから、何も気がつかなかったという。そこへ、家を貸してくれた男がやってきて、事件のことを告げたのだ。若い妻は、その男が話をする様子を聞きながら、歯の間に赤い肉のかけらが付着していて、白い歯の1本が少し欠けているのに気がついた。男は夫婦とともに家に残り、その年の間じゅう、周囲の草地は青々としていて、雨も適当に降ったという。だから、一家は別の場所に移動する理由はなかった。
 
 やがて、妻はその小屋で2人目の子を産んだ。同じように立派な男の子だった。しかし、その子が生まれて半年たつかたたないうちに、再び1匹の獣が夜陰に乗じて小屋に忍び込み、男の子をくわえて連れ去った。今度は、父親がそれを見つけて獣を追いかけたが、足が遅すぎてつかまらなかった。1年後に、また同じことが起こり、その際は、父親は獣に追いついて格闘となった。が、獣の方が力が強く、3人目の子供も食べられてしまった。それを見た妻は、夫に対して「私はあなたと別れます」と宣言し、この遊牧民はすべてを失ってしまった--こういう話である。

 この話をアリ氏は、ソマリアの「女の子」として祖母から聞かされたのである。つまり、これは女性のための教訓話なのだ。「安穏をむさぼり、妻子を危険から護れないような男とは一緒になるな」ということであり、万一結婚してしまったならば「別れなさい」という教えなのだろう。砂漠の遊牧民の生活は厳しい。遠方に豆粒のように、1頭のラクダの姿が見えたとしたら、それが敵か味方かを早く判別し、適切に対処しなければならない。そういうピリピリとした緊張感の中で人々が生きてきたことは、映画『アラビアのロレンス』の中でも描かれている。甘言に乗らず、鋭敏な感覚で相手の本当の意図を察知して対応しなければ、男も女も生き延びていくことはできなかった。
 
 私はこの話を読みながら、厳しい環境にある北アフリカとは別のことを考えていた。それは、何回も同じ間違いを繰り返していながら、その原因を突き止めて取り除く努力をせず、「問題が起こったら、その時対処すればいい」というような生ぬるい現状肯定の態度が、今の社会には蔓延していないかという疑問である。現代の日本では、生活環境があまりに楽であるために、人々はその安楽さに感覚を鈍らせてしまい、諸方から数々の問題が指摘されていても、「そのうち何とかなるさ」と考えて、何の対策も講じない。そして、何か問題の事件が起こると、そのつど対処療法的な措置を採る。しかし、原因の究明や抜本的対策に手をつけることができない。そんな国がもしあったとしたら、国際社会からは「早く出ていけ」と言われるに違いない。私は、少なくとも生長の家の運動は、そうあってはならないと思う。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○Ayaan Hirsi Ali, Infidel (New York: Free Press, 2007)

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コメント

谷口雅宣先生

 何か恐い話ですね。この見知らぬ男の正体は獣なんでしょうかね?

 それにしても、私は最近の日本人にこの「危機を察知して、迅速に適切に対処する能力や心」を全然感じません。35℃を連日、越してるのに「いやあ、暑いですねー。熱中症には気をつけましょうね」くらいのコメントで終わらせるテレビのコメンテーターに代表されるように明らかに温暖化が目に見える形で出て来てるのに能天気で何の対処、措置も講じようとしていないのが大方の日本人って言う印象を受けます。

投稿: 堀 浩二 | 2010年8月25日 17:11

なかなか考えさせられる内容です。
私は離婚して主人がいなかったので、家庭の全ての決断をしなければなりませんでした。決めて返事をしなければならない状況が多々ありました。私の返事如何によって、子供や周囲に与える影響を考えて悩みました。 責任重大です。逃げることはできません。必ず決断しなければなりません。
いざと言う時、母親は勇敢に決断し行動しなければならない、と言う話ですね。
私も勇敢に行動してきましたが、自分が決断を下さなければならない、と言うのはかなり大変な事でした。
とても大切な話だと思いました。

投稿: 水野奈美 | 2010年8月25日 20:39

総裁先生。
これは、移動生活を宿命付けられて生きてきた「若い遊牧民」が、「見知らぬ男」のワナにかかって定住した結果、3回も大切なものを奪われたのに、危機感覚を鈍磨させていたので根本的な対応ができず、結局すべてを失ったという教訓話なのですね。これは、私にとっては「今の社会」のことと言うより、自分自身の痛苦の経験と重なる話であり、その結果として今の状況があります。
この話で私が知りたいのは、「若い遊牧民」がなぜ定住への衝動を持ったのか・・・おそらく父祖以来、当然に移動生活を受け入れて来たであろうこの人の心に、何事が興ったのだろう、ということです。それは、総裁先生が指摘されるような「今の社会には蔓延して」いる「安楽さに感覚を鈍らせ」た、その霊的な原因といったものの本当の姿は?という疑問です。共観福音書に従えば、「見知らぬ男」はサタンであり、したがってサタンとの霊的戦いということが根本的な課題として提起されるでしょう。
今日の『産経新聞』に、小沢一郎氏の講演要旨が出ていました。小沢氏は日本社会の精神の荒廃を嘆かれ、それに対して「規律、モラルという美徳」を主張されたようですが、社会の政治分野を専ら視野とされている方に、事態の後ろに存在する霊的事実についての知見を期待するのは無理なことと思います。私は、人間の本質(実相)は決して怠惰でもなければ、安楽のみを求める存在ではないと思います。では、いったい私たちの心の内に入り込み、自立性を破壊し、物事に対する諦めの気持ちを移植(?)した霊的存在とはなにか?
私自身は、この現象界を去るまでに答えを得るべく、『生命の實相』等を学んで行きたいと思っています。
(2002年製造の中古パソコンの状態が怪しく、送信が重複しましたらお許しください。)

投稿: 水野哲也 | 2010年8月27日 00:52

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