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2010年7月14日

『創世記』の天地創造 (2)

 前回の本欄では、『創世記』の第1章と第2章の天地創造の話は、それぞれ別の作者の手になるということが、聖書研究者の間では合意されていることを書いた。実は、それだけでなく、いわゆる「旧約聖書」と呼ばれているユダヤ教の教典の初期のものについては、紀元前1世紀ごろまで、後世の人々によって様々な編集作業が行われたことが分かっているのだ。イギリスの社会人類学者、エドマンド・リーチ氏(Edmund Leach)の言葉を引こう--
 
「まず第一に、二つの合意事項がある。あらゆる学問的見地から見て、旧約聖書各巻の現在の校訂本は、きわめて多様な文書の集合体であって、紀元前100年頃にようやく最終的編纂を終え、正典としての完全な承認を受けたものだと考えられている。さらにまた、この集大成のちとくに『初期のもの』と称される文書類は、整合性のため、あるいは政治的、宗教的信条の論点に伝承的支柱を与えるために、後の時代の編纂者たちが時に応じて挿入した数多くの改竄個所を含むということが、すべての学者たちの合意点である」。(『神話としての創世記』p.46)

Hbibleorigins  このことは、「肉食と世界平和」をテーマとした2006年の生長の家教修会で小林光子講師が行った発表の中で言及されている。この時は、肉食の是非を旧約聖書の記述から確認しようとした場合、『創世記』の第1章、第9章、『レビ記』第11章で矛盾した記述が見られるため、その理由を同講師が述べたのだった。詳しくは、この時の教修会の発表をまとめた『肉食と世界平和を考える Ⅱ』を参照されたい。なお、先日の教修会では、私は旧約聖書の最初の5巻で「モーセ五書」と呼ばれているものの成立年代とそれらの“著者”のことを、ここに掲げる図にまとめて説明した。この図で最も訴えたかったことは、『創世記』では“作者P”の手によるとされている第1章が、“作者J”による第2章より「400年」もあとに書かれたという点である。日本の歴史と比較すると語弊が生じるかもしれないが、この「400年」のズレの大きさを感じてもらうために敢えてそれをすると、戦国時代に書かれた文章と明治初期に書かれた文章とが、同じ書に同居していることになる。表現スタイルや表現内容が違っていても当然だろう。しかも、前後が逆転しているのだから、聖書の作者たちが『創世記』に“歴史的事実”を記述する意図がなかったことは明白だ。
 
 私は、この『創世記』成立の過程には、人類初の“一神教”としてのユダヤ教の立場が深く関係しているのではないかと思う。『創世記』第2章の記述だけで天地創造を説明することは、前回本欄で指摘したように、いかにもおざなりである。かと言って、第2章の楽園追放物語からノアの大洪水の話、バベルの塔の物語を経て、アブラムの誕生にいたる筋書きだけでは、神の創造は、人間の不服従と不遜によって傷つけられたままである。つまり、神は天地創造に失敗したことになる。そんな神を、「唯一絶対神」として、他の諸々の異教の神々の競争相手として定立することに、聖書の作者たちは満足しなかったのではないか。あるいは、第1章を書き加えなければ、ユダヤ教は“一神教”になりえなかったのではないか。もちろん、これはあくまでも私の想像である。が、もし私が当時のユダヤの地に生きていたとしたら(この設定も相当不自然だが)、『創世記』第2章から始まる天地創造しかできない神を信仰する気にはなれないのである。その神は、とても人間的ではあるが、怒り、嫉妬し、残虐を働き、信仰者から愛する者を無慈悲に奪うからだ。

 こう考えてくると、『創世記』第1章に表現された神が、ユダヤ教とキリスト教を本当の意味で一神教たらしめるという、重要な役割を果たしたことが分かる。

 
【参考文献】
○エドマンド・リーチ著/江河徹訳『神話としての創世記』(ちくま学芸文庫、2002年)
○生長の家国際本部教化・講師部監修『肉食と世界平和を考える Ⅱ』(生長の家刊、2010年)

 

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