本欄が書籍に (10)
このブログの記事を単行本にした「小閑雑感」シリーズの16巻目、『小閑雑感 Part 16』(=写真)が世界聖典普及協会から発刊された。カバーしている期間は、2009年3月から7月の5ヵ月間だ。ということは、私が生長の家総裁を襲がせていただいた後の“最初の記録”が、本書にあるということだ。もっと具体的に言えば、生長の家総裁法燈継承の日の祝賀式での私の挨拶の“大筋”が、収録されている。3月2日付の「数々のお祝いに感謝申し上げます」という文章がそれだが、これは実際に話された言葉ではなく“スピーチ原稿”に該当する。実際の言葉は、2009年5月号の生長の家機関誌に掲載されているので、興味のある読者はそちらの方が省略がないので、ぜひ参照していただきたい。
『Part 16』に収録された文章は、すべて本欄で読めるが、上記のような“スピーチ原稿”が掲げられている場合もあるから、実際のスピーチがどうだったかは、本欄だけでは分からない。その場合は、機関誌や『聖使命』新聞に“ノーカット版”が掲載されていると思うので、そちらも参照されたい。本書でこの種の“スピーチ原稿”に該当するのは、上記の祝賀式での話のほか、3月20日の春季慰霊祭での挨拶、4月24日の谷口輝子聖姉二十一年祭での挨拶、6月17日の谷口雅春大聖師二十四年祭での言葉である。
ブログに比べて書籍が優れているのは、「一覧性」だろう。目次は記載順に表題を一覧できるし、索引では、テーマ別に一覧できる。さらに、写真やスケッチも書籍のページをパラパラとめくることで一覧できる。今回の本では、そういう絵や写真が63点も収録されているところが、特徴といえば特徴かもしれない。もう1つの特徴は、社会や時事問題に関連して私の見解を述べている文章が多いことだ。「臓器移植法改正は不要である」「臓器移植の先に見えるもの」「裁判員として“罪”をどうするか?」「信仰による戦争の道」「なぜ今“地球環境工学”か?」「宗教の社会的貢献」「ウソの看板は降ろそう」などが、それに該当する。最後の文章は、いわゆる“非核3原則”に関する私の見解である。
今日、入庫したての本書に100冊ぐらいサインをしたので、読者の皆々さまには旧著と変わりなくご愛顧をお願い申し上げます。
谷口 雅宣
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コメント
ありがとうございます。
函館教区青年会の奥田健介です。
先生のサイン入り著書一冊持っています。
先生を慕う者として先生のサイン入り著書はそれはそれはとても嬉しいものです。
お近づきになれたような気がして嬉しいです。
これからもどうぞお導きください。
ありがとうございます。
投稿: 奥田 健介 | 2010年7月31日 18:06
谷口雅宣総裁先生。「小閑雑感」第16巻、必ず購入し熟読させて頂きます。私はパソコン歴、まだ1年です。正直に言えば、マウスの誤操作ひとつで幽霊のように消えてしまうブログなんぞに本当には頼っていません。やはり活字(できれば鉛の活版)の本に、赤々と傍線を施しながら読み込み、さらにその上に蛍光ペンでマークするというのが、私にとっては「よむ」ということです。
先生の著作は「信仰による平和の道」を拝読いたしました。私はそこに覚者がより高い地平へと人々を導こうとする時に、誤っていた訳ではないが古い大地から立ち上がることが出来ず、必然として光明を見失い、闇に立ち尽くす者たちと対極にある指導者としての総裁先生をみました。同時に、大学院で国際関係論を専攻されたジャーナリストとしての「切れ」の良さも見させて頂きました。第16巻からは、私はとくに「社会・時事問題」の見方について学ばせて頂きたいと望んでおります。
投稿: 水野哲也 | 2010年8月 2日 14:01
奥田さん、
コメント、どうもありがとう。そうですか、サイン本をおもちですか。ますます感謝申し上げます。今後ともよろしく。
水野さん、
過分なお言葉に恐縮いたします。ありがとうございます。
『信仰による平和の道』は増補版か改訂版を出したいと思っているのですが、その作業をする時間なかなか見つからず、そのままになっています。あれ以降、世界はいろいろ変わってきていますので……。
投稿: 谷口 | 2010年8月 2日 16:57