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2010年6月13日

“前生の記憶”について

 今日は、新潟県見附市の見附市文化ホールで1,067人を集めて、新潟越南教区の生長の家講習会が開催された。参集してくださった受講者の数は、他教区と比べると多くないように見えるが、前回は850人だったから、それを25%も上回る人数である。組織別でも、白鳩会が23.3%増、相愛会27.3%増、青年会は53.1%も受講者が増える好成果だった。黒田正・教化部長を初めとした教区幹部・信徒の方々が一丸となって推進に努力してくださったおかげであり、心から感謝申し上げます。今日の長岡地方は朝から好天で、最高気温は「29℃」が予測されていたが、終日、和やかな雰囲気の中でプログラムが進行した。午前中の講話に対する質問も13通と、この規模の講習会ではかなり多く出たことは、受講者の関心の高さを示しているようで、うれしかった。
 
 しかし、時間の関係ですべての質問には答えられなかったので、この場を借りて、1つお答えしておこうと思う。その質問とは、埼玉県越谷市から来た63歳の男性からのものである--
 
「“何回も生まれ変わり、神の子としての実相を表現していくのが人間である”とお話しされましたが、私自身生まれ変わった実感がありません。どうしたら実感できるでしょうか。また、そのような体験を聞いたことがありましたら、お教えください」。

 谷口雅春先生の『生命の實相』の霊界篇などによると、人間は霊界から母の胎内に受胎する際、前生の記憶のすべてを失うとされている。それは、そのようにした方が、今生での生活に専念できるからである。このことは、少し想像力を働かせてみると理解できるだろう。いわゆる“心の法則”は、現界でも霊界でも機能しているから、親和の法則によって、魂のバイブレーションが近似している者同士は、生れ変わった後も“近い関係”の人間同士として生きることが多い。その場合、前生の記憶が残っていると、実際生活に支障が出てくることが十分考えられるのである。例えば、前生において夫婦だった2つの魂が、生まれ変わった次生では学校の生徒と教師になったとする。こんなとき、一方が、あるいは双方が前生の記憶をもっていれば、それぞれに与えられた立場をきちんと守ることが難しくなる可能性が出てくる。また、同じ町のクリーニング店の奥さんとか、酒屋の娘さんが、前生では妻だったなどという意識が芽生えた人も、正しい社会生活を営むことが困難になる可能性がある。だから、基本的には、前生の記憶は失われてしまった方が、人間は幸せな人生を歩むことができると言えるだろう。
 
 しかし、別の方面からこの問題を考えると、読者の中にも思い当たる事例をもつ人がいるかもしれない。それは、私たちの人生において出会う数多くの人々の中には、夫婦や親子や兄弟姉妹でなくても、「よくウマが合う」とか、「心がよく通う」とか、「大きな影響を受け、また与える」などの関係を結ぶ人がいることである。そういう人は、前生では夫婦だったり、親子だったり、師弟だったりする場合もあると考えられる。ただし、この場合でも、前生での記憶がはっきり残っていると、そういう自然な“善い関係”は恐らく結べないに違いない。だから、私たちに前生の記憶が「ない」ことは、とてもありがたいことなのである。
 
「前生の記憶がある」という人の事例は、いくつもあるようだ。ただし、それが本当の記憶なのか、それとも自分で後から作り上げたものであるのかを正確に判断することは、そう簡単でないようだ。いわゆる“心の病”をもつ人の中には、それが本物であると主張する人もいるようだが、真偽のほどは明確でない。また、心理学の立場から学問的にこの問題を研究している人もいる。興味のある方は、次の本などを参照されたい--

○I.スティーブンソン著/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』(日本教文社刊)
○サトワント・パスリチャ著/笠原敏雄訳『生まれ変わりの研究--前世を記憶するインドの人々』(日本教文社刊)

谷口 雅宣

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コメント

ありがとうございます。

とてもわかりやすい

たとえで勉強になりました。o(*^▽^*)o

投稿: 奥田 健介 | 2010年6月14日 18:44

雅宣先生、ありがとうございます。
私は、永遠の愛を信じています。
前世で夫婦だった人が先生と生徒になったりするならば、永遠の愛はないのですか。
私は、魂の半身とは何回生まれ変わっても夫婦でいたいです。そのあたりはどうなのですか。
私の好きな方は3年前に亡くなりました。真理の吟唱に「たとえ肉体が死しても魂がひとつになりたいと思うものである」というようなことが書いてあります。
だから、私は彼を供養し、彼の魂の半身として、生涯を貫く決意です。私のこともその辺が理解できない人が多いようです。
以前、地方講師の方で、ご主人が生長の家に現象的に一生懸命でなくて、「私は生まれ変わったら今の主人でなく生長の家の人と結ばれて、生長の家の運動をしたいです。」と言っておられる方がいました。
私は、もっと、みなさんに永遠の愛を考えていただきたいです。
先生、こんなことでいいのでしょうか。
私は、その地方講師の話を聞いて悲しくなりました。
愛は今生でおわりなのですか。教えてください。

投稿: 石山 亜美 | 2010年6月15日 15:08

石山さん、
 あなたの年齢や結婚経験の有無が分からないので、お答えするのが難しいのですが、あなたがおっしゃる「永遠の愛」とは何でしょうか?

 例えば、親子の愛、師弟の愛、兄弟愛などはその中に含まれますか? それとも男女間の愛だけが「永遠の愛」だと考えられるのですか? もし、そうだとした場合、その理由は何ですか?

 愛とは自他一体の感情です。ですから、これは親子や師弟、兄弟間でも成立するものです。友人同士の間にも愛はあります。それが永遠に続くかどうかは、当事者の現象世界での生き方、考え方によるところが大きいでしょう。

 あなたが3年前に亡くなった男性を“魂の半身”だと感じて思い続けるという気持ちはわかります。そのこと自体が悪いとは思いません。ただし、そのことによって、霊界にいる彼を縛ることになったとしたら、それを「永遠の愛」と言えるでしょうか? また、彼が現象身をもって生れかわってきた場合、あなたはどうされるつもりですか? 

投稿: 谷口 | 2010年6月15日 18:05

雅宣先生、ご指導ありがとうございます。
彼が幸せならそれでいいと思っています。だから、彼が現象身をもって現れるならそれでみこころ。彼にいい人ができて幸せなら嬉しいし、私があの世に逝って彼が私を待っていてくれるなら、それも嬉しいです。
ご心配ありがとうございます。
私は、43歳です。結婚はしたことがありません。でも、自分の生き方を貫くまで貫き、それでもいい方がいれば結婚するかもしれません。
でも、結婚する時って「永遠に」「この人が魂の半身だ」って思うじゃないですか。だから、私は、悔いのないよう彼を思い続けたいんです。
でも、永遠の愛が当事者の生き方次第であることがわかってよかったです。ありがとうございます。
彼を縛らず、結ばれることよりも幸せを祈って供養していきます。でも、私は結婚する気にはまだなれないようです。時が必要でしょう。
ご指導ありがとうございました。

投稿: 石山 亜美 | 2010年6月15日 18:22

石山さん、

>>でも、結婚する時って「永遠に」「この人が魂の半身だ」って思うじゃないですか。だから、私は、悔いのないよう彼を思い続けたいんです。<<

 彼の死から3年では、そういう気持があって不思議はないです。しかし、その思いが“執着”にならないように、彼だけでなく、神さまの方向にも向い続けてください。

 ところで、映画の話ですが、『オールウェイズ』か『ゴースト』をご覧になったことありますか? もしなければ、推薦します。

投稿: 谷口 | 2010年6月16日 00:10

雅宣先生ありがとうございます。
執着にならないよう、心がけます。
神様の方向もしっかり向いていきます。
映画のオールウェイズは見たことがありませんが、ゴーストは彼の生前に見ました。
ゴーストもまた見てみようと思います。
ありがとうございます。

投稿: 石山 亜美 | 2010年6月16日 06:53

雅宣先生&石山さま、ありがとうございます。

お二人方の問答を読ませていただいて、僕なりに感じたことを書かせていただきます。

僕は、4月に40歳になったばかりの新米相愛会員で、まだ独身です♪♪

僕の結婚観は、若い頃は歳下が好みでしたが、近年は年上でも良いと思えるようになり、相手が子持ちの再婚者でも良いかなぁ?とも思っています。

でも、先祖供養が子孫繁栄の基礎であるように、結婚とは当人同士の魂の半身が結び合うだけではなく、お互いの家や先祖の結び着きであると思っています。

現に、親の反対を押し切って駆け落ちすると、夫婦の関係や生活が円満に修まる前に、親様への感謝や先祖供養が必要になる様々な逆境的現象が生起しやすいです…。

また、結婚に関して迷いがある場合には、先祖供養や霊牌供養を通じて、自分や相手の先祖のお力添えを霊界よりいただくと良い。

…と、ご指導くださる生長の家本部講師は少なくありません。

やはり、円満な良縁を得るには、日々の神想観を通じて、自分をも含む、あらゆる人々を祝福するのが一番だろうと思います。

ただし、子持ちの方との結婚については、その子の幸せを第一に考えます。

なぜなら、子供自身が霊界から見て、自らの意思で父と母を選んで生まれ、その両親を幸福に導こうとする使命を持っているからです。

だから、僕が、子持ちの方との結婚を考える際には、その子に僕自身が認められるとともに、生みの父親にも感謝できるように働きかけていけること、その子が、それらの境遇を受け入れて両親に感謝して、その子自身も将来に幸福な結婚をするようになること…、これらが最も大切な条件になると考えます。

僕は、父の悪口を言う母を恨み続けた後に、その父を優しい夫だったと言えた母に懺悔して、心から感謝できた時、母は自分の結婚は最幸だったと喜ぶ姿を見た瞬間に、僕自身が霊界からこの夫婦を両親として選んだのが本当の事だと悟りました!

だから、やはり…、結婚は先祖や子孫の恒久的な平和を希求するものであることが、一番望ましいと思います。

長々と失礼しました。

感謝拝 m(_ _)m

投稿: 阿部 裕一 | 2010年6月17日 23:10

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