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2010年6月22日

平凡の価値

 平凡なこと、月並みなことは、「つまらない」とか「価値がない」と思われることが多いが、本当だろうか?--庭のミカンやユズの木に実がついてきたこの頃、そんなことを思う。ミカンやユズは、白い花が終ってから時間があまりたっていない。だから、もちろん実は青く、まだ小さい。ユズは小指の頭ほどで、ミカンは親指の先ぐらいだ。そういう青い実が、葉蔭におびただしくついている。そして、ユズの実は、ポロポロと簡単に地面に落ちる。ユズはそれによって、自ら実の数を調節しているようだ。これに対して、ミカンの実はそれほどは落ちない。そこで私は朝、生ゴミをコンポストに入れる際に、ミカンの方を何回か摘果した。

 ミカンの摘果は、果実の量を減らし、大きさをそろえるためにするのだが、ユズの方は、自分で適当に実を落とすから不思議だ。いずれにしても、双方とも、「次世代を残す」という目的のためには、多すぎる数の果実を毎年つけ続けるのである。もし自然に任せたままで、未生からミカンやユズの木が1本育つとすると、それまでに実る果実の数は10万や20万にもなるだろう。その場合、木にまで育ったミカンの実は「価値がある」が、そこまでたどり着けなかった他の20万個のミカンの実は、「価値がない」のだろうか? ダーウィンの進化論の文脈でこれを考えると、恐らく「価値がない」ということになる。なぜなら、「適者生存」で子孫を残した個体が“優れている”とされ、子孫を残せなかった個体は“劣っている”と考えられるからだ。
 
 しかし、子孫を残せなかった20万個のミカンは、その代わり人間や鳥や昆虫の口に入り、あるいは腐敗して菌類の栄養源になる。それが“平凡”な大多数のミカンの運命である。それは、地球の生態系の中では大いに価値がある、と私は思う。また、ミカンという植物種にとっても、他の生物によって実が「おいしく食べられる」ことは価値があることではないだろうか。なぜなら、「おいしい実」をつけ続けることで、人間はその木を大切に育ててくれるし、鳥はミカンを食べに来て、次世代の「種」を運ぶ役割を買って出てくれるからだ。こう考えてくると、自ら「次世代」を残したミカン1個も、それがかなわなかった他の20万個のミカンも、役割は違いながらも、同様に価値ある実であると言わなければならないだろう。

Mtimg062210  今日の午後、ジョギングの帰途、落ちている小さい青柿をいくつか拾った。カキもミカンと同じように、今ごろになると未熟の実を数多く捨てる。その落ちた実のみずみずしい緑色と、愛らしい形を見ていると、「適者生存」の原則にかなわなかったこれらの幼い青柿にこそ、青柿でなければできない特別な役割があるのではないか、と感じるのである。それが具体的に何であるかを私は知らない。が、想像するに、少なくとも何種類かの昆虫は、落ちた青柿のおかげで栄養補給をするに違いない。また、その昆虫についているダニや微生物も、間接的に恩恵を受けるだろう。それらを通じて、きっと我々人類の生存にも貢献する道が引かれている。いや、そこまで考える必要もないかもしれない。青柿を目で鑑賞し、それをスケッチするだけでも、私は十分にありがたさを感じたのだから……。
 
 谷口 雅宣

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コメント

>そこまで考える必要もないかもしれない。青柿を目で鑑賞し、それをスケッチするだけでも、私は十分にありがたさを感じたのだから……。

谷口雅宣先生

 合掌ありがとうございます。
 私も今朝庭の手入れをしながら、「生長の家では“働く”ことを“はたを楽にしてあげる”ことであると教えていただいていますが、“楽にしてあげる”という事は“楽しくしてあげる事”にほかならないな」と実感しておりました。

 つまり青い柿の実もそのひとつぶひとつぶに我々を「楽しませてくれる要素」=「神の働き」が詰まっている。いや、青い柿の実が神の働きそのものです。
 私も「はたを楽しませる」ことに集中した生活を送ってまいりたいと思います。

 最近やっと先生が推奨される「絵手紙」等の意味が解ってまいりました。
 
 
 

投稿: M.S | 2010年6月24日 09:29

初めてお便りします。私は天理教を信仰するものです。
先生のブログは初めて読ませていただきました。生長の家という大教団の教主様とブログを通してお話ができるなんて生長の家の信者様方はすごい果報者だと思います。
さて蜜柑と柚子の話…なるほどなるほどと読ませていただきました。
人のなん億という精子が一つの卵子に向かっていくとき、精子同士が卵子に向かうために競争しているんだと、教えてもらったものですが、本当は一部の精子を守るために多数の精子が犠牲となって卵子まで送り届けているんだということを読んだことがあり、人間になる前から神様の働きの不思議、「思い」を感じさせていただいたのですが、先生のお話を読んで、あーホントにそうやなぁと実感した次第です。
とりあえず感想までm(_ _)m

投稿: 安川隆章 | 2010年6月25日 08:40

安川さん、
 コメント、ありがとうございます。
 精子と卵子のことは、そのように見ることができるのですか? 知りませんでした。どなたの本か分かりますか?

投稿: 谷口 | 2010年6月25日 10:50

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