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2010年6月17日

日時計主義は生長の家の信条

 今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山の谷口家奥津城で、谷口雅春大聖師二十五年祭が行われた。この日、同本山では、ちょうど東京第一、群馬、奈良、岡山、福岡の5教区の信徒を集めた団体参拝練成会が開催されていたため、練成会参加者を含めた約860人の幹部・信徒が御祭に参列し、生前の雅春大聖師の御業績と御徳を偲んで聖経『甘露の法雨』を読誦し、また心を込めて玉串拝礼・焼香を行った。私は、御祭の後、大略次のような挨拶をさせていただいた:

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 皆さま本日は、谷口雅春大聖師二十五年祭に大勢ご参加くださいまして、まことに有難うございます。
 
 雅春大聖師が昇天されてからもう25年がたったかと思うと、感慨深いものがあります。25年と言えば四半世紀です。25歳だった人は50歳となり、50歳だった人は75歳です。当り前のことのようですが、ちょうど一世代分の時間が経過したと言えます。その間、時代は明らかに変化しているのであります。それにともなって生長の家の運動も変化してきていますが、その中でも教えの“中心”は変化せずにしっかりと引き継がれていることは、皆さんもよくご承知のことと思います。今年はまた、生長の家の立教80年をお祝いしましたから、数字的にはとても区切りのよい年であると思います。そこで今日は、雅春大聖師が始められたこの教えの“変らない部分”の1つについて、振り返ってみたいと思うのです。
 
 生長の家は現在、「日時計主義の生き方」を大いに実践し、また広めていこうという運動を進めています。皆さんもこのことは練成会の講話で聞き、また日時計主義の実践として絵手紙を描いたり俳句を読む時間などをもたれたかと思います。また、この「日時計主義」が昭和5年に出された『生長の家』誌の創刊号で主唱されているということも、有名な話であります。私も講習会などの場で日時計主義の話をよくするのですが、それでは生長の家は、昭和の初期と平成の時代に入ってからの2回だけ日時計主義を強調したのかというと、決してそうではないのです。今日はここに、谷口雅春先生の『新たに生れるための講話』という本を持ってきましたが、この本の前半は、昭和50年代に--つまり、今から40年ほど前に--雅春大聖師がラジオ放送で話された講話をもとにしています。この講話のテキストとして『信仰の科学』という本が使われているのです。
 
 この『信仰の科学』という本は、1972年(昭和47年)に出されたもので、数多くの雅春先生の著書の中でも“例外的”といってもいい珍しい本です。なぜなら、これは外国人との共著であるからです。雅春先生には、谷口清超先生との共著は何冊かありますが、外国人との共著は恐らくこの1冊だけです。誰との共著かというと、フェンウィック・L・ホルムズという人です。この人は、アメリカで発達した“ニューソート”の思想家の一人で、リリジャス・サイエンスというキリスト教系の教えの創始者、アーネスト・S・ホルムズ師と兄弟の関係にある人です。その人との共著がどのように出来たかは、本の「はしがき」に詳しく書いてありますが、それを簡単に言えばこうです。まず、雅春先生が書かれた日本語の原稿をアメリカで出版しようとして、日本人の大学教授が英訳をしました。それをアメリカの出版社が見たところ、アメリカ人向きにするには表現を改めた方がいいというので、アメリカ人の推敲者が必要だということになりました。適当な人物を探していたところ、フェンウィック・ホルムズ氏が英訳文の推敲をしてみようと申し出てくれました。が、ホルムズ氏はそれをしている間に、興に乗ってどんどん加筆修正を進め、あるいは自分の体験や信仰理論を付け加えて1冊の本(The Science of Faith)を完成させたといいます。その本の英文をまた日本文に翻訳し、それに谷口雅春先生が最後の修正を加えてこの本が完成したそうです。
 
 なかなか複雑な過程を経て『信仰の科学』はできましたが、これを別の角度から考えると、この本には「日本」と「アメリカ」という2つの文化に共通する真理--というよりは、「文化を超えた真理」と言った方がいいかもしれませんが、そういうものが説かれていることになります。具体的に言えば、実は「日時計主義」が明確に説かれているのであります。「日時計主義」という言葉は使われていませんが、「美を見る心があれば実際に美が見えてくるし、美を見る心がなければ目の前にある美も見えない」という原理が明確に書かれています。『新たに生れるための講話』の pp.44-45 を朗読いたします--
 
 (該当箇所を朗読)

 この御文章にあるように、物事の中に真・善・美の真象を見出し、それを拡大していく生き方が、生長の家の信仰者の一貫した信条であり、生活法であります。これは立教80年となる今日でも、雅春大聖師のご昇天の25年後でも全く変わらないし、運動としてはむしろどんどん拡大されつつあるのです。現在は特に、文明の転換期にあり、それに伴う“産みの苦しみ”が現象的には各方面に見られます。その中にあって、マスメディアはとかく“暗い面”に注目して世の中を余計に暗くする傾向がありますから、私たちは、日時計主義をいよいよ盛んにして、“明るい面”“善い面”“美しい面”を実相世界から引き出し、発展させる運動を大いに拡大していく使命があると言わなければなりません。

 谷口雅春大聖師の二十五年祭に当って、ぜひ皆様とともにこのことを確認し、公私にわたって実相顕現運動をさらに力強く進めていきたいと思います。ご清聴、ありがとうございました。
 

 谷口 雅宣

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コメント

合掌
ありがとうございます

物事の、真、善、美、を見るには、postingjoyが最適だと思います。真実(実相)を、善いことを、美しいことを書き込みするサイトがpostingjoyですから、参加することによって、自然と日時計の生き方になります。実際に、日時計の生き方が自然と出来るようになった、と言う喜びの声を、幾つも聞いています。

投稿: 水野奈美 | 2010年6月18日 20:45

合掌有難うございます。今回大聖師谷口雅春先生の25年祭が団参と時期を同じくして執り行われ 有難い気持ちいっぱいで参加しました。4月に組織会員になり 支部長になったばかりの人と一緒に 感動の御祭りでした。信徒誌友が左右から合掌してお迎えする中を 雅宣先生、純子先生が 楠本宮司の先導で 右に左にと 慈愛に満ちた眼差しを向けられながら 奥津城に進まれました。両先生の尊顔を拝した時何かしら お喜びになっていらっしゃる様な感じを受けました{皆さん良くおいで下さいました}と。お亡くなりになった時 バスに頼みこんで乗せて頂き 公邸にお別れに参りました。その2年前雅春先生より講師の辞令を戴いたばかりでした。皆が涙にくれていた時「泣いていても先生はおよろこびにはなりません。泣いてる暇があったら光明化運動に励んで下さい」と輝子先生が毅然としたお言葉で信徒を御諭しになられました。様々な事が走馬灯のように思い浮かびました。25年の歳月が流れたのですね。ほんとうに感慨深いものがあります。例年教化部で年祭が執り行われて そちらに参列しておりましたので 奥津城で焼香し甘露の法雨を読誦させて頂ける幸せに染み染みと ひたっておりました。前述の支部長さんは「甘露の法雨読んでたら涙がでて止まらなかった何でやろうか?」と言っていました。そして雅宣先生純子先生が退席なさいます時席を立ってどんどん中央に寄って行きました。「いつもスクリ-ンでしか見たことのない先生をじっと眼近でみられて 有難かった。」と感激していました。総本山の皆様のご愛念でしょうか?大きな りっぱなテントが張られ 涼やかな風の渡る中で 雨の心配もなく 心をこめて聖経を誦げる事が出来ました。有難うございました。この15日と16日夜 本山の顕祭殿に向かう途中の川と 本殿横のあじさいの先の つつじの葉の上で{蛍}に逢えました。ホタルは魂のたとえに使われる事があるとテレビの俳句番組で話されていました。、、、、、。私は嬉しくてたまりませんでした。心の底から魂の底から感謝の気持ちでいっぱいです。神様に雅春先生に報恩感謝の誠を捧げます。桝谷拝 

投稿: 桝谷栄子 | 2010年6月19日 22:45

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