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2010年6月 4日

カッコウの歌を聴く

 いつの間にか前回の本欄から6日が過ぎ、6月に入ってしまった。バタバタと日本の政治の流れが変わり、鳩山氏の代りに管直人氏が民主党の総裁、そして第94代の日本の総理大臣となった。妻のブログを読まれた方は、私たちが山梨の山荘へ行ったことをご存じだろう。そこへ籠って書いていた原稿とは、5月初めに行った3回の講演記録を1本にまとめる仕事だった。それを最終的には今日の午前中に仕上げ、編集部に渡した。この類の仕事は毎年、この時期に来るのだが、1時間ある3回の講演を3つの機関誌に2回に分けて掲載してきたので、仕事量は2カ月間に平均化されていた。しかし今回は、機関誌が1つに統合され、その1誌に1回で全講演記録を掲載しようというわけだ。当初は、例年より楽になるかと期待したが、やり始めるとそうは問屋が卸さないことが分かった。が、この新形式を言い出した張本人は私だったから、文句を言わずにただひたすらパソコンの画面に向かっていた。
 
 山荘ではテレビを見ることができない。VHSビデオと一体化した13インチ程度の簡単なテレビセットはある。しかし、アンテナを立てていない。これには理由がある。山荘へ行くのは、“都会”から抜け出して“自然”の環境に浸るためだ。テレビ番組が流れているのでは、その意図が半分以上損なわれる。電話も鳴らない。固定電話はあるにはあるが、ガサガサと雑音が入るのに修理しておらず、番号は家族しか知らない。新聞の配達もないから、“文明社会”からの情報はラジオとインターネットによるしかない。が、これまで何年も利用していて不自由に思ったことはない。都会ではできないことが、山には山ほどあるからだ。今回は、その“山ほどある”ことにも目をつぶって、機関誌『生長の家』の8月号に載る予定の原稿を書くことになった。

 それでも3日の午前中に、庭の草刈りをする時間ができた。標高1200メートルの山荘の環境では、東京より季節回りが1カ月ほど遅く、5月初めの気候である。それでも、西洋芝が20~30センチの高さに不揃いで伸びた様子が、見苦しかったのだ。草刈り鋏で1時間ほどかけて刈っているあいだ、近くの山でカッコウがずっと鳴き続けていた。泣き声に大小の変化がなかったから、恐らく1羽が1カ所にとどまったまま鳴いていたのだ。その合間に、ホトトギスの声も聞こえた。私は、どちらの鳥の声も耳に心地よく響くことに気づき、楽しみながら聞いていた。が、30分も過ぎてから、ハタと思い当たることがあった。それは、彼らが何のために鳴いているかということだった。普通、鳥が鳴くのは雌鳥を呼ぶためということになっている。一種の“求愛”行動だ。しかし、同じ場所で30分も相手を呼び続けていて、退屈することはないのか、と思った。人間だったら、デートの待ち合わせ場所に相手が30分も来ない場合、怒って帰る人もいるだろう。しかし、カッコウには「待ち合わせ場所」などないだろうに、1カ所で30分以上鳴いていて効果がなければ、別の場所へ行くという選択をしないのか……私はそれが不思議だった。
 
 私はカッコウにエンパシーを感じていたのだ。つまり、芝刈り中の私は、同じ場所で同じことをひたすら繰り返すという意味で、カッコウと同じことをしていたから、彼の“心”(そんなものがあるとしたら…)を慮ったのだ。草刈りや芝刈りは単純労働だから、退屈と言えば退屈である。しかし、伸びた芝が鋏で刈られる時の“音”と両腕に伝わる“歯ごたえ”が心地よい。また、見苦しかった芝生の表面がスッキリしていくのを見るのは、一種の快感である。芝刈りのような単純反復運動を人間が継続することができるのは、恐らく、こういう感覚上の“ご褒美”があるからに違いない。それならば、相手がいつまでたっても現れない中で、カッコウが雌鳥目当てに延々と鳴き続ける理由は何だろうか? 私はその時、鳥は「鳴くこと自体」に楽しさや快感を覚えているのだ、と思った。歌手は歌うことに快感を覚え、演奏家は演奏すること自体が喜びである。鳥が鳴くことにも、これと似た動機があっても不思議ではない。そう考えたとき、どこか寂しげに聞こえていたカッコウの鳴き声が、急に喜びの歌のように聞こえてくるのだった。
 
Fr_tanam053110m  山荘から東京へもどると、先月末に生長の家講習会へ行った青森から、田中道浩・教化部長の絵封筒が届いていた。田中教化部長は近ごろ、絵手紙と絵封筒に“開眼”され、生長の家の投稿サイト「ポスティングジョイ」にもレギュラーとして明るいメッセージを掲載されている。力強い「ねぷた祭」の絵柄が、講習会後の青森教区の“やる気”を表しているようで頼もしく感じた。感謝・合掌である。
 
 谷口 雅宣
 

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コメント

谷口雅宣先生

 先日は青森教区での講習会並びに懇談会で、ご指導いただきありがとうございました。
 また、私の絵封筒を先生のブログに掲載していただき、激励のお言葉までいただいて本当にありがとうございます。

 本日、教化部と八戸会場をネットで結んで、運営委員による感謝前進の会を開催いたしました。
 今回の講習会を振り返り、次回開催に向け話し合う運営委員としての会でしたが、講習会推進や受講の喜びも話していただきました。
 サブ会場であった八戸会場の様子も聞くことができ有意義な会となりました。

 初めて参加された方が会場に入るなり“清々しい。こんな会場に今まで入ったことがない”と感動されていたり、しばらく生長の家から離れていた方が、青森まで行かなくても講習会に参加できるのであったらと午前中だけの約束で参加され、午前中のご講話があまりに素晴らしいので、最後まで残られたというお話も聞きました。
 講習会が終わると抱き合って喜んでいた人もいたそうです。

 青森教区にとりましては、2会場で初めて開催した講習会で、運営委員、参加者ともに大きな感動をいただいた講習会でした。
 本日の会も喜びに満ちあふれ、皆さんやる気に満ち、これからの運動がとても楽しみになりました。
 先生のご指導を胸に、青森教区において、自然と共に伸びる運動に邁進して参ります。
 ありがとうございます。

投稿: 田中 道浩 | 2010年6月 5日 20:07

田中さん、
 丁寧なご返事、ありがとうございます。
 あなたは絵の腕前もずいぶん上げたではないですか。「継続は力なり」です。大いに前進してください。

投稿: 谷口 | 2010年6月 5日 21:56

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