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2010年6月10日

情報の質について (3)

 6月5日付の『産経新聞』に、ニューヨーク発の次のような記事が載った--
 
「国連人権理事会(ジュネーブ)のフィリップ・アルストン特別報告者は3日、米国などが実施している無人の軍用機を使った空爆について、法的根拠があいまいであるのに加え、多くの死傷者を出す軍事攻撃を、あたかも家庭用ゲーム機を操作する感覚に陥ってしまう危険性もあると批判する報告書を提出した」。

 この記事によると、アメリカでは無人機による攻撃の研究は、2001年の9・11事件以降行われ、2002年のイエメンでの実際の攻撃が成功してから本格化しているという。私は2005年4月8日の本欄で一度、このことに触れ、当時のイラクの上空には「700機以上」が飛んでいるらしいと書いた。また、当時の米空軍には同様の無人飛行機が「10種類以上」あるとも書いている。その後5年たった現在では、もっと多くの種類が、より多く実戦で使われていると推測できる。昨年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、脚本賞、音響賞などを受賞した『ハート・ロッカー』(The Hurt Locker)の中にも、これら無人機によるものと思われる攻撃シーンがあったことを読者は覚えているだろうか。

 国連人権理事会は今回、「あたかも家庭用ゲーム機を操作する感覚」で攻撃が行われる危険性を問題視しているのだが、なぜそうなるかを理解するためには、実際の攻撃の仕方を具体的に知る必要があるだろう。その参考として、5年前に私が本欄に書いた文章を再掲すると--
 
「“プレデター”という機種の操縦士と副操縦士は、アメリカ西部のネバダ州の空軍基地にいる。そこのトレーラーの中から、ジョイスティックを握った空軍パイロットが1万2000キロ離れたイラクやアフガニスタン上空を飛んでいる無人機を制御し、必要があればミサイル発射も行う。この機種はジェット機ではなくプロペラ機で、時速130キロ程度でゆっくりと飛び、24時間以上滞空できる。操縦士たちは、ネバダ州のトレーラーの中から機に搭載されたズームレンズやレーダー、赤外線投射装置を操作し、無人機の見るものを見る。そして、イラクやアフガニスタンの地上の兵士と会話したり、電子メールのやりとりをする。一方、地上の兵士は、無人機から送られる上空からの映像をパソコン上でリアルタイムに見ることができる」。

 これを読むと分かるように、今、アフガニスタンやパキスタン上空を飛んでいる無人機によって攻撃を実行する兵士は、アメリカ国内など、敵からの攻撃がない安全地帯にいるのである。そして、無人機から送られる映像をコンピューターの画面で見ながら、攻撃ボタンを押す。それが、パソコンのゲームとどこが違うかというと、攻撃を行う人間の感覚上はほとんど差がないはずだ。なぜなら、今のパソコンゲームの映像や音声は、戦場の“実写”とほとんど差がないからだ。もし差があるとすれば、それは攻撃ボタンを押す兵士が、心の中で、「これは実際の戦争だぞ! 本当に人が死ぬのだぞ!」と自分に言い聞かせ、本人がどれだけその気になれるかなれないかの差ではないだろうか。
 
 さて、私は本シリーズの前回、今日の情報社会で私たちが最も多く触れる情報は、「左脳的判断によって選択された情報の右脳的表現」だと書いた。そして、こういう種類の情報が私たちの生活に本当に役立つかどうか、という疑問を提出した。今回、現代の戦争の一側面をクローズアップしたのは、ここに情報社会の“落とし穴”があることを読者に知っていただきたいからだ。無人機による遠方からの空爆は、まさにこの「左脳的判断によって選択された情報の右脳的表現」によって行われているのだ。つまり、この攻撃は、人間や車両、家屋などを“敵”“味方”“非戦闘員”の3種に色分けし(左脳的判断)、これを映像や音声を使ってできるだけ明瞭に再現し(右脳的表現)たのちに行われるのである。この方法は一見、「左脳と右脳をバランスよく使っている」ように感じるが、子細に検討してみると、そうではない。上空にある無人機が、人間や車両や家屋を明瞭に映し出す目的は、あくまでも攻撃対象を正確に破壊するためである。
 
 私はここで、アメリカ1国を取り上げて悪口を言うつもりはない。なぜなら、ここに描いた「無人機による遠方からの空爆」を可能にする技術は、すでに多くの国が所有しており、その一部の開発には日本の技術も関わっていることは明らかだからだ。冒頭に引用した国連の報告書でも、この技術はすでに約40カ国が保有し、「中国、ロシア、イラン、イスラエルといった国はそうした偵察機に精密誘導爆撃能力を持たせる技術を開発中か、すでに開発ずみだ」と述べている。私がここで指摘したいのは、戦争では左脳的判断が最優先され、右脳的感性が沈黙させられているという事実である。つまり、戦争では極めて偏った情報処理が行われる。だから、“情報の質”は、平和時よりもかなり劣っていると言える。
 
 谷口 雅宣

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