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2010年6月 8日

情報の質について (2)

 前回、本欄でこの題で書いた際は、キツネタケというキノコに関する“情報の質”を問題にした。また、ある対象についての情報には一般に“右脳的”(感覚的・体験的)なものと“左脳的”(意味的・言語的)なものがあるとする私の考えでは、その双方をバランスよく得ることが対象を「よくわかる」必要条件である、とも書いた。さて、それでは、今日の情報社会について考えてみよう。インターネットや大容量高速通信が発達した現今の社会では、私たちは、この2種類の情報のどちらと多く接しているのだろう? この疑問への答えは、案外むずしい。

 1つの答えは、「双方の情報が入手できる」というものだ。なぜなら、インターネットやハイビジョンTVでは、文字情報だけでなく、映像や音声による情報も豊富に入手することができるからだ。しかし、私はこの答えでは不十分だと思う。なぜなら、ネットやHTVを経由して届く情報は、文字も映像も音声も「送り手」側の注意深い選択を経ているからだ。例えば今、アメリカ南方のメキシコ湾で、石油会社のBPが油田開発中に事故を起こし、大量の原油がメキシコ湾に流出する事態になっているが、これを当初、BP社が発表したとき、破損箇所から原油が流出する映像も動画により公開した。その動画を分析して、メキシコ湾岸の各州や関係業界は漁業や観光、環境への被害を推定し、被害を最小限に食い止める様々な対策を講じていたのである。ところが、最近になって、この動画の映像よりも、もっと別の、もっと大量の原油が噴き出している映像があることが判明し、問題になっている。つまり、動画による映像は、確かにある時点の、ある場所の事実を、克明に、詳細に伝えてくれるかもしれないが、別の時点の、別の場所の事実の方が、問題の本質を正確に伝えている可能性が常にある。映像や音声による情報は、受け取る側へのインパクトが大きいために、その事実を逆に覆い隠してしまうのである。
 
 私がよく指摘することだが、もし私たちが「社会は犯罪で満ちている」とか「世界にはテロが蔓延している」という印象をもっているとしたら、それは、社会や世界の現状を知っているのではなく、マスメディアが世界中から集めてくる“悪いニュース”が、私たちの茶の間や、街角や、ネット上や、新聞・雑誌に溢れているからなのだ。そうだとすると、情報社会で私たちが最も多く触れる情報とは、「左脳的判断によって選択された情報の右脳的表現」と言えるだろう。では、こういう種類の情報は、私たちの生活に本当に役立つものだろうか?
 
 この疑問に答える作業を進める前に、読者に、情報社会が成立する以前の人間が、どのような仕方で生きてきたかを確認してもらうために、塩野米松氏の小説『ふたつの川』にの1節を読んでいただきたいのである。この小説の舞台は、昭和12~13年頃の秋田の山中である。人々はまだ貧しく、テレビは発明されていない。そこで、「奥野」という医者と「常次郎」という炭焼き男が会話しているのだが、炭焼きの家にはラジオもなく、新聞は何かに包んできた古いものを読む程度である。だから常次郎は、自分のことを「物知らずで、申し訳ねすな」と奥野に謝るのである。これに対して、奥野が言うことが面白い--

「謝ることはねえんだ。ラジオでしゃべってることがみな本当かどうかわからねえし、本当だとしたってどうできるものでねえ。世の中知った気がするだけだし、なんだか自分も世の中動かす一人だような気になって、『仕方ねえ』とか『そうしねばだめだ』って思うんだ。釣りなら、新しい仕掛け考えたら、試してみて、自分でいいか悪いか判断できるども、世の中の話や政治の話は聞くだけで、試しようがねえからな。」(p.80)

 私は、この「奥野」の言葉は、現代の情報社会にあっても少しも古くない、透徹した知性による的確な分析だと思う。確かに私たちは今、国内政治、国際政治について、溢れるほどの情報に浴しているが、それがすべて「本当」かどうかは疑わしい限りだし、本当だとしても何ができるだろうか? このような“左脳的情報”を元にして金儲けをする産業は発達したが、それが人々の人生を本当の意味で“豊か”にしているかどうかも疑わしい。それよりも、自分で釣りの仕掛けを工夫して、本当に魚が釣れる人がもつ情報の内容の方が、“豊か”なのではないのだろうか? イワナやヤマメの生態を知り、川の中のポイントを知り、魚たちの食べ物や性格を知り、エサの調達方法を知り、毛バリの作り方を知り、魚の料理法を知り、知っているだけでなく、その知識を活用して実際に漁をし、家族を養うことができる--これらのことは、右脳と左脳の密接な連携から生まれた“生きた情報”であり、“本物の情報”と言っていいだろう。

 現代の情報社会は、このような真っ当な情報を私たちにより多く与えてくれているのか……これが、私の感じている問題点なのだ。
 
 谷口 雅宣
 
【参考文献】
○塩野米松著『ふたつの川』(無朋舎出版、2008年)

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コメント

私は仕事で理学療法士として大学病院で勤務しておりますが、学生の実習指導も行っております。
そこでよく学生から、教科書にこう書いてあったから、学校でこう習ったからというような事を聞きます。
確かに理論的にはそうかもしれないけれど、目の前の患者様とそれが必ずしも一致しているとは限りません。
だからこそ、学生には目の前の患者様のありのまま、そのままをみて考えなさいと指導しております。

治療方針を決めるためには教科書ではなく、目の前の患者様の中にこそ答えがあると感じております。

今回のご文書を拝読して改めてそのようなことを感じました。

投稿: 平野明日香 | 2010年6月 9日 06:34

実際に経験した事ほど役立つ情報はないと思います。インターネットで情報を得ることは、とても便利で簡単ですが、自分でも、行動したり、考えてみたりしないといけないということを教えられました。ありがとうございます。

投稿: 松本康代 | 2010年6月10日 11:28

マスコミのニュースの集め方は日時計主義とは真逆ですが、それによって世界の底辺を表していると近頃感じています。こんなに世界は悪くないよ…と。見方を変えればこんな風に思えるということに真理を知っている、伝えることの重要性を思います。

投稿: 加藤裕之 | 2010年6月10日 11:52

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