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2010年5月21日

人工細菌ができるとしたら……

 21日の新聞朝刊は大きな出来事がいくつも報道されていたから、新聞の切り抜きを日課としている私にとっては忙しい朝となった。国内では口蹄疫の対策が遅れて被害が深刻化していること、海外では韓国の哨戒艦沈没の問題で同国と北朝鮮の関係が緊迫していること、ソニーとグーグルがインターネットTV開発で提携したこと、日本でまもなく発売されるアップル社の多機能携帯端末「iPad」向けに、講談社が京極夏彦氏の新作を書籍より安く提供すること……などで、切りぬいていくと新聞がバラバラになってしまうほどだった。口蹄疫と電子書籍の問題については、すでに書いた。韓国と北朝鮮の問題は日本の安全保障とも密接な関係にあり、看過できない。が、きわめて流動的で今日、予定されている米国務長官の来日の影響で、さらに変化するだろう。だから、何を書いてもすぐ古くなる--というわけで、今回は、リストに挙げなかったもう1つの問題について、触れたい。
 
 それは、アメリカの科学者のチームが、一部のDNAの組み換えや加工ではなく、ゲノム全体を人工的につないで細菌を作ったという話である。ゲノム以外の細胞の部品は自然のものを使ったから“人工生命の誕生”とはまだ言えないが、そこまで「あと一歩」の状況だ。この研究を発表したのは、ヒトゲノムの解読にも携わったクレイグ・ベンター博士の研究所のチームで、遺伝情報が少ない細菌のゲノムをまねてDNAの断片をつなぎ合わせ、それを別の細菌のゲノムと入れ替えることで、自己増殖を繰り返す細菌を生み出す段階に到達したということらしい。簡単に言えば、従来のような“遺伝子組み換え”の細菌ではなく、“遺伝子全とり替え”で細菌を生み出したのである。21日付のアメリカの科学誌『サイエンス』の電子版に発表されている。
 
『朝日新聞』はこれについて、「この技術を応用して遺伝情報を効率的に設計すれば、医薬品の原料やバイオ燃料など、人間が欲しい物質を人工細菌に作らせることも可能になる」と肯定的評価をする一方、「生物兵器などへの悪用も心配される」だけでなく、「人工的に作られた生命体が、意図せずに自然界に出た場合、生態系や人体などへの影響も懸念され」るなどと、問題点も挙げている。『日本経済新聞』は、肯定的評価は『朝日』とほぼ同じだが、否定的側面については、「テロに悪用できる細菌兵器や生態系を破壊する生物などもできる」と書いている。
 
 この問題は結局、科学技術は“諸刃の剣”だということで、その“剣”を人間が“善”の目的に限って利用できるかどうかという、古くからの疑問に帰着するのである。そして、その疑問の基底には、「自然」というものを我々がどう見るかという宗教的・哲学的視点の違いがある。きわめて概括的に言えば、「自然は、人間によって改善されるべきものだ」という考えの人たちは、科学技術を利用して人間が自然に手を加えることを肯定する。しかし、「自然は、このままで何も不都合はない」と考える人は、科学技術の利用に懐疑的になる。前者の人たちは、人間の本質について楽観的だ。つまり、人間は多少の過ちを犯したとしても、いずれ自分たちの努力で善を実現すると考えるのだ。これに対して後者の人々は、人間は基本的に過ちを犯す存在だと悲観的に考える。だから、強力な技術の無制限の利用は、人類の自滅へとつながると恐れるのである。「理想」という言葉を使えば、自然懐疑派の人は人間を理想化し、人間懐疑派の人は自然を理想化する。
 
 私の立場は後者である--こう書くと、誤解を招くかもしれない。なぜなら、生長の家では「人間は神の子である」と教えているからだ。だから、「神の子」を懐疑的に見ることは教えに反する。しかし、その一方で、生長の家では「現象は不完全である」とも教えている。不完全なものを懐疑的に見ることには問題がない。だから、私が生長の家は後者の立場だという時は、「現象論としては」という修飾語を加えなければならない。つまり、生長の家では、現象論(現象処理の処方箋)としては後者の立場をとるのである。その理由は、このブログの最初に書いた現在進行形の“大きな出来事”のいくつかを振り返ってみればわかるはずだ。
 
 口蹄疫の蔓延は、現象人間としての我々が、動物の生命を奪って肉を食いたいと欲望していることが原因だ。北朝鮮と韓国の間の政治・軍事的対立は、お互いが相手を“敵”だと見なし、不信感を深めていることが原因だ。つまり、双方とも、人間の「神の子」なる本性が深く覆い隠されていることが原因だから、この原因が除かれるまでは“人間懐疑論”にもとづいて現象処理をするのである。ただし、これは文字通りの意味での“人間懐疑論”ではない。人間の本性は「神の子」であると信じながら、現象は完全でなく、悪因からは悪果が生じるとの認識をもって考え、行動するという意味である。本当の人間懐疑論ではなく、現象人間懐疑論を採用し、それと並行して「人間の実相は神の子である」という真理を広く伝えることで、“神の子”の自覚をもった人間を増やし、懐疑の対象となる人間を減らしていく。そういう2段階の手続きが必要である。
 
 今回の“人工細菌”の開発でも、現在のように国家間の不信感が存在し、憎悪に満ちた爆弾テロなどが起こっている間は、また、人間が自らの快楽増進のために他の生物の命を奪うことに一顧もしない状態であるうちは、悪用が行われる可能性は高いと思う。医薬品開発に使えるというが、現在のほとんどの医薬品の元になったのは、もともと自然界にある植物である。その夥しい数の植物種のうち、医薬品の原料として研究されてきたものは、きわめてわずかだ。また、バイオ燃料の製造に役立つといっても、この分野でも自然界にある藻類などの研究で、バイオ燃料の生産に有力視されているものがすでにいくつもある。だから、私は、“人工細菌”の開発には賛成できないのである。
 
 谷口 雅宣 

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