« コーヒーカップの“実相” | トップページ | 自然は多様性を求めている »

2010年5月24日

買い物では世界を救えない

Newspaper  今日の新聞の1ページ全面を使って、貸金業者の「ジェーシービー(JCB)」が広告を掲載していた(=写真)。画面の下段に大きく2行に書き分けて「買い物は、世界を救う。」とあり、上段には、高橋是清の随想録からの引用として、「貯金よりもお金を使うことが国の経済に貢献する」という意味の古典的議論がズラズラと展開されている。その文章は「1929年11月」のものだ、とも書いてある。それを見て、私はこの会社の見識を疑った。今どき、こんな理論が通用すると考えるほど、JCBは国民を軽く見ているのだろうか。高橋是清とは、1910年代から30年代にかけて蔵相や首相を務めた政治家で、積極財政による景気刺激策を推進したが、軍事費抑制を試みたために、2・26事件で殺害されてしまった。そういう人の意見を拝聴しなければ日本経済は立ち直れない--JCBは、そんな古い考え方をしているのか、と私は少し腹立たしくなった。
 
 JCBが引用している高橋の文章を要約すれば、ある人の可処分所得が5万円の場合、3万円を使って2万円を貯金することは、個人にとってはよくても、社会にとってはメリットが少ない。それよりも、もう2千円を消費に回せば、それが社会に還流して20倍、30倍の生産力になる、という論理だ。この2千円の用途としては、芸者を招んだり、贅沢な料理を食べたりすることを暗に勧めているのだ。そうすれば、料理人の給料、食材の代金、その運搬費、商人の利益、農漁業者の収入増などにつながって、社会のためになるというわけだ。これを安政元年(1854年)生まれの高橋が言うのはいいが、21世紀初頭の地球温暖化と人口爆発の時代に、しかも世界的な金融危機を経験した後に、“一流”と目される日本の企業が新聞の全面広告で訴えるのは、PR上も誠にお粗末だと私は思う。

「物を消費すればするほど経済が豊かになる」という古い理論は、経済学では「外部性(externalities)」と呼んでいる重要な要素を無視する点で、現実政策としては採用不可能である。外部性の一例としては、いわゆる「公害」が挙げられる。消費が増えることで工場生産が増加し、有害物質が河川や田畑に流出すれば、農漁業に悪影響を与え、住民の健康被害にも及ぶ。その場合は、医療費が増加したり、国の財政負担が増えるなどの経済へのマイナス効果となる。そんなことは経済学の教科書に書いてあることだ。大企業がそれを知らないはずはないから、この会社は「国民には分かるまい」と思っているのだろう。特に今日では、ほとんどあらゆる経済活動に付随して「温室効果ガスの排出」という外部不経済が関与していることを、企業は熟知しているはずである。だからわざわざ「地球にやさしい」などという表現を使って、自社の製品やサービスが温室効果ガスの排出を抑制している点を訴えるのである。

 単なる「買い物」では世界は救えないのである。無原則の買い物が、かえって世界を苦しめているのである。だから、倫理的に生きるつもりならば、どのような製品やサービスを買うかを、消費者はしっかりと吟味する努力が必要だ。そのための雑誌や書籍も数多く出版されている。かつて、有名なスポーツ用品メーカーが売っている靴が、途上国の若年労働者を“搾取”して作られていたことが問題になった。今でも、多くの途上国では、自国民が消費できない高価な農産物が、多国籍企業によって海外向けに生産されている。これによって、自国民の消費すべき食糧が不足することもあるのだ。また、先進国での大量消費によって出た廃棄物が、途上国に回ってきて捨てられ、深刻な健康被害をもたらしているケースもある。そういう事実を無視した全面広告を打つような金融会社から借金をすれば、相当厳しい取り立てが待っていることを我々は覚悟すべきだろう。
 
 谷口 雅宣

|

« コーヒーカップの“実相” | トップページ | 自然は多様性を求めている »

コメント

 総裁先生、いつも丁寧なご指導ありがとうございます。
 先日、テレビで、日本の街で見かけるビーズなどでかわいく装飾されたペンなどが某国で不法で安価な児童労働により作られていることがあるというレポートを見て衝撃を受けました。と同時に私たちがそれらを購入することでその子達は日々の糧を得ているのではいかという心配も沸いたりして、単なる雑貨の購入の是非についても考えるようになりました。ただ、その手のペンについては購入意欲はなくなりました。
 また、私は花が好きなのですが、カーネーションはコロンビア産が全世界の約7割を占め、日本でも同国産が約2割を占めるようになったということを知り、なじみの花でも産地など考えるようになりました。(コロンビアでは花の生産が雇用増加に役だっているということでしたが・・・)
 大変複雑で難しいことですが、総裁先生の言われるように、品々がどのような経路で並べられているか真剣に吟味する必要があると痛感しております。

投稿: 三好優子 | 2010年5月26日 15:01

合掌、本日も素晴らしいご指導ありがとうございました。

本日の青年会全国大会にてご指導下さいました『めんどくさいが世界を救う』を早速実践して、雨の中、徒歩で帰路につきました。

昔はこのように、どこへ行くにも長い時間歩いて行ったものです。

山でも車で簡単に頂上に登るよりも歩いて登ったほうが喜びも大きいものです!

『めんどくさいが世界を救う』ということになれば、もはやそれは『めんどくさい』ではなく『充実』になるとではないかと思います☆

これからもそういった生活を少しずつ意識しながら、自然と調和した生活を実践していきたいと思います☆

投稿: 澤田敏宏 | 2011年5月 3日 22:38

拝読いたしましたが、JCBの広告は買い物自体の経済への波及プロセス、効果を謳っているように読み取れます。一方で貴殿はその先の「買い物の方法」を説いているように見受けられました。

人間にとっての経済とは何なのかに焦点をあてれば、「買い物」そのものになるはずです。なぜならご存じの通り、経済とは人間の需要~生産~消費までの「買い物」のプロセスそのもののシステムを意味している為です。

結局のところ、「買い物」による経済とサステナビリティの共存を目指すことが当面の我々人類には必要なことと考えております。これは技術革新によるリサイクル経済というところではないでしょうか。

投稿: wakahama@ | 2011年12月16日 11:26

この記事へのコメントは終了しました。

« コーヒーカップの“実相” | トップページ | 自然は多様性を求めている »