なぜ“森の中”なのか?
生長の家が国際本部を“森の中”に移転するとして、その予定地を山梨県北杜市に購入したことは、本年1月末に生長の家の公式サイトで発表され、2月1日号の『聖使命』新聞でも報じられた。本欄では、それに先立つ1月20日から4回に分けて、この決定の背景などについて書いた。そして、それらの文章は月刊の機関誌『生長の家』の4~5月号に、多少編集を加えて転載されている。だから、生長の家の信徒の方々は、本欄の読者のようにネット使う人はもちろん、ネットを使わない方々にも、今回の決定に関する情報は届いているに違いない。
そんな理由もあって最近、私のところに神奈川県の白鳩会員のMさん(46)が、この件で手紙をくださった。私は12月30日の本欄で“森の中のオフィス”構想について「ご支援をお願いする」と書いたのだが、この人は「私は喜んで応援ができない」というのである。該当個所を引用させていただこう--
「私のここが一番聞いてほしい考え、おもいですが、雅宣先生の森のオフィスの計画等ですが、私は喜んで応援ができないことです。私がおもっている生長の家は、より日本的・古風な“もったいない”精神を重んじ、今あるもの、状況に感謝し、大事にし、そこから祈り実現・開花していくところと思っています。共存のため、新しく建築されることより、今ある建物の中から上手に利用しながら、コツコツ(草の根活動のような)と理想実現していくところと思いますが……。文化的、科学的等の事も大切ですが、生長の家の使命は、もっと魂の向上の内なる理想の内面的な部分強化だと思います。魂が向上すれば、おのずと各々の使命自覚し、開花していくものだと思います。もっともっと身近に今あるもの・事・すべてに感謝の念を深めて行じていくことが大事に思います。私は陰に徹していいのではないかと思いますが……」。
一部わかりにくい表現もあるが、だいたいの意味は理解できる。しかし、Mさんのご意見には1つ大きな誤解があると思うので、最初にそれを解消しよう。それは、今回の国際本部移転について、Mさんが「今ある建物がもったいない」と考えられていることだ。私たちは今回、まだ十分使える建物を放棄して“森”へ行こうとしているのではない。現在の国際本部の建物について、Mさんは今後何年も使用に耐えると考えておられるようだが、事実は大きく異なる。まず「神像」の掲げられた本館の建物は、昭和29年の建設だから、もう築56年だ。これに継ぎ足して建てた新館は同44年、別館は同31年で、いずれもかなり古い。その場合の大きな問題は、これらの建物が現在、国が定めている耐震設計の基準に達していないことだ。基準通りの補強工事をするとなると、断熱材として入っているアスベストの除去などを含めて、相当のコストがかかる。また、機能的面からみても問題がある。それは、3棟は教団の発展とともに次々と建て増しされてきたものだから、“ウナギの寝床”状態で使い勝手がとても悪い。この2つの問題を解消するためには、「建て直し」が最も論理的な結論になる。
Mさんは、「今ある建物の中から上手に利用しながら、コツコツと理想実現していく」べきとのお考えだが、私としては、耐震性において違法状態の建物の中に200人もの職員を入れて、今後何年も仕事させ続けることは社会的にも道義的にも許されることではないと考える。また、そうすることが生長の家の「理想実現」だとは思わない。
では、東京・原宿の一等地に、私たちは設備が整った新国際本部を建設するのだろうか? 仮にそうするとしたら、建設中の最低1年間は、どこか別の建物に職員全員と機材、事務用品すべてが移動し、そこを借りて仕事をすることになる。都心のビルを何フロアーも借りる値段は、決して小さくない。そういうコストをかけて建設した新国際本部では、恐らく省エネ、省資源の諸方策が最大限導入されるだろう。が、その設計は「東京」という都市環境の現状に合わせる以外にないのだ。つまり、「自然」や「環境」を最大限考慮した新しい設計思想を導入する余地も、職員が自然と触れ合いながら共存するノウハウを得るチャンスも、ほとんどないと言っていいだろう。
谷口 雅宣
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
合掌 ありがとうございます。
聖使命新聞で本部移転の発表があった後の誌友会でお年を召した講師がやはり「雅春先生がせっかく建てられたのにもったいない」とおっしゃっていて、誌友さんも同意していました。私は森にいくことに大賛成だったので、複雑な気持ちになりました。教化部長にお聞きする機会があったので、現本部の建物の老朽化と耐震性の問題があることを伺い、自分はすっきりしました。多くの地方講師が疑問を持っている点だと思いましたので、今回ブログで言及してくださり良かったなあと思いました。感謝申し上げます。
投稿: E.K | 2010年4月15日 13:23
総裁先生、ありがとうございます。
本部会館の補修か立て替えが必要というのは知りませんでした。(ブログか機関誌に出ていましたでしょうか?)
個人的には森の中オフィスに期待しています。自然との共存を実践し、未来のオフィスのあり方のモデルとなれば、マスコミや各界からも注目を浴びるのではと思います。
投稿: 近藤静夫 | 2010年4月15日 16:15
合掌 ありがとうございます。
とても詳しく御説明してくださいましてうれしいです。
これからもよろしくお願い申し上げます。
再 合掌
投稿: 山本 順子 | 2010年4月15日 16:46
合掌 ありがとうございます。
「東京砂漠~」という歌がありますが、北京の近郊にはすでに砂漠が迫ってきているそうですね。動植物は自然を育てながら「いのち」をつないでいるのに、人間は自然を破壊しながら「いのち」を細らせているように感じます。宗教者は「いのち」の尊さ、大切さを人一倍知り得る者と思います。だから、先駆けて行動を起こす必要があるのではないかと思います。
雅宣先生はまさにその先頭に立って、今具体的な指標を示し進んでおられます。私にもその命がけの心が伝わってきます。純子先生がブログで「今日はこのことを書かなくてはいけないような思いが出てきましたので・・・」といわれていましたが、二人三脚のそのお姿に中心帰一させて頂きたいと思います。
投稿: 君子蘭 | 2010年4月15日 21:06
森の中のオフィス構想は、御釈迦様が蓮華華をひねって説法されたのと同じニュアンスがあると思います。
投稿: 志村 宗春 | 2010年4月15日 23:43
私、本部のご「神像」のある本館の地下1階にてのお仕事させていただいております。われわれ職員は大切に本部を使わせていただいておりますが、建物の老朽化はかなりすすんでおります。大雨が降るたびに床上浸水したり、先日はボイラーが故障してそのパーツが古いため、(入手が困難だったと聞いており)修理にてまどり暖房のありがたさを体験することもできました。(笑)館内に何か起こるたびに、施設課の方々が飛んできて対処してくださります。そのうちどこかが崩壊するような気もするくらいですが、われわれに使命がある限り大丈夫だとまじめに話しております。
というわけで、修理を繰り返すのも限界に来ていると感じています。それ以上にこの建物を長期間利用し続けるのは危険だと思います。現状もご理解いただければと思いコメントさせていただきました。ありがとうございます。
投稿: GEN | 2010年4月16日 07:48