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2010年4月 4日

「わかる」ということ (9)

 ここで、本シリーズ中の私たちの理解をまとめてみよう。まず、「わかる」ということは一見、簡単なことのように思われるが、詳しく調べてみると、大変複雑な心的過程であることが明らかになった。その過程では、まず基本的には、私たちの意識は世界から2つの概念(集合)を切り出して、それらの関係性を組み立てることから始める。この際、ほとんどの場合は、非対称性の原理にしたがって、2つの概念の間の「違い」が意識されるのである。そこにはまた、単なる感覚的な体験ではなく、理性的(意識的)な判断が関与している。が、そのような意識の活動と並行して、無意識のレベルでは対称性の原理が働いていて、意識が切り分けた2つの概念間の「違い」を解消させる方向に力が動いている。この意識と無意識の関係は互いに「相補的」であり、意識が物事を細分化し、自我を孤立化していく方向に働くのに対し、無意識は物事に共通性を見出し、それらを統合する働きをしている。そして、人間の理性は、これら2つの動きを把握し、全体をより高次の統合へと進める力をもっている--そういうことだった。

Mind00  今回は、このような心的過程を図示してみようと思う。意識と無意識の図は、生長の家講習会などで何回も使っているので、読者にも馴染みがあると思う。例の「海中に浮かんだ氷山を横から見た図」を思い出してほしい。ここに掲げた図-1は、その“氷山”を簡略化して三角形として表現している。また、意識と無意識の比率については、1人の人間の心の領域を「10」とすると、意識の大きさは「1」、無意識の大きさは「9」などと言われることがある。が、この数字は数学的な厳密さを表しているのではなく、「大体の感じ」だと理解しておいた方がいい。意識や無意識のボリュームを測定する方法などなく、したがって両者の比率など測定できないからだ。また心は、その中に立体的な概念や記憶も含むと考えられるから、それ自身が“立体”だと考えた方が合理的だ。だから、2次元の平面で描いた図-1よりも、これを3次元化した図-2の方が適当だと思う。「三角形」だった心を、「円錐」に変えている。

Mind01  さて、ここから少し“頭の体操”を要するかもしれない。私たちが何か特定のものと出会った時、心はどのようなことを思い浮かべているかを考えるのである。例えば、読者(女性)が街を歩いているときに、自分の子供の友だちである「A君」のお母さんに出会ったとする。そこで、「まあ、こんな所で偶然ですねぇ~」などという言葉が交わされて、立ち話が始まるとする。この時、話をしている相手のことを、私たちの心はどうイメージしているかを想像してほしい。この「A君のお母さん」は、自分の子供の友だちの母親だから、「自分の子供の母親=自分」と近い関係にある。が、意識は、両者が別人であることを知っている。しかし無意識は、対称化の原理にしたがうから、相手を自分と同一視する傾向にある。だから、相手に対して「親しみ」が湧いてくる。
 
 この「A君のお母さん」がもつイメージは、それだけのものではない。この人は「自分の子供の友だちの母親」だから、その概念に属するすべての人--Bちゃんのママ、D助の母親、Mちゃんのおっかさん etc.……の“代表”でもある。この「代表」の意味は、A君のお母Mind02 さんが自分の子供のすべての友だちの母親の「特徴を典型的に表している」という意味ではなく、この人を契機として、他のすべての友だちの母親が「概念的に連結している」という意味である。意識はそのくらいまでは把握しているだろう。が、無意識は、対称化の原理にしたがうから、もっと広い概念へと近づけ、相手を「すべての人の母親」と同一視する動きを示し、さらには、より大きな概念である「母なるもの」との同一化にも向かうと考えられる。このことを示したのが、図-3である。

 このようにして、私たちはこの世界の特定のものを「わかる」と感じているときには、それを単一な概念として把握しているのではなく、意識と無意識とを動員して概念の「重層的構造」をつくり、それを把握していると考えられるのである。それをここでの例を使って言えば、私たちが「A君のお母さん」を意識するとき、私たちは同時に「自分の子供の友だちの母親」のことを思い起こしており、無意識のレベルでは、さらに「すべての人の母親」や「母なるもの」という概念も含めて、「A君のお母さん」の属性として感じているのだ。それだけではない、今回の図式化では簡便を期するため、ある特定の人を「A君のお母さん」として一面的にしか考えなかった。が、これが実在の人物だと仮定すれば、当然のことながら、この人には別の側面--「○○氏の妻」とか「□□家の嫁」とか「△△夫妻の娘」など--もある。だから、その人物のことを知れば知るほど、彼女をめぐる概念の構造は複雑になっていく。つまり、「A君のお母さんがわかる」と言う場合は、この複雑化の程度にしたがって「わかる」度合いが強まると考えられるのである。

 谷口 雅宣

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コメント

素晴らしいお話を展開いただき、
本来左脳で理解することを、
図形化して頂くことで
右脳でも理解しているのではないかと、
感動しております。古谷正拝

投稿: 古谷正 | 2010年4月 7日 09:54

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