「わかる」ということ (11)
4月4日の本欄で、ある母親が、自分の子の友だちである「A君のお母さん」と接するときの“心的イメージ”について触れたのを、思い出してほしい。その人はこの母親にとっては「自分の子供の友だちの母親」だから、その概念に属するすべての人--Bちゃんのママ、D助の母親、Mちゃんのおっかさん etc.……の“代表”でもあり、無意識の中ではもっと広い概念--「すべての人の母親」、ひいては「母なるもの」とも同一視される傾向があると指摘した。そして、このことを図-3のように示した。
図-3の円錐を横に倒したものを、図-6に描いた。倒れた円錐の左側に「目」があり、そこから円錐に向かって赤い矢印が伸びている。この「目」は、上述した母親の目だと思ってほしい。つまり、この母親が「A君のお母さん」を見たときに感じられる“心的イメージ”は、この角度から、この円錐を見たときの「見え方」に喩えることができると思うのだ。円錐は立体だが、この角度から見ると「何重もの層をなした同心円」という平面に見えるだろう。それを描いたのが図-7の左上にある図形である。これを見ると、この“心的イメージ”は普通の集合論で扱えることが分かる。つまり、「A君のお母さん」は「自分の子の友だちの母親」という集合に含まれ、「自分の子の友だちの母親」という集合は「すべての人の母親」という集合に含まれ、「すべての人の母親」という集合は「すべての動物の母」という集合に含まれる。これはスッキリとした矛盾のない集合だが、すべての“心的イメージ”がこのように整っているわけではない。
マテ=ブランコは、次のようなケースを著書の中で報告している:
「或る統合失調症患者が『あなたの助手はとてもお金持ちです』と語った。私は彼女に『どうしてそれがわかるのか』と尋ねた。彼女は『だって彼はとても背が高いでしょう』と答えた」。
この患者は「A氏(助手)は背が高い人から、金持ちである」と言っているのだ。その論理は普通の人には理解できない。背が高くても貧乏な人は数多くいるし、背の低い金持ちもたくさんいるからだ。が、患者から見える「A氏」のイメージは、図-7の右下の同心円に似ているのではないか。つまり、「A氏」は「背が高い人」という集合に含まれ、「背が高い人」(身長を多くもつ人)という集合は「何かを多くもつ人」という集合に含まれ、「何かを多くもつ人」という集合は「何かを多くもつ動物」という集合に含まれる。この患者はこう考えたと思われる。その論理は一見、矛盾していない。しかし、どこかに“ボタンのかけ違い”がある。そうでなければ、誰もがこの患者と同じ結論に達しないといけないからだ。もし“ボタンのかけ違い”あるとしたら、それは私たちから見えない、彼の潜在意識のどこか--つまり、同心円の内側から何番目か--にあるに違いない。
谷口 雅宣
【参考文献】
○I・マテ=ブランコ著/岡達治訳『無意識の思考--心的世界の基底と臨床の空間』(新曜社、2004年)
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コメント
『生長の家』総裁 谷口雅宣先生
合掌 有難うございます。本年3月16日以来、連続11回(関連ブログ3回を含むと14回)、“わかるということ”というテーマで,すばらしい御指導を戴きましたことに篤く感謝申し上げ、下記“コメント”をさせて頂きます。大変遅くなりましたことを深くお詫び致します。
従来から私は、各種の聖典を拝読し、人間の意識、特に潜在意識について、かなり詳しく学ばせて頂いておりましたので、自分なりに「わかっていた」つもりでした。
しかし、総裁先生が、イグナシオ・マテ=ブランコ理論や、河合隼雄氏等による多数の文献を参照されながら、一歩一歩確実に論旨をかため、進めて行かれるご指導に強く感動しつつも、私はその難しい内容を理解するのに、相当長い期間を要しました。
即ち、毎日お説き戴くブログを繰返し拝読し,要点筆記を重ね、同時に、昨年9月~10月の別ブログシリーズの『対称と非対称』〔6回〕、同年5月の幹部研修会ご講話の『真象表現の原動力となろう』と、『人類と自然が共存する社会を構築しよう』、さらには、別ブログ『神は偉大ではないか?』〔6回〕等を必要に応じ再度参照しました。
結果、「意識と無意識、および、その複雑な相関関係」に、信仰と理性的問題が深く密接に関わっていること等が詳しく理解できるようになりました。今まで私は「わかっている」つもりで伝道に臨み、『心の法則』を縷々説いて参りましたが、その程度の認識では、現今の対知識人伝道に必須とされる“科学的知見”面で、不十分な場合があることが分かってきました。
私は、今、そのことを深く反省し、これからの伝道の積極的推進に於いては『神想観』(四無量心を行ずる)の励行と、『小閑雑感』(日々のブログを含む)の熟読が基本的重要事項であるとの認識を新たにしました。初心者向け伝道の“お蔭げ信仰”も必要不可欠ですが、それのみで終始していてはならないと痛感しています。
さらに付記したい事は、従来、意識層と無意識層の関係説明では、平面的図示が多く用いられておりましたが、今回始めて三次元化図による、多次元的判断方法をご開示いただきましたことであります。これは、如何にも斬新で、文章だけでは中々解説困難なことの理解を容易にする、画期的なご指導であると、僭越ながら強く感服しました次第でございます。
総裁先生のご指導に心から感謝を申し上げます。有難うございました。 再拝
投稿: 丹羽 敏雄 | 2010年5月19日 18:37
丹羽さん、
私のコムズカシイ議論に徹底的に付き合ってくださったようで、感謝にたえません。そこまでやって下さる人は、本欄の読者でもごく少数だと思います。あなたが名前を挙げてくださったブログエントリーは、いずれもっとわかりやすい文章にして、1冊の本にまとめようと思っているところです。また、11回の連載の先にも、もっと検討しなければならないことが見えているので、そちらにも進みたいと考えています。
貴方のお言葉に励まされました。感謝合掌!
投稿: 谷口 | 2010年5月19日 22:40
合掌、ありがとうございます。
今、また一度、「わかる」ということをお勉強させて頂いています。11回目には、続きがあるように思えましたので、はじめてコメントの欄を拝見しますと、、
<<11回の連載の先にも、もっと検討しなければならないことが見えているので、そちらにも進みたいと考えています。
と、お書き下さっているのに気が付きました。
失礼でなかったら、この続きのお勉強として、もうブログに掲載下さったものがありますのでしょうか?
失礼を承知の上、勇気を持って、コメントさせて頂きました。潜在意識のどこかのかけ違いについて、もっと詳しく知りたいと思っています。
投稿: 松本康代 | 2010年8月22日 18:00