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2010年3月 5日

大地震は“神”の警鐘か?

 アメリカ人の作家、ジェームズ・キャロル氏(James Carroll)が、3日付の『ヘラルド朝日』紙に“自然災害と神”の問題について書いた論説を、興味深く読んだ。これは、1日付でキャロル氏が『ボストン・グローブ』に書いた「ハイチと神」という文章の転載であると思われる。キャロル氏は、FBI捜査官を父親にもち、カトリックの聖職者としての経歴をもつことから、「政治と宗教」の問題など我々にも関係のある分野での発言が多い。本欄でもかつて「信仰による戦争の道」と題して、彼の見解を紹介したことがある。今回の同氏の論説は、「神が存在するなら、なぜ天災によって大勢の人々が死ぬか」という疑問について述べたものである。直接的には今回のハイチの大地震のことを指しているだが、その直後に起こったチリの巨大地震や、その他の大きな自然災害、はたまた戦争による犠牲の理由とも関係しているだろう。彼の答えは、「神も被災者と共に棄てられ、苦悶している」というものだ。
 
 これには説明が必要だろう。キリスト教には「神とイエスは一体」という教義がある。換言すれば、「イエスは神である」のである。その神であるはずのイエスは、ローマ帝国の支配下で無実の罪で十字架刑に処せられ、自らを救うこともできずに、苦しみながら非業の死を遂げた。このような不名誉な存在が実は“神の子”であると信じることで、キリスト教徒は他の信仰者にはない慰め(consolation)を得られるのだ、という。この慰めから、未来に向けた強い精神力と自尊心が生まれるのだという。このキャロル氏の論理は、なかなか分かりにくい。
 
 同氏もそう感じたのか、この論説の半分を割いてその説明をしている。それによると、この問題は、昔から「弁神論」(theodicy)と呼ばれている神学・哲学上の問題であるという。つまり、「無限能力をもち、かつ善である神が、罪のない多くの人々が苦しむことをなぜ許すか」ということである。無限力であるならば、地震を起こすのを止めることもできただろうし、止めない場合でも、人々に前もって地震が起こることを知らせ、避難させることもできたはずなのに……という疑問が言外にある。つまり、こういう大惨事の前では、神の「無限力」と「善」は両立しないのである。大地震の被害を受けた人々は、神が災害を引き起こしたと考えた場合には「無限能力をもつ」ことは認めても、「善である」ことに承服するのが難しい。また、その逆に、災害が神の意志でないと考えた場合には、神は「善である」ことは認められても、災害が起こるのを止められなかったのだから、神は「無限能力をもつ」ことは認めるのが難しい。そうなると、昔から信仰されてきた「無限力かつ善」という神のイメージが崩壊し、「神など存在しない」という結論に達する人も出てくることになる。それを防ぎ、神のために弁明をするための議論が「弁神論」である。
 
 キャロル氏の説明には驚かされる。彼は、十字架上のイエスの苦しみは、肉体的なものだけでなく精神的なものでもあるという。そして、「イエス自身が、神への信仰を失った」のだと同氏は言うのである。これは『マルコによる福音書』の有名な言葉--「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」(第15章34節)のことを指している。この意味は、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」ということだ。氏によると、これはギリシャ語を原典とする新約聖書の中では珍しく、イエスが実際に話したアラム語で記述された箇所だという。だから、この記述は「歴史上のイエスが体験した実際の、強烈な絶望の時を示している」と同氏は言う。さらに「キリスト教は神の喪失から始まった」とさえ同氏は述べるのである。これは、なかなか厳しい言葉だ。そして、氏は「だから、救済の仕事は人間がすべきだ」と結論する。「もし“愛なる神”がこの世で働かれるとしたら、それは人間の愛の行為を通してである」--氏はこう論説を結んでいる。
 
 私は、キャロル氏の考えがキリスト教を代表するとは思わない。また、氏がこの論説で自分の神観や信仰を十分に説明しているとも思わない。なぜなら、氏は「弁神論」について語りながら、神を弁護することには失敗していると思うからである。しかし、「神の愛は人間の行為を通して現れる」という考えには大賛成である。生長の家では、ハイチ大地震の被災者への救援募金をすでに開始しているが、チリの巨大地震への救援もまもなく始まると期待している。が、忘れてはならないのは、これらはあくまでも「人間」を対象とした救援活動である。近代化以降、人間が自然界全体に及ぼしてきた破壊活動についても、口をつぐんでいてはいけないだろう。現代の科学は、地震などの地殻変動と地球温暖化の間に関係があるとは言っていないが、自然界からの“警鐘”の中には、今の人間の理解を超えるものがあっても不思議はないのである。科学は、まだ自然のすべてを理解してはいないのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

谷口先生
生長の家の救援募金活動や環境保護活動はすばらしい取り組みだと思います。善一元の神を信仰する生長の家が、自然災害などをどう解釈しているのか、もっと勉強させていただきます。

投稿: 松尾 | 2010年3月 6日 18:37

谷口総裁先生
生長の家の万教帰一の立場からの、キリスト教やイスラム教への発言を興味深く拝読しております。非常に公平な態度に敬服しております。また、良いところを見る「日時計主義」にも大いに共感しています。
さて、今回の記事、クリスチャンである私にとっても、キャロル氏の発言はよく理解できません。
全知全能の愛なる神というイメージと、ハイチ大地震などの大災害は、確かに理解に苦しみます。
これらの出来事の「なぜ?Why」に、神様は答えてくださらないでしょうが、これから「いかに?How」には、神様は既に明確に答えてくださっていると私は信じます。すなわち「隣人を愛しなさい。」です。生長の家の皆様が地震被災者の救援募金をしている、というのはすばらしいですね。大切なのは、神様の全知全能とかをあれこれ弁明するよりも、こんな災害からでさえ、「善」が表される機会と信じて、具体的に行動して愛を示すことだと思います。

投稿: てんしちゃん | 2010年3月 6日 21:23

てんしちゃん

てんしちゃんはなぜ、生長の家に興味を持ったのですか?

答えれる範囲で結構ですので、ぜひお聞かせくださいませ。

投稿: 松尾 | 2010年3月 7日 02:05

ご質問をいただき恐縮です。
実は、総裁先生のご質問を拝読した際、答えるのに躊躇しました。返信が遅れましたことをお詫びします。
生長の家に興味を持つようになったのは、自分のキリスト教信仰が、ある時、徹底的に行き詰ってしまい、もう信仰を捨てようか、とさえ思っていた時期にでした。
書店で、谷口雅春先生の本を見つけ、その積極的な考えに惹かれ、「生命の實相」全巻をはじめ、今でもその著書を合計100冊近く所有しています。
その後、神様の導きで私は再びキリスト教信仰を取り戻しました。
しかし、谷口雅春師の教えは、今でも私の心の中に深く刻まれています。今でも毎朝、「真理の吟唱」などを聖書とともに愛読しております。

投稿: てんしちゃん | 2010年3月10日 22:02

てんしさん、
 お答え、ありがとうございます。
 でも、貴方への質問は私からではなく、「松尾」さんからです。キリスト教信仰と生長の家の両立が達成したのですね。すばらしいと思います。

投稿: 谷口 | 2010年3月11日 00:53

てんしちゃん

お答えありがとうございました!
コメント遅くなり申し訳ございませんでした。

てんしちゃんのブログ、とても参考になります。

感謝

松尾

投稿: 松尾 | 2010年3月19日 22:57

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