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2010年3月26日

「わかる」ということ (5)

 2008年9月17日の本欄でマテ=ブランコの論理学的精神分析を紹介したが、その基本的考え方についてこう述べた--「我々の思考は世界から2つの概念(集合)を切り出して、それらの関係性を組み立てることで行われる」。これが私たちの認識の過程だと仮定し、「わかる」ということの関連で考えてみよう。つまり、私たちが“外界”の出来事を「わかる」ためには、ここに書かれたような心の動きが起こると考えることができるのである。この心の動きは、通常無意識のうちに行われるが、必要に応じて--例えば、特定の問題を解決しようとして考える時には--意識的に行うことになるだろう。そこで、私が注目したいのは、マテ=ブランコの「2つの概念(集合)」という言葉である。彼は、人間の思考は基本的に「2項目」の情報処理から成り立っていると考えているようだ。今回の本欄では、本当にそうであるかを調べてみる。
 
 次に掲げる文章は、最近の、私のささやかな体験を描いたものである--
 
「朝、私は大泉町の山荘近くで1頭のシカを見た。私が車を運転し、助手席に妻が座っていた。車が下り坂の細い砂利道にさしかかった時、その道路脇の林の中にメスジカが1頭立ち止まっているのを見た。前足にいくぶん体重をかけ、半ば横向きの姿勢で首を立て、両耳も立て、緊張した丸い目がこちらを見ていた。何か危険な兆候があれば、すぐにでもその場から跳び去ろうというシカの意図を、私は見た」。

 --このように、その時の様子を文章に書いてみると、マテ=ブランコの述べていることがより具体的になって、わかりやすい。最初の文章--「朝、私は大泉町の山荘近くで1頭のシカを見た」--から修飾語をできるだけ削り落として、意味が通じるギリギリの短さにすると、こうなる。
 
「私はシカを見た。」

 この文章は、私の目の前の世界から「私」と「シカ」という2つの概念を切り出して、「見る」という関係性の中に置いている。マテ=ブランコが言っているとおりである。その後に続く文章は、「私がシカを見る」という出来事が起きた時の、周囲の状況を描いている。いわゆる“情景描写”の文章だ。が、そこに描かれたそれぞれの細かい情景を眺めてみると、それぞれが、「2つの概念を切り出して、それらの関係性を組み立てる」という構造になっていることに気づく--
 
「私が車を運転する」
「助手席に妻が座る」
「車が砂利道にさしかかる」
「林の中にシカが立ち止まる」
「前足に体重をかける」
「横向き(の姿勢)で首を立てる」
「両耳を立てる」
「こちらを見る」
「意図を見る」

 これで、私たちの思考が2項目の情報処理を組み合わせることで成り立っていることを、読者は大体了解できたのではないか。また、このマテ=ブランコの説を視覚的に“逆証明”する方法もある。つまり、私たちが「目の前の世界から2つの集合を切り出して、それらの関係性を組み立てる」ことが_できない_ときにはどうなるかを、図形によって確認できるのだ。その方法を述べよう。

 2次元の平面上に何かを描いた場合、普通は「描かれたもの」(図形)と「その背景」(地)の2つが存在する。このことをマテ=ブランコの説に合わせて表現すると、我々は「目の前Bars の世界から“図形”と“地”を区別して、“図形”を手前にし、“地”を背景に置いて見る」ということになる。が、そういう見方ができない図形を描くこともできる。その1つが、ここに掲げた図形である。これは、私がかつて『心でつくる世界』で「対照化の原則」(p.72)を説明する際に使ったものである。一見すると、2本の角材が横たわっているように見えるが、(図の左側を)よく見ると、図形と地との判別が困難になる。角材だと思っていたものが、その影(地)のように見えるからである。すると、この図を見ている人の心には奇妙な“違和感”が生じるはずだ。その違和感を言葉で表現すれば、さしずめ「こんな図形はわからない」になるのではないか。
 
 「図形がわかる」という言い方は不自然に聞こえるかもしれない。しかし、私たちは単純な図形を見るときでさえ、「目の前の世界から2つの集合を切り出して、それらの関係性を組み立てる」ことを無意識でやっているのだ。だから、この図形のようにそれができないとき、「わからない」「理解できない」という感覚に襲われるのである。
 
 谷口 雅宣 

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コメント

合掌 有難うございます。図形を注視してみましたが、私には理解できませんでした。ヤニパニマーユ、ロシア語わかりませんの意、です。申し訳ありません。
わかるとか、わからないとか日頃簡単に使う言葉ですが、実は奥が深いのですね。勉強になります。有難うございます。
ところで、昨日雅宣先生の御著書「ちょっと私的に考える」を読んで涙が出るくらい感動して救われましたので、その感想を書き込もうと企てて「本もよろしく」をのぞいたのですが、掲載されてなくて残念でした。
わかるという話題にもどりますが、もう随分前に永眠された知り合いのおじいさんの口癖が、「わしは難しいことはよくわからんが、人間は神の子だとわかっとたらええねんのう。」阿万弁。私も難しいことはわかりませんが、谷口清超先生の御本「運命の主人公」の中に同じ意味のフレーズがあったのを思い出しました。
それでは、御身体に気をつけて頑張ってください。
失礼いたしました。
再拝

投稿: 岡本 淳子 | 2010年3月27日 10:25

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