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2010年2月12日

「神武東征」のもう一つの見方

 前回は「建国記念の日」のにちなんで、日本の建国物語に出てくる「神武東征」を今日的視点からどう読むかについて簡単に触れた。が、この分野は、考古学や人類学、神話学などの諸分野の研究者が大いに論争を展開しているところであり、社会科学の分野でのいわゆる“定説”はない。その中で、日本の古代史を研究する明治学院大学教授の武光誠氏が、面白い解釈をしている。それは、『日本書紀』にある神武東征の物語を、“弥生人”が“縄文人”を征服していく過程を反映した政治的色彩の強い物語として捉える見方である。武光教授は著書『1冊でつかむ天皇と古代信仰』の中で、「考古学の成果によって、紀元前200年代に弥生文化が北九州から、若狭湾と伊勢湾とを結ぶ線まで広がったことが明らかにされている」と述べ、その弥生文化が東進していく軌跡を神武東征はなぞっている、と考えるのである。
 
「縄文人と弥生人とは同じ人種であり、民族的にも近い関係にあったといわれている。弥生文化は500年ほどは、北九州沿岸部の限られた範囲だけのものであったが、農耕に適した近畿地方以西の縄文人が紀元前500年頃から、積極的に弥生文化をうけ入れて弥生人へとかわっていった。また、そのような新しい弥生人と朝鮮半島から渡来してきた弥生人との混血も行なわれた」。(同書、pp. 35-36)

 私は考古学は門外漢なので、この見方が正しいか間違っているかを言うつもりはない。が、南九州にいた人が、何のために万難をものともせず、何年も(一説では十数年も)かかって東進し、ついに大和の地で政権を樹立することになるのかという疑問に対する説明としては、一応筋が通っているように感じられる。この説明は、農耕文化の東への伝播に合わせて、強力な豪族の一団が大和地方へまで東進して、そこで統一国家を造ったということだ。また、読み方によっては、南九州にいた豪族が東進しなくてもいい。農耕文化だけが時間をかけて東進した先(大和地方)で、強力な豪族の一団が統一国家を形成した、という解釈も成り立つ。上に書いた「政治的色彩」の意味は、大和地方に樹立されたこの政権が、自分の正当性を主張するために『日本書紀』を書いたということだ。だから、これより先に成立したと考えられる『古事記』とは、神武東征の記述にかなり違いがあるというのである。
 
 武光教授は、この見方について様々な根拠を挙げている。まず、文化を「農耕と狩漁」の2つに対比させて考えると、「豊葦原の瑞穂の国」を愛でる政権が、農耕文化の側にあることは明らかだ。この政権がもし、狩猟文化のことを描くとしたら、それはきっと“劣った文化”あるいは“劣った人々の文化”であるように描くだろう。武光教授によると、『日本書紀』には確かにそういう記述があるというのだ。それは「土蜘蛛(つちぐも)」と呼ばれる一団の人々のことだ。これらの人々は、「国栖(くず)」「八掬脛(やつかはぎ)」「山之佐伯(やまのさえき)」「野之佐伯」などの別称をもつ。このうち八掬脛は、手足が長いことからこう呼ばれたというが、神武天皇の強敵だった豪族が「長髄彦(ながすねひこ)」というのは、まさにその意味だろう。また、「山之佐伯」と「野之佐伯」とは「山や野でわけのわからない叫び声を上げる者たち」という意味だそうだ。同教授はこう推論する--
 
「『日本書紀』などは、土蜘蛛は背が低くふだんは穴に住んでいると記している。また、土蜘蛛は人が来ると穴に隠れ、人が去ると野山に出て活動するともある。農耕民が野山に生活する未開人を軽蔑してこのような表現を用いたのであろう。そう考えると、土蜘蛛征伐の話は弥生人による縄文人の征服をあらわすとみられる」。(同書、p.39)

 この土蜘蛛征伐の話は、記紀だけにあるのではなく、九州、関東、北陸などにも広く分布しているらしい。また、その存在を考古学的に証明する集落跡も発見されているという。そのことを踏まえて、同教授はこう結論する--

「卑弥呼の時代に先だつ2世紀に、瀬戸内海沿岸でも縄文的政権と弥生的政権との争いが行なわれたといわれている。瀬戸内海沿岸の各地の山の中腹に敵から集落を守る施設をもった高地性集落がつくられているからである。高地性集落と、銅剣で農耕神をまつる集団の東進とを結びつけて考えるとよい。弥生文化をもつ先進的な人びとは縄文的性格をのこす住民を山地に追ったのであろう。そして、3世紀に高地性集落が姿を消すことは、縄文文化にこだわっていた住民が弥生化していったことをしめしている」。(同書、p.37)

 谷口 雅宣

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