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2010年2月 1日

あんたんたる気持

 私が『白鳩』誌の2月号に書いた文章を読んだ72歳の女性から、お手紙をいただいた。この文章は、本欄では「肉食の温室効果は51%」という題で昨年11月に書いたものだ。その女性は、私がその文末に「私は、そんな方向に人類が進むと思うと、暗澹たる気持になるのである」と書いたことが大変気になるといって、次のように尋ねておられる--
 
「先生のあんたんたるお気持ちになられる理由を、おきかせ下さい。私は読んでいて、あまり意味がわかりません。思いますことは、又動物が苦しむようなことになるのでしょうか。そこのところが、いちばん気になるところです。環境問題は大事なこととは思いますが、私にとってはそのことよりも、動物が苦しんで死んでいくことの方がずっとずっと心に重く今日まで生きてまいりました。」

 私はこの文章で、世界の食肉産業全体が排出する温室効果ガスが全体の51%にも達するとの研究結果を取り上げて、人類が肉食を減らすことが地球温暖化を抑制する最も効果的な方策ではないか、と訴えたのだった。そして最後に、「最近では、先端的な再生医療から得た技術により、個体から分離した家畜の細胞を増殖させて“培養肉”(cultured meat)を製造する研究が行われている」ことを述べ、これが温室効果ガスの削減にも役立つとする見解を紹介し、上に書いた感想を述べて文章を結んだのだった。
 
 問題の文章の最終部は、この女性がおっしゃるように確かに曖昧である。その理由の1つは、意味をはっきりさせるためには“培養肉”という新しい技術を説明しなければならず、そうすると、文章が冗長になるだけでなく、グロテスクなイメージが前面に出ることになり、(私ではなく)読者を暗澹たる気持にさせてしまう危険性があったからだ。それは、「日時計主義」を標榜する私としては、できたら避けたかった。そして読者には、「個体から分離した家畜の細胞を増殖させる」という表現から、この技術のグロテスクな本質を察知してほしかった。が、それはかえって読者に対して不親切だったかもしれない。
 
「食用培養肉」(cultured meat/in vitro meat)の製造技術は、まだでき上がっていない。が、3~4年前には、これが完成すると地球温暖化が抑制されるだけでなく、世界の食糧問題も解決に向かうし、食肉用に育てられる家畜の苦しみも大幅に緩和される……などと鳴り物入りで論じられていた。最近の雑誌記事では、ITや先端技術を扱う『ワイアード(Wired)』誌の昨年7月31日号に詳しい記事
が載っている。それによると、技術の確立にはまだ時間がかかりそうだ。

 この技術が地球温暖化の抑制に寄与すると言われる理由は、ウシやブタを育てるのではなく、ビーカーの中で動物の筋肉細胞だけを培養するのだから、家畜の飼料用の穀物を栽培する必要がなくなるとされている。つまり、動物の細胞の“種”のようなものさえ用意しておけば、植物工場でされているように、その“種”を育てて肉を収穫するだけでいい。飼料穀物を育てるための土地も、肥料も、トラクターを動かす燃料も不要となり、さらに家畜を飼うための土地も大幅に節約でき、さらには、家畜が体内から出す排泄物もなく、口から出るゲップ(メタンガス)もないから、環境破壊を最小限に抑えられる--というわけである。一見いいことずくめのようだが、「良すぎる話には罠がある」と言われるように、私は容易には納得できない。
 
 第一に、「食用にするために動物の肉を培養する」という考え方自体を、私はグロテスクに感じる。これは必ずしも感情論ではない。人間が感覚的に「不快」と感じ、「嫌悪感」を抱くものには、進化心理学的な、重要な理由があることが多い。このことはかつて『足元から平和を』(2005年)の最終章で触れたが、人間の生存にとって脅威であるものを、我々は本能的に拒否するような遺伝子を引き継いでいると考えられる。人間以外の動物は、“天敵”に対する鋭敏な感覚を備えているが、人間もヘビを嫌ったり、死臭や排泄物を本能的に忌避したりする。大体、家畜を屠殺する現場が公の目から隠されているという事実が、ウシやブタの恐怖や苦しみを、またほとばしる鮮血や吹き出る内臓を我々が「見たくない」「聞きたくない」と感じる、強烈な拒絶感をもっている証拠である。これを言い直せば、人間はみな、ウシやブタなどの動物と自分とを同一視し、同情する心をもっているということだ。その心が苦しまないために、もし培養肉が開発されるのだとしたら、こんな主客転倒はない。
 
 食用とする筋肉だけが培養できればいい。動物の脳が生み出す感情もなく、声帯から絞り出される悲鳴も聞こえず、血液や内臓も見なくてすむから、「残虐」の想いも、良心の呵責も感じずにすむことができる--もしそういう目的でこの技術が大々的に導入されるのであれば、私は暗澹たる気持にならざるを得ないのである。読者はもうお気づきだろうが、この種の技術は、人間の良心よりも欲望を優先する効果を生むに違いないのである。
 
 谷口 雅宣

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コメント

谷口雅宣先生

 私も当初良く分かりませんでしたが、この女性の様に引っ掛かってもいませんでした。

 でも、今回の事は先生のお話でよく分かりました。殺される動物の悲しみとか残虐性に葛藤しつつ、肉食を制限して行くべく自ら努力して行く事に価値があり、それもしないで安易に不自然な技術によって肉を食べたいという欲望を満足させる様になるのが良くないと言う事ですね。

投稿: 堀 浩二 | 2010年2月 2日 15:01

堀さん、
 短い言葉でよくまとめて下さいました。その通りです。

投稿: 谷口 | 2010年2月 2日 22:36

谷口雅宣 先生

科学技術の進歩によって様々なことが可能になっても常に根底に人道的な考え方が大切であると御教示下されましたことを嬉しく思います。

合掌

投稿: 横山浩雅 | 2010年2月 3日 10:36

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