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2010年2月16日

政治的意見は性格による?

 ニューヨークタイムズの論説委員、ニコラス・クリストフ氏(Nicholas D. Kristof)が2月15日付の『ヘラルド朝日』紙に面白い記事を書いていた。人間の政治的な傾向を、「保守的」と「リベラル」の2つに分けるとする。保守的な論客は自分が「保守」であることを誇りに思い、リベラルな思想家は、自分が「リベラル」であることにプライドをもつ。保守派にとっては、相手を「リベラルだ」と言えばを批判したことになり、リベラル派が「君は保守的だ」と言えば、相手をけなしたも同然--まぁ、これほど対照的ではなくとも、とにかくこれらの政治的な思想傾向は、それをもつ人々にとって、長年の経験や思索をとおして自ら勝ちとり、築き上げた無形の“勲章”のようなものだろう。ところが、最近の研究によると、このような政治的傾向は、個人の性格や生理的な傾向と深く関係している可能性があるというのだ。つまり、極論すれば、一部の人にとっては、保守主義やリベラリズムは生来のものである可能性があり、生理反応と同じように、ほとんど変更不能かもしれないというのだ。
 
 もしそれが本当ならば、クリストフ氏のように言論を仕事としている人はガッカリする、と彼は言う。なぜなら、言論や政治の世界で人を説得して、理性を通してある行動や政策に導こうとしても、人々の従来からの意見を変えることは不可能か、もしくは相当の困難が予測されるからだ。保守派は、いくら理を尽くしてリベラリストの意見を「間違っている」と説いてもムダであり、その逆もまた真なりということになる。そうなれば、議会制民主主義やジャーナリズムの意味はほとんど失われるか、少なくとも相当減退してしまう。クリストフ氏のこの心配は、私にとっても“他人事”ではない。私は、生長の家講習会や文筆活動をとおして、できるだけ理性的・論理的に生長の家の信仰の素晴らしさを説こうとしているが、それを聴く側がもっている「性悪説」や「人への不信感」、「悪がある」という信念、「世界滅亡」への恐怖などが、本人の性格や生理反応から来るということになれば、伝道活動の意味は薄れてしまう。

 いったいどんな研究結果が、こんな可能性を示唆しているのか? 記事には、こうある--例えば、あるタイプの人は、外からの脅威にきわめて鋭敏で、家の戸じまりを気にしたり、競争を恐れたりするが、そんな人は政治的には保守派に属する可能性が大きい。ネブラスカ大学のケヴィン・スミス氏(Kevin B. Smith)が行った実験では、被験者にイヤフォーンを通じて突然、大きな音を聞かせ、電極を使って被験者のまばたきの度合いを測定した。すると、まばたきの反応が強い人ほど、政治的には保守的--つまり、銃を所有する権利や令状なしの家宅捜索を支持したり、海外援助に反対する傾向をもっていることが分かったという。

 また別の実験では、被験者に嫌悪感を抱かせるような写真--例えば、人が虫を口いっぱいに頬ばっている写真--を見せたあとで、見た人の皮膚の電気抵抗を測定した。人間は興奮したり、気を動転させると、涙や汗などの液体を体内に分泌し、それが皮膚の電気抵抗を減少させる。この原理を利用したのが“ウソ発見器”だ。この研究によると、リベラル派の人間は、前述の写真と、普通の果物の写真を見せたときの違いは大きくなかったが、保守派の場合は相当大きな違いが出たという。
 
 これらの研究結果は、最近出版された『Authoritarianism and Polarization in American Politics』(権威主義とアメリカ政治の両極化)という本の内容とも呼応する、とクリストフ氏は言う。その本によると、アメリカでは、子供への体罰に対する州の姿勢と、その州での政治的色分けの間に強い相関関係があるという。簡単に言えば、体罰を容認する州では共和党が強く、そうでない州では民主党が優位だということだ。その理由は、両者の抱く世界観(cognitive styles)に大きな違いがあるからだという。体罰容認派は、世界を“白と黒”“善と悪”に分けてみる傾向が強く、社会秩序は壊れやすいか攻撃されていると考え、味方と敵を峻別する傾向がある。そして、秩序を破るものに対しては強力な反撃をすべきと考える。これに対し、子供に「もっと余裕を与えよう」と考える人々は、“白と黒”が曖昧な中にいても居心地よく、外敵に脅威を感じにくく、社会の少数派の立場に立つ傾向があるという。
 
 これらの研究結果は、もちろん“決定版”ではない。今後、より詳しい研究が行われ、その結果が今回とは一致しない可能性もある。が、日本の政治にも、ジャーナリズムの報道姿勢にも、上記と似た点が見られるから、「政治的意見は、性格や生理反応が関係している」という視点は、頭の隅に置いておく価値はあると私は思う。
 
 谷口 雅宣

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コメント

総裁先生
初歩的質問ですが
先生は体罰『否定派』ですか、『肯定派』ですか、『容認派』ですか?
私は場合によっては認めても良いと思います。
学校では学校教育法上では体罰は禁止されていますが懲戒は認められています。今、教育崩壊が叫ばれていますがこの頃、子供に対して躾の名目の親の暴力か横行しています、子供のうちからけじめと躾を教えておかないと大人になってから大変な事になってしまいます。前述した躾と称した暴力はこの事を教えていない典型だと思います。なぜなら子供は感受性が豊かで信賞必罸を教えると生きていく上での最低限のルールを覚えていくからです。
私もそうやって教えられて今日まで来ました。
先生は普段から本部まで歩いて通勤されている(と思います)
原宿の竹下通りの周辺のゴミのポイ捨てが多い事。これが信賞必罸を教えていない現況だと思います。つまりポイ捨ては行ってはいけない事なのに『自分だけじゃないから良いや』と思ったり、マナーやルールが欠如しているから『なんとも思わない』と思います。
先生、いかが思います?。

投稿: 直井 誠 | 2010年2月18日 07:37

谷口雅宣先生

 とても面白い研究結果、実験結果ですね。保守派とリベラル派にそれぞれ性格の違いがあるのですか。私は個人的には保守的考えだろうとリベラル的考えだろうと真理が一番大事であると思って来ました。そうでないと真理を伝える意味が先生の仰る様に無くなって来ますね。

 私は個人的には以前は保守派、民族派の政治家、論壇支持でした。でも生長の家の信仰を深めて行く内にそうでもなくなりました。最近の保守派論壇の意見で一番私の意見と合わないのが彼らの原理主義的とも言える断固とした皇統の男系維持論です(と言うより最初は先生の御文章により影響を受け、その後、所功氏の本など読んで完全な女系容認派になりました。)。保守論壇の殆ど人達がこれを支持しています。これは典型的保守的思想だと思います。これに関しては漫画家の小林よしのり氏が雑誌SAPIO等で女系容認の思想を分かり易く描き、広めてくれているのは有り難いと思っています。でも小林よしのり氏も典型的保守派の様ですが、親米保守派を批判するなど時折、保守論壇とまっこうから反対する意見を表明して面白い人だと思います。

投稿: 堀 浩二 | 2010年2月18日 10:33

直井さん、
  私は便宜上、この文章で「○○派」という言葉を使っていますが、個人的には好きな言葉ではありません。だから、case by case でやってきました。また、自分の子供に関することと、他人様の子供に関することは当然、対応が違ってくると思います。

堀さん、
 「保守とリベラル」の政治的スケールに関しては、生長の家はユニークな立場にあると考えます。なぜなら、我々は「現象と実相」をハッキリ分けて考えるからです。現象がすべてだと思う人は、「こうでなければならない」という拘泥がどうしても出てきます。「万世一系」とか「男系」などを文字通り、生物学的な意味でしかとらえない傾向があります。が、生長の家は実相論ですから、理念の展開としての現象には、深浅や強弱があっていいと考えます。だから、原理主義にはならないのです。

投稿: 谷口 | 2010年2月18日 14:51

谷口雅宣先生

 長年、何となくもやもやしていた事が明快に分かりました。有り難うございました。

投稿: 堀 浩二 | 2010年2月18日 15:08

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