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2010年2月28日

宇宙飛行士の目

 日本の宇宙ステーション「きぼう」に乗り組んで様々な実験をしている宇宙飛行士、野口聡一さんが、宇宙ステーションから撮影している地球の画像を、ほぼリアルタイムでネット上に送っている。私はごく最近、それを知ったのだが、巨大地震に襲われたチリの写真もいくつか見れるし、その他、宇宙飛行士にしか見られない地上の写真が数多く見られることは驚きである。これも、インターネット技術のおかげである。私の妻はよく、「いつか宇宙へ行って地球を眺めたい」と言うが、宇宙へ行かなくても地球から地上が眺められる時代がもう来ているのだ。
 
 このサイトは、アメリカのIT企業「ツイッター(Twitter)」が運営している「ツイットピック(Twitpic)」という画像掲示サイト。野口さんは「Astro_Soichi」という名前で登録していて、28日の夜現在、宇宙空間からの写真は150枚ほどある。その中には、息を吞むほど美しい画像が数多くある。地球も自然界の一部だが、その地上には、地上にいる者には想像できないようなデザインが各所にあることが分かる。大地震に襲われたハイチのポルトープランスの町、雪の札幌、富士山、サンフランシスコの金門橋、雪の融けたキリマンジャロ山頂、東京の夜景、冬の北海道(道東)、桜島、アマゾン河口……どれも印象的だ。
 
 これらの中から私が好きなものを紹介する。写真をクリックするとサイトへ行って拡大写真が見れる。さらに、拡大写真の右上の「+ view full size」をクリックすると、フルサイズが見れる:
 
イラクの砂漠

Mars? Actually salt desert in Iraq. on Twitpic

アラビア砂漠

Arabian desert.As I told you before, desert is beautiful. on Twitpic

グランド・キャニオン

As I mentioned, Mr.President, Grand Canyon is breathtaking! on Twitpic

南パタゴニアの氷河

South Patagonia. One of the most beautiful glaciers of the wo... on Twitpic

 読者にはぜひ一度、訪問をお勧めする。登録すれば、野口さんにメッセージを送ることもできる。
 
 谷口 雅宣

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2010年2月25日

ハイチでも現れた人間性

 前回の本欄では、アメリカの文明批評家、ジェレミー・リフキン氏の「人類史の底を流れる本質的特徴は、相手を思いやる意識の素晴らしい進化である」という言葉を紹介した。この言葉に即座に「その通りに違いない」と膝を打つ人もいるだろう。が、その逆に、600ページを超える氏の近著を読まなければ賛成しない人もいれば、読んでもなお納得しない人もいるだろう。私はと言えば、人類の歴史は、その“神の子”の本性が表現されつつある過程だと考えるから、リフキン氏の言葉に基本的に賛成である。が、実例を示せと言われると、そう簡単ではない。ある人が「善い人」であるという実例を示すことは容易でも、「人類」という全体が「歴史」という長い時間の流れの中で善性を拡大してきたというような、大規模な事実の証明は簡単ではない。そんなことに思いを巡らせていたところ、イギリスの科学誌『New Scientist』の1月30日号(vol 205, No.2745)に、人間の善性を示す最近のよい例が載っていた。
 
 それは、1月に起こったハイチの大地震で、世界の人々がネットを利用してどう動いたかを報じた記事だった。人類史上でも稀に見る大被害をもたらしたこの自然災害のことは、日本でもよく報道されているが、ネット上で何が起こったかについては、あまり語られてこなかった。少なくとも私は、これについてほとんど知らなかった。が、同誌の記事によると、この大地震の被害者救援のために、見ず知らずの多くのボランティアがネット経由で相互協力し、地上で実際の救援活動を行う赤十字社や国際医療組織などを大いに助けたというのである。
 
 例えば、ハイチには「4636」という携帯メール配信サービスがあるそうだ。これは2008年、「Ushahidi.com」という小組織によってもともとはケニアに作られたものだが、このサービスがハイチの被災者や病院などから携帯メールで送られるメッセージを一手に受け付けて、必要な団体や医療組織に伝える役割を果たしたという。そのためには、アメリカ在住のハイチ人など何百人ものボランティアが協力して、ハイチの言葉であるクレオール語(Creole)やフランス語のメッセージを英語に翻訳したという。これには、ハイチ最大の携帯電話サービスも参加し、通信料金は無料となった。このような通信インフラが地震から24時間後に整ったことで、政府自体が機能停止状態にありながらも、ハイチでの救援活動は進行したという。
 
 地震の被災後、ハイチのある病院には200のベッドと医師も看護師もいて、医薬品も備えていたが、患者が一人も到着していなかった。なぜなら、現地の救援組織にはこの病院の情報が伝わっていなかったからだ。そこでこの病院が、自分たちの情報を「4636」に送ったことで、それが多数の救援組織やラジオ局に伝わり、多くの被災者が治療を受けることができたという。
 
 また、「CrisisCommons」という救援組織の活動も注目に値する。この組織は何千人ものボランティアを募って、ハイチの被災地付近の詳細な地図を、「OpenStreetMap」というネット上の地図の上に作り上げたという。被災時にネット上に存在していた地図は、わずかに市内の主要道路と、それに連絡する何本かの路地しか描かれていなかった。が、参加したボランティアたちは、衛星写真や陸上の人々から情報を入手し、病院や治療所、避難所などの位置を書き入れた詳細な地図を作成した。ハイチの政府機関は、これを印刷して人々に配布しただけでなく、GPS装置との連動を図った。これによって、Ushahidiの活動に参加したボランティアたちは、「4636」に携帯メールを送ってきた被災者の位置を、誤差数メートルの正確さで示すことができたという。
 
 海外の大学の専門家たちも救援活動に協力した。イギリスのサウザンプトンにあるImageCatという会社は、被災地の被害状況を衛星写真から分析する仕事を世界銀行から頼まれたという。この作業には普通、何週間も、時には何カ月間もかかるらしい。が、今回は緊急を要するため、同社は、被災地の「地震前」と「地震後」の写真を入手し、それを500平方メートルごとの狭い領域に分解して、それらを欧米の大学にいる何人もの専門家に配布した。倒壊したり崩壊した建物がどれであるかを調べてもらうためである。その結果、専門家たちは数日のうちに、ポルトオープリンス市で倒壊した建物をすべて特定し、その数は5千戸前後になったという。

 このほかにも、ツイッター(Twitter)やフェースブック(Facebook)を使った救援・支援活動が展開されたが、今回のような自発的な救援活動が個人や組織によって効果的に行われた最大の理由は、ネット上で大規模な活動を組織し、実行することができるということを、多くの人々が知った結果である--と、この記事の記者(Justin Mullins)は述べている。
 
 阪神・淡路大震災など、日本での大地震の際にも、ボランティアによる救援活動が自発的に、自然に起こってきたことは我々の記憶に新しい。これらの事実は、「相手を思いやる心」が人間の本性であるというリフキン氏の主張を有力に裏付けていると思う。
 
 谷口 雅宣

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2010年2月24日

感情共有文明は可能か? (2)

 前回の本欄では、ジェレミー・リフキン氏の新著『The Empathic Civilization(感情共有の文明)』の概要を雑誌のインタビュー記事から紹介し、同氏が訴える人類の進むべき方向が生長の家の考えと似ているように感じたので、「時間が許すならばぜひ読んでみたいと思う」などと書いた。が、生長の家では「今を生かせ」と教えられているから、「時間が許すなら」などと言っていると“チャンスの神様”の後ろ髪はつかめない。そう思い直して、私はこの書をすぐ読むことにした。とは言っても、600ページの本をいっぺんに読めるわけではない。前書きだけを読んだのだ。昨日の今日なのにそれが可能なのは、“文明の利器”のおかげである。
 
 昨年10月23日の本欄で、私はアメリカのネット通販最大手のアマゾン・ドット・コムの電子ブック端末「キンドル」を買ったことを書いた。これを使うと、あっというまに入手できた。料金は0円である。というのは、アマゾンを使った人はご存じと思うが、パソコンでこのサイトを見る場合は、本の一部を“立ち読み”できる。キンドルではそこまでできない代りに、「サンプル」をダウンロードできるようになっている。この「サンプル」というのが、パソコンで“立ち読み”できる程度の量に相当する。同書の場合、それが「前書き(introduction)」の部分だったのだ。サンプルを読んで気に入ったら、本の1冊分を買ってくれというわけである。これは大変便利な機能だ。日本語の書籍で同じことができるようになれば、書店へ行って本を買う人の数が大幅に減ってしまうのではないかとさえ思う。

 それで入手した同書の前書きを読んで、私は著者が日時計主義であることを知った。リフキン氏は、人間の本性は「他(ひと)の身になって考えることができる」ことにあり、ホッブスやロック、ベンサム、フロイドなどが唱えた西洋近代の人間観--戦闘的、利己的、巧利的人間像--は間違っていると宣言する。そして、「我々が学校で学ぶ歴史には、本当の人間像は描かれていない」という、ハッとするような真実が述べられるのである。同氏によると、歴史家は大抵、社会における争いや戦いについて書く。偉大な英雄や極悪人たち、技術革新や権力の行使、経済上の不正や、一揆や騒乱などの社会的不満を取り上げる。また、哲学に触れる場合は、権力の配分や執行の仕方について書く。このような暗く、権力闘争的な側面とは逆の、人間相互の社会的なつながりや、相愛協力関係、それらが進化し拡大することで文化や社会にどのような影響を与えたかなどは、ほとんど語られることがない。その理由の1つは、歴史の転換点で重要な役割を担う人々が、怨みや不満をもち、反逆的であり、権威や権力を行使しようとし、あるいは他人を利用して有利な立場に立とうとしたり、不正を破壊して正義を打ちたてようとするような人々であるからだ。

 しかし、それらは人間の“常”ではなく一種の“権力の病理学”だ、とリフキン氏は言う。にもかかわらず、我々はこのような人物群を通して歴史を学んできたため、人間の本性というものを危機や、悲劇、恐るべき不正、恐怖すべき出来事などとの関係で捉えるようになった。そして、このことが、我々の人間観を暗いものにし、人間の本性を善よりも悪の方向へ引き寄せる原因になっている、と氏は分析する。しかし、歴史的事件とは関わりのない、圧倒的多くの普通の日々の生活の中に、人間の本性が現れている、と氏は考える。その普通の日々の生活では、いろいろの苦しみや不正があったとしても、人々は数多くの小さな思いやりと親切な行動の連続で互いに支え合っているのだ、と氏は指摘する。そして、次の氏の言葉は、我々を大いに勇気づけてくれるのである。

「私たちは、他人との日常のやりとりでは、たいてい相手を気遣う。なぜなら、それが私たちの中心的本性だからだ。他人の身になって考えることで、私たちは社会生活を創造し文明を進歩させてきた。だから、端的に言えば、たとえ歴史家から重視されてこなかったとしても、人類史の底を流れる本質的特徴は、この相手を思いやる意識の素晴らしい進化なのである」。

 谷口 雅宣

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2010年2月23日

感情共有文明は可能か?

 アメリカの文明批評家、ジェレミー・リフキン氏(Jeremy Rifkin)が最近、興味深い本を出版したことを知った。『The Empathic Civilization』という題で、日本語に直すと「感情共有の文明」とでもなるだろうか。副題は「the race to global consciousness in a world in crisis」で、「危機の世界で地球規模の意識へ向かって」というような意味だ。600頁を超える大作で、書き上げるのに6年以上かかったという。イギリスの科学誌『New Scientist』のウェブサイトに、2月17日付で同氏のインタビュー記事が掲載されている。

 それによると、今度の本は、人類が地球温暖化にともなう気候変動の危機をどう切り抜けるかを、文明史的観点から考察しているらしい。同氏の処方箋をごく簡単に言えば、分散配置された再生可能エネルギーの利用によって「第3の産業革命」を起こし、互いを思いやる感情共有の文明を築き上げることだ、という。これだけでは、何のことかよく分からないと思うので、以下、補足説明しよう。
 
 リフキン氏は、人間の使う「技術」と「意識」との間には密接な関係があると見る。人類の歴史を振り返ると、「技術革命の後には意識革命が来る」のが常だと分析する。まず人類は、狩猟と漁労の時代から、水を使った農耕へ移行したとき、「文字」というコミュニケーション手段を開発した。これによって、まず、複雑なエネルギーの使い方が可能となった。また、これまでの口伝という方法では「神話的な意識」しか生まれなかったが、文字を使うことで論理的な思考が可能となり、「神学的な意識」が生まれた。さらに、文字を媒介としたこの過程で、他者への感情移入の幅が拡がった。口伝でも感情移入は可能だったが、それは家族や近親者間のごく狭い範囲にとどまっていた。が、文字の発明後は、それを読める人なら誰もが感情を共有することができるようになった。
 
 19世紀の産業革命は、印刷機の発明と、石炭と蒸気機関の利用によって、文字の利用を爆発的に拡大した。読み書きの能力は、公立学校制度の施行とも相まって、ヨーロッパやアメリカでは大衆へと浸透した。すると、神学的な意識は、「イデオロギー的意識」へと変わっていった。このような大きな変化は、20世紀にも起こった。それは、“第2の産業革命”とも言えるエレクトロニクスの発明によってだ。ここから生まれたのが「心理学的意識」である。これらの過程は、エネルギーの利用技術とコミュニケーション技術が併行的に変化し、それにともなって人間の意識も変わって、感情共有の範囲が拡大していく過程だった、とリフキン氏は見る。
 
 ところが、この過程に問題があった。その問題とは、人類の文明が複雑化すると、より多くのエネルギーが使われて、より多くの人々が意識を共有したが、その代り、エントロピーが拡大することになった。エントロピーとは熱力学上の概念で、簡単に言えば、再利用できないもの(CO2や廃棄物など)である。そして、このエントロピーの拡大によって今、地球温暖化が生じているのだ。だから、今日の地球規模の問題を別の言葉で命題化すれば、「感情共有の範囲を拡大させ、かつエントロピーを縮小する方法は何か?」ということになる。リフキン氏の答えは、私が本欄の2段落目で書いたことだ。つまり、「分散配置された再生可能エネルギーの利用と感情共有文明の構築」である。この「感情共有文明」は、世界的なインターネットの普及がもたらす、と同氏は考えているようだ。インタビュー記事だけでは、リフキン氏の主張の細部はよく分からない。が、何となく生長の家が向かっている方向と共通点があるように思う。

 リフキン氏は、私がかつて『神を演じる前に』を書いたときにも、その著書『バイテク・センチュリー』(The Biotech Century)で述べられた批評を大いに参考にさせてもらった人である。バイオテクノロジーによる人類への恩恵は大きいが、同時にリスクも大きいから、きちんとした考えのもとに制御して使うべし、と訴える本だ。英語のオリジナルが1998年に出て、日本語版はその翌年に刊行された。今度の本も、時間が許すならばぜひ読んでみたいと思う。
 
 谷口 雅宣

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2010年2月21日

京都と犬張子

 今日は、京都第一教区における生長の家講習会が京都府総合見本市会館(パルスプラザ)でおこなわれた。2月の京都は寒いと覚悟して行ったが、幸い青空の見える暖かい1日となり、和やかな雰囲気の中で講習会が行われ、誠に有り難かった。受講者も、前回を144人上回る9,282人が集まってくださったことは、この教区での運動が着実に進展していることを示す吉兆であると感じた。長村省三・教化部長を初めとした同教区の幹部・信徒の皆さんに、心から感謝申し上げます。私の講話への質問も用紙の数で20枚以上出たから、受講者の関心の深さを示している。が、時間の関係でその半分ほどしか答えることができなかったのは、残念だった。
 
 講習会の前日の夕方、京都駅の商店街を散歩した。そのとき、手拭いばかりを売っている店を見つけた。浮世絵など日本の伝統的な絵柄をデザインしたものを初め、一見してオリジナルな絵柄もあって興味深く眺めた。その店の入口に丸顔の動物を大きく描いた手拭いが額入りで飾られていて、どこかで見た絵柄だと記憶をたどったが、なかなか思い出せない。すると妻が、女性の店員に由来を訊いてくれた。それによると、これは犬張子で、昔話の「桃太郎」の犬をデザインしたものだという。犬の頭の上に乗っている小さな武士が、桃太郎だというのである。そして、犬の足元には、桃太郎と一緒に鬼退治に行ったサルもキジも描いてある、と教えてくれた。絵柄を改めて見ると、確かに、イヌの足元には小さなサルとキジの姿があった。しかし、「なぜ、イヌだけが大きいか?」という疑問は解けなかった。
 
 講習会を終って東京へ帰る新幹線の中で、車内誌の『ひととき』(March 2010 vol.10 No.3)を開いた。すると、何と犬張子の記事が載っている。シンクロニシティーとはこのことだと思い、桃太郎のことが書いてあるかどうか探した。が、どこにも書いてないのだった。その代り、周辺情報をいろいろ知った。まず、犬張子自体は京都のものではないらしい。が、そのもとをたどれば、平安時代に貴族が寝室や産室に置いた犬型の道具入れ「狗筥(いぬばこ)」から来ているという。イヌは子だくさんでお産が軽いというので、安産Inuhariko縁起のシンボルだったから、イヌが伏せた姿勢の箱を作って、その中に道具を入れた。それが江戸へ行くと、立ち姿の犬張子になったというのだ。江戸がオリジナルで、関西では「東犬(あずまいぬ)」と呼ぶらしい。今でも桃の節句などに飾り、安産や子供の成長を祈る“お守り”の役をしているという。また、ネットを調べると、犬張子にはいろんな種類があることが分かった。
 
 で、そんな犬張子がなぜ京都の手拭い屋の玄関を飾っているのか? これについても、よく分からない。きっとデザインがいいので採用されたのだろう。私も、この犬張子のデザインに惹かれて絵封筒に描くことにした。この手拭い屋は「永楽屋」といって豊富なデザインを揃えている。
 
 谷口 雅宣
 

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2010年2月20日

バイオガソリンは“環境配慮”か?

 最近私は、めっきり自分の車を運転することが少なくなった。妻がブログで書いているが、18日の休日にほぼ3週間ぶりにハンドルを握って、バッテリーの過放電を防いだほどだ。休日には外出しているのだから、「忙しすぎて」ということではない。それよりも、むしろ車の運転にともなう諸々の繁雑なこと--CO2の排出、運動不足、狭い路地での出し入れ、行った先の駐車場と駐車料金、行き先選びの小回りのきかなさ等々--が頭に浮かび、つい別の方法を採用してしまうのだ。都会では、それができるのが有り難い。便利だから、近場でたいていの用は足りてしまうし、少し足を延ばす際にも、地下鉄とJRでほとんどの場所へ行ける。それに冬季は、積雪を考えて山梨の山荘へも行きづらいのである。

 こんな不熱心なドライバーだったから、私は普通のスタンドで入れるガソリンが「バイオガソリン」になっていることを知らなかった。スタンドには目立った表示はなかったから、レシートを見て初めて気がついたのだ。ガソリンと混合するバイオエタノールについては、過去の本欄でいろいろ書いてきた。そして、私がたどりついた結論は、「食料と競合するものは使わない」ということだった。今使われているバイオエタノールは、小麦やトウモロコシ、あるいはサトウキビを原料にしているから、それを使うことは間接的に人の食料を奪うことになる、と考えられる。だから、そのレシートを見て不本意な思いがしたのである。「ナチュラル」と表示された食品を買ったのに、後から添加物入りだと知ったような気分である。販売店は、せめて利用者が選択できるような売り方をしてほしい。が、この選択肢は今後、幅が狭くなりそうである。

 18日付の『日本経済新聞』は、新日本石油が2010年度中に3つの製油所で新たに「バイオガソリン」の生産を始め、これによって「同社製ガソリンの過半がバイオ型になる見通し」と報じている。取り扱うスタンド数は、全国で約2千店になるという。関東地区では、横浜市の同社根岸製油所がバイオガソリンを生産しているが、これを大分製油所、大阪製油所、水島製油所(倉敷市)へ拡大し、これら4製油所で生産されるガソリンの全量が“バイオ型”になるらしい。そして、バイオガソリンだけを売る販売店に「環境配慮」というお墨付きを出すという。

 しかし、「ちょっと待ってほしい」と私は言いたい。このバイオガソリンなるものが本当の意味で「環境配慮」であるのかどうかは、かなり議論の余地があると思う。だいたい、植物性油の含有量は「0.4%」という少量なのだ。CO2の排出削減を本気でやるつもりならば、ブラジルで行っているような「20%」とか「50%」とか「100%」のバイオエタノール混合油を生産・販売すべきと思う。しかし、その方法は採用せずに、「日本独自の規格」として植物油を少量混ぜたものを“バイオガソリン”として売るらしい。私は、ブラジルの大統領が数年前、エタノールの売り込みのために来日したのを覚えている。それは輸入せずに、日本で通用するものだけを流通させようという考えのようだ。何かウサン臭いではないか。これはあくまで憶測だが、きっと国内の自動車メーカーとの関係から編み出した規格だ。ブラジルやアメリカでは、もう何年も前から車はエタノールで走っている。だから、ブラジル産やアメリカ産のエタノールを輸入すれば、ノウハウのない国内メーカーが打撃を受けると考えてのことか、あるいはもっと別の理由か?
 
 19日の『日経』には、大手商社の双日が、ブラジルでのバイオエタノール事業を拡大することを報じている。同社が3分の1を所有するエタノール・メーカーが、ブラジル大手メーカーと事業を統合し、その統合会社が2012年までに年300万キロリットルを生産して、欧米や日本へ輸出するらしい。この規模は、現在のブラジル最大手の生産能力を上回るという。これが実現すると、日本国内では“バイオ型”ガソリンの規格が2つになる恐れがある。新日本石油などは、そうさせないために今から手を打っているのかもしれない。
 
 しかし、いずれの規格が日本での主流となっても、「食料と競合する燃料」であることに変わりはない。ブラジルの場合心配なのは、それに加えてアマゾンの森林破壊が進まないかということだ。だから私は、地球環境や食糧問題をこれ以上深刻化させないために、“ガソリンのバイオ化”よりも、一気に電気自動車へ移行する戦略の方が優れていると思うのだ。
 
 谷口 雅宣

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2010年2月19日

船は遅くていい

「スローライフ」とか「スローフード」という言葉が登場してだいぶ時間がたつが、“スロー産業”という言葉はまだあまり聞かない。現在の産業社会の中では「物を生産する速度を落とすのがいい」という考え方は成り立たないように思うからだ。今回のトヨタのリコール問題なども、燃費の悪いアメリカ車からの乗り換え需要に応じるためには、品質には多少目をつぶってでも、生産ラインをフル回転させて「速く」出荷することがいいとの判断が透けて見える。生産だけでなく、納期も早ければ早いほどいいだろうから、運送会社もスピードや効率が“命”と見なされる。これが産業社会の倫理か……と思っていたところ、「運搬はスローがいい」という新しい基準を適用する企業が出現し、それが成功しているらしい。18日付の『ヘラルド朝日』紙が伝えている。

 この企業とは、オランダの大手船会社「マースク(Maersk)」だ。同社は、石油の値段が1バレル145ドルになった2008年から、貨物船の航行速度を下げることを始めた。これは、フルスピードで回転するエンジンの燃費効率は、最大ではないからだ。同じことは航空機にも言える。自動車も同様で、読者も時速100キロを超える走行は却って燃費効率が悪くなることはご存じだろう。この簡単な原則を適用し、マースク社は、通常の船が公海上を24~25ノットで航行してきた速度を、半分の12ノットにまで減速した。すると、世界の主要航路での燃料消費量を2年間で30%削減することができたという。この削減幅は当然、排出されるCO2の削減量にも適用され、EUの排出権取引制度上、有利になる。このダブルメリットが、何の省エネ投資もなしに手に入ったのだ。
 
 同社の成功を見るにつけ、当初、“スロー輸送”戦術を疑わしく思っていた他社も、ドイツ-中国間の長距離航路で航行速度を下げ始め、今では同航路で20ノット減速航行をしている船は220隻を数えるという。もちろん燃費の向上は、そのまま輸送コストの削減幅に反映するものではない。航行時間が長くなれば、船員の人件費も上がるだろう。また、納期維持のために、マースク社はドイツ-中国航路に新たに2隻を投入したという。それでも、同社は輸送コストの削減が可能になったという。
 
 同社の“スロー輸送”戦術は、純粋に経済的な視点から採用されたように見える。しかし私は、現代人の生活のいろいろな面で、「早いこと」や「速いこと」を評価しすぎるあまり、人間として見るべきもの、感じるべきものが省略され、あるいは忘却されていると思うのである。人間は自然の一部であるから、自然との直接的接触が必要である。いや、直接的接触が「今ある」という実感が必要である。それなのに、多くの人々はケータイの画面に心を奪われ、またヘッドフォンの音楽に心を奪われて、頭上の青空や飛翔するハトたちを見ていない。道路脇の草花や、立木の名前を知らないし、レストランでの食事もきちんと味わっていないのである。生長の家が今、日時計主義を唱えるのは、このような現代の、特に都会生活を送る人々に向かって「遅くていい」「遅いほうがいい」と語りかけることでもある。
 
 谷口 雅宣

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2010年2月16日

政治的意見は性格による?

 ニューヨークタイムズの論説委員、ニコラス・クリストフ氏(Nicholas D. Kristof)が2月15日付の『ヘラルド朝日』紙に面白い記事を書いていた。人間の政治的な傾向を、「保守的」と「リベラル」の2つに分けるとする。保守的な論客は自分が「保守」であることを誇りに思い、リベラルな思想家は、自分が「リベラル」であることにプライドをもつ。保守派にとっては、相手を「リベラルだ」と言えばを批判したことになり、リベラル派が「君は保守的だ」と言えば、相手をけなしたも同然--まぁ、これほど対照的ではなくとも、とにかくこれらの政治的な思想傾向は、それをもつ人々にとって、長年の経験や思索をとおして自ら勝ちとり、築き上げた無形の“勲章”のようなものだろう。ところが、最近の研究によると、このような政治的傾向は、個人の性格や生理的な傾向と深く関係している可能性があるというのだ。つまり、極論すれば、一部の人にとっては、保守主義やリベラリズムは生来のものである可能性があり、生理反応と同じように、ほとんど変更不能かもしれないというのだ。
 
 もしそれが本当ならば、クリストフ氏のように言論を仕事としている人はガッカリする、と彼は言う。なぜなら、言論や政治の世界で人を説得して、理性を通してある行動や政策に導こうとしても、人々の従来からの意見を変えることは不可能か、もしくは相当の困難が予測されるからだ。保守派は、いくら理を尽くしてリベラリストの意見を「間違っている」と説いてもムダであり、その逆もまた真なりということになる。そうなれば、議会制民主主義やジャーナリズムの意味はほとんど失われるか、少なくとも相当減退してしまう。クリストフ氏のこの心配は、私にとっても“他人事”ではない。私は、生長の家講習会や文筆活動をとおして、できるだけ理性的・論理的に生長の家の信仰の素晴らしさを説こうとしているが、それを聴く側がもっている「性悪説」や「人への不信感」、「悪がある」という信念、「世界滅亡」への恐怖などが、本人の性格や生理反応から来るということになれば、伝道活動の意味は薄れてしまう。

 いったいどんな研究結果が、こんな可能性を示唆しているのか? 記事には、こうある--例えば、あるタイプの人は、外からの脅威にきわめて鋭敏で、家の戸じまりを気にしたり、競争を恐れたりするが、そんな人は政治的には保守派に属する可能性が大きい。ネブラスカ大学のケヴィン・スミス氏(Kevin B. Smith)が行った実験では、被験者にイヤフォーンを通じて突然、大きな音を聞かせ、電極を使って被験者のまばたきの度合いを測定した。すると、まばたきの反応が強い人ほど、政治的には保守的--つまり、銃を所有する権利や令状なしの家宅捜索を支持したり、海外援助に反対する傾向をもっていることが分かったという。

 また別の実験では、被験者に嫌悪感を抱かせるような写真--例えば、人が虫を口いっぱいに頬ばっている写真--を見せたあとで、見た人の皮膚の電気抵抗を測定した。人間は興奮したり、気を動転させると、涙や汗などの液体を体内に分泌し、それが皮膚の電気抵抗を減少させる。この原理を利用したのが“ウソ発見器”だ。この研究によると、リベラル派の人間は、前述の写真と、普通の果物の写真を見せたときの違いは大きくなかったが、保守派の場合は相当大きな違いが出たという。
 
 これらの研究結果は、最近出版された『Authoritarianism and Polarization in American Politics』(権威主義とアメリカ政治の両極化)という本の内容とも呼応する、とクリストフ氏は言う。その本によると、アメリカでは、子供への体罰に対する州の姿勢と、その州での政治的色分けの間に強い相関関係があるという。簡単に言えば、体罰を容認する州では共和党が強く、そうでない州では民主党が優位だということだ。その理由は、両者の抱く世界観(cognitive styles)に大きな違いがあるからだという。体罰容認派は、世界を“白と黒”“善と悪”に分けてみる傾向が強く、社会秩序は壊れやすいか攻撃されていると考え、味方と敵を峻別する傾向がある。そして、秩序を破るものに対しては強力な反撃をすべきと考える。これに対し、子供に「もっと余裕を与えよう」と考える人々は、“白と黒”が曖昧な中にいても居心地よく、外敵に脅威を感じにくく、社会の少数派の立場に立つ傾向があるという。
 
 これらの研究結果は、もちろん“決定版”ではない。今後、より詳しい研究が行われ、その結果が今回とは一致しない可能性もある。が、日本の政治にも、ジャーナリズムの報道姿勢にも、上記と似た点が見られるから、「政治的意見は、性格や生理反応が関係している」という視点は、頭の隅に置いておく価値はあると私は思う。
 
 谷口 雅宣

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2010年2月15日

神話について

 前回まで数回にわたり、記紀にある「神武東征」の物語を取り上げ、これを史実として考えるのではなく、「神話」として捉えるところに現代的な意味があると述べた。では、「神話として捉える」とは何をどう理解することなのか? 今回は、そのことを考えてみよう。まず、神話とは何かを確認しよう。これには、民族学者の大林太良氏の定義が参考になる--
 
「神話とは、原古つまり世界のはじめの時代における一回的な出来事を語った物語で、その内容を伝承者は真実であると信じている。したがって神話は聖なる物語である。神話は存在するものを単に説明するばかりでなく、その存在理由を基礎づけるものであり、原古における神話的な出来事は、のちの人間が従い守るべき範型を提出している。また、神話には人類の思考の無意識の構造が基礎にある。神話は神話的出来事の反復としての儀礼とともに、それを伝承する民族の世界像の表現である」(『世界神話事典』p.24)

 大林氏は、『宗教学辞典』(1973年)の中でもこれとほぼ同じ神話の定義をしているが、さらに「神話で語られている原古の出来事は、今日でも関心の対象であるから、その意味では時間をこえた永遠のものである」ことを付け加えている。私は、これらの定義の中にある「人類の無意識の構造」と「民族の世界像の表現」という言葉に注目したい。この2つの言葉は、厳密に考えると矛盾しているように見える。なぜなら、前者は人類意識のことを指しているのに対し、後者は民族意識の表現が神話だと言っているように聞こえるからだ。が、この一見した矛盾が、神話の特殊な性格をよく表していると思う。簡単に言ってしまえば、神話は、人類意識の反映であると同時に民族意識も表しているのである。これを示すためには、実例を挙げるのがいちばんだ。
 
 次の神話は、インドネシアのセレベス島北部のミナハッサ族に伝わっているものだ--
 
「カヴルサンという男が漁をしようと思い、友人から釣針を借りた。彼は舟で漁に出るが糸をたぐっていたとき、糸が切れて釣針をなくしてしまった。彼は友人に許しを請うたが、友は“他の鉤(かぎ)を10本くれても受け取らない”と言って許してくれなかった。カヴルサンは再び鉤を求めて海に引き返し、なくなったところで海中に身を投じた。すると彼は海中に道があるのに気づき、それを辿ってゆくと、一つの村に着いた。その村の一軒の家でやかましい騒ぎと悲しみの声が聞こえた。というのは1人の乙女が喉に魚骨が引っかかって苦しんでいたのだ。それでカヴルサンは自分が医者になって見てやろうと持ちかけた。彼は皆を外に出して、乙女の喉から注意深く釣針を取り出した。それを衣服に隠し、娘の両親からもらった贈り物を持って帰った。彼が潜った場所に戻ると船はなくなっていた。困り果てていると大魚がでてきたので、名前をつけてやるから岸まで連れていってくれと懇願した……(後略)」。(後藤明著『南島の神話』、pp. 135-136)

 読者は「エッ?」と驚かなかったろうか? これは日本の神話にある海幸・山幸の話とよく似ている。が、細部は同じでない。にもかかわらず、これを読んだ時に心中に展開するイメージは、海幸・山幸の物語と明らかに共通したものがある。私はこのことを指して「人類意識の反映であると同時に民族意識も表している」と言ったのだ。人間の潜在意識(無意識)は「層」をなしていると考えられるが、その深部にある「人類意識」の上層に「民族意識」があると見れば、それぞれの地域に伝わる神話は、人類共通の意識を地域独特の形に表現しているということが言えるだろう。文化人類学者の後藤明氏は、この海幸・山幸に似た神話が「外国、とくに東南アジアからオセアニアに見られる」ことを指摘し、「さらに釣針を失うのは、“釣針喪失神話”として環太平洋的な分布をすることが知られている」と述べている。(上掲書、p.135)
 
 このような意味での神話として、「神武東征」の物語をどう捉えるかということは、すでに3年前に本欄で(2007年2月12日  、同13日)一部書いた。が、この時は、アメリカの神話学者、ジョセフ・キャンベル氏の「英雄神話」の分析を参考にしたものの、意を充分尽くしたとは言えない。神話はその性格からして各種の解釈ができるとともに、日本の神話には様々な複雑な要素が含まれているので、重層的な解釈も可能である。そこで、日本人にとって重要なこの神話について、今後さらに少し踏み込んで検討することにしたい。

 谷口 雅宣

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2010年2月14日

「神武東征」のもう一つの見方 (2)

 前回は、記紀にあるいわゆる「神武東征」の物語について、古代史研究家の武光誠氏の見方--“弥生人”が“縄文人”を征服していく過程を反映した政治的色彩の強い物語だ--という見方を紹介した。武光氏は、「神武東征の事実はなかった」などと明言していないが、読み方によってはそう読めるような慎重な書き方をしている。ところが、「そんなことはあり得ない」と断言する学者もいる。この人は、奈良県立橿原考古学研究所の寺沢薫氏である。寺沢氏は『王権誕生』という著書の中で、神武天皇の実在は疑わしいとし、『魏志倭人伝』に言う「邪馬台国」は奈良盆地にあって、3世紀のごく初めに、明治維新当時に“連合新政府”が成立したような形で、北九州から中国・四国辺りの国々が合意のもとに作り上げた新政権だった、という説を展開している。(同書、pp.250-251)それ以前は、『後漢書』で「倭国」と呼ばれた国が北九州にあって、中国とも外交関係をもっていたが、その国の権威が失墜する中、他の列島諸国は対外的な“一国”の枠組みとして、「倭国」に代わる盟主を模索していたとする。
 
 この「明治政府の成立過程」とのアナロジーには驚かされる。ご存じのように明治維新は、“薩長連合政権”の性格が強い。つまり、薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)に離れてあった有力勢力が合意をして、遠い江戸の地に連合政権を樹立したのだ。それと似たような形で、北九州や中国・四国地方に割拠していた有力国が、大和の地に新しく連合政権を作り上げたというのである。寺沢氏の言葉を引用すれば--
 
「もはや、一部族的国家が権威と力で他を征し、倭国を新生させることはできない情況にあった。(中略)この八方塞がりの状況を打破すべく、『筑、備、播、讃』(後の筑紫、吉備、播磨、讃岐のこと)や出雲、近畿勢力のどこか一つの勢力ではない、これらの国々の合意のもとに、まったく新しい倭国として、その権力中枢が“ヤマト”に建設された」。(p.251)

 このような過程を「権力中枢の移動」という観点から見れば、「東遷した」と言えるかもしれない。しかし、寺沢氏によると、それは「倭国の権力中枢がそのまま東遷したのでもないし、まして東征などはありえない」(p.269)というのである。
 
 この仮説を裏付けるために、氏は上記の著書で様々な考古学的知見や証拠を挙げていて、なかなか説得力がある。小欄ではそれらをすべて紹介できないが、分かりやすいポイントだけを3点記す--①新政権を想定させる巨大遺跡(纏向遺跡)が発見された、②その遺跡の発掘から、倭国とは比較にならない広範囲の交流を思わせる品々が出てきた、③周辺に前方後円墳が築造され、古墳時代につながる祭祀の存在が想像される。これらのことから、氏は日本で初めて「王権」と呼べるような組織立った政権ができ上がったのは3世紀初めの奈良盆地であり、纏向(まきむく)遺跡はその「王都」で、日本最古の「都市」だったと結論するのである。
 
 纏向遺跡の巨大さについては、寺沢氏は「最盛期の3世紀後半には1.5キロ四方にもなる。それは唐古・鍵遺跡のじつに6倍、同じ規模を列島の古代に求めると、藤原宮や平城宮に勝るとも劣らない」としている。また、出土品については、「ヤマト以外の地域で作られた土器が平均15パーセントもある。なかには搬入土器が30パーセント以上という場所もある。その搬出元は南九州から南関東にまで及ぶが、量的に多いのはキビなどの瀬戸内中・東部地域、山陰、北陸、そして伊勢湾沿岸地域だ。近畿各地からもおしなべて持ち込まれている」という。また、日本独自の前方後円墳が最初に出現したのがここであり、最も初期の前方後円墳である「纏向型」の最大のものがこの遺跡にあるというのだ。これらのことから、同氏は、「ちょうど今、首都東京に全国の自治体の東京事務所があるように、王権を構成し支えた国々の出先機関や居住地もあったのではないか」と推測する。そして、この最初の王権の中心者となったのが女王「卑弥呼」だというのである。
 
 このような「日本建国」の経緯は、記紀の記述とは相当違う。ということは、寺沢氏が記紀の内容はすべて荒唐無稽だとしているかというと、そうでもない。氏は、纏向遺跡の性格を説明するために『日本書紀』の推古16年条にある「飾馬七十五匹を遣して、唐の客を海柘榴市(つばきいち)の衢(ちまた)に迎ふ」を引用したり、第十代崇神天皇、十一代垂仁天皇、十二代景行天皇の都宮が纏向の周辺にあったという同書の記述を正しいとして認めている。つまり、神武天皇から九代までの実在を疑っているのである。
 
 私は先の2月11日の本欄で、記紀にある日本建国の記述を「神話」として扱っているし、それに先立つ数年間の建国記念日でも「神武東征の話」を神話として扱ってきたから、神武天皇が実在したかどうかを問題にしていない。それよりも、この日本建国の神話の中に込められたメッセージが、21世紀の現代においても重要な意味をもっていると言いたいのである。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○寺沢薫著『王権誕生』(講談社学術文庫、2008年)

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2010年2月12日

「神武東征」のもう一つの見方

 前回は「建国記念の日」のにちなんで、日本の建国物語に出てくる「神武東征」を今日的視点からどう読むかについて簡単に触れた。が、この分野は、考古学や人類学、神話学などの諸分野の研究者が大いに論争を展開しているところであり、社会科学の分野でのいわゆる“定説”はない。その中で、日本の古代史を研究する明治学院大学教授の武光誠氏が、面白い解釈をしている。それは、『日本書紀』にある神武東征の物語を、“弥生人”が“縄文人”を征服していく過程を反映した政治的色彩の強い物語として捉える見方である。武光教授は著書『1冊でつかむ天皇と古代信仰』の中で、「考古学の成果によって、紀元前200年代に弥生文化が北九州から、若狭湾と伊勢湾とを結ぶ線まで広がったことが明らかにされている」と述べ、その弥生文化が東進していく軌跡を神武東征はなぞっている、と考えるのである。
 
「縄文人と弥生人とは同じ人種であり、民族的にも近い関係にあったといわれている。弥生文化は500年ほどは、北九州沿岸部の限られた範囲だけのものであったが、農耕に適した近畿地方以西の縄文人が紀元前500年頃から、積極的に弥生文化をうけ入れて弥生人へとかわっていった。また、そのような新しい弥生人と朝鮮半島から渡来してきた弥生人との混血も行なわれた」。(同書、pp. 35-36)

 私は考古学は門外漢なので、この見方が正しいか間違っているかを言うつもりはない。が、南九州にいた人が、何のために万難をものともせず、何年も(一説では十数年も)かかって東進し、ついに大和の地で政権を樹立することになるのかという疑問に対する説明としては、一応筋が通っているように感じられる。この説明は、農耕文化の東への伝播に合わせて、強力な豪族の一団が大和地方へまで東進して、そこで統一国家を造ったということだ。また、読み方によっては、南九州にいた豪族が東進しなくてもいい。農耕文化だけが時間をかけて東進した先(大和地方)で、強力な豪族の一団が統一国家を形成した、という解釈も成り立つ。上に書いた「政治的色彩」の意味は、大和地方に樹立されたこの政権が、自分の正当性を主張するために『日本書紀』を書いたということだ。だから、これより先に成立したと考えられる『古事記』とは、神武東征の記述にかなり違いがあるというのである。
 
 武光教授は、この見方について様々な根拠を挙げている。まず、文化を「農耕と狩漁」の2つに対比させて考えると、「豊葦原の瑞穂の国」を愛でる政権が、農耕文化の側にあることは明らかだ。この政権がもし、狩猟文化のことを描くとしたら、それはきっと“劣った文化”あるいは“劣った人々の文化”であるように描くだろう。武光教授によると、『日本書紀』には確かにそういう記述があるというのだ。それは「土蜘蛛(つちぐも)」と呼ばれる一団の人々のことだ。これらの人々は、「国栖(くず)」「八掬脛(やつかはぎ)」「山之佐伯(やまのさえき)」「野之佐伯」などの別称をもつ。このうち八掬脛は、手足が長いことからこう呼ばれたというが、神武天皇の強敵だった豪族が「長髄彦(ながすねひこ)」というのは、まさにその意味だろう。また、「山之佐伯」と「野之佐伯」とは「山や野でわけのわからない叫び声を上げる者たち」という意味だそうだ。同教授はこう推論する--
 
「『日本書紀』などは、土蜘蛛は背が低くふだんは穴に住んでいると記している。また、土蜘蛛は人が来ると穴に隠れ、人が去ると野山に出て活動するともある。農耕民が野山に生活する未開人を軽蔑してこのような表現を用いたのであろう。そう考えると、土蜘蛛征伐の話は弥生人による縄文人の征服をあらわすとみられる」。(同書、p.39)

 この土蜘蛛征伐の話は、記紀だけにあるのではなく、九州、関東、北陸などにも広く分布しているらしい。また、その存在を考古学的に証明する集落跡も発見されているという。そのことを踏まえて、同教授はこう結論する--

「卑弥呼の時代に先だつ2世紀に、瀬戸内海沿岸でも縄文的政権と弥生的政権との争いが行なわれたといわれている。瀬戸内海沿岸の各地の山の中腹に敵から集落を守る施設をもった高地性集落がつくられているからである。高地性集落と、銅剣で農耕神をまつる集団の東進とを結びつけて考えるとよい。弥生文化をもつ先進的な人びとは縄文的性格をのこす住民を山地に追ったのであろう。そして、3世紀に高地性集落が姿を消すことは、縄文文化にこだわっていた住民が弥生化していったことをしめしている」。(同書、p.37)

 谷口 雅宣

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2010年2月11日

建国神話のメッセージを読む

 今日は建国記念の日だったので、東京・原宿の生長の家本部会館では午前10時から「建国記念の日祝賀式」が執り行われた。私はそこで、概略以下のような話をした--

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 皆さん、本日は日本国のお誕生日である建国記念の日、誠におめでとうございます。

 この日は皆さんもご存じのように、『古事記』や『日本書紀』にある日本建国の神話にもとづいて定められた記念日です。建国の日を神話にもとづいて定めている国は世界でも珍しく、日本と韓国ぐらいであります。このことは毎年、申し上げているのですが、大抵の国は近代の民主主義革命が行われた日や、第二次大戦後に植民地解放が行われたときをもって“建国の日”としているのです。これだと建国記念日を正確に定めることが可能ですが、神話にもとづく場合はそれが難しいので、日本では記紀に書かれた日をそのまま「建国の日」ではなく「建国記念の日」として祝うことになっています。これはきわめて合理的なのであります。

 日本の国のように、建国が神話の昔に遡る場合、建国記念日で問題にすべきことは、神話に描かれた出来事が歴史的事実であるかどうかではなく、神話に表現されている建国の「理念」や「理想」と、現代の日本と日本人の生活や考え方の関係でしょう。これについては、私は(2006年以降)過去何年かにわたって、この記念日でお話し申し上げてきた通りです。繰り返しにはなりますが、重要なことなので、今日は以前とは少し別の角度からお話ししましょう。
 
 日本の初代天皇となられたカムヤマトイワレヒコノミコトは、国家統一のため軍を率いて、今の南九州から北上して奈良の橿原の地まで行軍します。これを「神武東征」と呼んでいます。この行程は何年も、一説によっては十数年にも及ぶのですが、最後に、大和地方で強力な抵抗に遭います。この敵軍の大将が長髄彦(ながすねひこ)で、この軍隊との戦闘では大変な苦戦となり、兄の五瀬命(いつせのみこと)が命を落とします。そこで、いったん退却して自ら反省して分かったことは、自分は太陽神である天照大御神の子孫でありながら、太陽の方向に向かって軍を進めることは間違っているということです。だから、紀伊半島を南に迂回し、熊野から大和へ向うことを決め、再び進軍します。ここに1つのメッセージがありました。それは「神の御心に反して行動してはならない」ということです。
 
 このあとも一行は様々な抵抗に遭ったり、困難に遭遇します。が、そのつど、ヤタガラスに道案内をしてもらったり、抵抗勢力の一方が味方になったり、金色のトビが現れて敵軍の戦意をくじいたり、長髄彦が自分の主君に見限られたりして、ついに国家統一を成しとげる。ここに描かれている神武天皇は、単に武力や知恵が優れているだけの“英雄”ではありません。武力では劣り、権謀術数を使わなくても、行った先の土地の人々から認められ、動物にも助けられる。そういう「正統性」がなければならない。これが、神武東征の神話の中にあるもう1つのメッセージです。ちなみに、日本建国の神話には、ヤタガラスと金色のトビという2種類の鳥が出てきますが、神話学では、「鳥と」いうものは、天と地との間、あるいは自然界と人間界の間をとりもつ生物として位置づけられています。つまり、神からのメッセンジャーです。だから、神武天皇は日本統一に当たって神からのメッセージに従った、ということがこの神話には描かれている。
 
 皆さんは、ヨーロッパの歴史を勉強したときに「王権神授説」という言葉を学んだと思います。これは、王権--君主の政治権力は、神から授かったものという考え方です。個人が自分の野心や利益追求のために政治権力をもつということは、正統性が欠けるということで昔から認められなかったのです。だから、「神からいただいた権力である」ということが必要だった。これと同じ考えが、日本の建国神話の中には埋め込まれているのです。それだけではありません。王権神授説が「人間社会を支配する正統性」を示すものであるならば、自然と人間との関係ではどうなのでしょう。これについても、日本の建国神話は興味ある符号に満ちています。
 
 神武天皇の曾祖父、ニニギノミコトは、天上から日向の地に降臨して、コノハナノサクヤヒメと結婚し、海幸・山幸の2人の兄弟をもうけます。ここに「海」と「山」という自然界の2つの代表が登場します。祖父の山幸は、海の神の娘で、ワニに変身することができるトヨタマヒメと結婚し、ウガヤフキアエズノミコトをもうけます。ここでは、海と山とが混合して一体になっています。そして、ウガヤフキアエズとトヨタマヒメの妹のタマヨリヒメとの間に生まれたのが、神武天皇でした。つまり、「天」と「海」と「山」という自然界の3要素を引き継いで生まれたのです。今日は、時間の関係で詳しいことは申し上げられませんが、神武東征の物語の中には、天を象徴する「鳥」だけでなく、海からの協力によっても東征軍が難を逃れるというエピソードが出てきます。こういう種類の人間が、神の御心にしたがうことで人間社会での支配権を得るのが正当である--これが、日本の建国神話の中に埋め込まれたメッセージであると考えられます。

 こういうように考えてみますと、現在、日本の政治権力を握っている人物が、なぜ人気がないのかがよく分かるではありませんか。日本人は、昔から、国の頂点に立つべき人間像をしっかりともっているのです。それは、古くは建国神話の中に記されている。単に金持ちであるとか、多くの政治家を従えているとか、権謀術数に優れているだけでは、日本人は満足しないのです。そういう意味で、この21世紀初頭の時代にも、日本の建国神話から学ぶことはまだ数多くあるのです。私たちは今、民主主義の時代を生きていますから、神話時代のような国をつくることはできません。また、そんな国をつくるべきではないでしょう。しかし、「建国の理想」や「建国の理念」は現代においても大いに通用するものであり、追求すべきものです。そのためには、私たち国民の一人一人がまず、この神武建国の神話に表現された「神の御心にしたがった生き方」を実践することです。また、「海」と「山」に代表される自然界を大切にした生き方を希求すべきです。そして、この理想に少しでも近い政策を掲げ、実行する政治家を選挙によって選ぶのです。
 
 一昨日、この生長の家本部では“森の中のオフィス”に関する説明会がありました。生長の家が、国際本部を八ヶ岳南麓の“森の中”に移転するということは、すでに『聖使命』新聞などで発表されています。この決定が“自然と共に伸びる運動”の一環であることは皆さんもご存じの通りです。今日の話を聞いていただけば、「人類は自然と共に伸びるべし」ということが日本建国の理想の中にも含まれることを、皆さんはご理解いただけたと思います。そういう理念や理想を建国の文書に掲げている国は、世界広しといえども、わが国以外にはないのではないでしょうか。このことを多くの人々に伝え、“自然と共に伸びる運動”の実現に向かって邁進していきましょう。ご清聴、ありがとうございました。
 
 谷口 雅宣

【参考文献】
○中沢新一著『人類最古の哲学』(講談社選書メチエ、2002年)
○大林太良他編『世界神話事典』(角川選書、2005年)

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2010年2月10日

国際平和育英制度が発足

 1月22日の本欄で“森の中のオフィス”について書いたとき、以下のような具体的計画を3つ取り上げた:
 
 ①“自然と共に伸びる”生き方を推進する宗教的基盤の確立
 ②地球環境、生物多様性、生命倫理等の分野での意見表明の拡充と宗教間協力
 ③国際平和信仰運動の後継者の養成

 この3つは、過去80年にわたり生長の家が生み出してきた知的資源を基礎として、宗教や文化や学問の分野で人類が達成した成果を整合性をもって組み上げる試みの中からでき上がるものだろう。人類の知的遺産の中には、「史的唯物論」のように生長の家と整合性のないものもあるから、それらは組み上がらずに振り落とされる。また、スポーツも文化の一部であるが、生長の家と特に関係がないから組み上げの対象にはならないだろう。さらに、学問の中でも数学や工学に属するものと宗教とはあまり関係がないから、これらも我々の検討や研究の対象にならないかもしれない。が、その他の分野は何らかの形で、宗教や“人間の心”に関わっているものが多く、それらの活動や研究から得られた知見と、生長の家の教義--例えば、「唯神実相」「唯心所現」「万教帰一」など--とをきちんと照合し、整合するものの研究を進め、真理の理解を深めていくことは、我々の運動にとっても、人類の知的・精神的進歩にとっても必要なことと思う。また、その過程で、社会が好ましくない方向へ進む兆候が見られたならば、それに対して注意を喚起し、場合によっては警鐘を鳴らしたり反対することも必要だ。そして、長期にわたってこれらの知的活動を続けていくためには、後継者を育てなければならない。

 このような視点に立って、このほど創設されたのが「生長の家国際平和育英制度(Seicho-No-Ie Scholarship for International Peace)」である。その「趣旨」には次のようにある--
 
「本制度は、生長の家が国際平和信仰運動を遂行する人材を養成する目的で、運動に必要な学識・経験を得たいと望む生長の家の若き信仰者のうち、経済的理由によって就学が困難な者を対象にして、世界の優れた高等教育機関で学位を取得するまでの学資を無償で支援するものである」。

 そして、この制度によって養成を目指す資質は、次の3つである--
 
 ①母国語とは別の言語で宗教に関わる業務が遂行できること、
 ②出身国の文化以外に、少なくとも1国あるいは1地域の文化に通暁すること、
 ③地球環境問題などの国際問題に対して、宗教の立場から考えて運動する視点をもつこと。

 読者はこれを“夢物語”と思うだろうか? 私は決してそう思わない。なぜなら、これらの3つの資質をもつ人材は、現在の生長の家の信徒の中にもすでに存在すると思うからである。ただし、それらの人々は、生長の家の運動の“中核”には必ずしもなっていない。むしろ“外郭”にあって、自らの仕事を優先的に遂行している。その理由の1つには、生長の家の側の“受け皿”がまだ整っていないことが挙げられる。しかし、今後は、1月24日の本欄で触れたように、森の中のオフィス”の近隣に後継者養成を目的とした学校が設置されるから、優秀な人材は、そこでの研究や教育活動に従事することで、国際平和信仰運動に貢献してもらえるのではないかと期待している。
 
 私が国際教修会などのために海外へ行って感じることは、母国で生長の家を知った人々が海外で生活し、そこでの伝道活動の中心となっているケースが多いことだ。日系人の生長の家信徒が海外で活躍していることは言うまでもないが、最近は、ブラジル人の生長の家の青年が、ヨーロッパや南北アメリカの地で、伝道活動の先頭に立っている。このような有為な人材をさらに数多く育て、応援するためにも、この育英制度が成功することを願っている。もし読者の近くに、このような信仰と知性による“海外雄飛”の夢を抱く青年がいるならば、ぜひ本制度に応募してくださるようご支援をお願いする。ご参考のため、本制度の概要を記した文書 をここに添付します。

 谷口 雅宣

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2010年2月 8日

寒冷化も温暖化?

 このところ、日本列島は寒気に覆われてとても寒い。6日には、東北地方の日本海側と北陸を中心に大雪となり、強風も吹き荒れた。『産経新聞』(7日付)によると、佐渡島では最大瞬間風速31.5mの吹雪となり、6日の夕方の積雪は新潟県十日町で293㎝、青森県の酸ヶ湯(すかゆ)で290㎝、山形県の肘折(ひじおり)で276㎝だったという。新潟市内でも5日の積雪が81㎝となり、26年ぶりの大雪。8日付の『朝日新聞』夕刊は、同県内の自治体の除雪費は前年の2倍を超えて計140億円以上に膨らんでいる、と伝えている。
 
 これは日本だけの現象ではなく、欧米諸国でも寒気による被害が深刻化している。7日付の『朝日』は、アメリカの首都ワシントンでの積雪が88年ぶりの量になる可能性があると書いている。ただし、日本の積雪量よりは少ない。米海洋大気局(NOAA)は5日に、ワシントンを含む東部の一部地域にブリザード(暴風雪)警報を出したというが、6日夜までの雪で首都の積雪は50~75㎝が見込まれている。この地での観測史上最大の積雪は、1922年1月にあった「70㎝」。首都近郊の交通への被害は深刻で、6日にはダレス空港で日本との直行便を含む大半の便が欠航し、国内線主体のレーガン空港では全便が欠航したらしい。また、首都圏では一時、10万世帯以上が停電したという。
 
 こういう話を聞いていると、地球温暖化はどうなってしまったのかと思う。が、これも“温暖化”にともなう気候変動の一部らしい。イギリスの科学誌『New Scientist』は1月16日号で最近の世界的な“寒波”を取り上げ、一時的な寒さで温暖化を否定する愚を戒めている。それによると、過去数十年間、北極圏の冷たい空気は強い渦状になって上空に留まっていたのだが、この冬は、その渦巻きの速度が緩んだため、寒気が通常より南方に漏れ出る現象が起っているというのだ。この漏れ方はかなり大きく、北アメリカではフロリダ半島まで、アジアでは中国、ヨーロッパではイギリスまで達しているという。その反面、北極圏やグリーンランド、地中海地方の大部分、そして南アジアでは、通常より温かくなっているらしい。この寒冷と温暖の変化を平均して地球表面の温度を割り出せば、例年より冷えていることにはならないという。冷暖の配分が違うだけなのだ。
 
 このような変化がなぜ起こるのか、が問題となる。多くの気象学者は、最近の気象の変化は地球上で時々起こっている“極端な事象”(extreme event)の1つに過ぎないと考える。が、そうでないと考える人もいる。アラスカ州フェアバンク市の国際北極研究所(International Arctic Research Center)のシャンドン・ザーン氏(Xiangdong Zhang)は、温暖化とともに北極圏上空の大気の動きに基本的な変化が生じているため、この影響で最近の極端な気象が起こっている可能性を否定しない。日本には、人間の活動と地球温暖化との関係を否定する人々がまだいるが、同誌に言わせると、一時的な寒冷現象を取り上げて地球温暖化を否定する人は、知的な問題がある(intellectually challenged)か、もしくは単に不正直なのだという。つまり、地球温暖化は20世紀を通して測定された否定しがたい現象であるから、その過程で一時的に寒冷化が起こることと比べてはならないのだ。

 谷口 雅宣

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2010年2月 7日

宮崎県は発展中

 今日は宮崎市のメディキット県民文化センターと延岡市の延岡総合文化センターの2会場を光回線で結んで、生長の家講習会が行われた。朝方、宮崎市上空は曇り空だったが、次第に好天となり、受講してくださった人の数は両会場合計で3、029人になった。前回より16人増である。宮崎教区の講習会では、2年前の前回にも受講者が増えたので、これで2年連続の増加となる。地方の過疎化や高齢化が問題視されている中で、宮崎県では運動が盛り上がりを見せている証であり、特筆に値する。特に、相愛会の健闘(+18人)は心強い。

 長谷川暢彦・教化部長の報告では、同教区の運動は昨年5月、白鳩会の全国幹部研鑽会に福岡会場が設けられたことで参加者が3倍近くに増え、さい先のいいスタートを切ったという。その後、6月の団体参拝練成会でも全期参加者が増え、壮年層対象の誌友会への参加者も増え、9月に行われた熟年者の集いも大いに盛り上がったという。12月には“地元組織の活性化”をねらい、白・相・青合同で地区連単位で「喜びあふれる講演会」を37会場で開催し、637人を集めた。このうち約130人が“新人”。相愛会からの参加者も90人いたという。

 白鳩会は、誌友会の開催率も向上している。平成19年度に62.8%だったのが、20年度は71.1%、21年度は70.5%という。また、「技能や芸術的感覚を生かした誌友会」も着実に増え、20年度は累計64会場だったのが、今年度は同97会場となり、参加者も361人から474人に増加したらしい。白鳩会はまた、熟年者への祝福訪問を昨年11月と今年1月に行ったという。このようにして、熟年者の力強い支援を受けながら、組織に“新しい命”が吹き込まれたことが、今回の成功につながったのではないか、と私は思う。

 帰りの宮崎空港は大混雑だった。近接した時刻に何便もの航空機が出発するためだろうが、他の地方空港と比べても旅行客の数が多いのに驚かされた。妻もどこかに書いているように、多分、その一因は、今この地にプロ野球やサッカーチームが数多くキャンプを張っているためだ。「出発15分前までに手荷物検査をすまされない場合、ご搭乗できないこともあります」などというアナウンスが流れていたので、私たちは検査ゲートへ続く長蛇の後ろに早めに並んだのだが、ゲートまでたどり着くと「この便はもう受付が終わった」などと言われて、青ざめた。結局、予定の便には乗れたのだが、この時期の宮崎県が大いに繁栄していることを思い知ったのである。そう言えば、この人の列で私たちの前に並んでいたグループは、どうも韓国からの観光客のようだった。現在の日本の経済は、外国の、特にアジア地域の経済発展の恩恵を受けていることを改めて感じた。

 谷口 雅宣

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2010年2月 2日

あんたんたる気持 (2)

前回、食用培養肉の技術に関して、私は「人間の良心よりも欲望を優先する効果を生むに違いない」と書いた。その理由を述べよう。これまで本欄では、ES(胚性幹)細胞やiPS細胞、成人幹細胞などについて書いてきたが、この培養肉の技術は、これら再生医療の研究から派生してきたものだ。ということは、培養肉の技術が確立すれば当然、再生医療への応用が考えられるのである。この点をまず、念頭においてほしい。
 
 再生医療は、事故や病気によって失われたり、損傷した人間の組織や臓器を取り換え、また再生させることに主眼がある。ここでは、いわゆる“スペアーパーツ”をどうやって都合するかが大きな課題である。ES細胞は、人間の受精卵、もしくは受精卵と同等の能力をもつ生殖細胞から得られたもので、iPS細胞は、患者の体細胞をリセットしてES細胞と同等の状態にもどしたもの。これら2つは体のどの細胞にも分化する能力があるから、これをスペアパーツに育てることができる。成人幹細胞とは、患者の体細胞に混じっている未分化細胞のことで、ES細胞より限定的な分化能力をもつ。動物の培養肉を製造するためには、その動物の未分化細胞を筋肉細胞に分化させ、それを食用に適する大きさにまで増殖させることが必要だ。
 
 前回紹介した雑誌記事には、オランダのテクノロジー大学(University of Technology)で培養肉の研究をしているマーク・ポスト博士(Mark Post)の実験の様子が描かれている。それによると、培養肉はピンク色をした半液体で、ちょうど半熟卵のようなどろっとした状態だという。その中身は骨格筋細胞の集合体で、これを肉の状態にするためには、培養液に浸した中で電気刺激をコンスタントにかけなければならないという。それはちょうど、我々が筋肉を太らせるために運動をするようなものだ。が、この過程がまだ確立されていない。幹細胞から骨格筋細胞をつくることは難しくないが、それを筋肉として太らせるのが今の課題のようだ。ポスト博士は、この研究以外にも心臓病患者のための血管再生方法を研究している。つまり、肉の培養と再生医療とは技術がかなり共通しているということだ。ということは、リスクも共通している。その1つが「細胞のガン化」であることを忘れてはいけない。

 さて、ここから先は、私の想像する未来社会の姿である。想像だから、実際にそうなるとは限らない。もっとマシな社会が来るかもしれないし、もっとヒドクなる可能性も否定できない。どちらになるかは、我々が今どう考え、どう行動するかで変わってくる。何も考えず、ただ放置しておくだけでいいという人もいるかもしれないが、私にはそれができない。だから、この文章を書いている--
 
 仮に今、培養肉の技術が確立したとする。つまり、ブタやウシの幹細胞から筋肉細胞を分化させて、人間の食用にできる大きさまで太らせることができるようになったということだ。すると、これがスーパーマーケットや肉屋の店頭に並ぶ。最初は、動物の体の一部であることがわかる従来通りの肉と一緒に、売り場に並ぶ。しかし、そのうちにきれいなパッケージに入れられるなどして、動物の体の一部でないように包装される。その方が売れるに決まっているからだ。すると、今の子供たちがハンバーグやソーセージに親しむように、未来の子供たちは培養肉が動物の肉だとは気がつかなくなる。いや、この段階では、培養肉は「動物の肉」とはもう言えないかもしれない。なぜなら、それは決して走ったり、鳴いたり、恐怖したり、苦しんだりしないからだ。工場の中で植物のように育つだけであるし、そういう事実も子供たちには知らされないかもしれない。こうして、我々が知っている「自然」は、未来の子供たちにとって限りなく遠い存在となる。我々は、そういう社会が来ることを望んでいるのだろうか?
 
 一方、この培養肉の製造技術は、すぐに再生医療の分野に応用されるだろう。人間の場合、ES細胞やiPS細胞から筋肉細胞や神経細胞を分化させ、それを「不慮の事故」や脳梗塞のような「突然の発作」の治療のために、前もって培養しておく技術が開発されるだろう。なぜなら、細胞の分化や増殖はすぐにはできないからだ。これは、将来の臓器移植や組織移植のためにスペアパーツを用意しておくということで、きっと経済的に余裕のある人にしかできない。が、そういう少数のリッチマンは長生きできることになる。そうでない多くの人々には、そんな余裕はない。そんな不平等な社会が来ることを、我々は希望するのだろうか?
 
 「暗澹たる気持」というのは、言いすぎかもしれない。しかし、血の色が我々を驚かせ、悲鳴が我々の手を止めさせ、解体された死体が我々の目を背けさせるという「自然」で「当り前」の反応をゴマ化すことが、人類の福祉と幸福をもたらすという考えには、私は与しないのである。動物を動物として受け入れることができなくて、どうして人間を人間として受け入れることができるのか、と私は思う。

 谷口 雅宣

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2010年2月 1日

あんたんたる気持

 私が『白鳩』誌の2月号に書いた文章を読んだ72歳の女性から、お手紙をいただいた。この文章は、本欄では「肉食の温室効果は51%」という題で昨年11月に書いたものだ。その女性は、私がその文末に「私は、そんな方向に人類が進むと思うと、暗澹たる気持になるのである」と書いたことが大変気になるといって、次のように尋ねておられる--
 
「先生のあんたんたるお気持ちになられる理由を、おきかせ下さい。私は読んでいて、あまり意味がわかりません。思いますことは、又動物が苦しむようなことになるのでしょうか。そこのところが、いちばん気になるところです。環境問題は大事なこととは思いますが、私にとってはそのことよりも、動物が苦しんで死んでいくことの方がずっとずっと心に重く今日まで生きてまいりました。」

 私はこの文章で、世界の食肉産業全体が排出する温室効果ガスが全体の51%にも達するとの研究結果を取り上げて、人類が肉食を減らすことが地球温暖化を抑制する最も効果的な方策ではないか、と訴えたのだった。そして最後に、「最近では、先端的な再生医療から得た技術により、個体から分離した家畜の細胞を増殖させて“培養肉”(cultured meat)を製造する研究が行われている」ことを述べ、これが温室効果ガスの削減にも役立つとする見解を紹介し、上に書いた感想を述べて文章を結んだのだった。
 
 問題の文章の最終部は、この女性がおっしゃるように確かに曖昧である。その理由の1つは、意味をはっきりさせるためには“培養肉”という新しい技術を説明しなければならず、そうすると、文章が冗長になるだけでなく、グロテスクなイメージが前面に出ることになり、(私ではなく)読者を暗澹たる気持にさせてしまう危険性があったからだ。それは、「日時計主義」を標榜する私としては、できたら避けたかった。そして読者には、「個体から分離した家畜の細胞を増殖させる」という表現から、この技術のグロテスクな本質を察知してほしかった。が、それはかえって読者に対して不親切だったかもしれない。
 
「食用培養肉」(cultured meat/in vitro meat)の製造技術は、まだでき上がっていない。が、3~4年前には、これが完成すると地球温暖化が抑制されるだけでなく、世界の食糧問題も解決に向かうし、食肉用に育てられる家畜の苦しみも大幅に緩和される……などと鳴り物入りで論じられていた。最近の雑誌記事では、ITや先端技術を扱う『ワイアード(Wired)』誌の昨年7月31日号に詳しい記事
が載っている。それによると、技術の確立にはまだ時間がかかりそうだ。

 この技術が地球温暖化の抑制に寄与すると言われる理由は、ウシやブタを育てるのではなく、ビーカーの中で動物の筋肉細胞だけを培養するのだから、家畜の飼料用の穀物を栽培する必要がなくなるとされている。つまり、動物の細胞の“種”のようなものさえ用意しておけば、植物工場でされているように、その“種”を育てて肉を収穫するだけでいい。飼料穀物を育てるための土地も、肥料も、トラクターを動かす燃料も不要となり、さらに家畜を飼うための土地も大幅に節約でき、さらには、家畜が体内から出す排泄物もなく、口から出るゲップ(メタンガス)もないから、環境破壊を最小限に抑えられる--というわけである。一見いいことずくめのようだが、「良すぎる話には罠がある」と言われるように、私は容易には納得できない。
 
 第一に、「食用にするために動物の肉を培養する」という考え方自体を、私はグロテスクに感じる。これは必ずしも感情論ではない。人間が感覚的に「不快」と感じ、「嫌悪感」を抱くものには、進化心理学的な、重要な理由があることが多い。このことはかつて『足元から平和を』(2005年)の最終章で触れたが、人間の生存にとって脅威であるものを、我々は本能的に拒否するような遺伝子を引き継いでいると考えられる。人間以外の動物は、“天敵”に対する鋭敏な感覚を備えているが、人間もヘビを嫌ったり、死臭や排泄物を本能的に忌避したりする。大体、家畜を屠殺する現場が公の目から隠されているという事実が、ウシやブタの恐怖や苦しみを、またほとばしる鮮血や吹き出る内臓を我々が「見たくない」「聞きたくない」と感じる、強烈な拒絶感をもっている証拠である。これを言い直せば、人間はみな、ウシやブタなどの動物と自分とを同一視し、同情する心をもっているということだ。その心が苦しまないために、もし培養肉が開発されるのだとしたら、こんな主客転倒はない。
 
 食用とする筋肉だけが培養できればいい。動物の脳が生み出す感情もなく、声帯から絞り出される悲鳴も聞こえず、血液や内臓も見なくてすむから、「残虐」の想いも、良心の呵責も感じずにすむことができる--もしそういう目的でこの技術が大々的に導入されるのであれば、私は暗澹たる気持にならざるを得ないのである。読者はもうお気づきだろうが、この種の技術は、人間の良心よりも欲望を優先する効果を生むに違いないのである。
 
 谷口 雅宣

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