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2010年2月14日

「神武東征」のもう一つの見方 (2)

 前回は、記紀にあるいわゆる「神武東征」の物語について、古代史研究家の武光誠氏の見方--“弥生人”が“縄文人”を征服していく過程を反映した政治的色彩の強い物語だ--という見方を紹介した。武光氏は、「神武東征の事実はなかった」などと明言していないが、読み方によってはそう読めるような慎重な書き方をしている。ところが、「そんなことはあり得ない」と断言する学者もいる。この人は、奈良県立橿原考古学研究所の寺沢薫氏である。寺沢氏は『王権誕生』という著書の中で、神武天皇の実在は疑わしいとし、『魏志倭人伝』に言う「邪馬台国」は奈良盆地にあって、3世紀のごく初めに、明治維新当時に“連合新政府”が成立したような形で、北九州から中国・四国辺りの国々が合意のもとに作り上げた新政権だった、という説を展開している。(同書、pp.250-251)それ以前は、『後漢書』で「倭国」と呼ばれた国が北九州にあって、中国とも外交関係をもっていたが、その国の権威が失墜する中、他の列島諸国は対外的な“一国”の枠組みとして、「倭国」に代わる盟主を模索していたとする。
 
 この「明治政府の成立過程」とのアナロジーには驚かされる。ご存じのように明治維新は、“薩長連合政権”の性格が強い。つまり、薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)に離れてあった有力勢力が合意をして、遠い江戸の地に連合政権を樹立したのだ。それと似たような形で、北九州や中国・四国地方に割拠していた有力国が、大和の地に新しく連合政権を作り上げたというのである。寺沢氏の言葉を引用すれば--
 
「もはや、一部族的国家が権威と力で他を征し、倭国を新生させることはできない情況にあった。(中略)この八方塞がりの状況を打破すべく、『筑、備、播、讃』(後の筑紫、吉備、播磨、讃岐のこと)や出雲、近畿勢力のどこか一つの勢力ではない、これらの国々の合意のもとに、まったく新しい倭国として、その権力中枢が“ヤマト”に建設された」。(p.251)

 このような過程を「権力中枢の移動」という観点から見れば、「東遷した」と言えるかもしれない。しかし、寺沢氏によると、それは「倭国の権力中枢がそのまま東遷したのでもないし、まして東征などはありえない」(p.269)というのである。
 
 この仮説を裏付けるために、氏は上記の著書で様々な考古学的知見や証拠を挙げていて、なかなか説得力がある。小欄ではそれらをすべて紹介できないが、分かりやすいポイントだけを3点記す--①新政権を想定させる巨大遺跡(纏向遺跡)が発見された、②その遺跡の発掘から、倭国とは比較にならない広範囲の交流を思わせる品々が出てきた、③周辺に前方後円墳が築造され、古墳時代につながる祭祀の存在が想像される。これらのことから、氏は日本で初めて「王権」と呼べるような組織立った政権ができ上がったのは3世紀初めの奈良盆地であり、纏向(まきむく)遺跡はその「王都」で、日本最古の「都市」だったと結論するのである。
 
 纏向遺跡の巨大さについては、寺沢氏は「最盛期の3世紀後半には1.5キロ四方にもなる。それは唐古・鍵遺跡のじつに6倍、同じ規模を列島の古代に求めると、藤原宮や平城宮に勝るとも劣らない」としている。また、出土品については、「ヤマト以外の地域で作られた土器が平均15パーセントもある。なかには搬入土器が30パーセント以上という場所もある。その搬出元は南九州から南関東にまで及ぶが、量的に多いのはキビなどの瀬戸内中・東部地域、山陰、北陸、そして伊勢湾沿岸地域だ。近畿各地からもおしなべて持ち込まれている」という。また、日本独自の前方後円墳が最初に出現したのがここであり、最も初期の前方後円墳である「纏向型」の最大のものがこの遺跡にあるというのだ。これらのことから、同氏は、「ちょうど今、首都東京に全国の自治体の東京事務所があるように、王権を構成し支えた国々の出先機関や居住地もあったのではないか」と推測する。そして、この最初の王権の中心者となったのが女王「卑弥呼」だというのである。
 
 このような「日本建国」の経緯は、記紀の記述とは相当違う。ということは、寺沢氏が記紀の内容はすべて荒唐無稽だとしているかというと、そうでもない。氏は、纏向遺跡の性格を説明するために『日本書紀』の推古16年条にある「飾馬七十五匹を遣して、唐の客を海柘榴市(つばきいち)の衢(ちまた)に迎ふ」を引用したり、第十代崇神天皇、十一代垂仁天皇、十二代景行天皇の都宮が纏向の周辺にあったという同書の記述を正しいとして認めている。つまり、神武天皇から九代までの実在を疑っているのである。
 
 私は先の2月11日の本欄で、記紀にある日本建国の記述を「神話」として扱っているし、それに先立つ数年間の建国記念日でも「神武東征の話」を神話として扱ってきたから、神武天皇が実在したかどうかを問題にしていない。それよりも、この日本建国の神話の中に込められたメッセージが、21世紀の現代においても重要な意味をもっていると言いたいのである。

 谷口 雅宣

【参考文献】
○寺沢薫著『王権誕生』(講談社学術文庫、2008年)

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