あんたんたる気持 (2)
前回、食用培養肉の技術に関して、私は「人間の良心よりも欲望を優先する効果を生むに違いない」と書いた。その理由を述べよう。これまで本欄では、ES(胚性幹)細胞やiPS細胞、成人幹細胞などについて書いてきたが、この培養肉の技術は、これら再生医療の研究から派生してきたものだ。ということは、培養肉の技術が確立すれば当然、再生医療への応用が考えられるのである。この点をまず、念頭においてほしい。
再生医療は、事故や病気によって失われたり、損傷した人間の組織や臓器を取り換え、また再生させることに主眼がある。ここでは、いわゆる“スペアーパーツ”をどうやって都合するかが大きな課題である。ES細胞は、人間の受精卵、もしくは受精卵と同等の能力をもつ生殖細胞から得られたもので、iPS細胞は、患者の体細胞をリセットしてES細胞と同等の状態にもどしたもの。これら2つは体のどの細胞にも分化する能力があるから、これをスペアパーツに育てることができる。成人幹細胞とは、患者の体細胞に混じっている未分化細胞のことで、ES細胞より限定的な分化能力をもつ。動物の培養肉を製造するためには、その動物の未分化細胞を筋肉細胞に分化させ、それを食用に適する大きさにまで増殖させることが必要だ。
前回紹介した雑誌記事には、オランダのテクノロジー大学(University of Technology)で培養肉の研究をしているマーク・ポスト博士(Mark Post)の実験の様子が描かれている。それによると、培養肉はピンク色をした半液体で、ちょうど半熟卵のようなどろっとした状態だという。その中身は骨格筋細胞の集合体で、これを肉の状態にするためには、培養液に浸した中で電気刺激をコンスタントにかけなければならないという。それはちょうど、我々が筋肉を太らせるために運動をするようなものだ。が、この過程がまだ確立されていない。幹細胞から骨格筋細胞をつくることは難しくないが、それを筋肉として太らせるのが今の課題のようだ。ポスト博士は、この研究以外にも心臓病患者のための血管再生方法を研究している。つまり、肉の培養と再生医療とは技術がかなり共通しているということだ。ということは、リスクも共通している。その1つが「細胞のガン化」であることを忘れてはいけない。
さて、ここから先は、私の想像する未来社会の姿である。想像だから、実際にそうなるとは限らない。もっとマシな社会が来るかもしれないし、もっとヒドクなる可能性も否定できない。どちらになるかは、我々が今どう考え、どう行動するかで変わってくる。何も考えず、ただ放置しておくだけでいいという人もいるかもしれないが、私にはそれができない。だから、この文章を書いている--
仮に今、培養肉の技術が確立したとする。つまり、ブタやウシの幹細胞から筋肉細胞を分化させて、人間の食用にできる大きさまで太らせることができるようになったということだ。すると、これがスーパーマーケットや肉屋の店頭に並ぶ。最初は、動物の体の一部であることがわかる従来通りの肉と一緒に、売り場に並ぶ。しかし、そのうちにきれいなパッケージに入れられるなどして、動物の体の一部でないように包装される。その方が売れるに決まっているからだ。すると、今の子供たちがハンバーグやソーセージに親しむように、未来の子供たちは培養肉が動物の肉だとは気がつかなくなる。いや、この段階では、培養肉は「動物の肉」とはもう言えないかもしれない。なぜなら、それは決して走ったり、鳴いたり、恐怖したり、苦しんだりしないからだ。工場の中で植物のように育つだけであるし、そういう事実も子供たちには知らされないかもしれない。こうして、我々が知っている「自然」は、未来の子供たちにとって限りなく遠い存在となる。我々は、そういう社会が来ることを望んでいるのだろうか?
一方、この培養肉の製造技術は、すぐに再生医療の分野に応用されるだろう。人間の場合、ES細胞やiPS細胞から筋肉細胞や神経細胞を分化させ、それを「不慮の事故」や脳梗塞のような「突然の発作」の治療のために、前もって培養しておく技術が開発されるだろう。なぜなら、細胞の分化や増殖はすぐにはできないからだ。これは、将来の臓器移植や組織移植のためにスペアパーツを用意しておくということで、きっと経済的に余裕のある人にしかできない。が、そういう少数のリッチマンは長生きできることになる。そうでない多くの人々には、そんな余裕はない。そんな不平等な社会が来ることを、我々は希望するのだろうか?
「暗澹たる気持」というのは、言いすぎかもしれない。しかし、血の色が我々を驚かせ、悲鳴が我々の手を止めさせ、解体された死体が我々の目を背けさせるという「自然」で「当り前」の反応をゴマ化すことが、人類の福祉と幸福をもたらすという考えには、私は与しないのである。動物を動物として受け入れることができなくて、どうして人間を人間として受け入れることができるのか、と私は思う。
谷口 雅宣
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コメント
谷口総裁は食用培養肉の技術、製造、ips再生医療の完成は人類にとって良くない!とお考えの様に思いますがそれでは全ての人類が肉食を止め、臓器移植を止める世界の到来こそが、食料、医療分野に於いて理想的な社会なのでしょうか?
投稿: 尾窪勝磨 | 2010年2月 4日 10:16
尾窪さん、
>>それでは全ての人類が肉食を止め、臓器移植を止める世界の到来こそが、食料、医療分野に於いて理想的な社会なのでしょうか? <<
そうは思いません。私の文章のどこに、そんなことが書いてあるのでしょう?
投稿: 谷口 | 2010年2月 4日 12:07
谷口総裁様
そう思われないのですか、、、私の誤解ですね!「将来、臓器移植や組織移植は経済的余裕のある人しか出来ない、、、不平等な社会を希望するだろうか、、」の文章できっとそうなりますから希望しないとなりますと再生医療は完成しない方が良いのではないか!と、又「血の色が我々を驚かせ、悲鳴が我々の手を止めさせ、解体された死体が我々の目を背けさせるという「自然」で「当たり前」の反応をゴマかすことが人類の福祉と幸福をもたらすという考えには、私は与しないのである」でゴマかさない為には食用培養肉の技術、製造の完成は良くないことになるのではないか、、、と受け止めました。
投稿: 尾窪勝磨 | 2010年2月 4日 14:34
総裁先生
ありがとうございます。
そして別の意味でありがとうございます。
確かに先生の危惧されている事はわかります。
でも、私は別の意味で再生医療に希望を見出す事をお許しください。
現在でも脳の移植は不可能です(脳細胞は別ですが)そして、その他の臓器は比較的簡単にできます。(免疫抑制剤を生存中は飲み続けますが。)しかし再生医療の場合は免疫抑制剤を生存中は飲み続けなくても良いのです、元々自分の肉体から再生したのだから、まずこの利点があります、しかしてまだまだ再生医療は未知数ですが希望を持ちたいです、特に腎臓病や心臓病を抱えている人には朗報です。心臓病はそのまま『死』に直結し、腎臓病は一生涯『透析』しなければ、『死』に直結ですから。 民主党政権は高度先端医療は国費負担で賄うと明言しているので、それに賭けるしか道筋が見えていません。どうぞこの様な病を抱えている信徒の気持を察して頂ければありがたく存じます。私も『透析』をしている信徒の一人です。
投稿: 直井 誠 | 2010年2月 4日 22:23
尾窪さん、
あなたの質問は、こうでした
>>それでは全ての人類が肉食を止め、臓器移植を止める世界の到来こそが、食料、医療分野に於いて理想的な社会なのでしょうか? <<
「全ての人類が肉食をやめ」るということは、「食用培養肉の技術に反対する」ということと同じではありません。また、「臓器移植を止める」ということと「ES細胞の利用に反対する」ということも、意味は同じでありません。さらに、「~~に反対する」ということは、その反対した「~~」がなければ「理想的な社会が来る」ということを必ずしも意味しません。
あなたは、いろいろな憶測を加えて、私の言っていない結論を勝手に引き出しているのだと思います。
投稿: 谷口 | 2010年2月 5日 00:03
直井さん、
私は再生医療一般に反対しているのではありません。
これはすでに本にも書きましたが、成人幹細胞を使った再生医療であれば、自分の細胞を自分の臓器に使うのですから、人体では常に行われていることです。私が疑義を抱いているのは、他の人や生物の命を不必要に犠牲にしてでも、生き続けなければならないという考え方です。
投稿: 谷口 | 2010年2月 5日 00:12
谷口総裁様
私の憶測と言うより誤解ですね!「食用培養技術に反対する」と言う事は技術が完成すると"「自然」で「当たり前」の反応をゴマかすになるので良くないと言うことである"ならば肉食を止めなければならないのか、それとも現状のままでよいのか、、と、、又ES細胞ではなくてips細胞をも不平等な社会になるので希望されておられないのではないか、、と思ったのです、なかなか真意を掴むと言う事は難しいものであるな、、と反省させられました。
投稿: 尾窪勝磨 | 2010年2月 5日 10:17
総裁先生
ありがとうございます
先生からお返事を頂きありがとうございます。
先生の書かれている事は本筋であり、疑いの余地もありません。私だって他人の臓器を移植したくはありません。できれば自身の細胞で再生した臓器を使いたいです。でもまだまだです。(遺伝子異常のある人は自己再生臓器は無理ですが)ですから、総裁先生がおしゃっている事が正しいのです。私は反論のつもりで投稿したのではありません。お騒がせ致しまして申し訳ありませんでした。 拝
投稿: 直井 誠 | 2010年2月 6日 23:48
直井さん、
正しい、正しくないの問題は別にして、あなたが再生医療に期待する気持はよく分かります。人工透析などしなくてよいならば、それにこしたことはありません。しかし、誰も「完全な肉体」など持っていませんし、肉体はそのうち使えなくなっていくのは、皆同じです。使えるうちに、何を、何のためにするか、ということが重要なのだと思います。
投稿: 谷口 | 2010年2月 7日 22:13